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小説:『世界を救った少年』

 折れた時計塔が、瓦礫の海に沈んでいる。

 どこまでも傷ついた大地に、もう人の住める場所はない。

 その地平線の向こうから、黒い塊が波のように押し寄せてきていた。
 魔族たちの軍勢だ。

 それを遥か彼方に見据えながら、一人の青年が空に浮かんでいる。
 赤髪が風に揺れ、碧い瞳が、全てを凍てつかせる冷たさで見下ろすと、

 右手を無造作に振るい、呟いた。

「――レイ」

 その瞬間、天空の彼方から流星が降り注ぎ、大地に次々と大穴を穿った。

――大陸戦争終結から三年後。

「世界を、救ってくれてありがとう!」

 満面の笑みを浮かべた幼い少女が、花束を差し出す。

 声をかけられて振り向いた少年は少し首を傾げて、少女の無邪気な目を見返した。

「なにが?」
「まおーさまが、世界を救ってくれたんでしょ? 小さいのに、すごいね!」

 少女は笑みを崩さず、花束をぐっと少年に向ける。

「……ありがとう?」

 受け取ると、少女はくるりと背を向けて雑踏の中へ駆けていく。

 じきに母親らしい女性の手をとって、並んで歩き始めた。最後にちらりと少年の方を見て、小さく手を振る。
 振り返した少年の手は、中途半端に宙に取り残された。

「……花なんてどうすればいいんだろ?」

 少年は花束を見下ろし、ため息をついた。

「ハイトに訊けばいいか」

 ◆

 塔の周りに築かれた拠点に、次第に人が集まり始めている。

 建物が増え、道ができ、町が作られていきつつあった。

 その中央、塔のすぐそばに、大きな城が建っている。
 少年はふわりと空を飛び、城の窓から一室に入り込んだ。

 その部屋の中に、少女の姿がある。机に向かい、椅子の背もたれに寄りかかって天井を眺めていた。

「ハイト〜」
「うわっ!?」

 ガタッと音を立てて、少女は振り向いた。

「びっくりした〜、まおーか」
「また調査?」
「あ〜……はは、そう、そんな感じ」

 机の上には、古い本が何冊も開いてある。

 開かれたページには魔法陣や誓詞が並び、どれも高度な魔術について、とりわけ召還に関して書かれた本のようだ。

「……《世界渡しの召還》とこの世界の扉については、まだよく分からない事が多いからね。なにか手がかりはありそう?」

 少年の問いかけに、ラインハイトはひらひらと手を振った。

「全然。そもそも、二つの世界の関係がわからないし……どうしてこの世界の《扉》の開閉に、《異世界の人間》が必要なのか……分かるのは、それらの魔法はきっと、何万年も昔に滅んだ文明の遺産なんだろうって事だけ」
「それも単なる推測だしね」
「そう。つまり謎だらけ」

 少年は窓の外を眺める。青い空を真っすぐ伸びる線のように、白く細い塔が建っていた。

 その塔がいつからそこにあるのか、なんのためにあるのか、誰も知らない。入口もなく、外からいくら昇っても頂上にたどり着くことはできない。

 少年はこの不思議な塔の調査も兼ねて、この地に拠点を据えたのだった。

「あの塔とも……何か関係がありそうなんだけどね」
「だね。わからないことだらけで、まだまだ先は長いよ」

 それで、とハイトは向き直る。

「何か用? ん? その花は?」

 ああ、と少年は思い出したように手に持った花束を掲げた。

「子供に貰ったんだけどね。これはどうすればいいかな?」
「へぇ、綺麗な花だね」

 ラインハイトはその花を受け取って眺める。

「せっかくだし、部屋にでも飾ったら?」
「んー、まぁ、ハイトに任せるよ」
「はいはい」

 少年の目線はしばらく机の上に拡げられた魔法陣を見つめていた。ラインハイトはそれに気がついて、本に手をかける。

「これ、まおーも読む?」
「いやいいよ。読んだことあるからね」
「あはは、そりゃそっか」
「じゃ、頑張ってね~」

 少年は来た時と同じように、窓の外を出ていった。

 世界を救う、とはどういう事なのか、少年は考える。

 救うとは何か。例えば人の命を守れば、それはその人を救ったことになるのだろうか。

 だとすれば、「世界を救う」とは何なのか?

 自分は確かに、大陸の平和を取り戻したかもしれない。けれど、魔族によって殺された人族の数と、自分が殺した魔族の数に、実際は大差がない。

 だから少年には、何かを救ったつもりなんて無かった。――ただ、殺しただけだ、と。

 そんなふうに思いながら、一人空を飛ぶ。

 扉を閉めて大陸戦争が終結してから、少年達の元には自然に人が集まり、彼らを中心にして世界の復興が進められていた。

「やぁディル、作業は順調?」
「何しにきた」

 少年がひょっこりと顔を覗き込むと、ディルは視線を避ける。

「冷たいなぁ、一緒に戦った仲間じゃない〜」
「お前と仲間になったつもりはない」
「も〜、ディルは素直じゃないんだから」
「さっさと失せろ」

 大陸北西部。ヌヤ地方は美しく品質の良い白石材の産地だった。

 現在、大陸の各地では街道が建設中である。

 少年からしても少し意外なことだったのだが、どうやら知らないうちにラインハイトが説得したらしく、ディルもそれを手伝っていた。

 風や火の魔法を使って、山肌から街道に敷くための岩を切り出すのが、今の彼の仕事だ。

 ディルほどの魔術の腕があれば、街道にそのまま敷ける状態の、形の整ったなめらかな石を切り出すことができた。

「ラルは元気?」
「お前には関係ない」
「元気そうでなにより」

 ディルは心底迷惑そうな顔をして、少年の方を振り向くこともないまま作業を続ける。

「ディル達が手伝えば、必要な分の切り出しはすぐに終わりそうだね」
「……」
「街道ができれば、人の行き来もしやすくなるし、経済も活発になるから、感謝されるんじゃない?」
「お前も喋ってないで少しは手伝え」
「んー、まぁたしかに、たまには良いか」

 そんな返答に、ディルはちらりと顔を上げた。その瞬間、少年の頭上に白い巨大な岩が降ってくる。

「うん、今日は暇だしね」

 指一本でそれを受け止め、少年はにこりと笑った。

 ◆

「いやぁ、やっぱ救世主のまおー様たちはすげえや!」
「一月かかる作業が一日で終わっちまうんだからな」

 日が暮れる頃、作業を終えた少年達のまわりには人だかりができていた。

 誰もが少年の事を知っていて、口々に感謝を述べる。握手を求める者までいた。

「いやぁ〜それほどでも〜」

 とその真ん中で照れたような笑みを浮かべる少年の横で、きまり悪そうにディルは腕を組んでいる。

「……もう行くぞ、いつまでふざけてんだ」
「はいはい。じゃあぼくらはこれで。みんな頑張ってね〜」
「おうよ!」

 作業場の男たちに見送られながら、少年とディルは空へ飛び上がり、石切り場を後にする。

「後は石を各地に運んで敷くだけだね。最後に魔除けの魔法もかけなきゃいけないけど……ま、それは簡単か」
「……全く、お前の魔力と体力はどうなってんだ」

 ディルの声にはやや疲れが滲んでいた。

 それは作業自体によるものというよりも、少年の相手をすることに対しての疲労かもしれないが。

「んー、どうなってるって言われると……」

 その時、遠く離れた場所から、轟音が空気を震わせる音が響いた。森の上空で二人は止まる。

「……お前か、あれは」
「まぁね、ちょっと魔王軍の残党が悪さしてたから、こらしめてやったところ」

 少年はいつも複数の分身を操っているので、あちこちで同時に目撃されるのも日常茶飯事だった。

「……殺さないんだな」

 ディルは煙の上がった方を見やり、目を細めながら言う。

「まぁ別に、見張ってればいつでも邪魔できるしね」
「昔のお前とは大違いだな」
「あは、まあね」

 少年は赤髪をなびかせて、夕暮れの空をまた進み始める。ディルもそれに従いながら、少し考えた様子で口を開いた。

「ルティス……いや、フェゴラの事か」

 その問いかけに、少年は小さく笑う。

「んー……どうかな。でも、あの子に言われた事は憶えてるよ」

 少年は思い出す。
 ぎらつくような赤い夕陽の中、金色に耀く瞳が貫いて聞いた言葉……。

 ――『殺さない者になれ』。

「でもさー……あれだけ殺して……今更殺すのやめて……意味あるのかな? ディルも、そう思うことあるでしょ」
「……」

 ディルは答えないが、少年は構わず続ける。

「大体人間なんて、殺し合うものじゃないのかな? フェゴとルティだって、大勢殺してきたのに、矛盾してるよ」
「……いや」

 口を挟まれ、少年はやや意外そうに振り向く。

「あいつは……お前だから言ったんだ」
「……ふぅん。ディルはそう思う?」

 ディルは自嘲するようにかすかに口を歪めた。

「確かに、俺らみたいなのはせいぜい殺し合うしか無いだろうな。でもお前は……」

 そこから先は言うのは辞め、ディルはひらりと向きを変える。

「俺は向こうだ。じゃあな」
「えー。たまにはお城の方に来てもいいんだよ? 部屋だってあるし」
「誰が行くか」

 なんて言って、気が向けばシュトラルカを連れて来ることもあるので、少年は黙って笑う。

「じゃまたね〜」

 と手を振る少年を無視して、ディルはさっさと森の向こうへと飛んでいく。

 それを見送り、少年はいつの間にか夕焼けに赤く染まった空にしばらく浮かんでいた。

「……ぼくだから、言った、か」

 少年は夕陽に目を眇める。空が燃えるように赤い。

「ハイトもそう言ってたっけ」

 ふと、少年は自分の心の裡に、名前の知らない感情があることに気づく。かすかな痛みに似て、無性に誰かのところへ行きたくなるような。

「あー、こういう時、あの子がいればなぁ」

 少年は呟いた。思い出すのは、遠い昔に小さな村の丘で出会い、笑いかけてくれた少女のことだった。
 いくつかの言葉と、感情と……そして別れを、教えてくれた人。

 その名前もついぞ尋ねなかったことには、ずっと後になって気付いた。

「まぁいいや、かーえろ」

 少年はひらりと空を飛び、夕陽に背を向けて城へと帰路を辿る。

 世界を救うということの意味が、分からないまま。

 それでも少年は、世界を救い続けている。

――『世界を救った少年』フラグメント_Ray