△
わたしたちは森の奥で、懐かしい花を見かける。
「あれ、この花って……」
隣にいるフィオレナの方を見てそう言うと、フィオレナは微笑んだ。
「懐かしいですね。あの時に探した花です」
「そうだよね!」
「こんなところにも咲いているんですね、記しておきましょうか」
その花はきらきらと星空のような花びらを柔らかく風に揺らしている。
「……ねぇ、あの時のこと、憶えてる?」
「はい、もちろんですよ」
「あの日始めて、一緒に冒険したんだよね! たしか――」
わたしたちは気づけば懐かしい記憶を探って、昔話を始めていた。
△
「はぁ~……」
と、わたしはため息をついた。二階の窓にもたれて、塔都の景色を眺めながら。
「どうしたの~テリシア、ため息なんかついて」
と、部屋にいたカオルが私の背中にのっかって尋ねてくる。
「ん~、そろそろ、塔都を離れることにしたでしょ? それはいいけど……フィオレナちゃんとお別れかぁって思ったら、寂しいよ~」
「ああ、フィオレナちゃんかぁ」
フィオレナちゃんは、とあるきっかけでこの街で出会った旅人さん。向かいの宿で寝泊まりしていて、気がつけば仲良くなっていた。塔都を離れて、これからまた旅を続けるのは楽しみだけど……でも、これでお別れしたら、次にまた会えるかどうかもわからないし。
「……ねぇねぇ、テリシア」
「なに?」
「フィオレナちゃんって、一人で旅をしているんでしょ? なにか理由があるのかもしれないけど……ダメ元で、私たちの仲間に誘ってみるのはどうかな?」
「――えっ?」
カオルが私の耳をもふもふしながら言う。
「あの子が一緒にきてくれたら、すっごく心強くない? それに……これからも一緒にいられるし!」
「そっかぁ! その手があったよ!」
私は思わず飛び跳ねて振り向くと、カオルの手を握りしめて振り回した。
「まぁ、聞いてみるまでわからないけど……」
「そうだね! 断られちゃったらしょうがないけど……でも、聞いてみる!」
その時、あ、とカオルが声を上げた。
「噂をすれば」
窓の外を見ると、向かいの宿からちょうどフィオレナちゃんが出てきたところだった。
「あ! フィオレナちゃ~ん!」
呼びかけると、気がついたフィオレナちゃんは顔を上げて小さく笑い返してくれる。
「ちょっとそこで待ってて!」
と言うと私は部屋を飛び出して、宿の階段を駆け下りた。途中で躓いて転びそうになって、ものすごい勢いでドタドタと一階に突進する。なんとか転ばずにすんだ。
「……セーフ!」
「頼むからもう壊さないでくれよ」
と、カウンターに居る宿屋のご主人が呆れ顔でわたしを見つめてきた。いつもどおりぷかぷか葉巻をふかしている。一階の食堂には、昼だけどちらほら人がいた。
わたしたちはあとから知ったけど、この宿屋《尻尾亭》は、主人のガーヴェナさんが変わり者ってことと、店員さんのメアリさんの可愛らしさでひそかに有名らしい。そして何より、料理がおいしい!
「あはは~すいません……」
わたしはぺこぺこ頭を下げて宿屋を出る。フィオレナちゃんがそこで待っていてくれた。
「テリシアさん、こんにちは」
「こんにちは! ……あれ、これからおでかけ?」
フィオレナちゃんが荷物を背負っているのに気がついて聞いてみる。
「はい。これから、アドリアの森に行く予定なんです」
「アドリアの森って……確か、塔都の近くにある?」
塔都の周辺は穏やかな草原が広がっているけど、そこには点々と湖や森がある。アドリアの森はここから少し離れたところにある、少し変わった森だった気がする。
「そうですね。そこに、珍しい花が咲いているらしいんです」
「へぇ、そうなんだ!」
フィオレナちゃんは、花を探す旅をして世界中をめぐっているんだったよね。
「でも、あの森って危ない魔物がいるんじゃないの? 一人だと危なくない?」
「大丈夫ですよ、慣れていますから」
「うーん、そっかぁ」
たしかに、フィオレナちゃんはずっとこれまで一人で旅をしてきて、魔法だって上手だし、そんなに心配することもないのかもしれない。
でも……。
「……ねぇ! わたしもついていっていいかな?」
「テリシアさんが、ですか?」
フィオレナちゃんは少し驚いたように目を見開いた。
「えっと、迷惑じゃなければ……やっぱり、一人で行くっていうのは心配だしっ!」
「でも……その、いいんですか? 私の用事ですし……」
「うんっ! わたしが行きたいんだから、いいの! あ、他に来れる人がいないか、聞いてきてもいい?」
「ええ、わかりました……」
わたしはまた踵を返して、宿屋に駆け戻っていった。
△
くすくす、とフィオレナは笑う。
「も~、笑わないでよ」
「ふふ、すみません」
「あの時、どう思った?」
そんなふうに尋ねると、懐かしそうに顔をほころばせた。
「嬉しかったんですよ。……優しくて、真っ直ぐな人だなと思って」
「え? えへへ、照れるなぁ~」
ひとしきり笑い合ったあと、それで……とフィオレナは続ける。
「カオルさんとユウトくんを連れてきてくれたんですよね」
△
わたしは、宿屋からカオルとユウトを引っ張り出してきて、みんなでフィオレナちゃんの目的地であるアドリアの森を目指していた。ちなみにシズクは最近ずっと塔都の図書館に出かけているので、もちろんいない。ユウヤは今日の買い物当番だった。ざんねん。
「……どんな花なの? そこの森にあるっていうのは」
わたしたちは地図を片手に草原を歩いた。天気がよくて、気持ちいい日だ。風が足元の草をさわさわと撫でて吹き渡っていく。カオルの質問に、フィオレナちゃんは足を止めて鞄の中から本を取り出した。
「そうですね、……えっと、この本に書かれている、《星夜花》という花です」
「――へぇ、きれいなお花だね!」
本を開けると、わたしたちに見せてくれる。一旦立ち止まって、みんなでそのページを眺めた。
それは花図鑑のようで、花のスケッチと解説が書かれている。そこは《星夜花》という花のページだった。夜空のような深い藍色の花びらに、きらきらと星のように光る銀色の模様が散りばめられている。
「この花をアドリアの森で見かけたと、塔都で聞いたものですから。今まで、見たことがないんです」
「じゃあ、絶対見つけなきゃね!」
そこで、興味深そうに図鑑を覗き込んでいたユウトがフィオレナちゃんに尋ねる。
「この図鑑は……手書きみたいだな」
「はい、そうなんです。大部分は私の父が書いたもので、それを譲り受けました」
「へぇ、フィオレナちゃんのお父さんが? こんなに丁寧に……すごいね!」
「大陸のほとんどの花はここに記されているんですよ」
「へぇぇ」
すごいなぁ。フィオレナちゃんのお父さんも、この図鑑を作るために、旅をしたのかな。
フィオレナちゃんは本をしまって、わたしたちはまた歩き始める。
「じゃあ、フィオレナちゃんはその本にかかれている花を実際に見て回っているんだねっ!」
「ええ、そうですね。そうして修正や加筆も行っているんです」
「そうだったんだぁ、すごいなぁ」
そんなこんなで歩くうちに、丘の向こうに赤い色がちらついてきた。
「あれがアドリアの森か」
ユウトの声に、わたしは背伸びしてみる。
「不思議な森だね、あそこだけ葉っぱが赤いよ!」
緑色の草原の中に、そこだけ燃えるように赤い。
「大地からの魔力の流れによって、環境が周囲と異なる場合があるんです。あそこもきっとそうなんでしょう」
「へぇ~、フィオレナちゃんは物知りだなぁ~」
「いえいえ……まだまだ勉強中ですよ」
フィオレナちゃんはすごいなあ。魔法だって上手で、たくさんのことを知っているのに、すごく謙虚で……。私も頑張って勉強して、フィオレナちゃんみたいな魔法使いになりたいな!
「行こう行こう!」
わたしが草原を駆け出すと、「危ないぞ」とユウトの呆れ声が追いかけてきた。
△
――そこまで話して、今もずっと胸の中にある感情が、その頃から始まっていたことにふと気がつく。
「あの時わたしは、フィオレナみたいになりたい、って思ったんだよね」
「そうだったんですか?」
「うん!」
わたしはあの頃……本当になんにもできなかった。魔法もへたくそで、村にいたころはいつもみんなに笑われて……夢だって、叶うわけないって誰もが言って。当たり前だよね。
でも、そうじゃない人もいて、それがお兄ちゃんと、ユウヤたちだったんだ。
「あの頃は、フィオレナが神様みたいに見えたなー、優しくて、なんでもできて、才能もあって……」
「ふふ、そんなことなかったでしょう?」
「……んー。どうかなぁ? 今も半分くらいは神様だと思ってるかも!」
でも、それから一緒に旅をして……フィオレナのいろんなことを知って。神様なんかじゃない、一人の女の子なんだって、分かったりもして。
だからこそ今も、わたしはフィオレナに憧れているんだ。
△
森の中に入ってみると、視界は一面真っ赤に染まる。
「すごい! きれいな森だねー」
木々の葉っぱも、下の方の茂みも、あちこちが赤い。なんだかちょっと目が痛くなりそうなくらい。こんな森、初めて見た! 世界には、色んな場所があるんだなぁ。
「大陸中央でこの木がみられるのはかなり珍しいんですよ」
「ふつうはどこにあるの?」
「そうですねぇ……グラン皇国のあたりでしょうか」
わたしは一度も行ったことはないけれど、グラン皇国は確か中央地方の北側にある場所だったはずだ。お城があって王様がいて、大きな街があるっていう……。わたしたちもこれから、行くことになるかもしれないけど。
「中央地方は、特に大地の魔力が活発ですから、あちこちにいろいろな環境変化が起こっています。新しい植物が生まれることも多いんですよ」
「それなら、図鑑を作るのは大変そうだな」
「実はそうなんです」
フィオレナちゃんは苦笑してそんなふうに言った、ちょうどその時――。
突然、眼の前に一匹の獣が飛び出してきた。
「うわあ!」
「みなさん、下がってください」
わたしたちの背丈の二倍ほどもある、巨大な角を持った、四足の長い脚の獣。
たしかこれは……黒鹿《ネルファ》と呼ばれる魔物だ。
わたしたちを警戒しているのか、その頭を低く下げた。――突進の合図だ……!
ユウトくんが剣に手をかけ、わたしも身構えて杖を抜こうとした時。
フィオレナちゃんが呟いた。
「――フェーリ・ヒュープ」
わたしの視線はフィオレナちゃんの方に吸い寄せられる。右腕をまっすぐ伸ばしたフィオレナちゃんは、いつの間に手にした扇子を、パッと開いた。
瞬間、身の周りの空間に白い花が咲き乱れる。――魔法だ。
その花びらがきらきらと砕けたガラスの破片みたいに空中を漂い、魔物に向かって飛んでいく。
「すごい……」
わたしは自分の杖を手に取るのも忘れて、見とれてしまう。
その花びらが魔物にまとわりつくと、魔物は動きを止めて……その場に脚を折って、眠り込んでしまった。
フィオレナちゃんが扇をたたむと、近くに咲いていた花も溶けるように消える。魔法が作り出した幻影だったんだ……。
「フィオレナちゃん、すごい魔法……」
とカオルが言う横で、言葉がでてこないくらい感動したわたしはとにかく頷いた。
「……魔力の流れを受けて変異を起こすのは、植物だけではなく生き物も同じですから……危険な魔物に遭遇することも多いですし、こういう魔法は身につけているんです」
「そっかぁ、そうやって今まで旅を続けてきたんだねっ……!」
やっぱり、わたしが心配するまでもなくフィオレナちゃんはすごいんだなあ……。むしろ、助けてもらっちゃったし。
「目を覚ましてしまう前に行きましょうか」
わたしたちはそろそろとネルファの横を歩いて通り抜けた。
「今のはなんだ?」
ユウトがちらりと振り返りながら尋ねる。
「確かに、始めて見たよね。テリシアは知ってる?」
「うーんと、確かネルファじゃないかな?」
「そうですね、ネルファと呼ばれている魔物です。……かつての大陸戦争のときに魔界からやってきた魔物たちが、こちらの環境に根付いて生まれた新しい種のひとつです。私は動物は専門ではありませんから、詳しいことはわかりませんが……」
「へぇ~、フィオレナちゃんといると勉強になる……!」
カオルが感心する横を歩きながら、わたしの目にはさっきのフィオレナちゃんの魔法が焼き付いていた。
魔法は、教科書にまとめられているような五属性の「一般魔法」だけじゃない。魔法は意志によって世界を操る技術だから……その可能性は無限で、工夫すれば新しい魔法を生み出すこともできる。フィオレナちゃんは、花のイメージを利用した特別な魔法を生み出したんだ。
「ねぇフィオレナちゃん……どうしたら、そんなふうに魔法が使えるようになるのかな……?」
私はまだ、一般的な魔法でさえうまく使えない……でもいつか、自分だけにしか使えない、特別な魔法を使える大魔法使いになりたい。というか、絶対なるんだ! ……けど、それもなかなかうまくはいかなくて。
「そうですね……」
とフィオレナちゃんは頬に手を当ててすこし考えた。
「自分で新しく魔法を作るのは、とても時間がかかることなんです。だからこそ……自分の好きなものの力を借りることが大切なんじゃないでしょうか」
「好きなもの……?」
「憧れているもの、大切なもの……そういうものとなら、長い時間でも向き合うことができますから」
そっか。フィオレナちゃんも、大切な花と向き合うことで、時間をかけて新しい特別な魔法を生み出したんだ。
「……大切なもの……」
わたしはちょっと頭の中を探してみる。
「うーん、テリシアの好きなものっていえば……」
「オムライスとかじゃないか?」
「えー!?好きだけど……なんかそれは違くない!?」
「……ふふ」
オムライスの魔法使いなんて……全然かっこよくないし! まあ、好きだけど……。
△
「あの時、初めてフィオレナの魔法を見てさ、――わたし、すっごく感動したんだよね!」
「おぼえてますよ。あの時のキラキラした目」
「あはは。だって……きれいで、かっこよくて……それに、すごく想いがこもった魔法だってわかって……」
その後もたくさんのフィオレナの魔法を見るたびに、感動しっぱなしだったっけ。今でも時々、見とれちゃうことがあるし。今では《百花の魔法使い》と呼ばれるフィオレナの魔法が、わたしは世界で一番大好きなんだ。
△
――それから、わたしたちは森の探索を続けていた。
変なキノコや、動物たちと出会いながら、それでもなかなか、探している花は見つからない。
「うーん、見つからないねえ」
とカオルが水筒を取り出しながら言う。わたしたちは森の開けた場所で休憩していた。フィオレナちゃんとユウトは、図鑑を覗き込んで話し合っている。
「基本的には水辺に咲く花ですし……聞いた話でも、池の近くに咲いていたらしいのですが」
「そもそもそれらしい池が、見当たらないな」
「そうですね……」
ユウトはふいに立ち上がると、メガネを外して周囲を見回した。
「……どう? 見える?」
ユウトは塔都に来てからもずっと、その不思議な目で見る練習を続けていた。前に比べれば、いろいろ見えるようになったと話していたけど、いつもどんな景色が見えているのか、気になる。
フィオレナちゃんはその姿を不思議そうに見上げていた。
「何か見えるんですか?」
「……変わった目でな。ある程度の距離なら、地形が分かるから、水のある場所も探せるんじゃないかと」
「へぇ! そういうものも見えるようになったんだ!」
ユウトくんはその目でぐるりと見回す。
「……ん?」
と、ユウトくんはある方向に目を凝らした。
「……ああ、そういうことか」
「なにかわかったのっ?」
ユウトくんはメガネを戻すとわたしたちの方に向き直る。
「そこに花があるかはわからないが……とりあえず、こっちだ」
△
「そういえばユウトくんには、助けてもらってばっかりだったよね」
「ええ、本当に」
「普段は冷たいし、たまにちょっと耳が痛いこと言うけど……なんだかんだ優しいんだよ!」
「……ふふ、そうなんですよね」
フィオレナは、その花に手を伸ばした。
「懐かしいですね……」
△
――そこには赤い木々に縁どられて、池が広がっていた。水面に赤い葉っぱがひらりと落ちては浮かんでいる。
「こんなところにあったんだぁ」
池は数メートル、台地状になった土地の上にあった。崖をよじ登ってみない限り、そこに池があることには気が付けない。……風の魔法で運んでくれるフィオレナちゃんがいなかったら、ここを登るのは相当大変だったろうな。
「……あ!」
とわたしは、池の対岸を指さした。
「見て、あれ――」
赤い木々の中に、一色だけ、暗い紺色のかたまりが目をひく。
わたしは駆けだして、小さな池をぐるりと回った。
転びそうになりながらなんとか辿り着くと、そこではまるで星空みたいな花が、地面を埋め尽くして咲いている。
「きれいだねぇ……」
しばらく見つめていると、隣にやってきたカオルがそう呟いた。
「見つけられてよかったです。皆さんのおかげです」
「ううん! 一緒に見れてよかったよ!」
「少し、待ってもらっていいですか?」
「もちろん!」
フィオレナちゃんは鞄から数枚、紙を取り出して、花を観察して記録をとりはじめた。
わたしたちは少し離れて、それを待っていることにした。
「塔都の近くに、こんなきれいな場所があったんだね~」
「ねー、シズクもつれてくればよかったなぁ」
とカオルはちょっと残念そうだ。
そんな風にしばらく池を眺めているとふと思いたって、水魔法の練習をはじめてみる。
池の水から少し取り出して……水面に意識を集中させる。もぞもぞと動いて……でも、思った通りにいかない。ため息をついて力を抜くと、水が元に戻ってたゆたった。
隣でそれを見ていたカオルが「そういえば」と言う。
「テリシア、フィオレナちゃんには話してみたの?」
「え? あ……わ、忘れてた」
「もー、そんなことだろうと思った」
「……何の話だ?」
と怪訝そうなユウトくんに、フィオレナちゃんを仲間に誘いたいと思っていることを話してみる。それを聞いても、ユウトくんは怪訝な顔のままだった。
「……だが、俺たちの旅に巻き込むわけにはいかないだろう」
「うーん、ちなみに巻き込まれてる身からすると……すっごくたのしいよ!」
「まあ、テリシアはな……」
「えっ!? なにその、テリシアは、って!」
「あはは、まあまあ」
と、カオルはくすくす笑っている。
「でも、テリシアはフィオレナちゃんと一緒にいたいんでしょ? なら、一度聞いてみるくらい、いいんじゃないかな」
「まあ……」
ユウトは何か考えている様子でフィオレナちゃんの方に目をやった。わたしもつられて目を向けると、フィオレナちゃんはさっと扇をふるったところだった。
その瞬間、ぱっと、星空のような幻が一瞬、ひらめいた。
花を元に、新しい魔法を生み出せないか試しているんだ……。
「――あ……」
そこでわたしの頭の中に、星空がきらめいた。
わたしの好きなもの、大切なもの。そうだ……昔、私がずっと小さい頃、お兄ちゃんと見上げた星空。
大魔法使いになることを空に輝く星に誓った、あの夜。
「……わたし、星が好き」
ふと呟くと、星? とカオルが繰り返した。
「そういえばテリシア、いつも夜中は上ばっかり見て歩いて転んでるよね」
「そ、それは……あんなきれいな星空なのに、見ないなんてもったいないもん!」
「せめて転ばないように気をつけてね?」
「はぁい……」
星か、とユウトも頷く。
「魔法はイメージを洗練させることが大事らしいからな……やってみたらどうだ?」
「うん、そうだよね、やってみる!」
「まぁその前に、基礎魔法を使えるようにならなきゃだがな」
「うっ……」
ユウトの言うとおりだった。基礎もできないうちから、応用なんてできっこない。
それでも、前に比べたら少しずつできるようになってきているんだから、いつか、自分だけの新しい魔法を使える大魔法使いになるために……これからもコツコツ練習するぞ!
「お待たせしました、皆さん」
そんな風に決意を固めていると、フィオレナちゃんがこちらの方へ歩いてきた。
「もういいの?」
「はい、記録はとれましたから」
「じゃあ、戻るか」
とユウトの声に、わたしたちは《星夜花》の咲く池をあとにした。
△
「それであの時、フィオレナが試していた魔法を見たとき、星空の魔法使いになりたいって最初に思ったんだよ」
「……見ていたんですか? ちょっと恥ずかしいですね」
実際には、《星空》は、その時思い描いたよりもずっとずっと、はるかに遠かった。時には闇の向こうに消えてしまいそうで……。
それでも諦めずにいられたのは、やっぱりユウヤたちや、フィオレナがいたからなんだと思う。
△
帰り道、森を抜けて草原を歩きながら、わたしはどうやってフィオレナちゃんに話を切り出そうか迷っていた。断られちゃったら、寂しいし……やっぱり迷惑かもしれないし……とか、悩み慣れていないわたしの頭はこんがらがってパンク寸前だ。
「今日は手伝ってもらって、ありがとうございました」
フィオレナちゃんの言葉に、わたしは「全然っ!」と首を振って、ふと気づく。
「あれ? というかむしろ、わたしなにもしてないかも……」
「ふふ、そんなことないですよ。とっても楽しい道のりになりましたから」
「え? ほ、ほんと? それならよかったけどっ!」
そんなわたしの横で、ふとカオルさんが「ねぇ」とフィオレナちゃんに話しかけた。
「そういえばフィオレナちゃんは、どうして花を見て回る旅をしているの? 図鑑作りのため?」
わたしもその答えが気になってフィオレナちゃんの方を見た。
「――そうですね、それもありますが……実は、探している花があるんです」
もう日暮れ時だった。沈んでいく太陽がフィオレナちゃんの白い髪に金色の光を投げかけている。広い空はうっすらとオレンジ色だ。
「探している花?」
「ええ……ちょっと、見てもらえますか?」
フィオレナちゃんは、再び図鑑を取り出した。開いたのは、一番最初のページだ。覗き込んでみて、わたしたちは、あれ、と首を傾げる。
「……何にも書かれてないね?」
「はい、そうなんです」
そこには、他のページのように花のスケッチや解説はなく、ただ、端に小さく、「太陽ノ花」とあるだけだ。
「太陽ノ花って……?」
「……この図鑑は、父がその花を探すために出た旅の途中で記したものなんです。大陸最古の神話に記された、生き物に永遠の命を与えると言われた花です」
「……え、永遠の命……?」
わたしがそう繰り返すと、フィオレナちゃんは苦笑した。
「それについては、単なる伝説かもしれません。ですが……その花自体は、きっと実在するものだと、父は信じて探し続けていたんです。……けれど、見つけることはできずに亡くなりました」
「……そっかぁ、そうだったんだ……」
フィオレナちゃんは思いを馳せるように本を閉じ、その表紙を撫でる。
「……父は魔族でしたが、母は人族だったんです。魔族である父と、その血をひいている私は寿命が長いですから……私たちよりも先に母は亡くなっていました」
ということはつまり、フィオレナちゃんは、人族と魔族、両方の血をひいているのかな?
確かにフィオレナちゃんは、あまり他に見かけない姿をしている。服装もだし、きらきらした白髪に、額からまっすぐ伸びた角。魔族なのかなと思っていたけど、お母さんは人族だったんだ……!
「それで今は、一人で旅をしているの?」
「はい。私は、父が探していた太陽ノ花を見つけたいと思っています……今もこの大陸のどこかにあるのかどうか……それは分かりませんが」
そんな話を聞いて、気づけばわたしはフィオレナちゃんの手を握りしめていた。
「テリシアさん?」
「ねぇ、フィオレナちゃんのその旅、わたしも手伝いたい! よかったら、わたしたちと一緒に来ない?」
「え?」
フィオレナちゃんはきょとんとして私を見る。
話を聞いて、いろんな迷いもどっかへいってしまった。一人でずっと旅をしてるフィオレナちゃんを手伝いたいって、ただそれだけの気持ちで、わたしは言葉を続ける。
「どんな探し物も、みんなで探したらきっと見つかるよ! 多分!」
それからゆっくり、その表情が和らいでいく。
「……それは嬉しいですけど、でも……」
ユウトとカオルの方を見回した。
「……皆さんの旅の邪魔になってしまうかもしれませんし……」
「そんなことないよ! ね?」
だって、みんなは……誰もが笑ったわたしの夢を一度も笑ったりしなかった。それどころか応援したいって、仲間に入れてくれた人たちなんだから。
「私はむしろ、フィオレナちゃんが来てくれたらすっごく助かるな~って思ってたよ! ね? ユウトくん」
「……まあ、そうだな。だが……俺たちは……」
と、ユウトくんは少し困ったような顔をした。
そうだ、一緒に行くってことは、わたしたちの旅の目的……そして、ユウトとカオルたちのことを話さなきゃいけない。
「……みなさんも、なにか旅の事情があるんですよね? ……よかったら、聞かせてくれませんか?」
それを察したように、フィオレナちゃんは尋ねた。意を決したように、ユウトは口を開く。
「実は――」
△
そんな風にして、わたしたちはフィオレナちゃんに話したんだ。ユウトくんたちの旅の理由――。いなくなった幼馴染を探していること。そして……。
「驚いた? やっぱり。俺たちは異世界人だ~、なんて言われたら」
「ええ、それは驚きますよ。今まで生きてきて一番驚いたのはあの時かもしれません」
「あはは、だよね~、わたしも最初に聞いた時は、ビックリしたよ」
ユウトたちはわたしたちの世界とは違う、「異世界」からやってきた人たちだった。異世界なんてものがあること、ユウトたちに出会うまでわたしは考えたことすらなかった。でも、嘘を言っているようにはどうしても思えなくて、ただまっすぐに信じてしまえたんだ。
「でも……納得いったこともあったんです。不思議な気配を持つ人たちだと感じてはいましたし……それに、私の姿を見ても、私が魔族と人族、両方の血を引いていると聞いても……まったく気にしなかったことも」
「そうだよね。だってユウトたちがそもそも別の世界から来たんだから、気にしないよね」
魔族と人族の混血は、やっぱり珍しい。百年前の大陸戦争の時……魔界からやってきた魔族の一部は、《扉》が閉められてからも大陸に取り残された。今、大陸ではそんな魔族も人族と和解して暮らしているから、その間で結婚する人がいても、おかしくはないけれど……偏見も多いだろうし、フィオレナは、やっぱりそのせいで嫌な目にあってきたことも多かったんだと思う。
「でも……あの時、みなさんに出会えてよかったって思います」
「うん、わたしも、みんなと、フィオレナに出会えてよかったよ!」
「ふふ、そうですね」
気がつけば、ずいぶん話し込んでいた。いつか見た思い出の星空の花を撫でて、私は懐かしい記憶を大切に胸にしまっておく。
そうしてわたしたちは、一緒に長い旅を始めることになったんだ。
わたしたちが二人そろって、《星花の魔法使い》と呼ばれるようになるのは――それから、ずっとずっと、あとのことだけど。
「それじゃあ、そろそろ行きましょうか、テリシア」
「うん、そうだね!」
わたしたちは再び並んで歩き始める。
最後に一度振り向いて、懐かしい花びらとあの日に、小さく手を振った。
――『花と星』フラグメント_Adventure