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短編小説:『邂逅のブラック・スノウ』

 改めて見渡してみれば、世界はすでに壊滅状態だった。
 かつて人族の暮らしていた土地は魔王軍によって侵略され、どの街も魔王軍によって支配されている。人族は殺されるか、奴隷のように扱われるか、そのどちらかだった。

 一方……ぼくは魔王軍を殺し続ける。
 人族はどうでもよかった。魔族の兵たちに出会うたびに、ただ理由もなく殺す。
 ぼくも魔界から来た身だから、奴らは同胞だといってもいいはずだけれど、仲間意識は微塵もない。
 ぼくには「家族」や「仲間」は一人もいなかったし、その言葉の意味もよく分からない。

 魔族の死体の山をしばらく見下ろしてから踵を返して、そこに人が立っていたことに気づいた。

 ほとんど無意識に全身に緊張が走る。
 静かな、巨大な、二つの圧。

「君が、まおーとか名乗って、魔王軍に反抗してるお馬鹿さん?」

 金の長い髪に、髪と同じ金色の瞳。ほとんど無表情の一人の女が、ぼくを見据えている。手には身長ほどの長さの細い棒を握っていた。

「……そうだけど、何」

 その人物は、魔界にいた者なら誰もが知る存在だった。魔王軍の幹部の一人――ルティス=フェゴラ。中でも最強と囁かれている、魔王のゼータに並んで強大な力を持つトップクラスの魔族。

「君を殺せって、ゼータ直々の命令。これから君は、全魔界軍に命を狙われるだろうね」
「ふーん」

 ぼくが邪魔なら、自分で殺しに来ればいいのに。

「……で?」

 と訊くと、ルティスは肩を竦める。

 突然視界が廻った。空と地面が逆になったような感覚。平衡感覚は崩れ、立て直すまでに0.2秒。
 気づけば全身を貫いた五本の黒い槍が、ぼくを地面に縫い止めている。

 ……速い。

 僕は槍を操ると五本とも一気に引き抜いた。血が吹き出す前に治癒魔法で瞬時に傷を塞ぎ、地面を蹴る。

 それと同時に放った百条の光線が、なぜか突然反転しこちらへ向かってきた。ぼくは足を止め防御晶シールドを張りめぐらせる。

 光線は弾けて霧散する。視界が眩しく塗りつぶされたその向こうで、ルティスは黒い棒をぼくに突きつけていた。

黒雪ブラック・スノウ

 二重の声が聞こえた。

 その魔術は人の認知を越えている。周囲の空間が強烈に歪む。モノクロの色彩……とぼくは認識する。黒い霧が襲ってくるような、それは一瞬だった。

 気づいたらシールドは砕け散り、ぼくは膝をついていた。全身、どこもまるで石像になったかのように動かせない。

「へぇお前、まだ生きてんだ?」

 先ほどとは打って変わった、やけに楽し気な声が降ってくる。
 顔を上げればルティスの目の色が変わっていた。青い目が輝いている。――いや、これはルティスじゃない。
 ニヤリと見下すように笑って。

「黒雪……全身に超微細の刃を打ち込んでから爆散させて、体をバラバラに引き裂く俺様の傑作魔術だよ。これをくらって、耐えられたのはお前が始めてだ」
「……」

 ぼくの鼻から血が滴り落ちた。

「それと……思い出したよ。お前の事を知ってる。どうも魔界ではみかけない、妙な気配のやつだったんでな……。何処の生まれだ?」

 口を開こうとするが声がでない。視界が赤く点滅している。平衡感覚が狂い、吐き気が襲う。

「ふぅん……憶えてないのか。変わってるなお前。俺たち以上かもよ、ルティス」

 すると今度は左目が金色に戻る。左右で違う青と金のふたつの目が、ぼくを見下ろした。

「魔族とも人族とも、少し違うような気がする」
「だね。魔術も妙だ……けど、あっちの世界ってわけでもなさそうだな」
「ゼータはこのことを知っているの?」
「さぁな」

 ルティス=フェゴラは一人でそう会話していた。いや、彼らは実際には一人ではない。二重人格のようだけれど正確にはそれも違う。

 ルティスとフェゴラ。それはもともとは二人だった別々の精神を、ひとつの肉体に宿す事を可能にした者たちだ。

 噂には聞いていた実際の《二人》を目の当たりにして、ぼくの頭は冷静にそんな事を考えている。身体の方は地面に倒れた。

「黒雪はね……抑え込んでもその刃は止まらない。きみの体内を、内臓を切り裂いてめちゃくちゃにするだけだよ」

 その通りみたいだ。体内に入り込んだ数千数万の微細な刃が、ぼくの体内を破壊し尽くす。治癒魔法が修復し、また破壊され、癒やし、引き裂かれ、癒やし、蹂躙される。

 ぼくは体内に意識を全力で集中させた。

「フェゴラ。もう行こう」
「ああ。じゃあな。なかなか楽しめたよ、大したガキだ」

 足音が離れる頃には、ぼくの意識は途切れる。

 落ちている。
 ああ、またこの夢か、とぼくは空気の抵抗を受けて両手を広げる。
 暗闇をどこまでも落ちていく、永遠に終わらない夢。

 だんだん、落ちているのか、浮かんでいるだけなのか、分からなくなってくる。普段は空気魔術の応用で空中を飛べるけど、今はなぜかそれもできない。
 ただ落ちていく、落ちて落ちて落ちて、落ち続けて――
 どこにも辿り着くことはなく、意識が覚醒する。

 目を開けると、視界は岩肌だった。そこに火の灯りが揺らめいている。洞窟か、洞穴みたいだ。

 どれくらい眠っていたのかわからないが、体の中の小さな刃の大半は既に体内から消えていた。

 しかしいつものような感覚のコントロールがまだ効かずに、痛覚を遮断することができない。全身激痛に疼いている。まだかなり体内に刃が残っているのだ。治癒魔法と刃の破壊を続けながら、ぼくは首をめぐらせて周囲を確認した。

 ぼくは毛布の上に寝かされていて、近くには焚火がある。その向こうに、人が座っていた。

 膝を抱えて、うつらうつらと首を傾げている。警戒心のなさに呆れそうになる。背に黒い翼を持つ、緑髪の少女だった。気配で魔族と分かるけれど、普通の魔族ではないらしい。なんだか異質な気配が混じっている。ぼくはゆっくりと身を起こした。

「――っ」

 痛みに息が漏れて、顔が歪む。ちらりと見やるが、少女は目を閉じたままだ。ぼくはそのまま立ち上がろうとして手をついたが、そこから動けない。もう少し、治癒を進めて痛覚を遮断できるまで回復しないと。

 しばらくそのままの姿勢で目を閉じていた。冷たい汗が滴り落ちる。

「……あっ」

 と、少女が声を上げた。ぼくは観念して目を開けるとそちらの方を見やる。少女は心配そうに身を乗り出すと、緑色の瞳でぼくを覗き込んだ。

「……大丈夫? まだ動かない方がいいよ」
「きみがぼくをここへ?」
「うん。……それ、ルティス達にやられたんでしょう?」
「……」

 ルティスをよく知っているかのような口ぶりだ。魔王軍の中でもルティスに近しい者なのか。ルティスの言葉がよみがえる。ぼくを殺せと、ゼータ直々の命令……この少女もぼくの命を狙っているのだろうか?

「ほら、横になって」

 少女は焚火を回り込んでくると、ぼくの身体を支えて寝かせようとした。振り払おうにも、激痛で咄嗟には身体を動かせない。ぼくはおとなしくそれに従って、再び洞窟の天井を見上げた。

「水は飲めそう?」

 少女はぼくの隣に座ると、水筒を取り出した。ぼくが頷くと、首を支えて口に流し入れる。冷たい水が喉を通ると、少し落ち着いた。

 次にぼくに治癒魔法をかけはじめる。傷ついた体内の細胞や組織が再生されるペースが上がり、やや呼吸が楽になった。ぼく自身は刃の排除に集中する。

「凄いね、黒雪を受けて生きていられるなんて」
「……別に。このざまだよ」

 ルティスたちはぼくにとどめを刺さなかった。あれはぼくを甘く見て油断したんじゃない、見逃したんだ。少し考えて、この苛立ちが「悔しい」という感情であることに気づく。却って苛立ちは増した。

「僕はラインハイト。一応、魔王軍の下っ端なんだけど……君は?」
「……まおー」
「そっか、やっぱり君がまおーか」

 ラインハイトは頷いた。知っているのだ。ぼくが魔王軍の命令に反逆して、魔族を殺し続けていると。

「ねぇ、君はどうして魔族を殺しているの」
「理由なんかない」
「でも、君は、大陸の人々を守ってるんでしょう?」

 守る、という的外れな言葉が空虚に響いた。ぼくは何かを守っているつもりはない。ただ殺しているだけだ。

 理由なく殺すのだから、その意味ではゼータとなんら変わりない。あいつは扉を開ける前も魔界で数多の魔族を殺していたし、今では人界を侵略している。

 それは別にゼータに限ったことではなかった。魔族が他者を殺すのに理由はいらない。魔界は、そういう世界だった。ぼくも同じだと言うだけだ。

「それより、なんでぼくを殺さないの」

 逆にそう尋ねると、ラインハイトはなぜか微笑む。

「僕なんかじゃ君を殺せないよ。それに……」

 ラインハイトはぼくをまっすぐに見つめた。その緑色の瞳が炎に煌めき、光る。

「僕ね、ゼータを倒したい」
「……へぇ」
「もうこれ以上、誰も傷つかなくていいように」

 ゼータを恨んでいる魔族は、数えきれないほどいるけれど、復讐を果たしたものはいない。誰一人敵わない。生きるためには、従うしかない。そうして心の底で憎しみを燻らせる……そんな魔族など山ほどいる。だから、その言葉に驚くことはなかったのだけれど。

「だからさ、僕を君の……まおーの、仲間にしてくれない?」

 そう続けられたところで、ぼくは思わずあっけにとられた。一瞬魔術も途切れる。増した痛みに我に返る。

「……何それ?」
「何って、そのままだよ。僕も君と一緒に戦いたいんだ」

 一緒に戦う、仲間、という、耳慣れない言葉が頭の中を巡る。

「実は、それで君を探してたんだ。ほら、あっちが魔王軍なら、こっちはまおー軍って感じでさ。――ダメかな?」
「……正気?」
「あいにくね」

 既に僕はゼータに目をつけられているらしい。魔王軍に反逆すること自体がゼータの気を引くとは思えないけど、それでも認知された以上、奴の気が向けばその時が終わりだ。
 それにルティス=フェゴラ含む幹部たちにだって、勝てるとは限らない。現にぼくは完全に敗北した。

 ラインハイトは続ける。

「僕はあいつの命令に従って誰かを殺すなんて絶対にしたくないんだ。……できないんだよ」
「……死んでもってこと」
「そう、死んでも」

 ラインハイトは再びぼくをまっすぐ見た。そこに宿る決意がぼくを射貫く。馬鹿だな、と思った。でもそれはぼくも同じか。

「じゃあ、ぼくの命令には従えるの?」
「分からない。それはこれから決める」

 存外正直な言葉だ。

「君の命令が正しいと思ったときは従う。間違ってると思ったときは従わない」

 それがラインハイトの言う、仲間なのだろうか。そういうものなのかどうか、よくわからない。

「仲間って何、具体的にどうするの」
「うーん。具体的に、ってのは難しいけど。助け合って、一緒に戦うんだよ」

 ラインハイトはぼくの傷ついた手を握りしめた。暖かくて、少し痛みが引いた。
 初めて、人にそんな風に触れられたような気がした。

「今の僕は君を助けられるほど、強くないかもしれないけど……」

 ぼくは別に誰の助けも必要ない。一緒に戦う仲間なんて要らない。ずっと一人だったし、この先もそれで構わない。

「だけどいつか、必ず君を助けられるくらい強くなるから」

 ラインハイトはそう言うとにこりと笑いかける。

 そんな顔に少しだけ、興味が湧いた。誰かと一緒に戦うということ、ラインハイトのいう「仲間」とやらに。

「……どうせすぐ死ぬよ」
「あはは、そうかもね」

 ラインハイトはまた笑い、ぼくは目を閉じる。

「――さっさと治したいから、治癒速度倍に上げて。あと、水」

 ぼくの言葉に一瞬、ラインハイトからの返事はない。

「……聞いてる?」
「あ、ごめん! えっと、嬉しかったんだ。――了解! まおー」

 ぼくは会話を止めて治癒と回復に意識を集中させる。

 黒雪……あの魔術にぼくは生まれて始めて負けた。
 次は絶対に、ぼくが勝つ。


 そしてゼータを殺したいと、「仲間」がいうなら、それを目指すのも悪くない。
 そんな風に思いながら、ぼくはやがて痛みが引いて微睡むまで、焚き火が爆ぜる音に耳を傾けていた。

 

――『邂逅のブラック・スノウ』フラグメント_Ray