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短編小説:『コーヒーと吸血鬼』

 王都の路地裏を闇に紛れて、二人の吸血鬼が歩いていた。

「あ〜あ、どっかから金降ってこねぇかな〜」

 と、その片方……アイルーズが空を見上げた。

「このままじゃ飢え死ぬぜぇ……」
「そもそもお前が無駄遣いするからだろ」

 路地裏は雑多な魔灯看板が輝いている。
 振り向いた横顔が、よぎるネオンに照らし出された。

「無駄遣いってことないだろ! 必要なんだよ、ほら」

 と、アイルーズはパッと手のひらに銀色のナイフを数本取り出す。隣を歩くベルナードは呆れた目で見やる。

「……だいたい、魔術の腕を磨けば武器は必要ない」
「ルナはわかってないな~、こういうのはロマンだろ!」
「飢え死にしたらロマンもクソもないけどな」
「それはそうだけど」

 はぁ、と呟いてアイルーズはナイフを消滅させる。

「まあ、いざとなったらお前を食って生き延びるからいいもんね」
「くだらん冗談言ってないで、仕事でも見つけてこい」

 その時だった。
 近くの魔法灯がジジ……と点滅した。

「ん?」

 周囲の灯りやネオンが一瞬、光を消し、暗闇に閉ざされる。その闇はほんのひと時だった。だがその間に……足を止めた二人の隣、魔光灯の下に突如、奇妙な屋台が出現していた。

「……今、これあったか?」
「いや……」

 屋台とは言っても、それは特殊な形をしていた。まるでそこに大きなスーツケースが置かれているかのようだ。カウンターにはショーケースが並び、色とりどりのケーキが並んでいる。
 そしてその屋台の中に、いつの間にやら、エプロン姿の黒髪の青年が立っていた。
 ニコッと二人に微笑んで。

「いい夜だね、吸血鬼のお二人さん。よっていかないかな? ――もちろん、スペシャルなメニューを用意してるよ!」

 そんな言葉に、二人は顔を見合わせた。

 ラスティと名乗った彼は、魔界中のあちこちを巡って、気に入った場所で喫茶店を開いているのだと話した。

「ふーん。色々あるんだなー」

 アイルーズはカウンターに寄りかかってメニューを眺めながら言う。
 魔界には多様な種族の者たちがいて、食志向もそれぞれ違う。それに合わせて、様々なドリンクや軽食のメニューが並んでいる。
 その中に吸血鬼向けのメニューもあったのには二人も驚かされた。吸血鬼は生き物の血液を基本的な食事とする種族だが、数少ない種だというのもあって専用のメニューを用意する店はそう多くない。

「へぇ〜、うまそうじゃん。でも俺たち、あいにく持ち合わせがないんだよ」
「その通りだ。ほら、そろそろ行くぞ」

 と促すベルナードを引き止めるように、店主のラスティは身を乗り出した。

「まぁまぁ、ちょっと待ってよ。そんなお二人さんにちょっと提案があるんだけど」
「提案?」

 と尋ねるアイルーズに、ラスティは二人を指し示す。

「きみたち、吸血鬼でしょ? 少〜しだけでいいんから、血を分けてくれないかな?」
「え〜? 血を?」

 アイルーズはちょっと嫌そうな顔をした。

「吸血鬼の血を使った新しいメニューを試したくってね。もちろんお礼はするよ! どうかな?」
「だってよ! ルナ」

 ものすごい速度で態度を変えて、アイルーズはベルナードを振り向いた。

「現金なやつだな。……どれくらいかによる」

 ラスティは小瓶を取り出して二人に見せた。

「これくらい。ほんの少しで十分だよ。どちらか一人だけでも助かるな」
「ちょっとくらいいいんじゃないか? ルナ」
「まぁ……」

 ベルナードは少し考える。吸血鬼は普段から血を流して戦うので、少しくらい血を分けてもどうということはない。ただ、戦闘力は一時的にやや落ちることになる。問題はこのラスティという者が何かを企んでいた場合だ。
 ニコニコとこちらを見てくる瞳から、真意は読み取れない。
《……まぁいいか、こいつがなにか企んでいようが、俺たちがこいつに負けることもないだろ》
 と、結論付けたベルナードは頷いた。 

「やった! そんじゃールナよろしく」
「おい、不公平だろ」
「えー。じゃあ公平に決めますかぁ?」

 と渋々アイルーズは拳を出した。

「――最初はグー…ジャンケンポン!」

 アイルーズはチョキ、ベルナードはパーを出した。

「はいルナの負け!」
「……はぁ」
「ちゃんと公平に決めたからな〜」

 そんな様子を見ていたラスティが吹き出して笑う。

「ずいぶんなかよしみたいだね」
「どこをどう見たらそうなるんだ? ほら、やるから準備しろ」

 はいはい、と尚も笑いながらラスティはガラス瓶の蓋を開ける。
 ベルナードは自分の牙で腕を軽く割いた。そこから溢れた血が橙色に輝きながら、宙を漂ってガラス瓶の中に収まっていく。

「おお〜、これが吸血鬼の血かぁ……!」
「綺麗だろ?」

 とアイルーズも横から眺めてどこか自慢気に言った。

「ありがとう! これで新しいメニューが作れるよ。それじゃ、お礼に少しだけど」

 とラスティは小瓶をしまうと、代わりに布袋をカウンターに置いた。中には金貨が数枚入っている。
 現在の魔界の物価なら、数週間は生活できる額だった。

「え、こんなにいいのか!?」
「もちろん。吸血鬼は珍しいし、血をわけてもらえるなんてそうそうないからね!」
「へぇ〜、こんなもんでよければいくらでもやるけどな〜、ルナが」
「お前な……」
「良いだろ〜別に、減るもんじゃないし」
「いや、減るだろ」

 と二人が言い合っている前に、ソーサーに乗った二つのマグカップが置かれる。話を止めて、二人は顔を上げた。

「せっかくだからコーヒーを一杯どうかな? お代はいらないからさ」

ラスティはにっこりと微笑んだ。

「へぇ〜、じゃあほんとに魔界中のあちこち行ってるんだな〜!」
「そうだよ。色んなところでお店を開くのが好きなんだ」
「ふうん、でも大変そうだな」

 カウンターに掛けて珈琲を飲みながら、二人はラスティの様々な話を聞いていた。

「そうでもないよ、この店はスーツケースとして持ち運べるんだ」
「なんだそれ、すごいな!」
「ふふ、ありがとう。ぼくの自慢の魔法だよ」
「面白いやつがいるもんだなあ」

 アイルーズは砂糖とミルクをたっぷり入れたコーヒーをかき混ぜながら言う。

「ところで、旅をしてるのはきみたちもでしょ?」
「まぁなー。……そういえば、ラスティはオレたちのこと知ってんのか?」

 その質問に、ラスティはポットを置いて答える。

「”流浪の吸血鬼”……すっごく強いのに、どの勢力にも属していない二人組。きみたちのことでしょ? 魔界ではそこそこ有名なんじゃないかな」
「だってよ、オレ達有名らしいぜ? ルナ」

 やや嬉しげなアイルーズに対して、ベルナードは渋い顔をする。

「まぁ……色々やらかしてるっちゃやらかしてるしな」
「はは、確かに色々、派手な話を聞くね」
「大体、コイツのせいだから」
「なんだよその言いようはよぉ〜、ルナだって大概だろ〜」

 そう言い小突いてくるアイルーズを気にせずに、ベルナードがカップを傾ける。一口飲んで、カップの中を覗き込んだ。時間が経っても冷める様子はない。どうやら魔法のカップのようだ。

「コーヒーはどうかな?」
「ああ、中々旨いな」
「それはよかったよ。実は色々こだわってるからね」
「ふーん。どんな感じなんだ?」

 ベルナードが訊くと、ラスティはカウンターの中で、壁にかけてあった帽子を手に取った。
 不思議そうに見つめる二人の前で、ラスティはそのティーカップのような帽子の中から様々なドリップ用品を取り出して見せる。

「おお!」

 とアイルーズが感嘆の声をあげた。

「ぼくの店では、このネルっていうフィルターを使って淹れているんだ」

 ラスティは帽子から取り出した袋状の布を見せ、カウンターの内側のポットを指し示した。その上部には布製のフィルターがセットされている。

「へー、良くわかんないけど、普通は違うのか?」
「普通は紙だろ」
「そうだね、ペーパーフィルターが一般的かな。ほら、こういうやつ」

 とラスティは紙のフィルターも取り出してアイルーズに見せた。

「へぇ〜、色々あるんだな」

 関心するアイルーズの横で、ベルナードはもう一口味わうように飲んだ。

「少し滑らかな気がする」
「その通りだよ。ネルで淹れたコーヒーは口当たりが良くてなめらかなんだ。おいしいでしょう?」
「悪くないな」

 ベルナードの言葉に、ラスティは嬉しそうに頷いた。

「ルナがコーヒーに詳しいの意外だな」
「お前が無知なだけだろ」
「えー、そうかぁ? まぁ、オレはうまければなんでもいい派だからな!」

 そう言うとアイルーズはコーヒーを飲み干す。横でベルナードが気の毒そうに店主を見やった。

「せっかく拘ってるとこ悪かったな。こいつみたいなバカが相手で」
「おい、バカは言いすぎだろ〜?」
「あはは。いやいや、おいしいって思ってもらえればそれでいいんだよ」
「ほら! マスターもこう言ってるぜ」
「はぁ……」

 そうするうちに、ベルナードもコーヒーを飲み終えて立ち上がる。どうやらこの妙な喫茶店のマスターは、ただの人のいい変わり者らしい……とその頃には分かっていた。

「そろそろ行くぞ」
「ん、だな〜、よし!」

 アイルーズも立ち上がって伸びをする。

「血をわけてくれて助かったよ」
「こっちこそ助かったぜ! コーヒーもうまかったし。な!」

 と振り向くアイルーズにベルナードも頷く。

「そういや、ラスティはしばらくここにいるのか?」

 アイルーズの問いかけにラスティはうーん、と首を傾げた。

「どうかな。まぁ気が向くまではしばらく王都にいるつもりだよ」
「お、それならまた来ようぜ、ルナ!」
「暇があればな」

 そんな二人にラスティは笑いかける。

「いつでも歓迎するよ!」

 ひらひらと手を振って去っていく二人を見送って、ラスティはさて、とカウンターを片付けようと見やる。

「……あれ?」

 空になったマグカップの隣に、コーヒーの代金が置いてあった。それに気づいたラスティは、くすりと笑う。

「……ふふ、噂は本当だったみたいだね」

 どこにも属することなく、魔界中をさすらう流浪の吸血鬼。とても強く、敵う者もそういない……。

 だが彼らはこの魔界に珍しく、お人好しの二人組だという。
 ラスティが耳にしていたのは、そんな噂だった。

「何だかあの二人には、また会えそうな気がするな」

 そんな風に呟いて目を向ければ、二人は小突き合いながら闇へ姿を消していくところだった。

――『コーヒーと吸血鬼』フラグメント_Nightmare