気がつくと知らない場所に居た。指先を差し出して、淡い色の蝶たちがひらひらと舞い寄ってくるのを眺める。
「……だめだぁ、森がずっと続いてるだけだよ」
声のした方に目をやると、カオルが残念そうな顔で戻ってきたところだった。
「そっか」
「困ったなぁ、これじゃあ帰り道も分からないよ!」
「……そうだねぇ」
オレは指から蝶が離れて、空へ昇っていくのを目で追った。
「も〜、シズクは呑気だなぁ」
カオルは近づいてくると、腰に手を当てて口をとがらせた。オレにしてみれば、カオルも随分のんきだと思うけど。何も持たずに気づいたらここにいて、いきさつも憶えてなくて。普通だったら、もっと怖がったり慌てたりするんじゃないかな……。
オレはというと、ちょっと事情が違う。ここへ来るまでにあったことを、全て憶えているから。でも別に今、カオルにそれを語る必要はないだろう。話せば長くなるし……この先、いずれ知ることになる時がくるはずだ。
「あっちに行こう」
オレが適当に指差して言うとカオルも近づいてきて、木々の隙間を一緒に覗き込む。
「なんでそっち?」
「いや、なんとなく」
「なんとなくかぁ……まあ、いっか」
このままここにいてもしょうがないもんね、とカオルは歩き出す。
オレはついていく前に、ちらりと周囲を見上げた。耳を澄ましても、ただ木々のざわめきが聞こえるだけだ。オレには何も感じられないけど、多分……。
「置いてっちゃうよ~シズク~」
「ん、今行く」
気を取り直してカオルの背中を追いかけながら、オレは考える。
ここは、オレたちが今まで暮らしていたのとは、別の世界だ。異世界――なんて、まるでおとぎ話みたいだけど、これが現実なんだからどうしようもない。
そして元の世界には、そう簡単には戻れないだろう。……もしかしたら、二度と帰れないかもしれない。
「ねえ、カオル……このまま帰れなかったらどうする?」
「えー? うーん、一生この森で暮らすの?」
「そう」
「それは大変だなぁ」
カオルはちょっとかがんで手頃な枝を拾った。振り回しながら歩く。
「メロンパンも食べれないし……友達にも会えないし……大学にも行けないし……」
「確かに」
一番最初に出てくるのがメロンパンでいいのか?
「でもまあ、シズクが一緒ならいいかな~」
カオルはそんな風に言って、こっちを振り向いて笑うのだった。
「……危ないから前見て歩きなよ」
「は~い」
オレたちは森の中をあてどなく歩く。
もしこのまま帰れなくても。
……カオルはあんな風に言ったけど、本当にそれでいいわけがない。カオルはこの状況自体をそんなに重く受け止めていないのかもしれなかった。
そりゃあ、気づいたら知らない場所にいたからって、異世界に転移したなんて誰も思わないよね。
でも、ここはもう、オレたちが今まで暮らしてきた世界とは違うんだ。
それを今伝えようかと思って、やめる。
「……まあ、いっか」
どうせカオルからしたら、ここが異世界だろうがなんだろうが同じことで、大して気にしないんだろう。……流石にちょっとくらいは危機感を持ってほしいような気もするけど。
「何か言った?」
「別にー。……あれ」
その時、何か遠くからガサガサと物音が聞こえた気がしてあたりを見回し、後ろを振り返る。
「あ――――ッ!」
突然バカでかい声でカオルが叫んだ。視線を戻すと、カオルは持っていた枝を捨てるなり茂みの中に突っ込んで駆け出していくところだった。
「ちょっとカオル……」
と呼びかけるも、一瞬たりとも振り向かない。なにか見つけたらしく一目散に走って、木の根につまづいて転びかけている。危なっかしすぎる。オレも見失う前に、追いかけたほうが良さそうだ。
あの様子だと……多分あの子たちを見つけたんだろう。思ったより早く合流できたみたいだ。
「……大丈夫かなあ」
なんとなく、あまり良い予感はしなかった。
オレにカオルが、守れるといいのだけれど。――いや、守らなきゃな。
どれだけ時間がかかっても、元の世界に帰れる日まで。
そしてその先も、ずっと、ね。
――『メロンパンがなくても』フラグメント_Adventure