story

小説:『花咲く光の方へ』

 私はずっと、一人で旅を続けていました。
 旅路はのんびりと気の向くままに、目的はひとつだけ。
 それは、世界中の花を見て回る事です。

 ◇

 店の軒先を飾る色とりどりの花を眺めていました。白く可憐なレスキュアや、涼しげな香りを漂わせるベリルーン。大陸中央でよく見かける花々です。隣には植木も並べられています。モコモコとしたモンドの葉を撫でていると、後ろから声をかけられました。

「お嬢ちゃん、魔族か?」
「……はい?」

 目を向ければ、魔族らしき大柄な男の人が立っています。混血らしく、翼や角から特定の種族の特徴は見られません。いかにも軽薄な態度で、昼間だというのに酒か何かに酔っているようでした。

「……なんでしょうか?」

 わたしは質問には答えずに、そう聞き返します。

「いやぁ、あんまり見かけねえ姿だと思ってよぉ。見たとこ、混血だろ? 同じ混じりモン同士仲良くしようぜ、ホラ」

 魔族の男の人は、そう言って私の肩に手を置きます。
 ふむ。少々面倒な相手に絡まれてしまいました。塔都は人族も魔族も分け隔てなく暮らしている稀有な都市なので、嫌いではありませんが……、こういう者も一定数いるところは困りものです。あいにく、私は、魔族の混血に親近感を覚えることはありません。

「えっとですねぇ……」

 と、できるだけ穏便に断ろうと、言葉を探した時。

「――ちょっといいか?」

 別の静かな声が耳に届きました。
 私と男の人が同時に振り向くと、そこには一人の少年が立っています。

「ん? なんだぁお前?」
「いや……オレの……連れに何か用か?」

 そのちょっと淀んだ言い方に、彼は勇気を出してくれたのだとわかりました。男の人はしばらく言われたことを理解しようと苦心するように顔をしかめてから、呆れたように手を離しました。

「なんだ、男がいるなら先に言えよな」

 案外素直な態度です。彼もお酒に酔っていて気が大きくなっていただけで、根っから悪意のある人ではなかったのでしょう。

「いや……そ……」

 と少年はつぶやきました。男の人はそれが耳に入らなかったようでふらりと離れていきます。その千鳥足を目で追う私たちが残されました。

「そういうんじゃ……ないけどな」
「……ふふ」

 私はつい、微笑みを零します。優しい人だと分かったからです。

「……急にすみません、じゃあ、オレはこれで……」
「待ってください」

 すぐに去ろうとした彼を呼び止めると、足を止めて、少し困ったように目を合わせます。

「ありがとうございます。助けてくれて」
「いや、別に……大したことじゃ」

 レンズの奥の黒い瞳に、不思議な力を感じました。どこか遠く、奥深いところに投げかけるような視線です。
 姿の通りの人族のようで、大きな魔力も感じませんが、どこか変わった気配を身にまとっています。それはどこか異質で、今までに感じたことがないものでしたが、嫌なものではありません。穏やかで優しい、澄んだものです。

「……それじゃあ」

 と彼がくるりと背を向けて去っていくのを見送っていると、舞い散った花びらがその背中を追いかけていくのが見えました。

 

 彼に再び出会ったのは、奇しくも同じ場所でした。
 私はしばらく塔都にとどまって、街やその周辺の花を調べる日々を送っていました。ある日の夕方花屋に立ち寄った時、その店先に立っているのがこの間の彼だと、例の不思議な気配ですぐに分かったのです。
 溢れる花の前に立って首を傾げているその姿は、どうも何かを悩んでいるように見えて、私はつい声をかけました。

「あの、こんにちは」

 少年は少し驚いた顔で顔を上げました。私の姿を認めると、しばらくして思い出したのか「ああ」という表情を浮かべます。

「この前の……」
「突然声をかけてしまって、すみません。この前はありがとうございました」

 彼は少し訝しげです。困惑しているように見えます。

「花を選んでいるんですか? その……悩んでいるように見えたので」
「ああ、……そうですね」

 彼は花々に視線を落としました。

「仲間の誕生日に……花でも贈ろうかと思ったんですが。どういうのがいいのか、さっぱりで」

 と、肩をすくめます。やっぱり、必要な花を選ぼうとして悩んでいたようです。


「よかったら、選ぶの、手伝いましょうか? 私、花のことならちょっと詳しいんです」
「でも……」

 少し申し訳無さそうな顔に、私は続けました。

「この前のお礼です」

 私は、この人の優しさに何かを返したいと感じていた事に気がつきます。これはその良い機会のようでした。

「……じゃあ、お願いします」

 と軽く頭を下げる彼に笑い返して、私は花をぐるりと見渡しました。この店は塔都でも最も大きな花屋でたくさんの花が並んでいるので、目移りしてしまう気持ちもよくわかります。

「そうですね……その人が、どんな人なのか聞いてもいいですか?」

 彼は少し考え込みました。

「……性格は……元気というか……明るいやつで……」
「ふむふむ」

 だとすると、明るくて華やかな花のほうがいいでしょうか。妙に言葉選びに難儀しているように感じます。率直な印象はもっと粗雑なものなのかもしれません。

「あとは……途方もない夢をまっすぐ追いかけてる……かな」
「なるほど、素敵な方ですね」
「んー、……まあ、時々無謀すぎることもあるんですけどね」

 彼は少し崩した態度でそう言って、私たちは笑い合いました。それなら、大切な人の夢を応援するのに、ぴったりの花があります。

「なら、イリアはどうでしょうか?」

 私は並ぶ花の中から、その花を示します。イリアはひらりと花びらを大きく広げた華やかな花で、この店にも様々な色が並んでいました。

「古い神話に由来して、夢を叶えるといわれる女神イリアの名前に由来する花です」
「へえ……」

 彼は少し眺めてから、一輪、爽やかな水色のイリアを手にとりました。

「水色のイリアの花言葉は希望や志、信念……ともいわれていますよ。その方にぴったりの花だと思います」
「そうなんですか……」

 彼の目元がふっと緩みました。その方の顔が、彼の頭の中に浮かんだようでした。

「じゃあ、これにします」
「喜んでもらえると、いいですね」

 彼が奥のカウンターに向かったので、私は改めてイリアを眺めました。
 女神イリア……彼女は人々の夢を叶えた女神であると神話にはあります。その祝福によって力を得た勇者が眠るという言い伝えの地に咲いた花が、その女神の名にあやかってイリアと呼ばれるようになったのです。
 しばらくして、彼は包んでもらった一輪のイリアを手に戻ってきました。それから軽く、けれど丁寧に頭を下げました。

「ありがとうございました。助かりました」
「いえ、お力になれたなら良かったです」

 私たちは花屋を離れると、自然と通りを同じ方へ歩きだしました。彼の服装から見るに旅をしているようですし、宿の方へ戻る道は途中まで同じなのかもしれません。

「ずいぶん、花について詳しいんですね」

 そんな彼の言葉に、私は空を見上げます。

「ずっと、世界中の花を見て回る旅をしているんです」
「そうなんですか」

 世界中の……と彼は思いを馳せるように呟きました。私の姿からして、その旅の長さを感じ取ったのでしょう。

「花も、……あんなにたくさんあるんですね、あまり知らなかったです」
「そうですね。世界にはたくさんの花が咲いていますよ。ほら、こうして街を見るだけでも……」

 私は通りの店先に飾られた花瓶や、道の脇に咲いている小さな花を順に指さしていきました。

「セリスタ、フェーリ、レスキュア……」

 そのうち、彼の方もあちこちに花を見つけると、その名前を尋ねてきます。ひとつずつ答えて歩き、気がつけば私たちはいつの間にか宿の前に立っていました。日は暮れかかり、黄金色の西日が差しています。

「……フェルミア」

 宿屋の前に小さな花壇があって、そこには小さなピンク色の花が咲いていました。

「この花が好きで、いつも塔都ではこの宿に泊まるんです」
「そういう選び方もあるんですね」

 彼は少し口元をほころばせて、向かいの宿を振り向いて指し示した。

「オレたちは向こうに泊まってるんです。……その、オレの仲間が……料理が美味しい店だとか、なんとか言って」
「ふふ、それもいいと思いますよ。それにしても偶然ですね、こんな近くの宿だったなんて」
「……ですね」

 それでは、と別れを告げかけた時、少し離れたところから声が聞こえました。

「あ、ユウト! あれ? ……その人は?」
「ああ……テリシア」

 買い物帰りらしく、紙袋を両手いっぱいに抱えた少女がやってきました。彼の仲間の一人なのでしょう。

「ちょっと……花屋で会ってな」
「ええ? 花屋さん? ユウトが花屋なんて、なんか意外かも! ……あ、テリシアっていいます!」

 ぺこりと頭を下げると、紙袋からリンゴァの実がひとつ転げ落ちました。水色の髪と瞳が可愛らしい、獣人族の女の子です。その姿と、溌剌とした声音を聞けばすぐに分かりました。この子が、彼――「ユウト」さんが誕生日の花を贈ろうとした相手なのでしょう。私はリンゴァを拾い上げて、彼女の紙袋に戻します。

「私はフィオレナといいます」

 ユウト、と呼ばれた彼は、イリアの花を無造作に差し出しました。

「今日、テリシアの誕生日なんだろ。……それで」
「え? ……えぇっ!? もしかしてその花、私にくれるの!?」

 一瞬きょとんとした様子だったテリシアさんは、すぐにパッと顔を輝かせました。でも、手が塞がっているので受け取ることができず、もどかしげです。

「えー! すっごく嬉しいよユウト! ありがとう!」
「……って言っても、選ぶのは手伝ってもらったんだ、その……フィオレナさんに」

 とユウトさんは私の方に目配せしました。私も頷きを返します。

「フィオレナさんも、選んでくれたの?」
「ええ、こちらの……ユウトさんに以前助けていただいたので、そのお礼にでもなればと思って」
「へぇ~、そんなことが……!」

 私は水色のイリアに目をやって続けます。

「夢を叶える女神、イリアにあやかった名前を持つ花なんですよ。テリシアさん、誕生日おめでとうございます」
「え、あ、ありがとう……!」

 すると今度は、彼らが泊まっているという向かいの宿から一人の少年がひょっこりと顔を出しました。私が少し驚いたのは、ユウトさんにとてもよく似ていたからです。顔立ちもですが、あの異質な雰囲気や気配も、近しいもののようだとわかります。双子の兄弟なのかもしれません。

「そんなところで何話してるの? ……あれ、その人は?」
「あっ! ユウヤ!」

 テリシアさんは駆け寄って、荷物を全部彼に押し付けます。

「な、何!?」

 見向きもせずにすぐに戻ってくると、早速ユウトさんから花を受け取りました。

「お花ありがとう!」

 イリアの花を手に笑う彼女に、その水色がよく似合っていました。

「フィオレナさんも! あっ、ねえ、せっかくなら夜ご飯とか一緒に食べない!?」
「テリシア……」

 ユウトさんは、すっかり興奮した様子のテリシアさんを諌めるように呼びかけます。でも私は、その時すでに、この人たちのことを知りたいと思っていたのです。

「……みなさんがよろしければ、ご一緒してもいいですか?」
「うん、ぜひぜひ!」

 テリシアさんは明るく、私の手をひきました。

「その人は?」
「ユウトの知り合いなんだって!」

 少しすまなそうな目で私を見ているユウトさんに、私は首を振って微笑みかけます。
 彼らは私を、花咲く光の方へ導いてくれるようにその時、思えたのでした。

――『花咲く光の方へ』フラグメント_Adventure