小説

小説:『生まれた日よりも』

 どうしようかなあ。
 とぼんやり考えながら、夕暮れの塔都の大通りを歩いていた、ちょうどその時。
 通り沿いの店の扉が開いて、ドアベルの音と共に白い箱を抱えた男の子がお店から出てくる。そこはケーキ屋さんだった。
「お兄ちゃん喜ぶかなー?」
 と、男の子は振り向いて、もう一人女の人が出てきた。お母さんかな?
「うん、きっと喜ぶわよ」
「楽しみだね!」
 見上げる横顔が嬉しそうで、思わずわたしも口元がほころぶ。人混みへまぎれていく二人の背中を目で追って、ふと……ディルも昔はあんな風に、家族から誕生日を祝ってもらったことがあったのかな? なんて思う。ちょっとだけ、小さなディルの姿を想像してみる。わたしと同じくらいの背丈のディルが、ケーキを目の前にして、目を輝かせたことがあったのかな。でも、もし、そうだとしても――。
 そこまで考えて、わたしはぎゅっと胸がつかまれたみたいな気持ちになってしまう。ディルのお母さんやお父さんは、ディルが小さい頃に殺されてしまったから……。
「……ケーキかぁ」
 わたしはケーキ屋さんのウィンドウを覗き込んだ。でも、ディルは甘いものはあんまり好きじゃないから……、と通りすぎかけた時、店の前に置かれた立て看板が目にとまる。
「……!」
 これなら、ディルにも喜んでもらえるかも!
 お店のドアを押すと、カランカランと軽やかな音色が鳴った。 

 お城に戻ると、わたしは玄関ホールと食堂を抜けて、まっさきに厨房に向かった。丁度夕食の準備の時間で、キッチンはいい匂いでいっぱいだった。
 中を歩きながら、魔法がかかったレードルがひとりでにかき混ぜている大きな鍋を覗き込んでみると、鍋いっぱいのクリームシチューをぐつぐつと煮込んでいるところだった。
「おいしそう……!」
 宙を飛んでくるお皿にぶつからないように気を付けながら、キッチンを横切って、わたしは奥にある大きな魔法冷蔵庫の扉を開けた。
 ひやりと冷気が漂ってくる。ケーキを入れて、「これはディルのだからね!」と言うと、冷蔵庫の中にいる小さな氷人形たちが、顔を見合わせてケーキを奥へ運んでいった。
 それからキッチンを出るとお城の階段を昇って、空中回廊を渡り、離れの棟に向かう。
 扉の前に立ったところで、部屋の中に気配を感じた。あれ、と思うと同時に、ぱっと心が明るくなる。
「……ディル?」
 そっと扉を押し開けると、広い部屋の中央の机で、ディルが大きな本を広げていた。
「帰ってたんだ!」
 ディルは目を上げないまま、「あぁ……」とちいさく呟くとページをめくった。ディルは何日か前にどこかへ出かけてしまっていて、今日もいないと思っていた。
 わたしは荷物を置きながら、ちらりと横目で伺う。魔術の勉強をしてるみたい。
 魔界とつながる《扉》を閉めてからもう何年も経ったけど、今もディルは魔術の研究を続けている。ずっと忙しそうだし、やっぱり時々無理しているみたいで心配だけど……、でも昔に比べればずっと穏やかにみえる。それが嬉しかった。
「また……すぐ行っちゃうの?」
 聞いてみると、少ししてディルは「さぁな……」と呟いた。
 その言い方からすると、すぐにまたでかけるってわけじゃないみたい。
 嬉しくて飛び跳ねたくなる気持ちを抑えながら、ディルのそばに行こうとしたときだった。
 ちょうどお城の鐘が鳴った。夕食の時間。
「ねぇディル、さっき見て来たんだけどね、今日はシチューだよ!」
 ディルは顔も上げないで、ページに目を落としている。
「ご飯一緒に食べに行こうよ」
 と近づいてディルの顔を覗き込むと、ディルは面倒くさそうにちらりと目をあげた。
「俺はいい」
「でも……ご飯はちゃんと食べないとだめだよっ?」
「…………」
 あ。無視されちゃった。
 でも、そんなディルをわたしはじぃーっと見つめる。
 勉強に集中したいのかもしれないけど……、出かけてたここ数日の間だって、きっとろくにご飯を食べてないんだろうし……。
「俺はあとでいい」
「なら、わたしも待ってるね!」
 そう答えた瞬間、きゅう、とわたしのお腹が鳴った。
 ちょっとはずかしくて、頬が熱くなった。
「…………えと」
「……早く食って来いよ」
「ううん、……待ってるっ!」
 と正面の椅子に腰かけようとしたら、ディルは本を閉じた。
「あれ、もういいの?」
「目の前で待たれたら気が散るんだよ。……ほら、行くぞ」
 もう扉の方へ向かっていたディルが肩越しに振り向いて言った。
「――うん!」

 *

 食堂にはいつも通り人が少ない、というかいない。最近はなんだかみんな忙しそうで、わたしとまおーだけ、なんて日もあったりするくらい。
「あれ? ディルが来るなんて珍しいね」
 と声をかけてきたのは先に来ていたまおーだった。もう、余計なこと言わないでよ、という思いを込めてむう、と見つめるけど、まおーはにこにこ楽しそう。ディルがまおーから一番遠い席に座ったので、わたしもその隣に座ろうとすると、ひつじさんが椅子をひいてくれた。
「あ。ありがとう……」
 席につくと、順々に料理が運ばれてくる。
「最近みんな忙しいみたいでさー。まあ、ルティは寝てるだけだけど」
「ハイトとベルは……?」
「んー。あの二人はしばらく帰ってこれなさそうだねー、だいぶ苦労してるみたいだし」
 まおーは分身で二人のそばにいられるんだよね。それはちょっとうらやましいかも。
「……お前が厄介事を押し付けたんだろうが」
「えー? なんのことー?」
 あったかいシチューのお皿が目の前に置かれて、ほかほかと白い湯気が顔にのぼってくる。薄く切られたパンも、焼きたてみたい。またお腹がなりそうになる。
「まあ、そういうわけで、今日は三人で食べようか」
 とまおーの言葉に頷いて、
「いただきます……!」
 木のスプーンでシチューをすくうと、「熱いぞ」と横からディルの声がした。ふーふー息を吹きかける。
 でも冷めるのを待ちきれなくて、そっと口に運ぶ。とろとろのクリームシチューはやっぱりアツアツで、舌が火傷しそうになる。でも……
「おいしいね、ディル!」
 と横を見れば、ディルはいつも通りの顔で淡々とスプーンを動かしているけど、それでもどこか少しだけ、表情が柔らかいように見えた。
 ちらりとまおーの方を見ると、テーブルに肘をついて、なんだかニヤニヤしてる。
 まおーもディルが来てくれてうれしいなら、余計なことしなければいいのに……。なんて思うと、まおーは「はいはい」と言いながらスプーンをシチューに差し入れた。



 みんなでシチューを食べ終えたあとで、わたしは「ちょっと待っててね!」とキッチンに向かった。熱々のシチューを食べたばかりだから、少し口の中がひりひりする。冷蔵庫を開けると、氷人形たちがケーキを運んできてくれた。
 受け取った箱がひんやりと冷たい。ディル、喜んでくれるかな、――なんて考えながら歩いていたら、ドキドキしてきて……キッチンを出る直前に、つるっと足の裏が滑った。
「わあっ!?」
 中身が崩れちゃう、とっさにそう思って、両手を離せない。バランスを崩してそのまま後ろに転びかけた時、――もふっと何かが背中とお尻を支えた。
「わ、……!」
 振り向いてみると、もこもこの小さなひつじさんたちが、わたしを受け止めてくれていた。
「メッ」
「ひ、ひつじさん、ありがとう……!」
 おかげでケーキも無事だった。ひつじさんたちはメェ……と鳴いて、もこもことわたしを見送ってくれる。
 今度こそ落とさないようにしっかり箱を抱えて、食堂に戻った。テーブルの上はお皿もすっかり片づけられて、ナプキンで口を拭いていたディルは、怪訝そうな顔でわたしのほうを見ている。
「ケーキ、買ってきたんだ!」
「ふうん、珍しいじゃん。ラルが何か買ってくるなんて」
 と、まおー。確かに、普段はあんまり買い物はしない。テーブルのそばまで行って、その真ん中に箱を置く。
「うん。あのね、今日は……」
 わたしは食堂の壁に貼ってある暦をちらりと見る。
「ディルが、わたしをみつけてくれた日だから」
 この日はどうしてもディルに、ありがとう、って伝えたくて。毎年、贈り物をしているんだ。
「へえ、そうだったんだ。よく覚えてるねえ」
 と感心しているまおーにわたしは頷く。
「うん。だって……」
 あの日、暗い森の中で、今日がわたしの死ぬ日なんだ……って、考えていたから。なんて言葉はしまいこんで、「ほら、見て見て!」と箱のふたを開ける。
 ふわっと甘い匂いが周囲に漂った。
 中に入っていたのは、表面がこんがり、なめらかなキツネ色に焼き上げられた、大きなケーキ。
「チーズケーキにしてみたんだ! 甘いのが苦手な人でもおいしく食べられるって書いてあったから……」
 わたしはちらりと、黙ったままのディルの顔を伺う。いらない、って言われちゃうかな、もしかしたら、チーズケーキも苦手かな……なんて、いろんな考えがぱちぱちと頭の中をはじける。
「……どうかな?」
 じっと見つめていると、ディルはちらりとケーキのほうに目線を移した。
 それから、黙ってテーブルの上のナイフを取る。
「……!」
「……おまえも食うんだろ」
 ちらりとわたしの方を見て言うディルを、わたしはしばらく見つめて。
「……いいの?」
 ディルの言葉が、嬉しくて。
「さすがに全部はいらない」
「そ、そうだよね……っ! うん!」
「ねぇねぇ、ぼくにはー?」
 とまおーの声。もちろん、余った分はみんなで分けるつもりだった。
「うん! みんなで食べよう! ……お皿取ってくるね! あ……」
 振り向いたら、既にひつじさんたちがケーキ用のお皿やフォークを運んできてくれているところだった。お皿を受け取っていると、んー、とまおーの声が聞こえて顔を上げた。
「そっか、それならぼくからもお祝いしなきゃね」
「え?」
 食堂に魔法がかかったみたいに、きらきらと光が舞った。その軌跡を目で追いかけた先に、気づけば視界に入っていた窓の外で、大きな花火が上がった。
 紫色の花火が、夜空に咲いて照らし出した。……きれい。ちいさな火のかけらが空を落ちていく。
 でも、なんで……、と尋ねる目を向けると、まおーはにこにこと笑っていた。
「その日があったから、ぼくらは会えたんでしょ?」
 ……そっか。ディルがわたしを見つけてくれたから……だからまおーや、ルティやベルやハイトたちに、出会えたんだよね。それならこの日は、わたしたちみんなにとって、大切な日なんだ……。
「――うん、そうだね……そうだよね、ディル!」
「……まぁ」
 ディルはうるさそうにしてるけど、でもやっぱり、わたしは嬉しい気持ちを留められない。
 ディルに出会えたことが。あの日、わたしを見つけてくれたことが。
 本当に心の底から、嬉しいんだよ。



 すっかり暗くなった部屋で、ろうそくの火が揺れている。その影をぼんやり見つめながら。
 ディルとまおーと一緒にシチューとケーキを食べて、お腹いっぱいで……。瞼が重たかった。チーズケーキはとってもおいしくて、ディルも二切れ、食べてくれたのが嬉しかった。残りのルティたちのぶんは冷蔵庫にしまってある。冷蔵庫の氷人形さんに任せておけばケーキも長持ちするから、それまでの間にベルたちも帰ってこれたらいいなぁ……。そうじゃないと、まおーが食べちゃうだろうなぁ。
 そんな事を考えながらソファで、ディルが本を読んでいるのを見ていたら、いつの間にかうとうとしていた。
 なんだか幸せな夢のなかにいるみたい。ディルのそばにいると、怖いことなんてなくて、いつも幸せな夢を見られる。
「おい、ラル……」
 と、ディルに呼ばれている事に気づいて、わたしは目を開ける。
「ん……ディル。……もう、終わったの?」
 ディルは机を離れて、わたしの近くに立っていた。
 目を擦りながら身を起こすと、ディルはなにか言いたそうに、わたしの方を見ている。
「……寝るなら、ベッドにしろ」
「あ、うんっ、でも、まだ寝ないよ……!」
「……はぁ」
 ディルが寝るまで、一緒に起きてたいから。……でも今、少し寝ちゃってたかも。
 眠気覚ましに伸びをしていたら、パッと目の前に現れた、紫色がふわりと香った。
「……え?」
「……これ、やるよ」
 ディルの手の中で、小さな花が揺れる。
「え……、わたしに?」
 差し出されたそれは、小さな紙包みの花束だった。
 薄紫の細い花びらが可愛い。
 思わず見上げると、ディルは目を逸らす。
「……お前は生まれた日が、分からないんだろ。だから……、何でもない日で、悪いな」
 わたしはぶんぶん首を横に振る。
 なんだか胸がぎゅっと詰まったみたいになって、なにも言えなくなってしまう。
 ……どうしよう。どうしたらいいか分からない。   ――ディルは、わたしの誕生日を祝おうとしてくれたんだ。
「いらないなら――」
「いる!」
 とディルの言葉を思わず遮って、わたしはゆっくり両手を伸ばした。
 少し押し付けるみたいに、ディルはわたしの手のひらに花束を押しあてた。紙が乾いた音を立てる。ディルがわたしにくれるもの、その瞬間にそれは、世界で一番、すてきなものになるんだ。なんだかその時間が過ぎ去るのがもったいなくて。ほんの少しだけ、指先が触れる。
「ありがとう、ディル……」
 大切に、胸に抱きしめる。
「……いつも祝われてばかりってのも、鬱陶しいからな」
「えへへ……」
 いつかディルの誕生日に、小さな花をあげたことを思い出す。……ディルも憶えててくれたのかな。
 わたしはただ、ディルからもらったものを、少しでも返したいだけなんだ。だから、わたしのことなんて、お返しなんて、いいのに……。
 なのに。やっぱりディルは、とっても優しいから。
「……嬉しい」
 ……それに、今日は何でもない日なんかじゃない。
 わたしが毎年この日にディルに贈り物をしてたから、きっと、ディルも覚えててくれたんだよね。
 今日が、わたしがディルと出会った日、……あの月夜の森で、ディルがわたしに名前をくれた日。
 だから――。
「今日が誕生日より、ずっと大事な日だよ、ディル!」
 わたしの言葉に、ディルは一瞬、困った顔で。それからくるりと背を向けてしまう。
「……早く寝ろよ」
「ううん。もう少し起きてる!」
 嬉しすぎて、目も覚めちゃった。
 ディルはいつも、たくさんのものをわたしにくれる。
 ……そのひとつでも返したくて、今もここにいるんだよ。
 花びらが揺れると、その優しい香りが、そっとわたしの頬を撫でた。

――フラグメント『生まれた日よりも』