「異世界へようこそってとこかな? 異世界人のみなさん」
突然、空から現れた男の子のそんな言葉に、私たちは顔を見合わせる。みんなもう色んな事がありすぎて、驚き疲れたって顔だ。
それで、今……私たちのことを異世界人、って言ったかな?
「……えーっと……助けて、くれたんだよね? ありがとう……?」
「どういたしまして」
でっかい狼に襲われていた私たちを、この子が不思議な、魔法のような力で助けてくれた。それがなければ、今頃私たちは崖の下でぺしゃんこになってるか、狼の胃の中におさまってるか……うん、あんまり考えたくない。
「それで、キミは?」
と尋ねてみると、男の子はにこにことした笑みを崩さず、腰に手を当てて胸を張った。
「まおーだよ」
「え?」
ユウヤくんが素っ頓狂な声をあげる。聞き間違いじゃなければ、この子は「まおー」って名乗ったのかな?
「ま、まおー? それがキミの名前?」
「細かいことはいいのいいの。そう呼んでくればいいからさ。ほら、君たちの名前も教えてよ」
「えぇ……」
まぁ、小学生三年生くらいに見えるし……そういうお年頃なのかな。
そんな子どもが悪い人ってこともないだろうし、助けてくれたわけだし……名前くらい教えたっていいよね? と目配せすると、シズクは頷いた。
「私はカオル……で、こっちがシズクだよ」
「おれがユウヤ」
「ユウトだ」
「なるほどね、やっぱり変わった名前だなぁ」
まおーくんはそんなふうに言う。「やっぱり」ってどういうことだろう? 私たちの他にも、この世界にやってくる人がいるってことなのかな。
「ねぇ……おれたちさ、気が付いたらここにいたんだけど、きみはなにか知ってる?」
ユウヤくんの質問に、まおーくんはうんうんと頷いた。
「そっかそっかー。それなら多分、誰かが召還したんだろうね」
「しょ……召還?」
またファンタジーな単語が出てきた。お話の中でしかみたことのない言葉だ。
召還って言うと……魔法陣のまわりで変な儀式をして、ドラゴンとか妖精が出てくる……ああいうやつなのかな? うーん。
まおーくんは説明を続ける。
「君たちみたいな異世界人を喚び出す、特別な魔法があるんだよ。二つの世界の関係については……正直、ぼくも詳しくはわからない。でも現にきみたちは、違う世界から来たんでしょ?」
召喚だとか魔法だとか……ずいぶん当たり前のように言うけど、そんなの私たちの世界にはなかったしね。私は頷いた。
「うん。だって私達の世界じゃ、あんな月も、魔法もないし……でもそれが本当なら、やっぱり誰かが私達を呼んだ、って事になるのかな?」
それなら、シズクがさっき言ってたとおりってことになる。
「まぁ、そういうことになるだろうねー」
「それが誰だか、まおーくんはわからないの?」
と聞いてみると、まおーくんはただ首を横に振った。
「さぁね。ぼくはたまたま、異世界人の気配と、魔物の活性を感じてここに来てみただけだよ」
まおーくんは背後に積み重なる獣をちらりと振り返って言った。気配とか、そういうので異世界の人間だって普通にわかるものなのかな。
「キミ、凄く強いんだね……」
「ふふん。まぁね」
聞きたいことが多すぎて少し頭を悩ませていると、ユウトくんが口を開いた。
「それで、元の世界に帰る方法はあるのか?」
確かに、それが一番大事かも。
まおーくんは、ちょっと顔を曇らせる。その時点で、嫌な予感がした。
「それがさぁ……ないんだよ。正確には、今はまだ、分かってないってとこかな?」
「え……そ、そうなの?」
「ま、知りたいことがいっぱいあるだろうし、歩きながらいろいろ教えてあげる。森を抜けた近くに小さな村があるからさ、そこまで案内するよ」
まおーくんは後ろの方を指さしながら言った。
「……今は、この子についていくしかなさそうだね?」
「まあ、そうだね」
シズクも頷いたので、私は改めてまおーくんに向き直る。
「じゃあ、よろしくね、まおーくん!」
「うん。――あ、そうだ」
いちど踏み出しかけた足を戻して、まおーくんは私たちの方へ振り向いた。
「その恰好じゃ、動きにくそうだし、――こんなのはどうかな?」
パチン、と指を鳴らした瞬間、ふわっと私たちの足元から風が巻き起こって……気が付くと私たちの服装が変わっていた。
「おお……!」
次から次へと、不思議なことばかりで、なんだか感動してきた。この世界には――本当に魔法があるんだ。
「すごい! こういうのアニメで見たことある!」
とユウヤくんもはしゃいでいる。その様子に呆れた様子のユウトくんの服装も、よく似合っていた。
「ねぇねぇ、どう? 似合ってる?」
とシズクの前で手を広げると、シズクはんー、と眺めてからちょっと斜め上を見た。
「……まぁ、いいんじゃない?」
「ほんと? やったー! シズクも似合ってるねっ!」
「あ、そう……」
服のサイズは身体にぴったり合っているし、素材もしっかりしているのになめらかだ。たしかにこれなら、動きやすそう。……それにしても、魔法って便利なんだなぁ。
「うん、いい感じだね。それじゃあ行こうか」
「はい! よろしくおねがいします!」
私たちはそうして、ひらりと身軽に森の中に入っていくまおーくんについていった。
◇
まおーくんに色々教えてもらって、少しはこの世界のことが分かった。ここは太陽大陸と呼ばれる場所で、その南にあるティスティアという地方だという。
そしてなにより、この世界には、魔力と呼ばれる力があること。それを扱うことで、人間は魔法を使うことができるらしい。
まおーくんが言うには、私たちにもその魔力があるみたいだった。つまり、こっちの世界でなら、私達も魔法を使えるかもしれないということだ。それはちょっとワクワクするかも。
そして異世界について、詳しいことはよくわからないのだという。一方向の召還の魔法はあるけれど、世界を移動したり、もとの世界に戻す魔法はまだ成功例がないらしい。
つまり、現状……私たちには元の世界に帰る方法がない。
まおーくんの案内で森の中を歩きながら、私はふと、隣を歩くシズクがなにか考え込んでいるのに気がつく。
「シズク、どうしたの?」
「んー、……どうして、姿が似ているんだろうって考えてた」
「姿が?」
シズクは先を行くまおーくんの背中を指さした。
「生き物の進化は、地球上でも……地理的に隔離されればまったく違うものになる。ここは、魔力ってものがあって、物理法則すら異なる世界なのに……似すぎてる。あの子は、どうみてもオレたちと同じ人間だよ。……それは、なんでだろう、って」
少し面倒くさそうに話すシズクの言葉を聞いて森を見てみると、確かに、これじゃ地球とほとんど変わらない。魔法という力のある、本当に全く別の世界だとしたら……やっぱり、それは不自然なのかもしれない。大学で生命科学や生物学の勉強をしてるシズクが言うくらいなんだから、きっとそうなんだろう。
「ってことは……もしかしたら、私たちの世界とこの世界は……なにか関係があるのかもしれないね?」
「だね。まぁ、今はよくわからないけど」
そうして見回していると、木の枝に鴉のような黒い鳥がとまっているのを見つけた。じっとこちらの様子をうかがっている。
「あの鳥もさ、鴉そっくり」
「そうだね」
そこでふと、また別の疑問が浮かんだ。
「……あれ? そういえば、どうしてあの子に言葉が通じるんだろう?」
生き物の進化と同じようなもので、地域が違えば、そこに住む人の使う言葉が違うのは当たり前だ。私たちの世界にだって、何千もの言語があるのだ。
異世界なのに、わたしたちの使う日本語が通じるなんて、それこそ、変じゃないかな?
「ああ、それはたぶん――」
とシズクがいいかけた時。
「この小路を行けば村に出られるよ」
と、まおーくんが私たちを振り向いて立ち止まる。
まおーくんの言う通り、前方で木々は徐々に開けていて、道になっていた。私たちも足を止める。
「君たち、もう一人、一緒に来た子を探してるんだよね?」
まおーくんの言葉に頷く。
「そうなんだよ」
さっきユキカちゃんのことも話してみたところ、まおーくん曰くこの近くでは他の異世界人の気配は感じないらしく、ユキカちゃんはこの森で迷っているわけではないみたいだとわかった。
「それなら、大陸の中央に行ってみたらどうかな。そこに塔都っていう町があるんだ。たくさんの人や情報が集まってくる世界の中心地だから、もしかしたらその子の情報もそこで見つけられるかもしれないよ」
まおーくんの話に、ユウヤくんは手を上げて質問する。
「そこに行くにはどれぐらいかかるの?」
「君たちは街道を歩いて行くことになるから、1ヶ月くらいかかるんじゃないかな」
「1ヶ月かぁ……」
「でもここから塔都までならそんなに危険はないし、さっきみたいな魔物も街道には出ないからね。君たちでも行けると思うよ」
まおーくんはそんな風に言った。私はちょっと想像してみる。1ヶ月も歩いて旅をするなんて……私はいよいよ、この世界からしばらくは帰れないんだってことを実感し始めていた。
「ぼくはそろそろ行くけど、何か他に聞きたいことはある?」
「もう行っちゃうの……?」
と、ユウヤくんはちょっと不安げだ。その横で、ユウトくんは冷静に考えてまおーくんに質問する。
「その塔都まではどうやって行けば良い?」
「村には旅人向けの宿もあるからね、そこにいけば教えてくれると思うよ、ああ、そうだ」
と、まおーくんはおもむろに手のひらを上に向けて差し出した。そこにふっとペンダントが浮かび現れ、手の中に落ちる。
「君たちに これをあげるよ」
差し出されたそれを、一番近くにいたユウヤくんがうけとった。
「ありがとう……? 何これ?」
リンゴみたいな果実を中心に象るエンブレムのあしらわれた、金属のペンダントだ。
「これを見せれば、街道沿いの宿はタダで君たちを泊めてくれるよ」
「ほ、ほんとに……? これが?」
考えてみたら私たちはこの世界のお金だって何も持ってないわけで……。にわかには信じがたいけど、それが本当なら……この子はずいぶん親切に私たちを助けてくれたことになるよね?
「ありがとうまおーくん〜!」
と思わずその頭を撫でると、まおーくんはちょっとビックリした顔で身を引いた。……あれ、嫌だったかな?
「と……とにかく、そろそろぼくはいくよ。まぁ、そこの村の人は、親切だし……詳しいことはそのへんの人に聞いて。あと、異世界から来たとかはあんまり言わないほうが良いと思うよ。あんまり、知られてないから」
まおーくんはそう話すと、ふわりと空に舞い上がる。
行っちゃうのかぁ、と私も少し思った。この世界で初めて出会った不思議な男の子。その正体は、ちょっと謎めいているけど、この子のおかげで、右も左も分からなかった私たちはずいぶん助けられた。
「また会えるかな?」
そう聞くと、まおーくんは少し意味ありげな笑みを浮かべた。
「きっとまた会えるよ。……もう一人の子……ユキカちゃん、見つかるといいね」
とまおーくんは木々の向こうへ飛び去って行った。残された私たちは、しばらくその場に留まって、その姿を見送る。
「妙なやつだったな……」
「なんでこんなに助けてくれたんだろうね?」
「さぁ……」
そんな風に話すユウヤくんたちの顔を伺ってみる。この世界に来てから、二人は案外落ち着いていて、不安そうな表情もあまり見せない。
私の印象だけど、やっぱり二人はお互い一緒にいれば、それだけでどんな状況でも安心できるのかもしれない。
私はそれから、シズクの方を見た。気づくと目があって、シズクの表情もいつも通り。なかなか思考の読めない目線だけど、でもシズクも、もしかしたら私と同じように考えているんじゃないかな。
この先の旅は長くなるかもしれない、もしかしたら 本当にもう帰れないのかもしれない。もし仮にそうだとしても、ユキカちゃんだけはどうにかして見つけなきゃ。そしてその後で、できれば……みんなと元の世界に帰る方法を見つけるんだ。
でも……それができるかな。なにもわからない、この不思議な世界で……と、私は少しだけ弱気な視線を送る。
そうしたらシズクは、――全て見通しているみたいに、柔らかく笑った。『大丈夫』と、その目が言う。
私は何だかそれだけで安心して、肩の力が抜けた。そうだよね、いつだって私の隣にシズクがいれば、私は大丈夫だ。
きっと、ユキカちゃんだって見つけられるし、みんなで元の世界に帰れる……。何の根拠もないのに、そう思えてしまう。シズクが私に向ける笑顔にはそんな不思議な力があるんだ。
「でも……この世界で、しばらくやっていかなきゃいけないのかぁ」
「そうだな……」
そんな風に話して、大丈夫かなぁと呟いているユウヤくん達の間に割り込む。
「大丈夫! カオルお姉ちゃんに任せなさい! ねっ?」
元気づけたくてそう言うと、ユウヤくんはくすりと笑う。
「カオルさんが一緒でよかった!」
「ふふん。でしょ?」
その隣でちょっと呆れ顔で笑うユウトくんは一見するとしっかりした子だけど、ふたりともまだ中学3年生だし、こんな状況じゃきっと不安だよね。
春からは高校生になる予定だったのに、もしかしたら、それも……なんて考えたら。
ここに来たのがこの子たちだけじゃなくて良かった、と心から思っていた。
私たちが、この子たちを、ユキカちゃんを連れて帰るんだ。元の世界に、みんなで。――シズクがいれば、きっと大丈夫だから。
「それじゃ、行ってみよっか!」
と私は道の先へ、皆と共に踏み出すのだった。
――『はじめまして、異世界のまおーくん』フラグメント_Adventure