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小説:『闇照らす焔』

 ある酒場のカウンターで、二人組の青年が並んで酒を飲んでいた。

 店内はひと仕事終えた街の者や、冒険者たちで賑わっている。その輪から外れるようにして、店の隅の影の中。

 二人は口やかましく言い合っていた。

「だからぁ、それはあのときルナがオレの言うことを聞かなかったからだろ!」
「あのなぁ……何度も言うけどな、そもそもお前の勘違いのせいでややこしいことに――」
「それはもういいじゃんか! 勘違いくらい誰にでもあるだろ、ルナだってこの前……」
「あぁ……はいはい」

 左側に座る白髪の青年、アイルーズは相手の態度もかまわずに勢い込んで力説をし始めた。その言葉を聞き流し、グラスを傾けるのはベルナード。

 二人は先程、魔物の討伐の依頼を終えて帰ってきたところだったが、首尾よくいかなかった責任をなすりつけあっていた。

「それで……オレがさあ、わざわざお前を迎えに、行ってやったんだろうが……」

 ベルナードは特に返答もせずにカウンターにグラスを置いて、気だるそうに隣を見やる。

「……はあ」

 ため息をついたのは、そこですっかりと酔いが回った相方が眠りかけているせいだった。

「ほら起きろ、帰るぞ」

「ん~……」

 ベルナードは代金をテーブルに置き、立ち上がって相方をひっぱり起こすと、引きずるようにして店を出ていく。

 二人の背にはコウモリのような翼が生えている。彼らはこの魔界にて、数少ない吸血鬼《ヴラディ》と呼ばれる種族であった。

 ◇

 魔界の空には、大地を照らす恒星はない。昼と夜を分ける陽のめぐりがない代わり、上空のいたるところに魔光球とよばれる、薄ぼんやりとした光が浮かんでいる。

 人が集まるところほど、光も集まる。両脇に立ち並ぶ魔光灯の光で照らされた道を、二人は歩いていった。

「なあ、ルナ……次はどうする?」
「なんだかんだ金は入ったし、しばらくはここにいてもいいが」
「でもこの辺、あんま面白くないじゃん。もっと東の方いかねえ?」

 ベルナードの横を歩くアイルーズは、外の風にあたって多少酔いが醒めたらしく、腕を頭の後ろで組んで空を見上げながら言った。

「東の方は……最近行ってないな。魔王軍が鬱陶しい」
「なんかオレたち、よく絡まれるもんな」

 彼らがいるのは、魔界の西部、アケイオス山岳地帯にある小さな街だ。周囲にはそう危険な魔物もおらず、魔王宮からも離れているために、魔王軍による支配もそこまで厳しくはない。

「けど、やっぱここらはつまんないな。そろそろ腕がなまってきそうだぜ」

 ベルナードは少し考え、「それもそうだな」と頷いた。

「……まあ、久しぶりにやりあうのも悪くないか」
「お、じゃあ……決まりだな! ――って、うわ!」

 ふらつく足を踏み外したアイルーズが道の脇で転げ落ちていく。
 ベルナードは足も止めず見向きもせず、宿へ向かうのだった。

「……おーい、助けろよなぁ……」

 ◇

 魔界は大陸のほぼ全域にわたって、不毛の土地が広がっている。

 植物は育たず、はるか昔から飢餓に苦しめられて生きてきた魔族たちは、それぞれのやりかたで環境に適応してきた。

 吸血鬼も、特殊な進化を果たした種族のひとつである。

 彼らは生物の血液を食餌とし、非常に効率よく栄養や魔力に変換することができる。また、彼ら自身の身体をめぐる血液にも特有の性質があり、強力な力を持つものが多い。

 ベルナードたちは、随分昔に吸血鬼たちの集落を出てから、魔界中を気ままにさすらっていた。二人は魔界の各地でも、流浪の吸血鬼として噂になっているくらいだった。

「なあルナ……昔聞いたおとぎ話にさぁ、昼ってやつがあったよな」
「ん? なんだっけか、あの――太陽、とかいうやつの話か?」

 二人は並んで空を飛びながら、そんな言葉を交わす。
 東を目指しながら、荒野を横切っていた。

「そう。ばかみたいに明るい星がさあ、空を廻って……」
「ああ、確かに……そんなのがあったな。なんだよ、急に」
「いや、ふと思い出したんだよ、で、そのおとぎ話には続きがあったろ?」
「ん……続き? 知らないな」

 ベルナードは首を傾げる。 そこで、二人は同時に空中で静止した。

「おいルナ、魔王軍だ」
「ああ、だな」

 開けた荒野の一箇所、大きな岩の近くに、うすぼんやりと光りが集まっている場所がある。その青白い光は、魔王軍の使う魔法灯の明かりだ。

「俺たちには……気づいてないな」
「どうするよ。無視するか?」
「この辺りには用はないからな」
「だよなー」

 そう言い合いながら空中から見下ろしていたが、ふとベルナードが眉をひそめた。

「ん? おい、ちょっと待て……」

 周囲は暗く、かなり距離がある。目を凝らしたベルナードは、ふと指さした。

「例のあいつじゃないか」
「ん? 例のって――ああ思い出した、あいつか」

 アイルーズもその姿を確認し、思い出したように頷いた。以前に一度、遭遇したことがあったのだった。

「あいつ、あんまり好きじゃねんだよなぁ」

 と、アイルーズは肩を竦める。

「……さて、悠長すぎたな」
「だな」

 身をずらした二人の間を、超高速の光矢が過ぎ去っていった。魔王軍の一行が、彼らに気がついたのだ。

「どうする。逃げるか?」
「いや……やろうぜ」

 アイルーズはその顔に期待をにじませ、拳を打ち合わせた。

「久しぶりに、腕がなりそうだ」 

 魔王軍は軍といえど一枚岩の組織ではなく、統率などないも乏しい。内部では無数のグループが乱雑に離合集散を繰り返している。

 今回の相手は、その中でも小規模ではあるが、そのリーダーをしてよく知られている部隊でもあった。

 ベルナードは高速で風を切りながら、まずは一般的な攻撃魔術を放つ。空気中を稲妻のような光が駆け抜け、軍一行に襲いかかる。

 一方、アイルーズはさらに超高速で地平近くをすれすれに飛びながら、魔術で地面に衝撃を与えた。地鳴りが轟いて地面が砕け、亀裂が走る。兵士たちは足場をくずされ、攻撃の手が止まった。

 ベルナードとアイルーズの連携はよどみなく、二人が一行へ接近する頃には既に相手の体制は大きく崩れていた。鮮やかに交差して放たれる魔術が兵士たちを串刺しにし、次々と倒していく。

「――おっと」

 アイルーズは飛び退った。血が跳ね回る。敵が流した血だ。それが金属のように殺傷能力を秘めた無数の槍へと変質し、降り注いで大地に突き刺さる。

「相変わらず、やるな」

 ベルナードが他の兵士を攪乱するのを横目に確認し、アイルーズは対敵した。正面に粛然と立つ男は、アイルーズ達と同じ、吸血鬼だった。

「にしても珍しいよな、吸血鬼が、魔王軍のお仲間なんて」
「……ふん」

 その眼差しは静かで鋭く、精悍な顔立ちは歴戦を物語っていた。見るからに自分たちよりも長い時を生きている同族の力をはかるように、アイルーズは慎重に見定める。

「それに、アンタ――」

 言いかけたアイルーズの頭上に、血が渦を巻いて槍となる。アイルーズは素早く身をかわし、回り込みながら魔術の斬撃を放つ。相手はそれを余裕のある動きでいなして、血を変質させた刀を手にするとアイルーズに接近した。

「……オレたちってやっぱ魔王軍に目ぇつけられてんの?」
「見ての通りだ」
「ふーん……ま、いっか」

 アイルーズは瞬時に生成し手にした剣で応戦する。 彼が最も得意とするのは、一対一の近接戦闘だった。相手はアイルーズよりもはるかに年上の熟練の吸血鬼だが、全くひけをとらない。

 そして、こういった場面でアイルーズが十分にその力を発揮できるのも、多人数を相手とした攪乱が得意なベルナードがいるからだ。

 両者譲らぬ攻防を繰り広げながら、アイルーズの口の端に笑みが浮かぶ。

「――アンタ、強いな」

 アイルーズの足がもつれた。気づかぬ間に地面の血だまりに誘導されていたのだ。その血が操られて蠢き、アイルーズの足をからめとった。

 ほんのわずかな隙を、相手は見逃さない。刀が振り払われ、アイルーズの右腕に大きく傷が走る。とびのいて距離をとった瞬間、血が吹き出した。

 しかしその血は滴ることはなく、鮮やかに輝いて体を離れ、無数の短剣を形作る。

 吸血鬼の血魔術。自らの血を流して操り、武器とし、身を守る。それが、吸血鬼の戦い方だ。

「吸血鬼の戦い方は、こうでなくっちゃな」

 にやりと笑って見せるアイルーズの様子に、相対する吸血鬼もかすかな息で笑った。

「お前も、なかなかやるようだな」

 そして、自ら刀を手のひらに突き刺し、貫いた。

「私はヴァンデール・ヴラディ。魔王軍血鬼小隊の隊長だ」
「……そういや、前は名乗らなかったな」

 血の短剣が飛翔し、それを追って地面を蹴る。

「――アイルーズ。魔界一の吸血鬼だぜ」

 一方、他の隊員を相手取ってアイルーズから引き離していたベルナードは、嗅ぎ慣れた血の匂いを感じ取った。

「……てこずってやがるな」

 矢をかわし、周囲を見下ろす。すでに前衛の戦士たちは倒れていた。あとは数人、後衛の魔弓士たちを片付けて、アイルーズに加勢しようかと考えていた。そこで、ふと思いつく。

「なあ」
「ひっ」

 一瞬の急接近に、弓士はひきつった悲鳴をあげた。隊長はともかく、他の兵士たちはみなベルナードに敵うような者たちではない。それなりに優れた魔術師ではあるが、やはり吸血鬼の強大な力には及ばなかった。

「俺たちのこと、軍ではなんて言われてる」
「……」

 顔を見合わせて黙り込んだ弓士たちの周囲に、ざっと光の弓がとりまいた。彼ら自身が使った魔術を、ベルナードは何倍もの練度で再現して見せた。

「教えてくれたら、逃がしてやってもいいんだが」
「ぐ、軍では――」

 と一人の兵士が後ずさりながら口を割った。

「強い、吸血鬼がいると……魔王様が、お前たちを捉えて軍に引き入れれば報酬をやると、いって……」
「ああ、そういうことか……」

 光の矢が一層ぎらついた。約束が違う、とでも言いたげな顔で口を割った兵士が硬直した。

「だったら、ちょうどいい。その魔王様とやらに言ってこい。――お断りだ、ってな」

 はじかれたように駆けだした兵士たちのいた場所に、矢が突き刺さった。

 それとほぼ同時に、少し離れた場所から激しい爆発音がした。

 衝撃を伝えた地面が大きく揺れるのでベルナードは宙に飛び上がる。見やると、一面に砂ぼこりが巻きあがっていた。

「……はぁ」

 ため息をついた。

「仕方ねぇなぁ……」

 暫くして崩落が収まると、アイルーズはパラパラと落ちてくる砂と、その向こうの暗い空を見上げる。

 衝撃でひび割れた地面の地下に、空間があったらしい。5メートルほど深く崩落し、二人の吸血鬼は崩れた岩の上で態勢を立て直した。

 両者とも全身に傷を負い、相当の血を流していた。吸血鬼は流した血を用いて強力な魔術を使うが、当然体内の血液が足りなくなれば、命を落とすことになる。

「へへ……吸血鬼と戦うのは、久しぶりだぜ」

 アイルーズは血を吐き出すと、少し気楽に力を抜いた。

「なあ、アンタは……一人か?」

 地下にはわずかに青白い光が差している。崩れた岩の上にまっすぐ立ち、血の槍を掴んだヴァンデールはまっすぐアイルーズを見据えた。

「ああ。百年と少し前に、死んだ」
「……そうか、それでか」

 アイルーズは納得したように呟く。

 吸血鬼は、ほぼ必ず二人で行動する。血を交わして契約し、基本的には生涯を共にして戦う。種族特有の血の性質もあるが、吸血鬼は身を削ることで力を発揮する種族だ。二人で補いあうことによって生存率を高め、進化してきたのだろう。

「やっぱ、もう他のとは組まないのか」
「見ての通りだ」
「……はは。……アンタは強い吸血鬼だ」

 ヴァンデールはもう答えず、槍を構えなおす。

 アイルーズは左腕を伸ばすと、腕の血をほとばしらせて一振りの剣を生み出した。その瞳の中に一瞬、赤がちらつく。

「……お前たち、魔王軍に来る気はないか」

 出し抜けな問いに、アイルーズは首を傾げた。

「ん? もしかしてオレたち、それで狙われてんのか」

 沈黙に肯定を感じ取りながら、アイルーズは小さく笑った。

「……いや、悪いけど」

 アイルーズは剣を掴み、構える。

「お断りだ」

 互いの血が互いを切り裂き、熾烈な戦いが続く。致命傷は躱しながらも、腕や脚、頬と、アイルーズは血を滴らせた。

 一方のヴァンデールも少なくない傷を負ってはいるが、戦闘の開始時と比べても遜色ない動きを維持している。

 アイルーズは、血が流れすぎて手足が痺れてくるのを感じていた。明らかに力量では、負けている。

「……悪くないが、未熟だな」

 突きつけられる槍を見据える。勝負がついていた。これ以上血を流せば、もう立っていられなくなるだろう。

 アイルーズはそれでも尚、口の端で笑った。

「言ったろ、魔界一の吸血鬼だ、――オレたちはな」

 槍はアイルーズを貫く前に離れた。ヴァンデールは突然飛び退いたのだ。

 だが既に遅かった。

 アイルーズは顔を上げる。暗い空を背景に、赫く輝く竜が火を吹いた。

 周囲が燃えるように照らし出される。

 それはベルナードの血魔術だ。アイルーズの流した血を操作して集め、敵に気づかれぬように密かに作り出したものだ。

 その眩しさにアイルーズは目を細める。

 焔は衝撃を伴って地面を貫く。崩落した地下空間は狭く、外へ出るほどの猶予はない。ヴァンデールはその攻撃をまともに喰らった。

 アイルーズの横に、ベルナードがひらりと降り立つ。

「お前はやり方が雑なんだ」
「なんだよ、いいだろ、別に」

 ベルナードの肩に手を乗せ、アイルーズは今の攻撃でさらに陥没した地下を覗き込む。

 崩れた岩に埋もれて、ヴァンデールが俯いている。死んではいないが、すぐには動けないようだと確認する。

「……なぁ、アンタは強いのにな」

 吸血鬼は、一人では戦いにくい。
 相方を失ったとしても、そのまま一人で戦い続けるのは、どうしても不利な場面が多くなる。

 仮にヴァンデールが他の吸血鬼とでも組んでいれば、アイルーズ達では全く敵わなかっただろう。

「でも……分かるぜ、オレもそうするから」

 その言葉にベルナードは意味が分からず、首をかしげた。「何の話だ?」

「いーや、こっちの話。ほら、行こうぜ」
「なんだ、見逃すのか」
「おいおい、トドメ刺してる場合かよ、オレは死にそうなんだよ」

 まったく死にそうにない調子で、ベルナードを引っ張りながら言う。

「……このお人好しが」

 ベルナードは再びため息をついた。

 二人はその場をあとにし、漆黒の空へ飛び上がる。月もなく、星もない夜空を横切り、ある程度離れたところで、二人は岩陰に降り立つ。

 アイルーズはふらついてより掛かると、ベルナードの首筋へ牙を立てた。

「ん……」

 吸血鬼は、生き物の血を栄養とするが、特に同族と血を交わすことで、己の血魔術をより高めていくことができる。同じ相手と多くの血を交わし続けるほど、その血はより純粋に混ざり合って、より輝くようになる。

「……ちょっと待て、それぐらいでいいだろ」
「……」
「おい……?」

 アイルーズはようやく顔を離した。体内に魔力が満ちて血が巡り、傷が癒えていく。

「……なぁ、ルナはさぁ……」
「ん?」
「いや、なんでもない」

 そう言い、ついでにぺろっと首筋を舐めると殴られた。

「いて〜、優しくしろよ!」
「ふざけてる場合か、ほら、行くぞ」

 頭を抱えてわめくアイルーズを無視して、ベルナードは飛び上がる。

「さっきまでは肩貸してくれたのにさぁ……」

 ぼやきながらアイルーズも追いかけて空へ浮かび上がる。

 先程までに比べればゆっくりとした速度で、しばらく黙って飛んでいたが、ふとした様子でベルナードは口を開いた。

「で、なんだったんだ?」
「……んー?」
「さっき、おとぎ話がどうとか、言ってたろ」
「ああ、そうそう」

 アイルーズは口をひらきかけて、ふとなにかに気がついたように小さく笑った。

「……そう、続きがある。太陽ってやつは明るくて暖かくて、いい感じらしい。でもさ、どうやら太陽の下に出ると燃えて死んじまう、可哀想な種族がいたらしいんだよ」

「へぇ、どんな種族なんだ?」
「吸血鬼」

 ベルナードは呆気にとられた顔でアイルーズの方を振り向いた。それから吹き出す。

「なんでだよ?」
「さあ? 何かしらんけどそうらしいぜ」
「変な話だな」
「だろ?」

 並んで飛びながら、アイルーズはそれでも今、自分が吸血鬼で良かったと思った。

 たとえ光の下を歩けず、孤独な闇の中を生きるしかないとしても。

 なぜなら。

――「闇照らす焔」フラグメント_Nightmare