#1 ゼータ/ラズ
「なんで、お前は……」
問いかけても無駄だと分かっている。『理由なんてない』。あいつはいつもそう言って、理由を求める俺をあざ笑うだけだからだ。
積み重なる魔族の死体の上で、剣を突き立てたゼータは俺を見下ろす。
だがその目がいつもと違う。金色の竜の目が冷たい。……俺は後ずさる。
「――なあラズ……この世界は退屈だ」
「……え?」
思いがけない返答に、俺の足がなぜか震える。
「お前みたいな弱者には分からないだろうね。立ち向かう強者が、憎む相手がいる。一生そいつには敵わないし、退屈してる暇なんてない……そうだろう?」
「な、なに言って……」
ゼータはひらりと俺の目の前に飛び降りてきた。返り血に濡れた頬が、少しも笑わずに冷たい。
「僕は退屈なんだよ、ラズ」
「――ッ」
脚から力が抜けて、俺はその場に腰をついた。するとゼータは今までの冷たさが嘘みたいに、はっと笑った。
「……はは、冗談だよ。何をそんなに怖がってる?」
「こ、わがってなんか……」
ない、と言おうとした言葉がかすれたのは、ゼータの剣が俺の顎に触れたからだ。
冷たい金属が顎の下を撫でて、俺の歯が音を立てる。
巨大な竜が俺を食い殺そうとしている――。
その時、ゼータは顔をそらした。俺とゼータの間を、一筋の矢が横切る。
「……」
俺たちがほぼ同時に見やると、生き残りの魔族の男が地面に倒れたままこちらに弓を向けていた。
「――クソッ」
悲痛な声で叫ぶ、もう矢はないのだろう。……狙いは悪くなかった。彼と目が合った。憎悪の混じる目が、助けてくれ、と……。
「――ほら、ああやって生きて死ぬなら、退屈しないだろう?」
その首がはじかれ、弧を描いて宙を舞った。
赤い血が躍る。
「……狂ってる」
俺は呟いた。
「そうかもね、だから……」
と、ゼータは俺を見下ろす。
「――僕を楽しませてくれよ、ラズ」
背筋を冷たい汗が滑り落ちたのは――
その見慣れた笑みになぜか、安堵している俺がいたからだった。
#2 ラインハイト/まおー
「――凪、待って!」
なぜか繰り返し見る夢がある。
煩いほど鳴り響く踏切。線路に向かって走る僕と、なぜかその内側にいる凪との距離が、いつまでも縮まらない。
待って、待って凪――今、行くから――そう思うのに、どんなに走っても、辿り着けない。
列車が迫って、私は……。
ハッと目を開けると、踏切の音は止んだ。体中は冷たい汗で濡れている。全速力で走ったみたいに息が切れている。
「はぁ……」
息をついて寝返りを打って、そこにまおーが寝ていた。
「……わっ……」
思わず小声をあげてしまう。けどまおーはよく寝ていて、それだけじゃ起きなかった。
「もう、また勝手に入ってきて……」
まおーは僕に限らず、なぜかよく人の寝床に勝手に入ってくるので、そのことでベルはしょっちゅう苦言を呈している。そういえばまおーが一人で寝ているところってあんまり見ないかも。まおーも、寂しいのかな。本人は、違うっていうんだろうけど。
ぼくは手を伸ばしてまおーを引っ張り寄せる。
「ん~……」
まおーはすっぽり腕の中に収まって、僕はなんだか元居た世界で一緒に暮らしていた弟や妹たちのことが懐かしくなった。
もうそれも百年近く前の記憶で、家族のことはもう、ほとんど思い出せない。
……あの夢は一体なんだろう。現実にあったこととは思えない。けれど、なんどもなんども、夜毎にその夢は繰り返す。
「……凪」
呟くと、まおーはむにゃむにゃいいながら僕の背中にしがみついてくる。
「……まおーもこうしてればただの子供みたいで可愛いのに」
「――ちょっと~ハイト。その言い方はないんじゃない?」
声に顔だけ起こすと、開けたままの窓から顔を出して、むくれた顔で僕を見ている……まおーがいた。
「し~っ、起きちゃうでしょ」
僕が指を立てると、まおーはちょっと複雑そうな顔をした。
まおーは普段から分裂しているので、こうやって二人以上のまおーが一か所に現れることも度々ある。まぁ、同じ場所にいるなら分裂する意味もあんまりないから、元に戻す事の方が多いけど。
でもこの時は、まおーは寝ている方のまおーをそのままにして、僕の部屋に入って来た。
「寝に来たの?」
「なーんか今日、寝れないんだよね」
そう言うとまおーは僕の隣に当然のように滑り込んでくる。
「流石に二人は狭いよ……」
「たまにはいいでしょ」
まおーはそう言って僕の背中にくっついてきた。
「まったくもう……」
二人のまおーに挟まれて、僕もそのうちまたまどろみはじめる。
もう、悪い夢は去っていた。
#3 ユウト/ユウヤ
朝日が瞼を柔らかく撫でて、俺は目を開ける。
そして、なぜか目の前にユウヤの顔があるのに気が付いた。
「……ユウヤ?」
目を擦る。なぜかユウヤが俺のベッドの中で寝ている……。
一緒のベッドで寝ていたのなんて、思えば小学生の低学年までだ。その寝顔を見ていると、なんだか懐かしい気がしてくる。
夜中にトイレにでも行って、寝ぼけて俺のベッドに入ってくることはそれからも時々あったが……今回もそれだろうか。
どうしたものかとしばらく眺めていると、ユウヤが薄っすら目を開けた。寝ぼけた顔で俺を見てくる。
「ん……ユウト……?」
ふわあ、とあくびをしてから、「……あれ?」と眠そうな目を瞬かせた。
「なんでユウトがいるんだろ……」
「こっちのセリフだ」
「んー……」
ぼんやりした声でもごもご言って、ユウヤはまた目を閉じた。
「んーと……ごめん……」
「べつにいい」
俺は寝返りを打って仰向けになった。
まだ早朝だ……もう少し、このまま眠ろうか。
「夜さぁ……こわい夢みたんだ」
ユウヤがふわふわした声で呟きながら俺の左腕にしがみついてきた。
「……そうか」
「暗いところで一人で……」
「……」
寝起きのユウヤは今でも時々、小さい頃みたいになる。すっかり目が覚めた後で、ごめんユウト! と恥ずかしそうに謝ることになるのが、昔とは違っているわけだけれど。
「ユウトがいなくなっちゃって……」
ぎゅっと額を摺り寄せてくる。
「いなくなったりしない」
「えへへ……良かったぁ」
そう呟いて、ユウヤはまた寝息を立てはじめる。
起こすのはもう少し、後でもいいか、と俺も目を閉じた。
#4 シズク/カオル
「重い……」
オレは天井を見上げて呟いた。
「んー、シズクー……」
とかなんとか言いながら、カオルがオレの上にのっかって眠っている。寝相が悪いカオルはいつもベッドの中をあっちこっち転げ回るから、ベッドから落ちないように気をつけないといけない。
顔を傾けて窓の方を見てみると、まだ空は暗い。元いた世界みたいにスマホや腕時計で時間を確認できるわけじゃないからよくわからないけど、静まり返った街はまだ朝が遠い深夜であることを教えてくれる。
オレはなんとなく、眼の前にあるカオルの髪に触れた。カオルはこういう時何をやっても起きないのは知っているけど、そっと指を通す。さらさらしてる。石鹸の匂いがふっと鼻先をかすめる。
元の世界にいたころみたいに、こうやってカオルと同じベッドで寝るのは久しぶりだ。こっちの世界での旅じゃ、みんなで同じ部屋で寝るか、二部屋借りて泊まることが多いから。
オレはカオルの髪を撫でながらちょっと考える。この世界に来てから、もう数ヶ月が経ってしまった。今は塔都を出て旅をしているけれど、雪架ちゃんの情報もつかめないし、元の世界に帰る方法も分からないままだ。
図書館の本は一通り見て回ったけれど、《世界渡り》は神話の片隅に書かれているだけで、詳しい情報はほとんどない。
だけどこの世界のどこかに、《世界渡り》の方法が記された本が存在しているかもしれない――と塔都図書館にいた司書は言っていた。
《渡りの書》。旧時代の文献によれば、それは禁書として闇へ葬られた。それがもしもどこかに残っているとすれば、あるいは……。
そんなことを考えていたら、だんだん眠たくなってきた。
……というか、寝返りも打てないし、なんだか身体が痛くなってくる。
「………まあ、いいか」
ちょっと手の置きどころに迷ってから、寝息をたてているカオルの背中に手を回す。
抱きしめて、――ああ、守りたいな、と、つよくそう思った。
#5 まおー/ラインハイト
真っ暗な空の下、一人でいた。
ずっと一人だった。
でも今夜は違う。
「まおーはさ、どこでうまれたの? 魔界?」
ラインハイトは焚き火に手をかざしながらぼくに訊いた。
「さあ……おぼえてない」
「そっか」
そのまま沈黙が続いた。はぜる火を見つめながら考える。人間には親というものがいて、生まれた場所というものがあるらしい。けど、ぼくはなにも憶えていなかった。
しばらくしてから、僕はさ、とラインハイトはいう。
「ここじゃない、別の世界から来たんだ」
「別の世界?」
「そう。信じてくれる?」
ラインハイトの瞳は炎で明々と照らされている。
信じる、とはどういうことなのだろう、とふと思う。
「まあ……」
ラインハイトの気配はほかの誰とも似ていない。魔族の気は感じられるけれど、それもどこか異質だ。
「別の世界、ってどんなところなの」
尋ねるとラインハイトはにこりと笑って、少し懐かしそうに目を細めた。
「魔法のない世界だったんだ」
「魔法が、ない……?」
その答えは意外だった。魔法のない世界、というのを考えてみる。けど、あまり想像がつかない。今目の前にある、焚火だって魔法で起こしている。魔法がないならどうやって火を起こすんだろう。
「不便そうだね」
「それが、そうでもないんだよね」
ラインハイトは枯れ枝を放って焚火に投げ入れた。火がはぜて、ぱちぱちと音を立てる。
「魔法のない世界を、人間は何千年もかけて少しずつ知っていった。そうして生まれたのが科学だよ」
「科学?」
「世界は何でできているか。どんな法則で世界が成り立っているのか……それをひたすら調べて、人間は世界を、法則を利用するんだ」
「……ふぅん」
「ま、これは受け売りだけどね」
少し照れたように笑って、ラインハイトは続ける。
「町は電気で夜でも明るいし、遠くの人と電話で話すこともできるよ。人は自動車とか電車で移動して……乗り物なんだけどね、すごく速いし」
「魔法がないのに、そんなことができるの?」
「そう、魔法がないのに」
この世界の灯りといえば魔光灯だから、魔法のない世界と聞いて思い浮かんだのは暗い世界だった。けれど、そのイメージは一転して、知らない世界の想像上の街は眩しい光に包まれる。
「……いつか人間の科学は魔法になるのかもしれない、って……僕の知り合いが言っていたよ」
ぼくはちょっと考える。
法則を利用する……確かにこの世界だって、物の運動や魔法に一定の法則がある。改めて考えてみれば、世界には秩序があった。ラインハイトのいた世界に魔法はなかったとしても、それ以外の法則はどうだろう。こちらの世界と違っているのだろうか。もし同じ部分があるのであれば、その『科学』はこちらの世界でも実現できるんじゃないか?
「ねぇ、科学のこと、もっと教えてよ」
「え? もちろんいいけど、僕勉強はあんまり得意じゃなかったからなぁ……」
ラインハイトは苦笑する。
「でも、今日はもうそろそろ寝よっか。また明日ね」
言われてみれば、少し眠たくなってきたことに気づく。もう夜が更けていた。
「そうだね」
ぼくたちは焚火を囲んで寝転がった。
いつもの癖で星を数える。科学はいつか宇宙にも辿り着くんだろうか、いやそれはさすがにないか、なんて考えながら眠って、ぼくは光る街の夢を見た。
#6 テリシア/フィオレナ
このSSは「双星のラメント」のサイドストーリーです。
https://fragment-s.net/archives/1336フィオレナ ……テリシア?
ふと真夜中に目を覚まして、私は隣のベッドが空っぽになっていることに気が付きました。
そっと部屋の暗がりを見回すと、他のみんなはぐっすり眠っています。みんなを起こさないように、私はゆっくりとベッドを降りて部屋を静かに横切りました。
テリシアはすぐに見つかりました。宿屋の玄関を出て横側に、小さな空き地があります。こちらに背を向けたテリシアは星空を見上げ、杖を掲げていました。
テリシア ――ステラ。
透き通るような声が呼びかけると、杖の先に星の光が集まってきます。――けれど、しばらくするとその光は弾けるようにして闇に霧散してしまいました。
フィオレナ ……魔法の練習ですか?
と、踏み出しながら問いかけると、テリシアは「わっ」と声を上げて振り向きます。
フィオレナ すみません、驚かせてしまいましたね。
テリシア フィオレナ……見てたの?
フィオレナ ええ、少しだけ
ちょっと照れたように頭をかくテリシアの側までいくと、テリシアは振りかぶって星空を見上げました。
テリシア なんか眠れないんだー、星がキラキラ明るい夜はほら、ドキドキするから!
フィオレナ 星、ですか……
確かに空は満点の星で輝いています。私はこれまで星空をあまり気にしたことはなかったように思います。他の多くの人が道端の花を気に留めないのと、同じかもしれません。テリシアの楽しげな顔が星明りに照らされています。
テリシア 見て見て、今日は星座もよく見えるよ。えーと、あっ、ジェミナだ!
フィオレナ ジェミナ……ですか?
星座、というのは、星を繋ぎ合わせて形や絵に見立てたものでしょうか。私はあまり詳しくありません。テリシアの指さす方向に、ひときわ明るい青い星を見つけます。その隣には緑色に輝く星がありました。
テリシア ジェミナはね、双子の星座なんだよ。
フィオレナ 双子……。
双子というと、ユウヤくんたちもそうですが、彼らの事を思い出します。
テリシア ねぇ、この間……ツワネールにいた頃の事件の事、おぼえてる?
テリシアも、同じことを想起していたようです。私が頷くと、テリシアは再び空を指さしました。
テリシア ……ほら、二つ、明るい星があるでしょ? あの星の名前、二人の名前と似てるんだ。きっと、二人のお母さんとお父さんが、星座みたいにずっと一緒にいられますように、って、星からとってつけた名前だったんじゃないかな?
フィオレナ なるほど……そうかもしれませんね
二人が辿ることになった運命のことを思い返すと、星の輝きもなんだか寂しく感じられます。テリシアは手を下ろすと、少し考えるように眉を顰めました。
テリシア ポルックスのことは許せないけど……。でも……。
テリシアが感じている事も、なんとなく分かるような気がします。
私にも弟がいます。そして私たちも彼らと同じ、人族と魔族の混血です。もしもそれを理由に弟が誰かに殺されたとしたら……。
私はその時、きっと彼と同じように世界に絶望するでしょう。
フィオレナ ……そうですね。
だからといって、それは他の誰かから何かを奪っていい理由にはならないのです。
殺された命は、二度と帰ってはきません。彼自身がそれを知っていたからこそ、その罪は彼にとって重いものになるでしょう。許されることのないその償いの道も、きっと長く孤独な道になるのだと思います。
フィオレナ 断罪、ですか……。
私が呟いたところで、テリシアはふわあ、とあくびをしました。
テリシア そろそろ眠たくなってきた……。
フィオレナ そうですね、もう遅いですし、戻りましょうか。
テリシア うん!
私たちは並んで宿屋へと戻ります。
最後に振り返った星空には、テリシアに教えてもらった双子の星が、儚く瞬いていました。