双星のラメント
プロローグ
いつか二人で弾いた旋律が、頭の中に響いている。
ユウトは深い闇の中を歩いていた。
とめどなく血を流し続ける身体が痺れ、徐々に冷えていくのを感じる。体が冷たく、吐く息だけが焼けたように熱い。
――ユウヤのところに、行かないと。
一歩、踏み出したはずが、すぐに上下の感覚を失う。気がつくと地面に頬を打っている。それでも起き上がろうとして、身体の重さに汗が滴り落ちる。
なんとか顔を上げる。目を開けられないせいで、漆黒の闇が視界を閉ざしている。
そんな暗闇になぜかふと、今よりもずっと幼い頃……ユウヤが、ひとりが怖いと泣いていたことを思い出した。深い闇に閉ざされた夜は特に。闇の中で、ひとりぼっちになるのが、怖いと……。
――ユウトはずっと一緒にいてくれる?
泣きはらした目で尋ねる言葉に、ああ、と頷いて。その頃は、心から信じていた。ずっと一緒にいられると。
だが今思い返せば、運命は皮肉なものだ……。
そんなことを頭のどこかで考えながら、血で滑る手を砂だらけにして、ゆっくり時間をかけてユウトはようやく立ち上がる。
――行かなければ。
熱さも冷たさも混じりあって、もううまく感じられない。ただ、鼓動だけが熱い。流れる血だけが、焼けるように。
『……ずっと一緒にいてくれる?』
もしも今、もう一度そう聞かれたとしたら、何と答えるべきだろう。
思わず苦笑する。今更、そんな子供じみた質問をすることもないだろうに。
……けれど、もし……今の自分が、その問いに答えるなら――。
第一話
ユウヤたちが異世界に来てから、四回、月が満ち欠けを繰り返した頃。
大陸中央の塔都を出た一行は西に向かい、ルコスタ地方の中心都市、ツワネールに訪れていた。そこは大陸の西の果てに広がる大砂漠、レビ砂漠を眼前に抱く街だ。
彼らはそこで情報収集を行いながら、今後も続ける旅のために資金を溜める日々を送っていた。
「もう慣れてきたけど、塔都に比べると、ツワネールは暑いよねー」
カオルは赤い液体の入ったコップを傾ける。この辺りでよく採れる、ツワネールメロンのジュースだ。
「そうなんだよね、この世界にもクーラーがあればなぁ」
「あはは、ユウヤくんは暑いのも苦手だもんね」
「くーらー……って、なになに⁉」
そんなふうに会話を交わしながら、ユウヤたち一行はツワネールの冒険者ギルドの食堂で夕食を食べていた。
日中は各々で別行動をすることも多いが、夕食はできる限り集まって、みんなで食べる約束をしているのだった。
そんな食事のさなか、会話の切れ目でテリシアが「そうだ!」と声を上げた。
「ねぇねぇ、みんな聞いた? 最近、ツワネールにまおー軍のすごい人が来てるらしいよ!」
テリシアが口の端にパンくずをつけたまま、そう言って身を乗り出した。
「へぇ、そうなの? すごい人ってどんな人?」
興味津々といった様子のユウヤに応えて、テリシアは続ける。
「えーっとねぇ……んー、よくわかんないけど、とにかくすごい人!」
「分からないのかよ……」
と呆れた目を向けるユウトの横で、カオルも声を上げる。
「その話なら、私も聞いたよ! 確か、万歳の……」
「断罪ね」
シズクが口を挟んだ。
「そう! 《断罪のルティス》! ……っていう、なんかすごい人だよね?」
「なるほど、まおー軍の幹部ですか……」
それまで話を聞いていたフィオレナがそう呟いた。
「え? まおー軍の幹部、って……?」
と首を傾げるテリシアに応じて、フィオレナは説明を始める。
「まおー軍は、今でこそ大陸の一大勢力ですが……最初はほんの少人数の集まりだったそうです。最初期からその一員だった四人が、現在では幹部のような役目をしているようですよ。確か……ベルナードさん、ラインハイトさん、ディルさん……そして、ルティスさんです」
「へぇ~、どんな人たちなのかなぁ」
「そうですね、確か……」
とフィオレナは少し思案する。
「ベルナードさんは吸血鬼……大陸随一の血魔術の使い手です。ラインハイトさんは、黒鴉のような魔族を使役したり、姿を変えたりすることができると聞いたことがありますね。ディルさんの話はあまり聞きませんが、大陸でもっとも優れた魔術師だという噂です」
「へぇ~! それでそれで、ルティスさんはどんな人なの?」
テリシアはわくわくと続きを促す。
「ルティスさんに単純な魔法の勝負で勝てる人は、ほとんどいないんじゃないでしょうか。それぐらい強い人です。そして、彼女が《断罪のルティス》と呼ばれているのは……ルティスさんはその強さを以って、罪を犯した人たちを《断罪》するからなんです」
「へぇえ……」
フィオレナの話に、テリシアは感嘆した。
「まおー軍かぁ……」
と、ここまでの話を聞いていたユウヤは、服のポケットにしまってあったペンダントを取り出した。
そこには、まおー軍のエンブレムがあしらわれている。もう四月前……彼らがこの世界に来て一番最初に出会った少年が、彼らにくれたものだ。
その効力はいたるところで発揮され、彼らの旅を助けてきたのだった。
「……せっかくこの街に偉い人が来てるっていうなら、ちょっと聞いてみたいな! このペンダントをくれた意味とか、あの子のこととか……」
「ああ、あの〝まおー〟とか言ってるガキな……」
「それにしてもまおーくんって、何者なんだろうね?」
カオルはそんな風に口を挟んだ。
「もしかして……あの子が、まおー軍を束ねているトップだったりして!」
テリシアの冗談めいた言葉に、ユウヤたちも笑った。
「あんな小さい子が~? まっさかぁ」
「あはは、さすがにないかぁ」
「さすがにそれはないだろ」
肩をすくめたユウトはそこで顔を上げて、正面に座るフィオレナがなにか考えていることに気がつく。
「なにか気になる事でもあるのか?」
「――え? あ、そうですね……」
「なになに? どうしたのっ?」
フィオレナはうーんと顎に手を添えている。
「その、まおー軍幹部のルティスさんが、なぜこの街にいるのか考えていたんです。もしかしたら、例の事件に関係があるのかもしれない、と……」
「事件?」
テリシアとユウヤが首を傾げる隣で、ユウトは頷いた。
「ああ、そうか……殺人事件だろう。ギルドでも噂になってる」
「えっ、さ、サツジン……? おれは初耳だよ」
とユウヤは不安げだ。
「そうです。どうやら魔法による殺人で、この数週間の間に、三人殺されているようなんです。その三人目が、今朝、発見されたらしくって……」
そんな話に、テリシアの耳はちょっと緊張したように揺れる。
「そ、そうだったんだ……じゃあ、この街に危ない殺人犯がいるかもしれないってこと?」
「そういうことになりますね……。だから、できるだけ皆さんも気を付けてください」
そんな忠告に一同が頷いたところで、ユウヤはふとなにかが聞こえたかのように、背後を振り向いた。
「どうした?」
とユウトが伺う隣で、ユウヤは耳を澄ましていた。夜の食堂は人が多く、ガヤガヤと騒がしい。喧騒の隙間、店の外の方から、聞き慣れぬ音が聞こえてくるのだ。
「なんだか不思議な足音が聞こえる……」
その視線の先で、ユウヤはギルドの入口をくぐって入ってきた二人組の姿を捉えた。
どちらもひと目見て魔族とわかるような、頭に角を生やした二人組だ。片方は黒いコートを羽織っている背の高い女で、長い金色の髪が店内の光にきらめいている。もう片方はオレンジ色の髪の青年で、利発そうな瞳の片方の内側に、星のような光が煌めいている。
「……なんだか見慣れない姿だな」
「あれって……」
背後を振り向くユウヤたちの様子に気づいたフィオレナが、二人組の方へ目を向けて呟いた。
「ルティスさん……?」
「――え、あ、あれが⁉」
テリシアはガタッと音を立てて立ち上がった。
――まおー軍。それは百年前の大陸戦争の時に成立した組織と言われていた。《王のいない軍》……と揶揄されることもある。その始まりは、たった五人とも六人とも言われ、そのチームを束ねていたのは一人の少年である……、という噂もあった。
百年の歴史を経るにつれて真相を知る人が少なくなったのもあり、まおー軍に関しては、様々な噂が入り混じってささやかれているのが現状だった。
「ルティス=フェゴラ……王の剣、断罪のルティス、か……」
シズクがそう呟いた時、ルティスともう一人の魔族は受付での会話を終えて、食堂の方へ入って来るところだった。
ユウヤたち以外の客もその存在に気がつき始め、あちこちでひそめた声が響きはじめる。どことなく、店内の空気が緊張感に満ちつつあった。
そしてその二人組は、まっすぐユウヤたちのテーブルの方へと向かってくる。
「……ねぇ、なんか……おれたちの方、見てない……?」
「こ、こっちにくるよ……っ⁉」
と不安そうに身を寄せ合うユウヤとテリシアの視線の先で、ルティスより一歩前を進んで歩いてきたオレンジ髪の魔族は、テーブルの手前で立ち止まる。それから、ニコリと微笑んだ。
「やぁ、こんばんは。食事中、ゴメンね。キミたちが異世界人の一行、かな?」
明るく響いたそんな第一声に、一同は顔を見合わせた。
「……誰?」
と声音に警戒を滲ませて尋ねたカオルに、彼は丁寧に頭を下げる。
「ボクはポルックス・ルヴィ。まおー軍の者だよ」
それを聞いたフィオレナは、ポルックス・ルヴィ……と小さく名前を繰り返す。
「うん。それで――こちらはルティス様。みんなも知ってるかな?」
「え、えっと……まおー軍の幹部……、ルティス=フェゴラさんですかっ?」
とテリシアの声に、金髪の悪魔は頷いた。
「……幹部って呼び方、あんまり好きじゃないけど。そう。あたしがルティス」
そんなどこか眠たげな声での肯定に、それまであまり興味のなさそうだったシズクも顔を上げた。
魔族の二人組――まおー軍のポルックス・ルヴィと、同じくまおー軍の一員でありながら、その幹部の一人、ルティス=フェゴラ。どちらもユウヤ達が関わることはそうない、大きな力を持つ人物であることは確かだった。
「俺たちに何の用だ?」
ユウトの問いかけには警戒が混じる。ポルックスは軽く両手を広げた。
「突然だけど……実はキミたちに、協力してほしいことがあるんだ」
「え……協力?」
きょとんと繰り返すテリシアに、ポルックスは頷いて話を始める。
「実は、今この街ではとある連続殺人事件が起こっていてね……ボクたちはその調査に呼ばれたんだけど、どうも犯人の手がかりがつかめないんだ」
ちょうど先ほど、その事件について話していたところだ。ユウトとフィオレナは目配せした。――フィオレナの言った通りだった。
「異世界から来たキミたちの不思議な力が、役に立つんじゃないかってルティス様の提案でね」
「……私たちのことを、知ってるの?」
カオルの質問に頷いたのはルティスだった。
「まおー軍が大陸のことで知らない事はほとんどない。きみたちが異世界から来たことも。不思議な力があることも、とっくに知ってる」
それを聞いてユウトは少し考え込んだ。
「なるほど、……そうか、俺たちのことは軍には知られているんだな」
「まぁね。それで、調査のことだけど。別に、無理にとは言わないよ。けど……」
そこで、ルティスが口を開いた。
「……実はこの事件、きみたちも危ないかもしれないんだ」
そんな言葉に、一行は再び、不安げな顔を見合わせることになった。
第二話
――もし協力してくれるようなら、明日の昼、まおー軍の支部局に来てくれないかな。詳しい話はそこでするよ。
と、メモを渡して去ったポルックスたちを見送った、次の日。
ユウヤたちは約束の時間に、まおー軍ツワネール支部に向かっていた。
昨夜のポルックスとルティスの話を聞いて、一行が気にかけていたのは、ルティスが言った『きみたちも危ないかもしれない』という言葉だった。
それはともかく、これまでも何か頼まれることがあれば進んで引き受けてきたユウヤたちだ。今回ばかりは思いがけない相手ではあったものの、ポルックスたちに協力することで早々に話はまとまっていた。
その道中、ユウヤは晴れた日の空に、ペンダントをかざして眺める。
これまではただ彫られているだけだったエンブレムの一部が、今までと変わって金色に色づいていた。
昨晩、去り際にルティスが、このペンダントに指を向けた。するとペンダントは一瞬輝いて――エンブレムの一部、悪魔のような角があしらわれた部分の色が、金に変わったのだった。
『これで、いつでもあたしに連絡できるから。なにかあったら、呼んで』――とのことだ。
「あ、支部はあそこだね」
とカオルの声に、ユウヤはペンダントをしまって顔を上げる。
まおー軍は、本部である塔都のまおー城の他に、各地に支部を持っている。
主に任務に出たまおー軍の者が寝泊まりする場所だが、ペンダントを持っているユウヤたちもその施設を使うことができた。これまでも、ペンダントによってまおー軍の施設が使えたことが、ずいぶんと旅の助けになったのだ。
「まおー軍の支部って、久しぶりに来たねっ!」
扉をくぐって中に入り、テリシアが階段を上りながらきょろきょろ見回した。
「……わっ!」
「危ないですよ、テリシア」
階段から落ちかけたテリシアにフィオレナが手を差し伸べる。
「うーん……でも本当に、おれたちが役に立てるのかな?」
「どうだろうな……」
「事件の調査に役立ちそうな能力と言えば……」
カオルはぐるりと面々を見渡す。
ユウヤたちは、異世界に転移した際に、それぞれ不思議な能力を得ていた。例えばユウトは、その不思議な目で、通常は目に見えない様々なものをみることができる。
「ユウトくんは魔力の痕跡みたいなものが見えるし、それが手掛かりになったりしないかな?」
「そうかもな……どんな魔法で殺されたのか、分かるかもしれない」
「それに……、カオルの力があれば、殺されかけた人を助けてあげられるかもしれないよっ!」
会話を聞きながら、ユウヤは少し不安そうな表情を浮かべる。
「ってことは、その、……人が殺された場所に行かなきゃいけないのかなぁ、ちょっと怖いかも……」
「別に、行きたくなければ行かなくてもいい」
「えー、ユウトが行くならおれも行くよ!」
そんな風に話しながら、メモの通り三階に上がる。
「えーと……六号室。ここかな?」
ユウヤは指定された部屋の扉を開けて覗き込む。
その一室の真ん中では、昨夜ユウヤ達に声をかけてきたまおー軍の魔族……ポルックスが、机に広げた資料を見下ろしているところだった。
顔を上げて、ニコリと微笑む。
「やぁみんな。来てくれたんだね、わざわざありがとう」
「まぁ、おれたちが役に立てるかは分からないけど……」
いやいや、とポルックスは手を振る。
「少しでも手がかりが多い方が助かるからね」
ユウヤは扉を広く開けて、一行は順々に部屋に足を踏み入れる。
「――キミたちは旅をしてるんだっけ。ツワネールはどう?」
その間に、ポルックスはやや砕けた調子で彼らに問いかけた。
「うーん、ちょっと暑いし砂だらけになるけど、すぐそばに砂漠が見えるのは面白いかなー」
と、答えたカオルに、テリシアはうんうん、と頷く。
「食べ物もおいしいしねっ!」
「まぁテリシアは基本、なんでもおいしいって食べるけどね~」
「うん、食べるの好きだし!」
「それなら――」
と、ポルックスはにこりと笑う。
「ツワネール・フランはもう食べたかな?」
テリシアは、こてんと首を傾げる。
「ツワネール、フラン?」
「その様子だと、まだみたいだね。この街の隠れた名物って感じかな?」
「へぇ~! 食べてみたいな!」
「ずいぶんのんきだな……」
呆れた様子のユウトに、「まあでも――」とカオル。
「事件の事ばっかり考えても、気が滅入るでしょ? 事件が解決できたら、皆で食べに行こうよ!」
「そうだよね、ポルックスも一緒に行こうよ!」
とにこにこ笑うテリシアに、ポルックスは「そうだね」と笑顔を返し、気を取り直すように資料に手を伸ばした。
「それじゃあ、……早速だけど。キミたちに事件について共有したいんだけど、いいかな?」
一同は頷いて、ポルックスが示すメモへと各々目を向ける
「昨日も言った通り、いまこの街では連続殺人事件が起こっているんだ」
ポルックスは、三枚の紙を取り上げて並べた。
「これまでに殺されたのは三人……住所も年齢もばらばらで、被害者同士に関係はないらしい。三人目の被害者、ロアンデールが発見されたのが昨日の明け方。これまで街の自警団が調べていたけど、魔力の痕跡も打ち消されているし、犯人の手がかりは一切ないらしくてね。それでぼくたちまおー軍の方に報告が来たんだ」
各街には、独自の自警団や警備隊が組織されていることがほとんどだ。そんな彼らにも手に負えない問題が起きた時は、まおー軍に協力を仰ぐのがいつしか通例になっているらしい。
ポルックスがとんとん、と叩く紙には、三十歳前後と思しき男の似顔絵とその詳細情報が記されている。それは三人目の被害者の資料だった。
「……この人も、殺されちゃったんだね……」
ユウヤは呟いて、紙の端を撫でる。そんな様子を横目に、ユウトはポルックスの方を見やった。
「……連続殺人ってことは、何か事件に共通点があったってことか?」
「その通りだよ、ユウトくん」
ユウトの指摘に、ポルックスは大きく頷いた。
「ちょっと、資料を見てほしいんだけど」
三人の被害者について記された資料を、全員でのぞき込む。そこには発見時の詳しい状況、本人の家族構成や職業など、事件にかかわる事について細かく記されている。
資料を覗き込んだフィオレナは、死因について記述された欄を指した。
「皆さん、死因は攻撃魔法……つまり魔法による殺人であることは共通していますね。どの現場にも焦げ跡が残されており、使われたのは炎か光の魔法と推測される……」
「普通だったら……」
とポルックスは少し真剣な顔になって言った。
「人を殺すほどの強力な魔法が使われれば、魔力の痕跡が強く残る。だから、それを調べればどんな魔法が使われたかはよくわかるし、術者特有の魔力の痕跡から、誰が使った魔法かも分かるんだ。でも、この三つの事件はそうじゃない」
「なるほど……」
その隣で、テリシアが身を乗り出す。
「ねぇ、これ……左腕が損失していた……って、みんなのところに書いてあるよ!」
「うん、そうなんだ」
既にその点が気にかかっていた一同は、資料から顔を上げてポルックスに目を向ける。
「まず全員、魔法によって殺されたこと、殺された時間は夜中だったことは共通しているよ。そして、一番気がかりなのが……その三人とも左腕がなくなっていたこと」
「左腕……? でも、なんで⁉」
ユウヤの声に、ポルックスはさあね……と首を傾ける。
「おそらく腕は、高威力の攻撃魔法で焼き払われてなくなったんだ。ただ……ルティス様が調べてみたところでは、直接の死因は、強力で瞬発的な火か光系の魔法によって、心臓を止められたことなんじゃないかって。おそらく即死で……わざわざその後で左腕を失わせたのには、犯人にとって何か意味があるのかもしれない」
「こ、怖いね……」
テリシアは特に意味もなくカオルの後ろに隠れる。それまで話を聞きながら資料を見比べていたカオルは、あ、と声を上げた。
「見て。家族構成のところ。被害者はみんな二人兄弟なの……偶然かな?」
「しかも、三人とも、兄だ……弟がいる」
ユウトもそう続けた。
「うん。それも共通点と考えて良いと思う。被害者を調べてみたら……三人とも、弟がいた。二人兄弟のうちの、兄だったんだ」
「へぇ……」
ユウトはそこで、昨夜のルティスの言った意味が分かった。今までの事件から、狙われるのは兄弟、しかも、その兄の方……被害者たちの資料に視線を落とすユウヤの方へ、ユウトは思わず目を向ける。
「今日は二十二日だね。一人目が殺されたのは、今月、四ノ月の十日。二人目はその五日後、十五日。そして三人目が二十日だった」
「なんだか、事件は五日おきにおきてるみたいですね……」
フィオレナの指摘に、ポルックスは頷いた。
「だからつまり――四人目の被害者は二十五日に出るかもしれない」
そう言い、印をつけてある暦を示す。二十五日は三日後にあたっていた。
「あと、三日か……あまり、時間がないな」
ユウトが呟き、気を取り直すようにポルックスは顔を上げた。
「とまぁ、犯行の共通点も多いし、ずいぶん計画的で、作為的だろう? これなら、同一人物の連続殺人の可能性が高そうだってボクたちは考えているんだけど、……どうかな?」
ポルックスの問いかけにユウヤ達が各々頷いて同意を示す中、フィオレナはひとり首を傾げる。
「ですが……一体犯人の目的は何なのでしょうか」
「そうだね。それがまったく分からないんだよ」
ポルックスは資料を指して肩をすくめた。
「犯人が見つかるに越した事はないけれど、もしそれができなくても……犯人の目的が分かれば、次に狙われる人を予測できるかもしれない。そうすればきっと、四人目の被害者が出るのを防ぐことができる」
「じゃあそれまでに……四人目の被害者が出ないように、みんなで頑張らないとね!」
とユウヤは顔を上げた。
「うん。できればそうしたいとボクも思ってる。キミたちにはもちろん犯人探しを協力してほしいけど……ほら、見ての通り、事件は兄弟が狙われているからね……キミらも双子の兄弟なんだろう?」
そんな言葉にしばらく考えていたユウヤは、ん? と首を傾げる。それから、
「え、おれ⁉」
と自分を指さした。
「今気づいたのか……?」
「う、うん。でも言われてみればそうだよね……」
この事件が兄弟のうちの兄を狙った者であれば……ユウヤも当然、狙われる可能性がある。ルティスが言ったのはそういう意味だったのだと一同は理解し、一気に室内が不安に満ちた。
ポルックスはそんな空気を破るように明るい声で言う。
「まぁ、その時はボクやルティス様が守るからさ! その意味でも、一緒に行動したほうが安心じゃないかな?」
「確かに……そうだな」
ユウトは思案顔で頷く。
「うん、大丈夫! このカオルお姉さんが、ユウヤくんは危ない目にあわせないからね!」
「わたしもわたしもっ! ユウヤくんのこと守るよ!」
と胸の前で拳を握りしめるテリシアの横で、フィオレナも強く頷いて微笑む。そんな仲間たちの様子に、ユウヤは少し安心したように笑った。
「ありがとう! みんながいてくれたら心強いよ!」
一行のやりとりを微笑んで見守っていたポルックスは改めて口を開く。
「それで……とりあえず今日、キミたちにも事件の調査を手伝ってほしいんだけど、いいかな?」
気を取り直して、ユウヤも頷いた。
「でも、手伝う、って何をすればいいかな……?」
「そうだね。まずは、少しでもいいから、犯人につながるような手がかりを探したい。とりあえず、被害者の家族に話を聞いたり、現場を実際に確認したり、周囲に聞き込みをしたり……キミたちはそれぞれ、自分のやり方で事件の調査を進めてくれればいいよ」
「……分かった、やってみるよ!」
「それで、今日は三人目の被害者と、一人目の被害者の家族に話を聞かせてもらえることになっているんだ。ルティス様は先に行っているから、キミたちも二組に分かれて……」
とポルックスが一同を見渡したところで、今まで黙って話を聞いていたシズクがふと声を発した。
「ねぇこれ、全部見てもいい?」
指をさしているのは、机の上に広げられた様々な資料だ。
「うん、いいよ、たしか君は――、一度見聞きしたことは忘れないんだっけ」
「……まぁね」
そんなやりとりを、ユウトは横目で見ていた。薄々気づいてはいたが、やはり彼は自分たちの存在を知っていただけでなく、名前や能力まで把握している。軍ではどれくらいの情報が把握されているのか、それは自分たちにとって良いことなのか、悪いことなのか……。
「それじゃ、私とシズクはこの資料から他に分かることがないか調べてみようかな?」
カオルの提案に、ポルックスは首肯する。
「そうだね。二人にはそれを頼んでもいいかな? ――じゃあ、残りの四人で二組に分かれて、調査に行ってみることにしようか」
一同は頷きあう。こうして、殺人事件の調査が始まった。
第三話
青く晴れた空の下に、黄色い砂レンガ造りの街並みが広がっている。
ツワネールは大陸の最西端に位置する都市で、それより西側にはいつ果てるとも知れない砂漠が地平線の彼方まで続いているだけだ。
吹く風は乾ききり、照り付ける日差しがじりじりと砂を灼いている。
「三人目の被害者――ロアンデールは酒場の店主だったらしい。一昨日の深夜……店を閉めたあとの店内で殺されていたのを、次の日の明け方に店に来た弟のマックスが見つけたんだ」
ユウヤとユウトは支部局を出て、ポルックスの話を聞きながら南地区を目指していた。
つい二日前に殺されたロアンデールは、弟と二人暮らしだった。その弟――マックスに直接話を聞くために、待ち合わせ場所を目指しているところだった。
「そっか……マックスさんは、大丈夫かなぁ……。一緒に暮らしていたお兄さんが殺されちゃったんだもんね」
「そうだな……」
ユウトはそんなユウヤの暗い顔を覗き込んだ。
「大丈夫か?」
「……うん。でも……こっちの世界に来てからほんとにいろいろあったけど、こういうのは初めてだよね、誰かが誰かに殺されて、その犯人を捜す、なんて」
「そうだな……」
ユウトは少し考えて口を開いた。
「あまり引っ張られるな。とりあえずは自分の身を守ることが最優先だ、いいな?」
「……うん、そうだよね」
苦笑したユウヤがふと、何か気づいたように遠くへ視線を向けた時、先導していたポルックスが立ち止まって振り向いた。
「さて、着いたよ」
そこは、街のはずれに広がる墓地だった。砂が風に舞ってユウヤは目を細める。その視線の先、墓地の一角には人が集まっていた。風に乗って聞こえてきたのは、悲しげな笛の音色だ。それは死者を送るための旋律だった。
三人はしばらく墓地の入り口にたたずんで、その音色を聞いていた。
☆
その頃……フィオレナとテリシアは二人並んで、ツワネールの街を北に向かって歩いているところだった。
「ねぇ、フィオレナ、どうして犯人は、人を殺したのかなぁ」
「……どうしてでしょうね」
テリシアはうーん、と首をひねった。
「うらみがあったとか?」
「そうかもしれませんが……三人の被害者同士の間にはなんのつながりもなかったようですし……」
「やっぱり、無差別、ってやつなのかな?」
「ええ……でも」
フィオレナは地図を片手に考えていた。もしも無差別なのだとしたら……なぜ、それは全員、弟を持つ兄だったのだろう。
もしそれが偶然ではないのだとしたら、きっとその点が手がかりになるはずだった。
それに……なくなっていた左腕。
「何か、手がかりを見つけられるといいのですが……」
「そうだね。だって、どんな理由があっても人を殺すなんて絶対だめだよ! ね、絶対犯人、捕まえようね、フィオレナ!」
「はい、もちろんです。――あ、こっちでしょうか」
メモを片手に十字路を曲がったフィオレナの視線の先には、二階建ての砂レンガの家がある。その正面に立って、金髪の魔族が建物を見上げていた。
「ルティスさんだ……!」
その姿を目に留めたテリシアは、少し高揚した様子でそう呟く。
「ですね……」
「魔族って、やっぱりかっこいいよねぇ」
ひそひそとテリシアが耳打ちする先で、ルティスがちらりと二人を振り向いた。テリシアはピシッと耳まで姿勢を正す。
「あ、こんにちは! わたしはテリシアですっ!」
「フィオレナです」
ルティスは小さくうなずく。二人が傍までやってくると、ルティスは再び家の方を見やって口を開いた。
「この家が、今回の事件で最初に殺された子が暮らしていた家」
「えっと……確か、ルークくん……ですよね」
「そう。半月前、晴れた日の夜だった。被害者の中では最年少の十三歳……双子の弟、キールは無事だった」
「……ひどい、そんな小さい子を殺すなんて……!」
テリシアは家の方へ悲しげな目をやった。
「話を聞かせてもらえることになってる。行こう」
ルティスは数歩進み出ると、塀の先へ歩いて扉をノックした。
小さな返事が聞こえ、しばらくして中から現れたのは、兄弟の母親らしい、ひとりの女性だった。疲れ切ったような表情で、目の下には眠れていないのか、深い隈ができている。
「……あたしはまおー軍のルティス。事件の調査に来た」
「ルティス様ですか……?」
かすれた声で呟いたその女性は、玄関先で突然ルティスに縋りついた。
「お願いします、早く犯人を見つけ出してください……ルークを殺した犯人を!」
泣き崩れるその人の傍らで、テリシアとフィオレナはそっと背中を撫でた。
☆
ずっと響いていた笛の音が、消えた後もユウヤ達の耳に残っている。
「……キミがマックスかな?」
しばらくして、葬儀が終わり徐々に人々が墓地を去る中、一人の男が最後まで、真新しい墓石の前に立っていた。
ポルックスの声に男は振り向き、ユウヤとユウトの姿を認めて少し怪訝な顔をしたあと、ポルックスに視線を戻す。
「あんたがまおー軍の……ポルックスか」
「そうだよ。こっちはユウヤくんとユウトくん。わけあって、調査に協力してもらってるんだ」
「あ、よ、よろしくお願いしますっ!」
「ああ……」
ユウヤがぺこりと頭を下げる横で、ポルックスはじっと、マックスのどこか青ざめた顔を見つめていた。
「……犯人は見つかったのか?」
「今も探している最中なんだ。改めて、お話を聞かせてもらいたくて」
「……そうか」
マックスは言葉少なにその場から踏み出した。
「こっちだよ、ついてきてくれ」
☆
ユウヤ達が案内されたのは、ツワネール南地区の隅にある酒場だった。
「五年前、親父が死んで、兄が店を継いだんだ」
薄暗く、しんと静かな酒場の中。一通り事件について話した後で、マックスはぽつりとつぶやいた。
「……それからは俺も手伝って二人で店を切り盛りしてきた。まぁ……色々大変で一時期はどうなることかと思ったこともあったが、なんとかやってたよ」
ユウトは酒場を見渡した。机や椅子、カウンターなど、どれも年季は入っているが丁寧に磨き抜かれている。
「じゃあ、二人暮らしはそれから?」
ユウヤの問いかけに、マックスは頷いた。
「母親は随分昔に死んだ。親父が死んで、それからだから……五年になるか」
「そっか……」
「あいつは人が良くて、客みんなから好かれてた。少なくとも、他人の恨みを買うような奴じゃあなかった……」
マックスはじっと部屋の中心へ重苦しい目線をやった。
店内の机や椅子は壁際に片づけられていて、開けた店の中央には黒い焦げ跡が残されている。炎か光の魔法、というのがルティスの見立てだったことをユウトは思い出した。
ポルックスはその焦げ跡に歩み寄る。
「やっぱり、魔法の痕跡は打ち消されてる……。何も感じ取れないね。だからこそ、魔力の痕跡には犯人が隠したい何かがあるはずだし、それがつかめれば大きな手掛かりになるはずなんだけど」
ポルックスはユウヤとユウトの方を振り返った。
「二人とも、調べてみてくれる?」
「うん、分かった、やってみる!」
「ああ」
ユウトはメガネを、ユウヤはイヤホンを外す。二人はそうすることで、普通は見たり聞いたりできない光や音を、それぞれ見聞きすることができるのだった。
レンズを通さないユウトの視界は、様々な光が乱反射し、飛び交っている。
その目で見ることにも、以前に比べれば幾分か慣れてきていた。普通の目では視えない、様々な魔力の流れ……。ユウトの目はそれを映し出す。
見る、ということはそもそも、目で光を認識することだ。ユウトの目は、普段は目に見えない可視光以外の光を捉え、普通の人間には見えないものを見ることができるようだった。
焦げ跡の近くに、ユウトは目を凝らす。
その周辺は、まるで黒い影がかかったかのように、暗くなっていることに気がつく。
「これが、魔力の痕跡を打ち消しているのか……」
ユウトは呟き、更に目を凝らした。
その奥に……何かが見える。薄ぼんやりと、光るそれは、魔力の痕跡だろうか。少し、青白いような……。
「……ッ」
突然、視界が点滅して、ユウトは目を瞑った。
「ユウト、大丈夫⁉」
気がつけば、集中しすぎてしまったらしい。酷いめまいのように光がぐるぐると周り、もうそこからは何も判別できない。ユウトは再びメガネをかけた。よろめいた身体を、ユウヤが横から支える。
「悪い、大丈夫だ」
「それなら、良いけど……」
気を取り直して、ユウトは先ほど見えたものについて話す。
「魔力の痕跡を覆い隠すように、影のようなものが漂っていた。あんなものは初めて見たが……あれのせいで、魔力を感知できないんだろう」
「へぇ……」
ポルックスは少し考える目で、焦げ跡を見やった。
「じゃあやっぱり、魔力の痕跡は掴めなかった?」
「いや、もう少しで何か見えそうだった。その奥にあった光……」
ユウトは続ける。
「普通は目に見えない、光としての魔力の痕跡……犯人もそこまで完全に消すことはできなかったんだろう。だから、もう少しで……」
と再びメガネに手をかけたユウトに、ユウヤが少し怒った顔をする。
「あんまり無理したらだめだよユウト! 今日はここまでにしよう?」
「だが……」
ポルックスも頷いた。
「うん。ユウヤくんの言うとおりだよ。まだ時間はあるんだし。また明日、もう一度やってみてもいいんじゃないかな?」
「そうだよ!」
二人の言葉に、ユウトはしぶしぶ頷いた。
「……そうだな、悪い」
「いや、これなら十分な手がかりだよ。やっぱり、魔力の痕跡は意図的に……何らかの方法で消されている、って分かったんだから」
「そうだよ!」
とユウヤはうんうん首を縦に振った。
「……それにおれの方こそ、何にもわからなかったし」
そんなところでくるりとポルックスは、三人の様子を見ていたマックスの方を振り返った。
「というわけで、マックスさん。明日もう一度、ここに来て見せてもらってもいいかな?」
「ああ。明日も酒場の片づけをしてるつもりだから、いつでも来てくれ」
「ありがとう。じゃあ、今日はこれで……」
と言いかけた時、マックスは「そうだ」と椅子から立ち上がった。
「……渡したいものがある」
マックスは少しためらったように身動ぎしてから店の奥に行くと、カウンターの裏から何かを取り出してきた。
「あいつは……仕事一筋で、知り合いもこの店に来る常連ばかりだった。これはよく来る客のメモだよ。うちの客はこんな罪を犯すような人間じゃない。が……少しでも手がかりになるならな」
少し苦々しい表情に、ユウトは苦難を読み取る。店の者として、客を信頼しているからこそ、少しでも疑いの目を向けるのが忍びないのだろう。
「……ありがとう。調べてみるよ」
ポルックスがその紙束を受取ると、マックスはひらりと片手を上げた。
「俺が話せるのはこれくらいだ。兄貴が殺されるような心当たりは本当に全くない……兄貴を見つけた時のことも、さっき話した通りだ」
「お話聞かせてくれて、ありがとうございました……!」
ぺこりと丁寧に頭を下げるユウヤに、マックスは苦笑する。
「いや、いいんだ。事件の調査、頼むよ。引き止めて悪かったな」
そんな言葉を受けて店を出る直前、ふとユウヤは足を止めてもう一度マックスを振り向いた。
「……これからもお店、続けるんですか?」
そんな質問をされると思っていなかったのか、マックスは少し口ごもる。
「……どうするかな。なんか気が抜けたっていうか……もうこの店を続ける理由もなくなっちまった気がするよ」
「そう、ですか……」
ユウヤはちらりと、先に店を出ていったポルックスの方へ目を向ける。
「あのリスト……お客さんたちを大事にしてるのが伝わってきました。だからきっと……」
そんな言葉に、マックスはふっと笑みを浮かべる。
「そうだな。……あんた達も気をつけてな」
☆
徐々に太陽が空を下り、夕刻が近づく頃……ルークの家族に一通り話を聞いたフィオレナ達は、手分けして周辺を調べていた。
テリシアとルティスは、ルークを知る近所の人達に聞き込みに行っている。フィオレナは何か痕跡や手がかりがないかと、塀に囲まれた庭を歩き、家をくるりと回り込む。
ルークが殺されていたのは、この家の二階の子供部屋だ。フィオレナは家の横から窓を見上げた。真夜中に殺され、いつまでも下りてこないのを不思議に思って声をかけに行った母親が、ルークの死に気がついた。当時部屋の窓は開け放たれていたことから、犯人は窓から部屋に入ったのではないかと考えられていた。ルーク自身が開けたのか、閉め忘れたのか……、それは後からでは分からない。
そんなことに思いを巡らせていると、家の前の通りから足音がした。振り向いて見れば、学校用鞄を背負った少年が門の前に立っている。
「……キールくん、ですか?」
フィオレナの声に、少年はぴくっと肩を震わせて、鞄の紐を握る手に力を込めた。
「すみません。私たちは、その……事件の調査に来ているんです。もうすぐ、帰りますから」
できるだけ怖がらせないようにと、フィオレナは微笑みかける。
「……犯人、見つかった?」
零れるような小さな声が落ちる。フィオレナはゆっくり首を横に振った。
「……まだなんです。でも、大丈夫ですよ、必ず、すぐに捕まえます」
フィオレナはキールの方に歩み寄ると、キールは消え入りそうな声で言った。
「……おにいちゃん、優しかった」
「そうだったんですね……」
うつむいた頭をそっとなでると、キールはぐっと拳を握りしめる。
「……ぼく、あの日……不思議な星を見たんだ」
「星、ですか?」
「誰も、信じてくれないけど、でも、ぼくは……」
少し躊躇うように視線をさまよわせるキールの目を、フィオレナは真剣な瞳で見返す。
「私が信じます。聞かせてくれませんか? そのお話」
フィオレナがそう促すと、キールは小さく頷いて口を開いた。
☆
「シズク~、やっぱりここには、塔都とか他の街で起きた事件の資料はない、って……」
支部の一室の扉を開けながら、カオルが部屋の中へ声をかける。
「……シズク?」
シズクは窓際に立って、暮れていく日を眺めているところだった。窓ガラスにそっと触れ、少しずつ闇に呑まれていく街を見下ろしている。
机の上に広げられた資料に、西日を遮るシズクの影が落ちていた。
「……そっか、ありがとう」
聞こえていないかのようだったシズクは、しばらくしてそう返すと振り向いた。
「……この事件、きっとただの殺人事件じゃない」
「え?」
カオルは一瞬きょとんと目を見開いてから、真剣な表情で部屋をよぎり、シズクに並んで窓辺に立った。
「ただの殺人事件じゃない、って……どういうこと?」
「……それは」
シズクは少し言葉を探すように、資料を返り見た。
カオルとシズクはその日一日中、くまなく資料を調べ、事件のことを整理しなおした。三件の殺人事件。その調査の結果、被害者の家族関係、経歴、死因、死亡時の状況……。
また今回の事件の資料だけではなく、この街で起こった過去の事件の資料もどこからか引っ張り出してきたせいで、部屋中は資料だらけだ。
そしてシズクは、ツワネール以外の街で起きた事件についても調べようとしたのだが、この支部にあるのは、この街の事件の資料だけだった。
考え込んで黙ってしまったシズクの言葉を引き取って、カオルは口を開く。
「……でも、調べてみて分かったけど……殺人事件自体は、これまでもこの街でも沢山起きてる。特に西地区のスラム街は治安も悪いみたいだし……。……三人殺された事で、あのルティス……まおー軍のすごい人が、来たりするものなのかな?」
「そうだね。まおー軍の幹部は、この大陸でも最も力を持った四人」
カオルは考える。つまり――今ルティスが訪れているこの街では、現在の大陸で四番目に入るほどの、重大な事件が起こっている?
「……みんな、大丈夫かな」
カオルは窓の外に不安げな目を向けた。
「きっと大丈夫だよ。みんなだって強いし、ルティスもいる」
シズクはそれから再び机に戻ると、これまでずっとそうしていたように顎に手を当てて考え込み始めた。
振り向いたカオルはその様子をそっと眺める。シズクは既にこの事件について、何かを掴みかけているようだった。だが、何かしら納得がいかないか、確証の持てない部分があるのだろう、とカオルはこれまでずっと隣で見てきたシズクの姿から、そう考える。
シズクはこういう時、決して適当な発言はしないのだ。曖昧さを徹底的に排除し、どこまでも明晰に手中に収めて、初めてそれを言葉にする。
「――ねえシズク、他にも役に立ちそうな資料がないか、ちょっと探してくるよ!」
カオルはそう声をかけて、再び部屋を飛び出していった。
☆
砂漠の黄昏時に、涼しげな風が闇を運んでくる。
「ロアンデールさんに、殺される理由なんてあるわけねぇよ、あんないい人で、みんなから好かれてた……」
ユウヤたちがリストをもとに訪ね歩いた最後の家の玄関先で、ひげ面の男はやるせないといった様子で頭をかいた。
「こういう事件は魔族が犯人に違いねぇ」
吐き捨てるような男の語調に、少しユウヤは苦笑する。
「そ、そうでしょうか……?」
「魔族ってのはな、意味もなく人を殺す悪魔連中だ! 戦争から百年経ったからって、魔族の本性が変わるわけねぇに決まってんだ。これだから、魔族は追い出しゃいいのによ!」
勢いに気圧された様子でユウヤは後退り、ちらりとユウトのほうを見やる。
「でも……だからって魔族が犯人って決めつけるのは……」
「いや、ちゃんと証拠もある!」
と、男はユウヤの言葉を遮って息巻いた。
「そもそもあの夜なぁ、俺ぁ見たんだよ! ロアンデールの店を出たあと、すれ違ったんだ。ここらじゃ見かけない魔族の男だよ。よく憶えてる」
「え……本当ですか?」
「詳しく教えて下さい」
と二人の言葉に、男は大きく頷いた。
「深夜だったし、暗くてよく見えなかったがな……黒い角の魔族だった。それは間違いねえ、――」
そこで男は険しい顔で口をつぐんだ。視線は二人の背後に向いている。
言葉が止まったのを不思議に思ったユウヤたちが視線を追って振り向くと、別の場所で聞き込みをしていたポルックスが、二人の方に向かってくるところだった。
「……まさにちょうど、あいつにそっくりな魔族だったよ。……おまえたち、まおー軍の関係者か」
先ほどとは打って変わって、冷たい調子に変わり、男はドアに手をかけた。
「軍に協力するつもりはねぇ。あいつらもいつかこの大陸を侵略するつもりに違いねぇからな! ……お前さんたちも軍と魔族には気をつけろ、いいか、魔族に……あいつらには人の心なんてないんだからな」
そう言ってピシャリと扉を閉められ、二人は玄関先に取り残される。ユウヤは少し気まずそうに頬をかいた。
「……やっぱり、こういう人もいるんだね」
「ああ……」
ユウトは苦い顔で考え込んだ。
人族にだって罪を犯す者がいれば、そうでもない者もいる。魔族もそれと全く同じだ。悪い者ばかりではないし、百年前に魔族がこの大陸を侵略した事は事実だとしても、それを行ったのも実際は、魔族の中の一部の勢力にすぎない。
だが現在でも魔族に対して反感を持つ人族の者は少なくない。この街にも魔族は住んでいるが、それぞれの居住地域は明確に分かたれてしまっていた。
「……もしかして、邪魔しちゃったかな?」
と、歩いてきたポルックスに、ユウヤは「ううん」と首を振る。
「ただ、今の人……ロアンデールさんが殺された日の夜に、魔族を見かけたって言ってたんだ。その……ポルックスみたいな」
「あぁ、なるほどね」
ポルックスは少し思案する。
「確かにこの事件の殺人は、相当な魔法の使い手じゃないとできないだろうし……魔族の可能性が高いのは、必然的だと思う」
「そ、そうだよね」
うーん、とポルックスは首を傾げて考えながら話した。
「その魔族を探してみてもいいけど……酒場からの帰りってことは酒に酔っていただろうし、かなり暗い夜道だったはず」
「確かに、そう考えるとあまり信用度の高い情報じゃないな」
「それに」
とポルックスは少し含みのある笑みを浮かべた。
「どうやら彼は見る目がないみたいだし」
意味深な物言いに、ユウヤは首を傾げた。
「えっと、どういうこと?」
「ボクは実は、魔族じゃないからね」
「え⁉」
驚いたユウヤの隣で、改めてポルックスの姿を見たユウトは、もしかして……とポルックスに尋ねる。
「混血、なのか? 人族と魔族の……」
ご明察、とポルックスは頷いた。
「その通りだよ。とはいえ、彼みたいな人からしたら、普通の魔族より混血のほうが嫌いかもしれないけどね」
ユウトの頭に浮かぶのはフィオレナの姿だった。彼女も人族と魔族の混血であり、それが原因で色々と危険な目に遭うこともある、と話していたのを思い出したのだった。
「やっぱりそういうものか」
「まぁ、人族が嫌いな魔族、魔族が嫌いな人族……混血はどちらからも憎まれてしまうから」
「そっか……。でもさ、そんなの関係ないのにね! 魔族だって人族だって、いい人も悪い人もいるんだから」
ユウヤの言葉に、ポルックスも「そうだね」と苦笑し、一瞬その瞳を翳らせた。
「そう……本当にそうだよ」
そこでポルックスは「そういえば」と話題を変える。
「例の店にも行ってきたけど、マックスは朝まで店に居たって確認が取れたよ」
「ああ、そうだったんだ」
ポルックスの報告に、ユウヤは少し安堵の表情を浮かべた。
マックスはその日の夜、休みを貰っていて家近くの酒場で友人と飲んでいたらしい。その友人たちにも、確認がとれた。マックスはロアンデールの発見者だが、彼が犯人であるという可能性は低いということになる。
「ユウヤくんたちの方は、他に手がかりはあった?」
「うーん、いや、他に気になる話はなかった、かなぁ……」
ユウヤとユウトは、マックスから貰ったリストに記されている人を片っ端から訪ねていった。だが誰に聞いても、みんな口をそろえて言うだけだった。『あの人が殺される理由なんてない』――と。
「あと分かったのは……あの酒場は兄弟二人がやってることでこの辺りじゃ有名で……マックスさん達を知ってる人は結構多い、ってことくらいかなぁ」
「そうだな、ずいぶん好かれているようだった」
ユウトも頷きながら、誰もが彼の死を深く悲しんで怒りを抱いていたことを思いだす。中には、先ほど墓地で見かけた人たちの顔もいくつかあった。
「だからやっぱり……手がかりって呼べそうなのは、さっきの話だけかな。変わった魔族を見かけた、って話」
「そうだね。……」
ポルックスは何かを頭の中で考えるような目になって、ユウヤはうーんと首を傾げた。
「その魔族を他に見た人がいないか聞いて回ってみる?」
「いいかもしれないね。けど……」
そこでポルックスは一旦言葉を区切る。
「今日はもう遅いし、これくらいにしておこうか」
気づいてみればもう日が落ちて、周囲は暗くなりつつあるところだった。宿屋や支部がある町の中心の方向へ体を向けたポルックスに、ユウヤとユウトも頷いた。
「そうだね。たくさん歩いてへとへとだよ……」
「だね、それじゃあ戻ろうか」
そうしてしばらくの間、三人は月の出ない夕闇の中を歩いた。
ユウトは今日一日の事を振り返る。これまで五日おきに起こっている、兄殺しの連続事件。ずっと頭の隅をじりじりと焼いている不安……次に狙われるのは、ユウヤかもしれない。その時、自分は守れるのだろうか? ……今の自分に。犯人は魔族かもしれない。そうでなくても、人の命を奪う強力な魔法を使う者なのは間違いない。
ユウヤに危険が及ぶ前に……どうにかしてこの三日の間に事件を解決させなければならない。
ユウトがそんな風に考えながら拳を握りしめていると、ふとポルックスが二人の方を振り向いた。
「ところで二人とも随分、仲がいいんだね」
ユウトとユウヤは一瞬顔を見合わせ、それから少し照れたように目を逸らす。
「そ、そうかなぁ?」
「別に……普通だろ」
そんな二人にポルックスはにこりと笑いかける。
「いや、なんだか懐かしくてね。……ボクも、双子の兄がいるからさ」
「え……そうなんだ!」
ユウヤは少し興味を持った様子でポルックスに問いかける。
「お兄さんとは、一緒に暮らしてるの?」
いや、とポルックスは首を横に振った。
「今は……一緒にはいないんだよね」
「そっか……?」
少し声の調子が暗くなったのに気がついて、ユウヤは様子をうかがう。それ以上特に話を続ける様子がないのを見て取ると「なら……」と口を開いた。ポルックスはユウヤの方へ顔を上げる。
「この事件、もし狙われるのが《兄》なら……絶対解決しなきゃね!」
「……」
一瞬、息を詰まらせるようなそぶりを見せてから、ポルックスは「そうだね」と頷き、ふとユウトの方を見た。視線が交わるが、ユウトはその目線から意図を読み取れないまま、ポルックスは道の先へと目を戻してしまう。
「宿はあそこかな。じゃあ、ボクはあっちだから」
「あ……分かった! ポルックス、明日もよろしくね!」
「うん、また明日。ユウトくんもね」
「ああ……」
ポルックスはひらりと手を振ると道を曲がって行った。その姿を見送り、ユウヤたちも宿の方へ歩き出す。
十歩ほど進んだところで、ユウヤはぽつりと零した。
「……なんだか、ポルックス、少し悲しそうだった」
「悲しそう?」
そんな印象を抱いてはいなかったユウトは、少し意外な気持ちで訊き返した。
「うん、お兄さんの話をしてた時のポルックス……なんていうか……」
ユウヤは少し言いよどんだ。
「ううん、なんでもない! 気のせいかもしれないし!」
「いや、思ったことがあるなら――」
と言いかけたちょうどその時、道の先の方で「あ!」と大きな声が響いた。
「ユウヤくんとユウトくんだ~!」
「……テリシア?」
見れば道の先から、テリシアとフィオレナが歩いてくるところだ。ユウヤも顔をほころばせると、少し駆け足になってユウトを振り向いた。
「早く行こう、ユウト!」
「ああ……」
駆け出していくユウヤを目で追いながら、ユウトは深く息を吸って胸の騒ぎを沈めようとする。だがその胸中では、どんどんと不吉な予感が募っていくのだった。
☆
「みんな、今日は調査お疲れ様っ!」
テリシアの声が、にぎやかな食堂の喧騒にまぎれる。煌々と照明の光の満ちる店内で、ユウヤ達六人はテーブルを囲んで互いの顔を見合わせていた。
「とりあえず、みんなが無事でよかったよ!」
とカオル。その横でシズクはぼんやりと宙を見上げて考えに耽っている。
「それでみんな、手がかりはあった?」
「うーん、おれたちは……」
ユウヤとユウトは顔を見合わせて話し始める。
「一昨日に殺されたロアンデールさんの、弟に会ったんだ。二人で酒場を切り盛りしていたみたいで、お客さんのリストを貰ったんだけど……」
「……あの人が殺される理由なんて一つも思い当たらないって、みんな口をそろえて言ってたな。結局手がかりっていえそうなのは、一人だけ、あの日に魔族を見た、って言ってる人がいたくらいだった」
「魔族?」
二人の話を聞いて、テリシアは首を傾げる。
「うん。ポルックスも、あれだけの攻撃魔法が扱えるなら犯人は魔族の可能性が高いって言ってたし、明日は他にも見た人がいないか聞いてみるつもりなんだ」
「確か、この街だと魔族が住んでるのは……西地区の方なんですよね?」
フィオレナの問いかけに、カオルも頷く。
「そうだよね。となると、犯人は西地区に住んでいる魔族の可能性が高いのかな……」
「いや、犯人が街の者とは限らないからな。最近街に滞在している魔族がいないだろうか?」
ユウトの疑問に、それなら、とテリシアが声を上げた。
「明日私たちは宿屋街を聞き込みしてみるのはどうかな? フィオレナ」
「そうですね、いいかもしれません。」
そんな二人の方へ、今度はユウヤが問いかける。
「テリシアとフィオレナは、何かわかったことはある?」
「そうですねぇ……」
とフィオレナは今日のことを思い返すようにしながら応じる。
「私たちはルティスさんと一緒にルークさんの家に話を聞きに行ったのですが……」
「ルークくんはお母さんと弟のキールくんと三人で暮らしてて……二人はすっごく仲良しな兄弟だったんだって。近所の人も、二人が一緒に学校に通うのを毎日見てたって言ってたよ」
「そうですね。ルークくんは魔法で殺されたようですが……不思議なほど、魔法の痕跡が感じられませんでした」
話を聞いていたユウヤが、そこで口を挟んだ。
「ねぇフィオレナ……ポルックスも言ってたんだけどさ……魔力の痕跡、ってどういうものなの? 実はおれさ、いまいち分かってないんだよね」
少し恥ずかしそうに頬をかくユウヤに、フィオレナはふっと微笑みかけて、フォークを置いた。
「魔法は、体内や大気、地面や水中……世界に満ちる、魔力を操ることで世界に意思を反映させる術です。そして魔法を使った後には、しばらく特有の魔力の残滓が残ります。強力な魔法ほど、はっきりと、長い時間、残滓が留まり続けるんです」
「それは、目に見えるんだっけ?」
カオルの質問に、テリシアがひょいっと身を乗り出した。
「えっとね、ふつうは目には見えないけど、魔力の扱いが得意な人はそれを感じ取ることができて……とっても強い魔法の残滓は、光のような粒子になって目に見えることがあるよ! ……えっと、あってる?」
「ええ、その通りです。例えば、大陸の東にある《零の海》……あの場所は強力な魔法によって大地が穿たれてできた海です。あそこでは今でも、魔力の残滓が漂うのが見えますよ」
「へぇ……見てみたいなぁ!」
と顔を輝かせたユウヤの横で、つまり……とユウトは考えを整理しながら話す。
「人を殺すほどの強力な魔法なら……その残滓は、目に見えるほどではないとしても、しばらくは残り続けるはず。それを一切感じ取れないのは、フィオレナからしても不自然、ということか?」
「ええ、そうですね。ルークくんが殺されたのはもう半月も前ですが、つい一昨日殺されたロアンデールさんについても、ルティスさんたちが魔力の残滓をつかめなかった……これはとても不自然だと思いますよ」
「なるほど……ありがとう! よくわかったよ」
ユウヤの感謝にフィオレナは微笑みを返す。
「気になる事があればいつでも聞いてくださいね。……逆に言えば、この『魔力の痕跡がないこと』が、手がかりになるかもしれません」
「そんなことができるなら、相当すごい魔法使いってことだもんね」
テリシアは少し悔しげだった。
「すごい魔法を、人を殺すためにつかうなんて、許せないよ……」
「……ええ、そうですね。私たちの方は、これくらいでしょうか」
と思いを巡らせるフィオレナに、テリシアが「あ!」と声を上げる。
「そうだ! フィオレナはキールくんから気になる話を聞いたんだよねっ?」
「キールくんは……ルークくんの弟さんか」
カオルの確認にフィオレナは頷く。
「そうです……そのキールくんが、あの日……窓の外に不思議な星を見たと言っていました」
「不思議な星?」
フィオレナは続ける。ルークが殺された日は、よく晴れた夜だった。
弟のキールはふと、物音を聞いた気がして夜中に目を覚ましたらしい。その時、ベッドから見上げた窓外の空に……きらりと一瞬、強く輝いた星を見たという。
「……流れ星か、何かだったのかな?」
と話を聞き終えたユウヤは首を傾げる。
「そうかもしれませんね……事件と関係があるのかどうかは分かりませんが……」
うーん、と一同は考え込む。仕切り直すように、ユウヤは今度はカオルとシズクの方に身体を向けた。
「カオルさんたちはどうだった? なにか分かった?」
カオルは腕を組んで背中を背もたれに寄りかかった。
「んー……一通り、事件の情報とか、過去の事件を見てみたけど……特に犯人に繋がりそうな情報は見つからなかったんだよね」
「そっかぁ………」
カオルの隣でシズクは何かを考えているらしく、ほとんど上の空だった。そんな様子をちらりと見ながら、カオルは続ける。
「それで、少し思ったことなんだけど。……この事件はただの殺人事件じゃないと思うんだ」
そんな言葉に、ユウヤとユウトは息を呑み、フィオレナは何かを考えるような瞳を机に落とした。
「確かに……私もそんな気がしていました。もちろん、三人も殺されているのですから、ただ事ではありません。ですが……やはり、あのルティスがここに来た以上、この事件にはそれだけの重要性……あるいは、放っておくわけにはいかない危険性がある、ということなのではないでしょうか」
「うん、私が思ったのも、だいたいそういう感じなんだよね」
フィオレナ達の話を踏まえて、ユウトは考える。フィオレナはこの世界で長い旅をしてきて、様々な物事に詳しい。その肌感覚はかなり信頼できるものだった。
事件の意図、犯人の目的が分からない以上、実際は事件は終わっている可能性もあるはずだった。
だが……。
ユウトはちらりとユウヤの方を見やる。あるいは……四件目の事件は起こるかもしれない。いや、きっと起こる。――基本的に、物事は悪い方へ転がり落ちるものだ。
「……ってことはさ、犯人を見つけられなければ、もっと酷いことが起こるかもしれない……よね?」
テリシアが落ち着かない様子で尻尾を揺らす。
「まだ、分からないけど……もしかしたらそうかもしれない。……だからみんな、気をつけてね、事件の解決も大事だけど……みんなが無事でいることが、一番大事なんだから!」
カオルの言葉に、みんなで顔を見合わせると、互いに頷きあった。
ユウヤは不安げに、傍の窓から外の街路を見やる。
普段ならにぎわう夕食時だが、どこかいつもより静かで、張り詰めた空気が流れていた。
☆
明かりのない暗い部屋の中心、テーブルに向かって座っている人影がある。
ポルックスはまるで誰かを待つように……身動きもせずじっと組んだ手に視線を落としている。
机の向こう側にはもう一つ椅子があるが、そこは空っぽで、誰も座っていない。
第四話
ユウヤたちが事件の調査を始めて、二日目――。
前日に資料の調査を一通り終えたカオルとシズクは、今日は街へ出て、魔族に関する情報を集めることにしていた。
「ツワネールの住民は大半が人族か獣族だけど、西地区には魔族も住んでいる……って話だったよね?」
「そうだね」
宿屋や支部がある町の中心部から西……砂漠側に向かって二人は歩いていた。ふと道端で、カオルは辺りを見回す。
「そういえばこの辺りが、二件目の被害者が住んでいた場所だっけ。確か、獣族のヤモさん……」
「うん」
シズクは頷く。獣族のヤモ……彼は自警団員だった。連続殺人事件の発端となった事件……ルークが殺された事件を調べて夜の街を歩いていた時、たまたま一人になったタイミングに、何者かの手で殺されたのだ。
「……その弟さんも、お兄さんと同じで自警団なんだよね?」
「そうだね。……それが忙しくて、こっちの調査には協力できないって」
「なんだか最近、事件や事故が多いみたいだしね」
カオルの言葉に、シズクも黙ってうなずく。
街の西側に行くにつれて建物は徐々に小さく、街並みもせせこましくなってくる。すれ違う人々の中に、徐々に魔族が混じり始めた。どことなくよそよそしい視線が、カオルたちをちらりと見ていく。
「この辺り……治安もあまりよくないみたいだし、はぐれないようにね」
「う、うん。ていうかシズクこそ、勝手にどっかいかないでよね?」
「行かないよ……」
と答えるシズクに、カオルは心持ち身を寄せた。
そうしてだんだん狭くなっていく通りを何度か曲がって行くと、やや開けた通りに出た。街の中心部の大通りに比べれば小さなものだが、両脇には店が並び、何かを焼くような匂いが漂ってくる。
「ここが西地区の中心だね! よし、この辺りで聞き込みをしよっか」
と意気込むカオルの隣で、シズクは視線を上げていた。
青く晴れた空を、一羽の鴉がぐるぐると空を飛んでいる。そして、その下……周囲より少しだけ高い、三階建ての建物の屋根に、金色の髪をなびかせて立っている姿があった。
「……ルティス?」
そんなシズクの呟きが聞こえたはずもない距離だったが、振り向いた目線が交わった。
☆
その日もユウヤとユウトはポルックスと合流して、再びマックスの酒場へ向かっていた。その道中、事件の夜に魔族を見かけた人がいないかを尋ねて歩いて来たので、酒場の近くへ来る頃には太陽が空高く昇っていた。
「一昨日の夜……だったかは忘れちまったが、そういえば、ちょっと気になる奴とすれ違ったっけな。黒づくめで、フードを被っていた。頭を隠すってことは、角か何かがある魔族かもしれないと思ったよ」
「ふむふむ……」
と、ユウヤは若い男の話を聞きながらメモを取る。
「まぁ、この辺りは特に、魔族嫌いが多いからな。そういうのも珍しくはないんで、特に気にはしなかったが……」
「身長がどのくらいだったかは分かるか?」
ユウトの質問に、男は首をひねった。
「ああどうだったかな……高い方だったんじゃないか、確か。お前さんたちより一回り大きいくらいか、……いや、どうだったかな……」
しばらく悩んだのちに、男は諦めたように息を吐いた。
「案外憶えてないもんだな……悪いな」
「いや、ありがとう。少なくとも、気になるほど低すぎたり高すぎたりすることはない、ってことだろうからね」
とポルックスの言葉に続いて、ユウヤも「そうですよ! ありがとうございます!」とお辞儀する。
「にしても最近、妙に物騒だよなぁ……」
とぼやきながら去っていく男を見送って、三人は一旦道の脇に立ち止まった。
「今の話も、結構気になるよね」
ユウヤはこれまでのメモを見返しながら言う。
事件の日の夜に、この辺りで魔族を見かけた、という証言は、数人から得られた。……というよりも、既に南地区全体で、そのような噂が広がってしまっているようだった。事件の日の夜、この街には見慣れぬ魔族が出入りしていて、連続殺人事件もその魔族の仕業だ……という話が、人々の間にささやかれていた。
「……他の人から聞いた話の内容とは、少し違っているけどね。というか、話のほとんどは、内容がバラバラだ」
ポルックスはユウヤのメモを覗き込みながら腕を組む。
ユウヤたちの聞き込みに魔族を見たと答えた人は五人いたが、内容はほとんど一致していない。角があった、と言う人もいれば、羽が生えていた、と言う人もいた。背の高さや髪型、服装の証言もバラバラで、彼らが見たのが同一人物だったのかどうかは、かなり微妙なところだ。
「この街は魔族嫌いが多いらしい……そんな中でこの事件だからな。偏見からくる勘違いや疑いの心があるのかもしれない」
「そうだよね、ただ……角の生えている魔族を見た、って人は、昨日のおじさんも合わせて二人いたよね。これはどうかな?」
メモを見ながら言うユウヤの横で、ユウトも先ほどまでの証言を思い返す。確かにその「角の魔族」についての二件の証言は、おおむね似通っていた。ポルックスも頷く。
「角を見間違える、ってことはそうそうないだろうしね。少なくとも、あの日の夜ここに来ていた魔族がいたって事は確かなのかもしれない」
「だとしたら、やっぱり、その人が怪しいのかな」
「かもしれない。……みんなの聞き込みの内容も、あとで聞いてみよう。もし他の事件現場の近くでも似たような目撃情報があれば……犯人に近づけそうだ」
ポルックスはそう言うと組んでいた腕をほどいて、「さて」と踏み出した。
「そろそろ、マックスさんの酒場まで行こうか。もうすぐだからね」
「そうだね!」
しばし足を止めていた三人は、再び酒場を目指して歩き出した。
☆
西地区でルティスと合流したカオルとシズクは、街の人々に聞き込みを行っていた。とはいえ、シズクは聞き込みをほとんど二人に任せて、街を歩きながらずっと考え込んでいるのだった。
今回の連続殺人事件だけでなく、ツワネールでこれまでに起こった事件や事故の資料。全てを一通り見て記憶した。……ただ、シズクが今知りたいのは、もっと別のことだった。少しずつ、点と点はつながり始めている。そして浮かび上がってくる、この事件の《影》……最後に必要な『点』が、もっと遠いところにあることに、シズクは気づいていた。
それが今得られない以上、限られた情報から推測するしかない。
「……?」
ふと、目の前に影が差して暗くなり、壁にぶつかりそうになったシズクは足を止めた。そこは袋小路の行き止まりだった。振り返ると、カオルとルティスの姿が見えない。
「あー……まぁ、カオルはルティスと一緒だし、大丈夫か」
と呟いて引き返そうとした時、街のどこかから何かが爆発するような音が響き、地面が揺れた。
「……⁉」
シズクはすぐに走り出した。顔を上げて魔力を感知し、音のした方向を確かめる。
――すぐ横の通りだ。
道を折れて、通りに飛び出す。そこは先ほどまで歩いていた、西地区の中心通りだった。
通りはひどい混雑状態になっていた。あちこちで悲鳴が聞こえ、空に煙が上がっている。建物に火がついていた。
シズクはすぐに騒ぎの中心を探る。何やら、数人が武器を持って暴れ、通りに面した店を破壊しているようだ。
「カオル……」
と呟いて、シズクは火の上がる方へ駆け出した。多くの人が逃げ出す流れに逆らって、器用に人を避けながら、騒動の中心に飛び込んでいく。暴れている人たちの真横をすり抜け、闇雲に振り回される剣を軽く躱す。
その人波を抜けた先に、カオルがいた。
「――シズク⁉」
騒動の真っただ中から飛び出して来たシズクに、カオルはすっかり驚いて目を見開く。隣に立っていたルティスは、じっと騒ぎを見つめていた。
「大丈夫? カオル」
「え? だ、大丈夫だけど……シズクこそ……?」
「なにがあったの?」
シズクの問いかけに気を取り直して、カオルは騒ぎの方を見やる。
「よくわからないけど……突然、あの人たちが暴れ出したんだ」
魔族は出てけ――という怒号が飛び交っているのをシズクは聞き取った。
「どうやら、魔族嫌いが起こした暴動みたいだね」
とルティスの言う通り、暴れているのはみな人族で、口々に魔族をののしっている。二人にも、だんだん状況がつかめてきた。
そしてほとんどの人が逃げていく中、とどまってその様子を冷ややかに見ている魔族がちらほら目につき始めた。
「ねぇ、このままじゃあの人たち……」
「うん」
カオルの懸念通り、このままにしておけば西地区の魔族たちもやり返すだろう。シズクはさっと周囲に視線を巡らせる。さきほど崩れてきた建物の瓦礫が通りにちらばっている。ところどころには倒れている人もいた。ここで戦闘が始まれば、死者が出てしまうかもしれない。
「――……」
シズクが踏み出しかけた時、それよりも前にルティスが動いていた。
無言のまま、ほとんど体は動かさず。だが、無駄のない洗練された魔術が行使されるのを、シズクは隣で感じ取った。その凄まじい魔力が、一瞬に凝縮されている。
ざわめきが広がる。いくつもの武器が、通りで人の手を離れて宙に浮かんでいた。それと同時に、燃え広がりつつあった建物の炎がふっと消える。暴れていた人々は、瞬時に石にでもなったかのようにピタリと動きを止めていた。武器が一斉に地面に落下して、金属音が重なる。
「……どうしたの?」
とルティスは、一番近くにいた男の近くに寄って尋ねた。彼は動かずに……いや、動けないのだ。武器を振りかざした姿勢のまま、ぴたりと静止してルティスを見上げている。
「あ、あんたは……ルティス…………」
その姿に呆気にとられた声で呻きながら、こめかみから汗が滴り落ちていく。周囲にざわめきが広がった。ルティス……まおー軍のルティスだ……と囁き声が通りに満ちる。
周囲が静かになったので、あちこちから人が顔を出した。
「わ――悪いのは……」
と、男が身体を動かせないまま、ヤケになったような声で叫んだ。
「悪いのは魔族だろ! ここは〝人間〟の街だぞ、そこにバケモンがうろうろされるのは、き――気にくわねぇ! 出ていけ……!」
おお、と周囲がざわめいた。
「す、すごい度胸だね。ルティスさん相手に……」
「うん……」
心配そうに状況を見つめるカオルの隣で、シズクは見定めるように、集団を観察した。通りで武器を取り落として硬直しているのは、十人前後だ。
シズクは彼らから、奇妙な雰囲気を感じ取る。妙な行動力、自信……自分を信じて疑わない態度。
「そう。でも、なんで今更?」
ルティスの声に、男は「それは――」と口ごもる。少し離れたところから、別の男が声を上げた。
「今まで黙って我慢してたのが、馬鹿らしいって気づいたからな! オレたちは自由なはずだ……ここは、俺たちの街なんだからな!」
――そうだ、そうだ! と声が上がる。ルティスは「ふぅん……」と頷き、街を見渡した。
「でもここは……彼らの街でもある。貴方たちと同じで、彼らもここで暮らしている。……そうでしょ?」
「違う! ここは俺たちの街だ! あいつらみたいな、侵略者たちの住むところじゃねぇ!」
もう動くことも出来ないのに、彼らは全く考えを変えるつもりがないらしかった。
ルティスは息をついた。
「……うん、まぁ確かに、『自由』だろうね。じゃあ、あとは彼らに任せようか」
ルティスがそう呟いた時、ちょうど通りに無数の足音が駆け込んできた。
「あれは……」
シズクはその服装を確認する。それはどうやらツワネールの自警団だった。
「お前たち、何して――あ、あなたはルティス……⁉」
「この人たちが暴れてた。あとはよろしく」
自警団の者たちはルティスの姿に驚いた様子だったが、そんな言葉を受けて気を取り直すと、素早く通りに駆け込んで、彼らを拘束をし始める。
「けが人がいるぞ――!」
と誰かの声に、カオルは「あっ」と駆け出した。
「私、治せます! けがした人はいますかー!」
シズクもそれについていこうとした時――、ふと通り過ぎたある一人の自警団員に気がつく。
「あ」
「ん?」
シズクの声に振りむいた彼は、見るからにトカゲ族だった。鎧の中から突き出ているのはトカゲのような顔で、堅い鱗に覆われている。爬虫類らしい瞳がじっとシズクを見返した。
「あなたは、モリさん?」
「……? そうだけど……君は……」
シズクの近くに立っていたルティスの姿と見比べて、そのトカゲ族……モリは真剣な目になった。
「君たち、もしかして……?」
モリの伺いに、シズクは頷いた。
☆
「すみませーん、実はこの街に泊っている魔族を探していて……」
テリシアとフィオレナは、街の中心から東側の玄関街にかけて、主に旅人や宿泊客の中に、魔族がいないかどうかを聞いて回っているところだった。
とはいえフィオレナは、歩きながら別の事を考えているのだった。
殺人事件、左腕……。そして、――混血。
フィオレナは、人族と魔族の間に生まれた。魔族は百年前、《扉》が開かれたときに魔界から大陸へ移って来た種族だ。当時、魔界王軍は大陸を侵略して、人族は滅びの危機に陥った――しかし、それに対抗して大陸を魔族の手から守り抜いたのも、魔界からやってきた魔族だった。
それから百年が経った今、人と魔族の関係については、様々な意見を持つ人がいる。もっともな理由がなくとも、異種族というだけで嫌悪する者も少なくはない。特に混血は珍しいのもあって奇異の目を向けられることも多いし、両者のどちらにも属せないような心細さを感じることもある。
フィオレナはポルックスが人族と魔族の混血であることに気づいていた。感じ取ることができる気配は、魔族と人族のどちらとも違う。混ざり合ったものだからだ。
そして……フィオレナはもう一人、彼によく似た混血の魔族の存在を知っていた。そこでフィオレナは考え込む。だが、彼は――。
「はぁ、たくさん歩いて疲れたね、フィオレナ~」
テリシアのそんな声に、フィオレナは我に返って、一度思考を止めた。
「ええ、そうですね。少し休みましょうか? 聞いた話も、整理したいですしね」
ちょうど二人の目の前には、喫茶店のような建物があった。
「うん! そうしよ!」
と店に入っていくテリシアに従って店に入る前……フィオレナはその建物の看板に鴉が止まっているのに気づいた。
「なんだか最近、鴉が多いですね……」
そう呟くと、鴉は飛び立って建物の向こうへ飛んで行った。
☆
その頃ユウヤたちは、再びマックスの酒場を訪れていた。マックスは酒場の奥で何やら片づけを進めているらしく、店内にいるのは三人だけだった。
薄暗い、静かな酒場の中で、ユウトは深呼吸をする。
多少無理してでも、魔力の痕跡を捉えたい。それが分かれば、あとは身に纏う魔力がそれと一致する術者を探せばいい。かなりの精度で特定できるはずだ。
ユウトは目を一度閉じてメガネを外すと、ゆっくり目を開ける。
部屋の中央辺りに向けたユウトの目には、やはり暗い影が見える。その奥へ、奥へと目を凝らす。かすかに漂う、微細な光の粒子が見えた。これが魔力の残滓だ。
――もっと、もっと視るんだ。
目が激しく痛みだす。――もう少し。
それはほんのわずかな光だった。青白い光が、ピリピリと火花のように弾けている。そこに目を凝らすと、割れそうな頭痛がしてきた。
青白い、火花のような光の魔力……いや、火花と言うより、これは電気……?
ユウトはふと思い立って、視線をポルックスの方に向けた。それから、もう一度魔力の残滓に視線を戻し、ポルックスが纏う魔力と見比べる。
花がそれぞれ違う香りを持つように、人がその身に宿す魔力の雰囲気も、種族や個人別に微妙に異なる。優れた魔力探知を行う者はその違いを感覚で捉え、術者を識別することが可能だった。
ユウトの場合は、それを光として目で見ることができる。
――似ている、というよりも、同じだ……とユウトは判断する。
殺人の現場に残された魔力の残滓。それと、ポルックスが身にまとう魔力。ピリピリと弾ける、電光のような魔力。
ユウトは目を閉じた。ズキズキと痛む頭を抑えて、メガネをかける。
「大丈夫……?」
「ああ。少しすれば……」
心配そうなユウヤの声に応えながら、ユウトは今見たことが示そうとすることを慎重に考えた。
ポルックスが身に纏う魔力と、現場に残された魔力の痕跡が一致している。つまり、この事件を起こしたのは……。
しばらくしてユウトは、意を決したように口を開いた。
「……ここで使われた魔法の痕跡が見えた。それは……ポルックス、あんたが纏う魔力と同じだ」
「え……?」
ポルックスはそれを聞いて、俯くと息をついた。
「……やっぱり、そうだったか」
ユウヤはそんな二人の様子を、途方に暮れた顔で見比べる。
「ど、どういうこと? つまり……」
後ずさりかけたユウヤに、ポルックスはパッと顔を上げて手を振った。
「いやいや! もちろん、ボクってわけじゃないよ。……ただ心当たりはある、というか……」
再び真剣な表情に戻って、どこかかすかに痛みを堪えるような声で続ける。
「昨日も少し話したけど、……ボクには双子の兄がいるんだ。ボクと似た魔力を持つのは、あいつ……カストルだけだよ」
その言葉に、ユウヤとユウトは顔を見合わせた。
「じゃあ、この事件って……」
ユウトが思い出したのは昨日の男の言葉だった。『……まさにちょうど、あいつにそっくりな魔族だったよ』。
ポルックスは考え込みながら続ける。
「ボクはなんとなく、直感だけど……、これはカストルが起こした事件なんじゃないかって思っていたんだ。これも……カストルの雷撃魔法のような気がしてね」
部屋の床に残された、焼け焦げたような痕。
「……勘違いなら、よかったんだけど」
苦笑して、ポルックスは酒場の中を見渡した。
「そんな……でも、だとすればどうして、カストルはこんな事件を……?」
ユウヤの問いに、しばし沈黙が下りた。考え込んでいたポルックスは、やがて肩をすくめる。
「さぁね……。わからないよ。……ボクはカストルを見つけ出して聞きたいんだ」
ポルックスは少し、寂しげに微笑んだ。
「だから、協力してくれないかな? カストルを見つけ出して……〝どうして〟って……尋ねるために」
そんな言葉にユウトとユウヤは視線を交わすと、二人揃って強く頷いた。
☆
「ルティスさんときみたちのおかげで助かったよ! お礼を言わせてくれ」
「いえいえ……力になれたなら良かったです!」
暴れていた男たちが連行されて、騒動は一段落した。シズクたちは、けが人の治療や瓦礫を片付けを手伝ったあとで、自警団員の一人、トカゲ族のモリと話し込んでいた。
彼は今回の事件の二件目の被害者……ヤモの弟だ。
「最近、何だかこういう事件が多くてね……」
と心配そうな目を向けてから、モリは三人に向き直った。
「きみたちも、例の事件を調べているんだよね」
「はい、そうなんです」
とカオルは真剣な表情で頷いた。
「その……お兄さんのことは……」
「ああ、……うん。無念だった」
一瞬、暗い目をしたモリは「でも」とすぐに顔を上げる。
「ボクの仕事は、兄のようにこの街を守り続けることだからね、いつまでも落ち込んではいられないよ」
そう言って、笑顔を浮かべてみせるのだった。
「事件の調査は順調かな?」
モリの質問に、カオルは「えーっと……」と困ったような顔をする。
その様子に状況を察したらしいモリも「そっか……まぁ、今回の事件は本当に手がかりが少ないからね……」と言いながら、やはり落胆した様子だった。
「何か、ボクたちにも手伝えることがあればいいんだけど」
うーん、と唸ったカオルは、すぐに「そうだ!」と声を上げた。
「あの、私たち、ツワネールだけじゃなくて、例えば塔都とか……他の地域で起こった事件や事故の資料が見たいんです。そういうのが見れる場所ってないですか?」
カオルの問いかけに、ヤモは「それなら……」と、街の中心部の方向に体を向けた。
「中心地区に、小さい図書館がある。あそこには自警団の資料室があって、他の街で発行された新聞なんかも保管されているんだ」
「ほんとですか⁉」
シズクもその話に顔を上げる。最後の《点》の在処……。モリは三人を導くように踏み出した。トカゲらしいしっぽがくるりと回る。
「ボクももう戻るところだから、ついでに案内するよ。とはいっても、もう夕方だから、着く頃には図書館はもう閉まってるかな。入れるのは明日の朝になるかもしれないけど……」
「分かりました! お願いします! ……調べられそうだよ、シズク!」
「うん、良かった」
カオルとモリが早速歩きだす後ろで、シズクはルティスの方に目をやった。金色の瞳が見つめ返す。シズクは口を開いた。
「……ルティスは、もう分かっている……いや、知っているんでしょ」
ルティスは相変わらず、感情の読み取りにくい、眠たげな目でしばらくシズクを見たあとで、口を開いた。
「嘘に、付き合ってあげて」
「それが、必要?」
頷く瞳を、シズクはじっと見つめる。
「――二人とも、早く早く!」
と振り向いたカオルの方へ視線を戻して、シズクはカオルの方へ歩み出した。
☆
ユウヤとユウトは、並んで夜道を歩いていた。立ち並ぶ魔光灯が照らす大通りは、にぎやかに人々が行き交う。
二人はその後もポルックスと共に街を巡り、聞き込みをしながらカストルの痕跡を探したものの、特に手がかりは得られないまま、日が落ちて、一日は終わってしまった。
「ねぇユウト……ポルックスの双子のお兄さんの、カストルが事件の犯人って話……どう思う?」
「どうって……」
ユウヤの問いかけにユウトは考え込んだ。
「奇妙な話だな。なんのために、わざわざ兄を選んで殺すのか……どういう意図があるんだか、検討もつかない」
「だよねぇ……」
「ユウヤは分かるか?」
ちらりとユウトが伺うと、ユウヤは大げさに驚いた顔をした。
「え⁉ おれ? 分かるわけないじゃん! 人を殺すなんて!」
「そりゃそうだな、悪い」
でも……、とユウヤは首をひねった。
「んー、そうだなー、殺す……まではいかなくても……おれの場合は……」
しばらくうんうん悩んだのちに、ユウヤは続けた。
「……こんなお兄ちゃんでいいのかな? とか思うことはあるかも。あれ? あんまりカンケーない……?」
「いや……そもそも兄か弟っていったって……双子なんだからそんなに、気にすることでもないだろ」
「それはそうかもしれないけど〜。でもユウトはおれの弟だから!」
「……まぁ、そうだな」
はぁ、とユウヤは肩を落とした。
「でもそういうのは別に自分の問題だし。やっぱり、他の兄弟の人たちを殺す理由なんて全然、わかんないよ」
「だな……。いずれにしても迷惑な話だ」
狙われるのが兄なら……この事件が解決するまで、ユウヤが危ない。ユウヤが危険な目に遭わないためにも、早く犯人を、見つけ出さなければならない。
そう考えながら気を引き締めるユウトの横で、ユウヤは道端の石ころを蹴りながら呟く。
「ねぇ、ポルックスとカストルはさ、どんな双子なのかなぁ」
「……気になるか?」
「そういえばさ、あんまり他の双子の人たちに会ったことなくない? ちょっと気になる!」
「まぁ、確かにそうだな」
ユウヤは、あとさ……と続ける。
「もしカストルが本当にこの事件の犯人なら……それが手がかりになるんじゃないかな? 殺されたのが兄なら……多分、それは……ポルックスと関係あるんだよ」
後半は少し、言いにくそうにすぼんだ。
「……だろうな」
ユウトはいつでも剣を抜けるように夜道を警戒しながら、宿への道を歩いた。
☆
「……つまり、事件の犯人はポルックスのお兄さんかもしれない、ってこと?」
賑やかな食堂の喧騒に、カオルの声がまぎれる。ユウヤたち六人は、宿屋で夕食を食べながら、その日に得た情報を共有していた。
「そうらしい。ポルックスと似た魔力ってことなら、それ以外にいないって話だ」
「ポルックスさんが、そう言ったんですか?」
ユウヤ達が話を始めてからどこか神妙な面持ちをしていたフィオレナは、そう尋ねた。
「ああ。なんとなく、そんな気がしていた……とも言っていた」
「そう、ですか……」
「どうかしたの、フィオレナ?」
「いえ……大丈夫です」
とフィオレナは尚、考え込んだ表情で首を振る。向かいに座っていたユウトは少し首を傾げた。
「でもさ、これって……すごい進展なんじゃない⁉」
とテリシアはフォークを握りしめてうずうずと前のめりになった。
「今までは犯人のハの字もわからないーって感じだったのに! ユウトくんのおかげだね!」
「いや……俺は別に」
ユウトは少しきまり悪そうな顔をする。
「結局、カストルの居場所はわからないしな」
「でもさ、ユウトのおかげで手がかりが得られたのは、本当でしょ?」
とユウヤはユウトの顔を覗き込んで笑いかける。ユウトは「まぁ……」と口ごもった。
「それじゃ、ポルックスはカストルがどこにいるか、知らないってこと?」
というカオルの問いに、ユウヤは頷く。
「ポルックスはカストルと塔都で暮らしてたんだけど、カストルは何年か前に家を出て行っちゃったんだって。それ以来連絡もつかないらしくって……ずっと探してたみたいなんだけど」
「それで今回の事件が起こったってわけらしい」
今夜はシズクだけでなく、フィオレナもどことなく真剣な顔で考え込んでいる。
「そうなんだ……でも、そのカストルが今、この街にいるってことなんだよね?」
うん……と、ユウヤは、今日のポルックスの様子を思いだす。カストルを探して、尋ねたい、という言葉がよみがえった。
「だからポルックスは、カストルを見つけ出したいって」
「そっか、じゃあ、明日からはカストル探しだね!」
とテリシアは意気込んだ。
そんな話を聞きながら、ユウトは「だが……」と呟いた。
「もう、二十五日が近い。犯人が見つからなかった時に備えて……事件の対策もしておくべきなんじゃないか?」
それなら――とカオルが答える。
「今日聞いたんだけど、自警団の人たちが兄弟のいる家を調べて、警備の計画を立てているみたいだよ! だから、それは任せておいてもいいんじゃないかな。……っていっても、次に狙われるのも《兄》なのかどうかは、分からないけど」
「うーん、それなんだけど、もしもカストルがこの事件の犯人なら……」
とユウヤは、飲みかけのグラスを置いて話し始めた。
「カストルもポルックスのお兄ちゃんでしょ? きっと《兄》を狙って殺したのには、意味が……というか、ポルックスが関係しているんじゃないかと思うんだ。だからおれたちは、明日、ポルックスにいろいろと話を聞いてみようと思ってて」
「うん、いいかもね。そのカストルって人のこと、ポルックスなら詳しいんだろうし」
とカオルは頷いて続ける。
「私たちは、少し調べたいことがあるから、明日は図書館に行くつもりだよ。テリシアたちはどうする?」
「うーん、どうしよっか、フィオレナ?」
フィオレナは少し考え込んでいた様子だったが、テリシアの声に顔を上げた。
「そうですね……私たちは、カストルさんについて何か知っている人がいないか、またルティスさんと一緒に聞き込みをしてみましょうか」
「そうだね!」
そんな風に明日の予定を話し合いながら、ユウヤたちは夕食を終えた。
第五話
次の日の朝……。
既に、次の事件が起こるかもしれない二十五日は、明日に迫っていた。
カオルとシズクは、街の北側にある図書館に訪れていた。昨日、モリに教えてもらったように、図書館の資料室には別の地域の新聞記事も保管されていた。
シズクは過去の新聞をめくりながら、次々と目を通していく。しばらくして、その目はある一枚のニュース記事で止まった。
その時、近づいてくる足音が耳に届いて、シズクは顔を上げる。
「……シズクさん……」
机のそばにやって来たのは、フィオレナだった。
「どうしても確認したいことがあって」
頷いたシズクの手元に開かれている新聞を見て、フィオレナの瞳は真剣になった。
「……私も、同じ事が気になっていたんです」
「うん。フィオレナなら、憶えているだろうと思ってた」
フィオレナは頷いて、その新聞に視線を落とす。
「二か月前、塔都で起きた事件……はい、よく憶えています」
フィオレナはその新聞記事の文字に目を走らせた。
「左腕という言葉にも、聞き覚えがあったんです。それに……。やっぱり、そうですよね、それなら……」
シズクは頷いた。
「昨日の話を聞いて、私の記憶違いかと思ったんです」
「……ううん。これは、事実だよ。つまり……」
シズクはゆっくりと言った。
「ポルックスは、嘘をついてる」
「嘘……」
それで、とシズクは、思い出すように目線を上げた。
「ルティスに……『嘘に付き合ってあげて』、って言われたんだ」
フィオレナは首を傾げた。
「それは、どういう……?」
「さぁ」
シズクは肩をすくめた。
「――あれ? フィオレナ?」
遠くからそんな小声が聞こえて、二人はそちらの方へ顔を向ける。本棚の向こうから、資料をかかえたカオルが顔を出していた。
「カオルさん。実は私も、調べたいことがあって」
「テリシアとは一緒じゃないの?」
カオルは机の近くまでやってくると、尋ねながら資料を置いた。
「テリシアはルティスさんと一緒に街で聞き込みをしています。私も調べ終わったらすぐに戻るつもりですけれど」
「はい、これ」
シズクは横から新聞を差し出した。
「もう、いいんですか?」
「うん。見たから」
「あ……そうですよね」
ありがとうございます、とフィオレナは受け取った。シズクは一度見たものを忘れることがないので、本や新聞もさっと目を通すだけで、いつでも記憶の中から呼び起こすことができる。
シズクが今しがたカオルの運んできた資料を開き始める横で、フィオレナは真剣な表情で記事に目を通していた。
☆
事件の犯人は、ポルックスの双子の兄である、カストルかもしれない――。そんな手がかりを得たユウヤたちの次の目標は、カストルを探し出す事だった。
ユウヤとユウトは街の中心に伸びる大通りを歩きながら、周囲の様子をうかがっていた。今日もポルックスに会うことになっている。その待ち合わせの時間まで、二人は街を歩いてカストルを探してみることにした。
ユウヤは耳を澄まし、変わった音が聞こえないか探る。ユウトは昨日見たのと同じ魔力の残滓を捉えられないかと、目を凝らしていた。
砂漠の方からは、たえず砂風が吹いてくる。それが音をかき消して、ユウヤはため息を吐いた。
「だめだなぁ……何も手がかりになりそうにないよ。ユウトは?」
「……俺もだ。特に何も見えそうにない」
ユウヤは歩きながら、一枚の紙を取り出した。それはポルックスから渡されたもので、描かれているのは、カストルの似顔絵だ。オレンジ色の髪に、一対の黒い角。ポルックスとよく似た姿をしている。瞳の色だけ異なっていて、鮮やかなエメラルドグリーンだった。
「この人が……三人も殺したのかな……」
「どうだろうな、見つけて、聞いてみないと分からないだろ」
「まぁ、そうだよね」
待ち合わせ場所はもうすぐだった。二人が並んで歩いていたその時……ユウヤはハッと顔を上げ、「――危ない!」と叫んでユウトの背中を押した。
「――ッ⁉」
よろけながら振り向いたユウトの視線の先……身をすくめたユウヤの頭上で、植木鉢が浮かんでいた。
「……あれ?」
とユウヤは恐る恐る見上げた。植木鉢はふわふわとそこに漂っている。
「危なかったね〜、二人とも」
その声に二人が振り向くと、道の反対側にポルックスが立っていた。ふっと彼が指を振ると、植木鉢は空を舞い上がって二階の窓際に収まる。
「あ、ありがとう……」
「ユウヤ、今……」
上から植木鉢が落ちてくる音にいち早く気がついたユウヤが、ユウトの背を押したのだろう。ポルックスが魔法でそれを止めなければ、今頃その植木鉢はユウヤの頭上に落ちていたはずだ。そこまで考えたユウトは、ぐっと拳を握り締める。
「……ご、ごめん、急に押したりして! 大丈夫?」
「いや、そうじゃなくて……」
ユウトは何か言いたげな様子から口をつぐみ、ポルックスの方へ向き直った。
「……おかげで助かった」
「いやいや。まったく。この街は風が強いんだから、植木鉢なんか置くもんじゃないよ」
そう言ってあきれたようにポルックスは植木鉢をさらに窓際の奥へ押しやった。
「さて、今日はカストルを探すのを手伝ってくれるかな?」
「もちろん! ――とは言っても、どうやって探せばいいかな」
「うーん……」
ポルックスは何かいい案がないものかと少し考え込んで、やがて諦めたように肩をすくめた。
「地道に聞き込みする以外、なさそうだね」
☆
ツワネールの街路を、屋根の縁で羽を休める鴉がじっと見下ろしている。
既に街には殺人事件の噂が広がっていて、人々は警戒しているのか、街の人通りは普段より少ない。自警団たちの姿が目立っていた。
「こんな感じの魔族を見かけませんでしたかー?」
テリシアはそんな風に一日中、ツワネールを歩き回って、道行く人々に聞いて回っていた。
「いやぁ、みてないねぇ」
「そうですか……ありがとうございますっ!」
テリシアはぺこりと頭を下げて、宿屋を出た。通りの真ん中にルティスが佇んでいる。
ただぼんやりしているだけなのか、それとも何かを探っているのか……と、テリシアはその姿に少し見入ってしまう。
ルティスは口数の多い方ではなく、いつも眠たげにしている。あまりにのんびりとした雰囲気に、テリシアはその人がまおー軍の幹部であることも忘れそうになるのだった。
「……はっ!」
少しぼーっとしていたことに気づいて、我に返ったテリシアはルティスの方へ歩みよる。
「なかなか、手がかりは見つからないですね〜っ!」
と元気の良い声が響くが、ルティスは微動だにせず、数秒経ってもなんの返事もしない。
「あ、あの〜……」
テリシアはそわそわとルティスの周りを回り始める。
「あ、あの、あのあの〜……」
ぐるぐると三周まわって、途方に暮れそうになった時、ルティスはようやくちらりとテリシアに視線を向けた。
「あのっ‼」
「テリシア……なにしてるの」
「わっ⁉」
目の回ったテリシアが転びかけ、ルティスはその腕を掴んで引っ張り上げた。
「……あたし、ちょっと行ってくる」
「え? ど、どこへですか⁉」
「……またね」
ルティスはそう言うやいなや、ふわりと浮かんで屋根を越え、すぐに見えなくなってしまった。
「な、なにかあったのかなぁ……?」
若干ふらつきながら見送るテリシアの耳が、ぴこっと揺れた。
「あ! フィオレナ!」
フィオレナの足音を聞きつけて、テリシアは道の先へ駆け寄っていく。そこでつまづきかけたテリシアを受け止めて、フィオレナはくすりと笑った。
「大丈夫ですか? テリシア」
「うん! ちょっと目が回ってただけ!」
「目が回ってた……?」
と不思議そうなフィオレナに、テリシアも尋ねる。
「どうだった? 調べたいこと、わかった?」
「はい。でも……あまり手がかりは得られませんでした」
「そうだったんだ、残念……」
それからフィオレナは、きょろきょろと周囲を探した。
「ルティスさんは、いないんですか?」
「それがね、今さっき、どっか飛んでっちゃったんだ」
「どこかへ……?」
「うーん、どこ行っちゃったのかなぁ。……まあ、わたしたちは聞き込みを続けよっか!」
「はい……ええ、そうですね」
☆
テリシアとフィオレナは、並んで歩きながら、道行く人にカストルの似顔絵を見せて回った。
「この人を探してるんですけどっ!」
ほとんどの人は首を横に振るだけだ。描かれているのが似顔絵が魔族だと分かると、怪訝な顔をする人も少なくはない。
そんな風にして、徐々に町の中心から西側へ移動しつつあった頃。
「――すみません、この人知りませんか?」
道端で休んでいた腰の曲がった老女に尋ねると、おお、とその人は声を上げた。
「カストルじゃぁないか。懐かしいねぇ、この子がどうかしたかね?」
「え、知ってるの⁉」
思いがけない反応に、テリシアは身を乗り出す。
「あぁよく知っとるよぉ、双子のポルックスとカストル……人族と魔族の混血でのぉ……、昔、よくうちの店に来とったからなぁ……」
「うちの店って……?」
「ケーキ屋じゃよ。二人ともフランが好きでなぁ、よく買いに来とったよ」
二人は顔を見合わせる。
「詳しく、聞かせてもらえますか?」
皺だらけの顔に笑みを浮かべ、何度も頷いた。
「小さいころから、二人はずっと仲良しでねぇ。けどなぁ……。魔族の血を濃く引いてたもんだから、しょっちゅう虐められて可哀想じゃったよ……でも魔法の才能があって、立派んなってねぇ……」
それを聞いて、つまり……とフィオレナは続ける。
「ポルックスとカストルは、この街で生まれ育ったんですか?」
「あぁ、そうじゃよお……といっても、塔都の魔法学校に行ってからは……、それから最近までずっと帰ってこなかったけどなぁ」
「最近まで……?」
ずい、とテリシアは顔を近づけて質問を重ねる。
「最近、カストルを見かけたんですか?」
老女はにこやかな表情のまま首を縦に振った。
「つい何日か前、偶然会ってねぇ、帰って来たんだって言っとったねぇ。まおー軍はもう辞めたからって……ポルックスも今、街に戻ってきてるんじゃろ、久しぶりに会いたいねぇ……」
「カストルさんが……」
フィオレナが小さく呟く横で、テリシアはぐっと顔を近づけた。
「……あの、わたしたちカストルさんを探しているんです! どこに行けば会えるかな⁉」
「うーんそうじゃねぇ……」
腰をさすりながら、皺を一層深める。
「昔二人が住んでいた家に戻っとるんじゃあないかと思ったが……家の場所は知らんがねぇ……それか、遺跡か……」
「遺跡?」
老女はそうそう、と頷く。
「この街の北西のはずれ、砂漠の方だねぇ。旧い建物の残骸があってねぇ。そういえば子供の頃、二人がよく遊んでた場所だった……。この間は、その近くで会ったもんだからねぇ」
「……そうですか! ありがとう! すっごく助かりました!」
とテリシアは老女の手を取ってぱっと笑顔を見せる。
「会えるといいねぇ、ほら、最近物騒じゃろう……カストルも双子の兄ちゃんだ、何かないといいけどねぇ」
そんな呟きに、二人は顔を見合わせた。
☆
ユウヤ達は、街のはずれに訪れていた。そこは周囲に家もまばらで、広い空き地のようになっている。ポルックスが見上げるのは、建物の残骸だ。
崩れたアーチや、壁の瓦礫が風に吹かれて、静かにたたずんでいる。
「……ここは、遺跡?」
「うん、多分ね。ボクも詳しいことは知らないけど」
聞き込みでは大した情報は得られなかった三人だが、ふとポルックスは街の外れに立ち寄ろうと提案したのだった。
西の方に目を向ければ、砂漠の地平線が見渡せる。空の青と砂の黄のコントラストに、ユウヤは目を細める。その境界は揺らめいていた。
「どうしてここへ?」
「なんとなくだよ。ちょっと休憩。……実はさ、カストルとはよくここに来てたんだ。ま、随分昔の話だけど」
へぇ……、と、ふと思い立ってユウヤはイヤホンを外した。風にまぎれて、歌うようなざわめきが耳に届く。
『――お兄ちゃん!』
「え?」
子供の、無邪気な声。ユウヤは目を瞬かせる。声は重なり、反響し、ほとんどは聞き取れない。笑い声、話し声。
『……今日、学校でね……』
『大丈夫、おれが――』
『見て! 新しく使えるようになった魔法!』
『ねぇ、なんでお兄ちゃんは……』
『――ポルは、すごいな』
ユウヤはその声が止むまで、立ち尽くしていた。
「……ユウト、今……」
「ああ、どうした?」
耳を澄ますユウヤの様子を見守っていたユウトが尋ねる。
「聞こえた……二人の子供の声。多分、この遺跡が……憶えていたんだね」
「……どういうこと?」
振り向いたポルックスの顔が、なぜかひどく傷ついているように見えて、ユウヤはそれ以上話すことをためらった。
その時、足音が近づいてくるのに気がついてユウヤは振り向いた。
「……あれ? ユウヤくんたちだ!」
遠くからそんな声が聞こえる。
「テリシアとフィオレナ?」
道の方から駆け寄ってくるテリシアに、ユウヤたちは顔を見合わせる。
「ユウヤくんたちも聞いたの? この近くでカストルを見かけたって」
「え⁉ そうなの?」
「あれ、違った⁉」
きょとんとした顔のテリシアの横へ、フィオレナも追いついてくる。
「さっき聞き込みしてたら、昔のポルックスを知ってる、っておばあちゃんに会ったんだ」
「昔のボクを?」
不思議そうなポルックスに、フィオレナは頷く。
「昔ケーキ屋さんをやっていたらしくて、そこによく、ポルックスさんとカストルさんが、来ていた、と言っていました」
「ケーキ屋……ああ! 確かに、昔カストルとよく行ってたよ。そうか、あの人が……」
ポルックスは少し懐かしそうに目を細めた。
「その人が、カストルは最近町に帰ってきてて、遺跡の近くで見かけた、って教えてくれたんだ」
そんな話を聞いて、ポルックスは沈黙した。ユウヤは先ほどの声について腑に落ちる。
「ってことは、……やっぱり、ポルックス達はこの街で生まれ育ったの?」
「……うん、実はそうなんだ。まあ、もうずっと昔にカストルと塔都に移って、それ以来こっちは戻ってこなかったけどね」
ポルックスは再び遺跡の方を返り見た。
「……分からないな、カストルが、何を考えているのか」
「ねぇ、ポルックス。良かったら、聞かせてくれない?」
ユウヤは少し勇気を出すように踏み出して、ポルックスにそう話しかける。
「ポルックスと、お兄さんのカストルの事……おれたちが力になれるか、……それは、分からないけど」
ポルックスはユウヤたちの方を振り向いて、どこか感情の読み取りにくい瞳を向けた。
「――そうだね」
★
二人は、魔族と人族の間に生まれた双子だった。
兄のカストルと弟のポルックス。
星の名前にあやかって名付けられた二人は、星座のようにいつも一緒にいた。
そんな二人も成長すると学校に通いはじめ、魔法を習うようになる。
二人はすぐに学校で一番の魔法の使い手になった。魔族の血を引く彼らは、人族の者たちに比べて魔力の扱いに長けていたためだった。
その一方で、二人はその変わった外見や特別な魔法の才能から、他の子どもたちにはなじめず、いじめられることも多かった。
月日は過ぎ去り、二人は街の小さな学校をそろって一番の成績で卒業した。教師たちは彼らの才能を見込んで、塔都の魔法学校にいく事を勧めるのだった。
「ねぇお兄ちゃん、どうする? 魔法学校の話」
アーチの残骸のたもとに座り込んで、ポルックスは尋ねる。
「……ポルはすごいな」
「え?」
それはカストルの口癖だった。そしていつでも、嬉しそうに微笑みながら言うのだ。だがその時ばかりは、ポルックスはその言葉の意味がよくわからなかった。
カストルは続ける。
「ポルはきっと、誰よりも強くなる。沢山の人を助けられる人になれる」
「……そうかな?」
「ああ」
ポルックスはカストルの輝くような瞳を見上げる。
「そうしたら……お兄ちゃんは嬉しい?」
いつでも優しい笑みを浮かべる兄が、好きだった。
「そうだな」
それから、カストルは続ける。
「ポル、行ってみないか、塔都の魔法学校に」
手を伸ばすカストルを見上げて。
ポルックスはいつでも胸に誓う。
――お兄ちゃんがそう望むなら、もっと強くなる。お兄ちゃんが、喜んでくれるなら、沢山の人を助けられるようになるんだ。
「――うん!」
二人はそうして、塔都の魔法学校に通うために、故郷のツワネールを出ることになった。
第六話
砂漠の果てへと太陽が沈み、街には夜が訪れる。
砂をまとう風の吹きすさぶ高台で、ルティスは街を見下ろしていた。
その傍らに、ひらりと赤髪の少年が下りてくる。
「どうかなルティ。順調?」
「んー……まぁね」
ルティスはあくびをして、「……眠い」と呟いた。
「だろうねー。にしても、ずいぶん回りくどいことするよね」
「そうかもね」
ルティスは感情の見えない瞳で街を見下ろす。
「でも、罰には罪が必要」
まおーは苦笑した。
「ま、それはそうかもだけど。な~んか……ルティのそういうとこ、よくわかんないんだよね」
「……あたしはただ、罰を与えるだけ」
ルティスは風に髪をなびかせて、そう言った。
「それに……その呪いを解けばきっと、《影》の尻尾もつかめる」
「《影》、ねぇ」
あまり興味もなさそうに、少年は繰り返した。
☆
ユウトは宿屋の三階、開け放した廊下の窓から外を見ていた。
考えるのはやはり、ポルックスとカストルのことだ。
二十五日は、明日に迫っている。
――カストルがこの事件の犯人だとしても、その足取りも、犯行の理由も、まったくつかめないことが問題だった。
そして、それだけではない、ユウトは何か、心のどこかに引っかかりを覚えている。
「……あ! いたいた」
そんな声に廊下を振り返ると、ユウヤが階段を昇って来たところだった。浴場から戻ってきたところらしく、髪がまだ少し濡れている。
「なんだ?」
「え? あ、べつに用事があるわけじゃないけど。ユウトがいないなーって思って」
先ほども食堂で六人で集まり、情報を共有したところだった。今日の遺跡での出来事や、ポルックスとカストルの話。
「……街を見てたんだ」
ユウトは窓の外へと視線を戻す。
「街?」
「色々、見えるからな」
ユウヤはユウトの隣に寄って、並んで窓の外を眺めた。
「あ、分かるかも。おれも夜の音が好きだな~。たまに風に乗って、どっかの家から子守歌が聞こえきたりして」
「……そんなものまで聞こえるのか」
「そうなんだよね~」
ユウヤは窓枠に腕を乗せる。
「ユウトにはどんなものが見えてるのか、いつも気になってるんだよね。一度でいいから、おれも同じものを見てみたいなぁ」
それを言えば、ユウトも同じように、ユウヤにはどんな音が聞こえているのか気になっているのだった。そんなことを思いながら、ユウトは外へ目をやる。
「……光だ。街は……いや、世界は光に満ちてる。この世界の魔力は……生命力みたいなものだろう、それは光になってこの世界を満たしている。目には見えなくても」
「そっか、きっと、綺麗なんだろうなぁ」
綺麗、と思ったことはあまりなかったことに気づく。けれどユウヤにそんな風に言われると、確かに綺麗だとそう思えてくるのが不思議だった。
「……ねぇユウト。やっぱり心配?」
そう訊かれて、ユウトは「いや……」と呟きかけて少し考え、それから素直に頷いた。
「……そうだな」
「えへへ、なんか、珍しいな。ユウトがそんな素直なの」
「……悪いか?」
「ううん! そうじゃなくて……」
ユウヤはむしろどこか嬉しげだった。
「ユウトはいっつも、おれが不安なとき、大丈夫だって言ってくれるでしょ? ユウトだって、不安なはずなのにさ。――だからさ、おれもユウトが不安なとき、大丈夫だよって言いたい!」
「……そうか」
他の人が見てもそう気づかないほど、微かな笑みを浮かべるユウトの横顔に、ユウトは苦笑する。
「って言っても……おれ、なんにもできないし。それじゃ、ユウトは安心できないよね、ごめん」
「いや……」
ユウトは少し考え、そうでもない、と呟こうとしたが、それより前に声を上げたのはユウヤだった。
「そうだ! 久しぶりに、練習しない?」
「え?」
「ほら、最近、色々あって、あんまりできてなかったでしょ?」
ユウヤが言っているのは、近頃旅をしながら二人が進めている、魔法の練習のことだと気づく。
「ああ……確かにな」
「少し、気晴らしくらいにはなるかなって」
ふっと息をつき、ユウトは頷いた。
「そうだな」
☆
二人は宿の近くの開けた場所に立って、静かに体内の魔力の循環を感じていた。
空には薄く雲がかかり、柔らかな月光が雲を透かして降り注いでいる。
ユウトは、塔都にいた頃、フィオレナに聞いた話を思い出していた。――《融合魔法》。複数人が各々の扱う魔力を融合させれば、ひとつの魔法を行使することができるのだ。これからの旅へ向けて、ユウヤ達は以前からその融合魔法の練習をしていた。
融合魔法の特徴は、二人がひとつの魔法を使うことにある。二人が別々の魔法を使って連携するような技術とは根本的に異なるものであり、繊細な魔法の扱いと術者同士の高度な同調が必要で、難易度も高くその使い手はあまり多くはない。
二人はあと一歩のところまで来ていたが、まだその魔法を完成させたことは一度もなかった。
「それじゃあ、いくよ、ユウト」
「わかった」
意識を集中させた二人の周りに、ぼんやりと光が集まり始める。
それはゆっくりと欠けた円のような形を作り始める――が、それは明らかな形を作るよりも前に不安定に揺れて、夜の闇に溶けだしてしまった。
そして、二人の集中の糸も切れる。
「――はぁ、だめかあ」
ユウヤはため息をついて肩を落とした。
「ごめん、ユウト。おれがうまくできてないんだよね……」
ふっと力を抜いて、ユウトは今の魔法の失敗の原因に思いを巡らせる。
ユウヤは魔法の腕はいいが、たいていが直感だった。融合魔法は互いに協力して魔法を組み上げるため、理屈で理解し、分担しなければならない部分があるのだ。
「いや……もう少しだと思う。また練習しよう」
「うん、そうだね!」
その時――頷いたユウヤの背後で電光がひらめくのが、ユウトの目に映った。
「ん? どうしたのユウト?」
息を呑んだユウトの視線を追ってユウヤも振り返る。ちょうど二人の視線の先で、もう一度、雷のような青白い光がひらめいた。音はせず、空に雨雲があるわけでもない。
「――なに? 今の……」
呆気にとられたユウヤの横で、ユウトははじかれたように駆けだす。
「ユウト⁉」
「おまえはここにいろ。ルティスに連絡してくれ」
「え……待って、おれも行く!」
ユウヤは足を滑らせかけながら、ペンダントを取り出すと、街路へ飛び出していくユウトの後を追った。
☆
「カストルは、本当にこの街にいるんでしょうか?」
宿屋の一室で、フィオレナはマグカップを机に置きながら呟いた。
「……でも、今日カストルを見たって教えてくれた人は、昔から二人のことをよく知っているんだよね?」
カオルの言う通り……ケーキ屋のおばあさんは、彼らのことを幼少期から知っているらしい。ポルックスをカストルと見間違えた、というようなことはないはずだった。
「そうですね……」
「それならやっぱり、カストルはこの街にいる、ってことなのかも……」
フィオレナは考える。ルティスが言っていたという、《嘘》……。
あの人の目的は、一体何なのだろう……とフィオレナは暗い窓の外へ目を向けた。
☆
夜更けに、弓のように欠けた月が昇ってくる。
息を切らした二人が立っているのは、街のはずれの遺跡だった。
「……なんでついてきた?」
「ユウトを一人で行かせられないよ、だって――」
息一つ乱していないユウトの隣で、全速力で駆けてきたユウヤは息を整えながら、言葉を途切れさせる。
そして遺跡の影から現れた人影に、二人は身構えた。
砂風が吹き荒れる。
薄い月明かりに照らされているのは、ポルックスによく似た鮮やかなオレンジの髪に、黒い角――エメラルドグリーンの瞳。星が揺れている。
「――き、きみは、カストル……?」
ユウヤは息苦しさも忘れて、あっけにとられたように呟いた。それに答えるように一瞥をくれる視線に対し、ユウトは剣に手をかけた。
「ああ、そうだ」
風が吹くような、優しい声色だった。
ポケットに手を突っ込んで、服の裾は風に揺れている。ユウトは慎重にその姿を観察するが、殺意は感じられない。
だが、相手は、この数週間で三人を殺した犯人かもしれない……。
戦えるだろうか?
ルティスが来るまでの、ほんの時間稼ぎでいい。ユウヤを守るように、一歩踏み出す。
「おまえたち、事件のことを調べてるんだろ」
「そ、そうだけど……」
カストルは二人の方へ歩み寄ってきた。
ユウトは身構え、剣の柄を握りしめる。
「どうやら、おれが犯人ってことになってるらしいな」
ユウトは慎重に頷いた。
「……そうだ。現場に残されていた、魔力の痕跡を見た」
メガネに触れて、その姿を見る。
纏う魔力は、やはりポルックスと同じだった。つまり、殺人現場に残された痕跡とも……。
しかしユウトはそれでも、腑に落ちない。
一か八か……とユウトは口を開いた。
「だが……おまえは犯人じゃないんだろう」
ユウトの声に、ユウヤは驚いた眼で振り向く。
「……どういうこと?」
ユウトは答えず、カストルから目を離さない。その視線の先で、カストルは少し顎を上げて目を細める。
「他に誰が殺せる? 魔力を偽装でもしたって? それは無理だろうな」
「――お前にはわかってるんじゃないのか?」
カストルはふっと笑った。
「おれじゃないとしたら、当然、……あと一人しかいないだろう」
「え……じゃあ……」
「この事件を起こしたのは、ポルックスだ」
カストルはそう言い、身をひるがえす。
「どっちを信じるかは、――お前たち次第だけどな」
言葉を失った二人の前から、カストルは頽れた柱の奥へと姿を消した。
「あ――ま、待って……!」
と追いかけるが、既にその姿はどこにも見当たらなかった。
☆
「ふぅん、じゃあ、そのカストルはポルックスが犯人だって言ったんだ」
その直後、ほぼ入れ替わるようにしてやってきたルティスに、二人は事情を話していた。
「っていうかユウトは……カストルは犯人じゃないって思ってたの?」
気になっていた様子でユウヤは尋ねるが、ユウトは「いや、……」とかぶりを振った。
「確信があったわけじゃない、ただ……可能性は二つあるはずだ、とは思っていた」
現場に残されていた魔力の痕跡は、ポルックスのそれとよく似ていた。それを自分ではないと否定したのは、ポルックス自身だ。似た魔力を身に宿す、双子のポルックスとカストル……カストルが実在していたとしても、依然として可能性は二つから絞り切れない。ユウトはそう考えていた。
「まあでも、確かに言われてみれば、そうだよね……」
とユウヤは首をひねった。
そんな様子を見ていたルティスも頷く。
「まあそうだろうね」
それから砂漠の地平線へと視線を向けて、ルティスは二人に問いかける。
「キミたちは、どっちが本当の犯人だと思う?」
二人は答えようとして、黙り込む。今はまだ、それに対する答えは持ち合わせていなかった。
ルティスはふっと視線を戻すと、二人を見下ろした。
「さて、カストルには逃げられたし……今日は戻ろうか」
「あ、そ、そうだね……!」
身をひるがえすルティスを、ユウヤたちは追いかける。
彼らの背中を押すように、砂漠の向こうから風が吹いていた。
第七話
再び、夜が明けて――四ノ月の二十五日がやってきた。このまま犯人を捕まえることができなければ、今夜、四件目の事件が起こるかもしれない。
朝の食堂で、カオルの声が響き渡る。
「えー、それで、――カストルに会ったの⁉」
「えと、そうなんです……」
「どうして二人だけでそんな危ないことしたの!」
と、カオルは腰に手を当てて二人に詰め寄っていた。
「ごめんなさい!」
とユウヤは顔の前で両手を合わせる。ユウトは頭をかいていた。テリシアも机に身を乗り出す。
「そうだよ! 二人だけで勝手に行くなんて、危ないよ!」
「えーと……でも、ルティスが来てくれたし」
「それが、もし遅くなったらどうするつもりだったんですか?」
と、フィオレナの語調も珍しく鋭い。
「うう……ごもっともなご指摘……」
「次からは、二人で勝手に行動しちゃだめだからねっ!」
「……分かりました!」
「ああ……悪かった」
とユウトも素直に頷いた。実際、ユウヤがついてきたことで、結果的に危険にさらしてしまったことは後悔していた。カストルと戦うことにならなかったのは、運が良かっただけだ。一夜明けて、少し焦りすぎたと反省していたところだった。
普段、こんな時に頃合いを見計らってなだめるシズクはというと、上の空のままパンにバターを塗っている。
カオルは「はあ……」と肩から力を抜いた。
「……いい? お姉さんと約束だからね!」
「わたしとも約束!」
「私ともですよ」
と、三人に詰め寄られたユウヤとユウトは「はい」とそろって俯いて、苦笑を交わすのだった。
☆
事件の犯人は、ポルックスなのか、カストルなのか?
その意見は、六人の中でも割れることになった。
「やっぱり、おれはカストルが犯人なんじゃないかなって思うかなあ」
「うーん、どうして?」
朝食を終えた後も、六人は机を囲んで話し合いを続ける。カオルに理由を問われて、ユウヤは頭を悩ませた。
「そりゃ、おれはポルックスを信じたいし……。それにさ、もしポルックスが犯人なら、あんな顔、するかなぁ……。最初に、カストルが犯人かもしれない、って言ったときだよ」
「ああ……」
ユウトも思い返す。視線を落とし、痛みを堪えるような声で話していたポルックスの姿が思い浮かんだ。
「ユウトはどう思う?」
「……まだ分からないが……俺はポルックスなんじゃないかと思う」
「それはどうして?」
「いや、特に理由はない。ただの直感だ」
「へぇ……珍しいね、ユウトくんが直感なんて」
「……かもな。正直、気に入らない……が、今のこの状況じゃ、どちらもあり得るだろう」
腕組みをしながら話を聞いていたテリシアが、尻尾を揺らしながらうなる。
「んー、だめだ、全然わかんないよ!」
それから、そうだ! と机に手をついた。
「ポルックスに直接、聞いちゃうのはどうかな? 犯人は、おまえかー! って」
「いや……もし仮にそうだったとしても、それで肯定するとは思えないな。だったらまだ、カストルを犯人と想定して、探ったほうがいいんじゃないか?」
「うーん、そ、それもそうだよね」
ユウトの意見に、そろそろと上げた腰を下ろすテリシア。
「それと……、可能性はもう一つあるんじゃないかな?」
カオルはそんな風に人差し指を立てる。
「もう一つ?」
「そう。二人とも、犯人かもしれない。共犯かもしれないんじゃない?」
「た、確かに……!」
「それもありうるな……」
うーん、と一同はあらゆる可能性を頭に巡らせる。が、やはりその中のどれも、真実と呼ぶには決定打がない。結局のところ、現時点での確実な手がかりは、現場に残された魔力の残滓だけなのだ。
「困ったなあ。なんだかこんがらがってきちゃった」
「……んー……」
「シズクさんは……」
どう思う、と聞こうとしたユウヤの声は、苦笑と共に止まる。
「ダメだ。完全に聞いてない」
シズクは何やら真剣に考え込んでいて、周囲の会話も耳に入っていない様子だった。
「あはは……シズクさんは一回こうなっちゃうと答えが出るまで戻ってこないからね……」
「そうなんだよねぇ」
なんにせよ、とユウトは背もたれに寄りかった。
「どっちにしても時間がないな」
「そうですね……」
一同の間を漂う空気が重たくなる。しばらく沈黙が続いた後、ユウヤはぽつりとつぶやいた。
「やっぱり、ポルックスとカストルを会わせるしかないんじゃないかな」
「……確かに!」
とカオルはうなずく。
「お互いがお互いを犯人だって言ってる二人を引き合わせれば……」
「なんか……なにか起こるかも!」
とテリシアも前のめりに言う。その横で、じっとユウヤは真剣な顔つきをしていた。
「……それにさ、やっぱりおれ……」
ユウヤは机の上に置いた手のひらにじっと視線を落としながら続ける。
「ポルックスは、本気でカストルを探してるんだと思う、なんていうか、見つけ出したい、会いたいって……ポルックスは心から、そう感じてるような気がするんだ、これも、なんとなくだけど」
ユウヤはそう呟いて、窓の外へと目を向ける。
☆
フィオレナは深く考え込んでいた。
――ユウヤたちは、カストルに会った。
そして、彼は言ったという。犯人は、ポルックスだ、と……。
この事件の犯人はカストルなのだろうか? それとも……ポルックス? あるいは、カオルの言った通り、二人の共犯?
シズクから聞いた言葉が脳裏を過る。「嘘に付き合ってあげて」。それは一体、誰の、どんな嘘のことだったのだろう?
「これでは、まるで……」
そう呟きかけたフィオレナの元へ、宿屋から出てきたテリシアが走って来た。
「フィオレナ~、お待たせ‼」
部屋に置き忘れた杖を取りに戻っていたテリシアが、やってきたところだった。顔を上げるとテリシアの方へ歩み寄る。
「それじゃでは、行きましょうか。……時間まで、カストルさんを探しましょう」
「うん!」
二人は足早に宿屋を離れ、街へ飛び出していった。
☆
数日続いた晴れに雲がかかり、空は薄っすらと曇っていた。
曇天の砂の街を、二人は歩いていく。
『なにかあったら、すぐルティスを呼ぶんだよ!』
とカオルが繰り返した声が、ユウヤの耳に残っている。
ユウヤ達は、今日もポルックスと合流することになっていた。残された時間は少ないのもあって、これまでと同じように手分けすることになったのだ。
「昨日カストルに会ったことを、話さないほうがいいのかな?」
とユウヤたちは相談しながら歩く。
「微妙なところだな。仮に話すとしても、どこまで話すか……」
「でも、ポルックスはカストルに会いたがってたし、教えてあげたいな……」
気持ちは分かるが……と、ユウトは思案する。
「あらゆるパターンを想定するなら、カストルが言ったことは話さないほうがいいだろうな」
もしもこの事件がポルックスの単独犯だった場合、ポルックスに疑いを持つ自分たちに対して、どんな動きを見せるか分からない――、というのがユウトの意見だった。
ユウヤもそれに同意する。
「そうだね……だったら、カストルのことは話さないで、様子をうかがったほうがいいのかもしれない……」
二人はとりあえず、カストルのことは伏せておくことに決めた。
☆
ポルックスは待ち合わせ場所の広場で、曇天を見上げていた。
群青の瞳に、曇天が映り込む。
「……今日だよ、カストル」
と呟いたポルックスは、走り寄ってくる二人の方へ顔を向ける。
「……待たせちゃったかな! おはよう、ポルックス」
「おはよう、ユウヤくん、ユウトくん」
ポルックスは二人にニコリと微笑みかける。ユウヤも微笑み返した。
「結局……二十五日になっちゃったね、ポルックス」
「うん、そうだね……」
「今日もカストルを探す?」
と伺うユウヤに、ポルックスは「そうだね……」と頷いた。
「それと、行ってみたい場所があるんだよね」
「行ってみたい場所?」
ポルックスは体の向きを変えて、道の先へ踏み出す。
「来てくれるかな?」
「うん、行くよ!」
こっちだよ、と歩き始めるポルックスを目で追ってから、二人は顔を見合わせると歩き出した。
☆
シズクは考え続けていた。
この事件の犯人が誰なのか……それはシズクには最初から予想がついていたし、今はもう確信している。自身の記憶から必然的に導き出される答えは、一つしかない。
けれど、シズクには、犯人がこの事件を起こした、《目的》が分からなかった。
――この事件は、ただの殺人事件ではない。
だから記憶を探り続ける。ここ数日で目を通した、数百件近い事件や事故の記録。一見無関係のそれらを徹底的に、見比べ、重ね合わせ、遠い点と点の間に何度も線を引いては消して、消しては引いてを繰り返す。これまでの四カ月、旅する中で見聞きした全て。道端で聞いた噂話、仲間と交わした会話……。その場では意識していなかったようなことも、《思い出す》事でシズクは情報を拾い上げる。
「混血の魔族……カストル……」
とシズクは呟く。
――そんな彼の横で、カオルたちは地図を覗き込んでいた。まおー軍の支部、三階の六号室には、緊張感が張り詰めている。
「今日も、事件が起こるかもしれない」
ルティスはそう言って、地図を示した。
「街中の兄弟がいる家……そこに、犯人は現れる可能性がある。今夜、キミたちも手分けして張り込んでほしい」
「そうだよねっ、これ以上、事件を起こさせるわけにはいかないもん!」
テリシアは張りきってそう声を上げる。
とはいえ、街中に兄弟がいる家は数えきれないほどあり、すべてに手を回すことはできない。
これまでの三件の事件が起こった家や地理関係をふまえて、より危険度の高いと思われる場所を優先し、自警団も総動員して張り込むことになっていた。自警団の方の動きは、トカゲ族のモリが中心となっているようだ。
「……ねぇ、ルティスさん」
と見上げるテリシアを、ルティスのいつも眠たげな瞳が見下ろす。
「何?」
「ルティスさんもあれ、聞いたんでしょ? ねぇ、この事件の犯人って、どっちなのかな」
「さあね」
とルティスは首を傾げた。
「どっちでも同じ。あたしたちは今夜、犯人を捕まえる。もう人殺しは起こさせない。それだけ。……けど」
とルティスは、その感情の読み取れない瞳でテリシアを見つめる。
「それが誰であれ、罪を犯した本人にそれを認めさせなきゃいけない」
「本人に、ですか……」
フィオレナは繰り返した。
「そう。だから、キミたちの力が必要」
「え? わたしたちの?」
きょとん、とテリシアが眉を上げる。
ルティスは身をひるがえした。
「今日、あたしはユウヤくんたちのそばにいる。大丈夫、きみたちが今夜、何かを失うことはないから」
カオルたちが何かを返す暇もなく、そう告げてルティスは部屋を出ていった。
閉まった扉を、シズクはじっと見つめている。
第八話
ポルックスが二人を連れて行ったのは、西地区の端の方にある、さびれた一角だった。そこには窮屈そうに家が立ち並び、ポルックスはその中の小さな家の前で足を止める。
「ここ、ボクらが昔住んでた家なんだよね」
「へぇ……ここが?」
「親もずっと前に死んだからね、だれも住んでない。一応今もボクの家ってことになってるけど、あんまり帰ることもないから」
ポルックスはそう言って扉を開けた。古びた机と椅子が並んだ、一室に三人は入る。あちこちはほこりをかぶっており、近頃人が足を踏み入れた形跡はない。
「うーん、カストルがここに帰ってきてる、ってわけじゃなさそうだね……」
テリシアたちがおばあさんから聞いたという話を思い出しながら、ユウヤは呟いた。
「そうみたいだね。まあ、一応調べてみようか……」
言いながら部屋を見渡したポルックスは、ふとため息を吐いて呟いた。
「……カストルはボクに会いたくないのかもしれないなぁ」
「そ、そんなことないよ!」
ユウヤは咄嗟に少し力を込めて言うが、すぐに肩を丸めた。
「そんなこと、ない……と思う」
「そうかな? でも現に、カストルはボクに会いに来てくれないんだよ」
ポルックスはそう肩をすくめると奥に続く部屋に入っていき、ユウヤは困ったようにユウトを見やる。
「……とりあえず、少し調べてみるか」
「うん、そうだね」
ユウヤたちは部屋を見回す。ユウトは一応、メガネを外して部屋の中をくまなく見てみるが、住人が去ってから時間が経っているせいか、特別何かが見えることはなかった。
「特になにもなさそうだ……なんの痕跡もない」
「うーん、おれも特に何も聞こえないなぁ」
とユウヤはイヤホンを外したまま首を傾げる。
「じゃあやっぱり、カストルはここには戻ってないのかな」
「だとすれば、街のどこかに潜んでいるのか?」
「でも、街の宿に泊まっているお客さんの中には見つからなかったって、テリシアたちが言ってたよね」
「だな……」
うーん、と二人はしばし考え込む。ユウヤはふと、ちらりと部屋の奥へ目を向けた。
「……ポルックスは向こうの部屋かな?」
「ああ、行ってみるか」
二人は頷きあうと居間を横切って、奥の部屋を覗き込んだ。
「ポルックス……?」
そこは寝室で、二つのベッドが並んでいる。その奥の、小さなキャビネットの前にポルックスは立っていた。
「……それ、腕輪?」
ユウヤの問いかけに、ポルックスは振り向く。
「そうだよ。――ボクも同じものを持っているんだけどね」
とポルックスは左腕を見せた。そこには確かに同じ腕輪が嵌められている。
「塔都にいた頃……。カストルが家を出ていったとき、置いていったんだ」
「……塔都にいた頃、ってことは……」
とユウヤは、昨日遺跡でポルックスから聞いた話を思い出す。
「魔法学校に通ってた頃?」
「いや……そっか、昨日は時間がなかったから、途中までしか話してなかったっけ」
とポルックスは腕輪を日の光にかざす。
「……ねぇポルックス、良かったら続き、聞かせてくれない?」
ユウヤの声に、ポルックスは少し迷うように視線を揺らす。
「そんな時間があるかな?」
それを隠すように軽い調子で言ったポルックスに、ユウヤは笑いかける。
「うん。もっと知りたいんだ、二人のこと。嫌じゃなければ、聞かせてよ」
ポルックスは視線を避けるように目を逸らした。
「……じゃあ、話そうか」
その声に宿る迷いと痛みが、ユウヤの耳に確かに届く。
★
二人は塔都に引っ越して、魔法学校に入学した。
地方の小さな学校では教わることのない高度な魔法の教育は、二人の力をみるみる伸ばすことになった。塔都の魔法学校には様々な魔族や人族が入り乱れ、双方の差別意識はほとんどない。だが、その中でも混血は珍しく、二人はなかなか周囲の学生にはなじめなかった。
そんな場所で魔法を学んで数か月が経った頃……二人の成績に、徐々に差がつき始める。
「お兄ちゃん! 今回も一番だったよ!」
とテストの結果を知らせるポルックスに、カストルは微笑む。
「すごいな、ポルは」
「やった!」
カストルの言葉に満面の笑みで喜んで見せたポルックスは、「あ。そうだ」とふと思い出したようにカストルに話しかけた。
「ねぇねぇ……カストル。先生から、飛び級の試験を受けないかって言われたんだ」
「へぇ、そうなのか? すごいじゃないか」
「……でもさぁ、そしたらお兄ちゃんと違うクラスになっちゃうし……卒業の時期も、ズレちゃうんだよね……。ボク、それやだなあ」
カストルは少し考えてから、ポル、と弟に向き直る。
「ポルはすごい。この魔法学校の生徒で、一番すごいのはポルだよ。きっと沢山のひとを助けられる魔法使いになる」
何度もカストルが繰り返し言うことだった。そう言われると、カストルが自分の事を誇りに思ってくれていることが分かって、ポルックスも嬉しくなる。
「……ほんと?」
「ああ。そしたら、おれも嬉しい、それに……」
と優しく微笑んだカストルは続ける。
「おれも頑張るよ、ポルと一緒に人を助けられるように」
「うん! じゃあ、一緒に……」
と頷きかけたポルックスの言葉がしぼんでいく。
「……でも、やっぱりお兄ちゃんと違う教室になるの、やだな……」
「家では一緒にいられるだろ?」
「……うん、そうだけど」
カストルはポルックスの目をまっすぐに見つめた。
「離れていても、ずっと一緒だ。そうじゃないのか?」
「うん……」
ポルックスは煮え切らない態度だったが、最終的にはカストルの言葉に頷き、飛び級の試験を受けることにした。
それから一年が経ち、二年が経ち……ポルックスは、魔法学校の五年間の過程を三年で修了し、学校を卒業することになる。
☆
「そんな感じで魔法学校を卒業して、まおー軍に誘われたんだ」
「へぇ、そうだったんだ」
三人は居間に戻って、少し綺麗にした机を囲んで話をしていた。
「最初はただの、赤い髪の男の子だと思ったんだけどね~」
「……赤い髪?」
とユウトは呟く。
「そう。卒業式の帰り道……声をかけられたんだよ。まおー軍に入らない? ってね。まおー軍のことは良く知らなかったけど、ツワネールの自警団みたいなものかなって思ってた」
「それで、まおー軍に入ることにしたんだ」
「そうだね」
少し遠い目をして、ポルックスは話し続けようとした。その言葉が途中で詰まる。
この先を、話したくないのだろうと、ユウヤは感じ取る。
そして、同時に、話したがってもいる、と……。
「……それで?」
と尋ねると、ポルックスの瞳が揺れた。
★
ポルックスがまおー軍に入ることを決めたのは、兄のカストルがその誘いを喜んでくれたからだった。
ただし……「お兄ちゃんも一緒だからね!」という約束をとりつけて。
カストルが魔法学校を卒業するまでの二年間は、ポルックスは一人でまおー軍の一員として戦った。
まおー軍が引き受ける任務は多岐にわたる。大陸中から寄せられるありとあらゆる事件を解決し、人族と相容れない魔族たちと戦い、危険な魔物を討伐する。家を離れることも多くなり、学校に通い続けるカストルと過ごす時間は減っていく一方だった。
――やっぱり、飛び級なんてしなければよかったな。
とズレた二年間を待つ間、ポルックスは何度も何度も思った。
でもそれも、二年の我慢だ。学校を卒業したカストルと一緒に、まおー軍として、今度こそずっと一緒にいられる。
それに、戦って誰かの役に立つたび、カストルは褒めてくれる。カストルが喜んでくれる。
ただそれだけが嬉しくて、ポルックスは戦い続けた。
☆
その話の行き着く先の一部を既に知っているユウヤたちは、話の途中でふと立ち上がるポルックスを黙って目で追う。
「カストルに褒めてもらうのが好きだったんだよね。……馬鹿みたいだけど」
「そんなことないよ。カストルって、すごく良いお兄さんだね」
ユウヤの言葉に、そうだよ、とポルックスは頷いた。
机を離れて窓の傍に立ったポルックスは、腕輪を眺めている。
金色の腕輪が曇り空の薄っすらとした光を鈍く反射した。
「……それで、二年が経って、カストルもまおー軍に入ることになったんだ」
★
「――カストルっ……‼」
騒ぐ森の中、ポルックスは駆け寄る。カストルは木の下でうずくまって、その下に黒々と血だまりができている。
「ポル……、悪い、足、ひっぱったな……」
「そ、そんなこと、どうでもいいよっ! 待って、いま、治癒魔法を……」
二人の背後には、巨大な蛇が横たわっている。この森で活性化している大蛇の一匹だ。人々の暮らす街を襲う前に、討伐するための任務だった。
「あ……あ、血が……」
蛇の毒が、治癒を妨げる。目の前が真っ暗になって、かるくパニックに陥りかけたポルックスの肩を、カストルが掴む。
「大丈夫、だ……落ち着け、ポル」
「で、で――でも……お、お兄ちゃんっ……!」
「蛇毒の……解毒剤を持ってる。腰に……」
と苦し気に呟くカストルの言う通り、腰のあたりを見てみると、そこには筒が下げてある。
「こ、これ……⁉」
「そうだ、傷に……それを塗ってくれ」
「わかった……し、死なないで、お兄ちゃん、お願い……」
ぼろぼろと涙をこぼすポルックスに、カストルはふっと笑いかける。
「大丈夫だ。お前を置いていったりしない」
「――っ、ごめん、ボクのせいでこんな……」
「違う、ポルじゃない、おれのせいだ……」
☆
「ボクだったら一撃で倒せるような敵に、カストルが殺されかけてた……。まさか、そんなことになるなんて、少しも思ってなかった……本当に馬鹿だね、ボクは……それでやっと気づいたんだ。……このままじゃ、一緒にいられないって」
いつの間にか……二人の魔法や戦闘の能力には、どうやっても埋められないほどの、歴然とした差がついていた。
★
幸い、解毒剤が効いたカストルは一命をとりとめた。
しかしそれ以来、ポルックスはカストルの反対を聞き入れず、引き受ける任務の危険度を大幅に下げることにした。
元いたチームで仕事をすることもなくなったし、危険な目にあうこともなくなった。日々繰り返すのは単純な、街中の事件の調査や、素材の収集。簡単な魔物の討伐や狩猟。
ポルックスは当然、魔法学校やこれまでの任務で培った能力を持て余すことになる。
けれどポルックスはそれでも良いと思っていた。むしろ、カストルといられる日々に、子供のころのような幸福を感じていた。
「……ただいま! お兄ちゃん」
買い物を済ませて、帰って来たポルックスは、部屋を見回す。
「……あれ?」
中には誰もいない。机の上には、ギルド発行の情報誌が開きっぱなしになっていた。そこには、大陸のどこかで活性化した魔物が街を滅ぼした記事が載っている。
「お兄ちゃん……?」
その不在に、一気にポルックスを不安が襲った。暗い森の中、血だまりと今にも途切れそうな細い息がフラッシュバックする。
「――お、お兄ちゃん……っ⁉」
荷物を取り落として、外へ駆け出ようとした時、振り向いた玄関でカストルとぶつかりそうになった。
「帰ってたのか、ポル」
とカストルが驚いた顔をしたのは、ポルックスの顔が真っ青だったからだろう。
「あ、お、お兄ちゃん……よ、良かった」
「ちょっと歩いてただけだ、どうした?」
「う、ううん、なんでもない」
ポルックスは荷物を拾い上げて、紙袋から野菜を取り出した。手が震える。冷たい汗を拭いながら、ポルックスはカストルと共に黙って夕食の支度をする。
「……なぁ、ポル」
ふと、魔法で暖めた鍋をかき混ぜながら、カストルは呟いた。
「……なに?」
「おれさ……」
ポルックスの、戸棚から皿を出す手が止まる。
「軍を抜けて、しばらく一人で旅に出ようかと思う」
「え……?」
滑り落ちた皿を、カストルが魔法で空中にとどめた。
「旅? なんで……? そ、それなら、ボクも一緒に行くよ!」
「いや、……一人で行こうと思ってるんだ」
「……な、なんで?」
皿のことなど頭から消え去って、ポルックスはカストルを振り向く。
「……けどそんなに、長くってつもりじゃない。ポルは少しの間、おれがいなくても大丈夫だろ? 一人でだって、戦える。おれも色々勉強してさ、もっと戦えるようになりたい、それで……」
「ま、待ってよお兄ちゃん……なんで?」
愕然として、ポルックスはまくしたてる。
「べつに、このままでいいじゃん……ボクがなんでもするよ、お兄ちゃんができないことも、ボクが代わりにするし……ボ、ボクがお兄ちゃんを守るし……っ!」
焦りから言葉がもつれていくのは、それを聞いているカストルの表情が悲しげだったからだ。
――なんでそんな顔するの? いつもみたいに笑ってよ、ポルはすごいなって、そう言ってよ。
カストルは静かに口を開いた。
「ポル、お前はおれがいなければ、もっと人の力になれるはずだ。沢山の人を救えるはずだ……おれは……その邪魔をしてる」
「そ、そんな……」
言葉が詰まる。沢山の人を、世界を。――ポルックスは思い返す。カストルは誰にでも、どんな人にでも優しい。ポルックスたちは、魔族の血を引いているから、普通の人よりも魔法の才能があった。その力を、誰かを守るために力を使うべきだと言って、たしかにこれまで、多くの人を助けてきた。ポルックスだって、自分にはないカストルのその優しさが、強さが好きだった。
だけど――。
今までずっと、押し殺して来た気持ちが、ついに弾けるのを、止められなかった。
――知らない誰かのことが、漠然とした世界が……、今隣にいる、ボクより大事なの?
「そんなの……」
「……聞いてくれポル、おれはしばらく一人で旅をして、もっと戦えるようになって、それでいつか――」
「なんで⁉」
気がつけばポルックスは、カストルの言葉をはねのけてそう叫んでいた。
「なんで、そんなこというの? 一緒にいてよ! ずっと一緒に居るって、約束したじゃん‼」
「ポル……」
カストルが伸ばした手を、ポルックスは振り払う。衝撃で手が当たった皿が壁にぶつかり、悲鳴のような音を立てて粉々に砕け散る。
「もう知らない! 勝手にすればいいじゃん!」
ポルックスは泣きながら部屋を飛び出した。
「待て、ポル……!」
最後にそんな、呼ぶ声が聞こえて。
それが二人の、別れになった。
☆
「それ以来……カストルには会ってない。もう、それも三年前だよ」
ポルックスはそう話し終えると、腕輪を机の上に置いた。
「カストルはこれを置いて、家を出ていった……それから、もう帰ってこなかったんだ」
「そっか……」
「まぁ、今思えば……」
と少しポルックスは声色を明るくしたが、表情は暗いままだ。
「……カストルは、優しかったから……ボクのせいだよね」
ポルックスは肩をすくめる。
「毎日、大陸のあちこちで沢山の事件が起こってる。ほら、今回だってそうだ。だから、カストルは、耐えられなかったんだと思う。ボクがカストルに合わせて、人々のために力を使わなかったから……」
「……でも、ポルックスはカストルと一緒にいたかったんだよね」
ユウヤの呟きに、ポルックスはふっと笑った。
「そのはずなのに、気づいたらボクの傍にカストルはいなくなってた」
沈黙が下り、それからポルックスは呟く。
「後悔してるんだ。……あの時、ボクはカストルの言おうとしたことをちゃんと聞かなかった。そのせいでカストルが何を言おうとしてたのか、あの時ボクのことをどう思ってたのか、今でもよくわからないよ……」
「そっか……」
再び部屋を静寂が満たした。しばらくして、さて、とポルックスは気分を入れ替えるように明るく言った。
「暗い話を聞かせちゃったね。ごめん」
「ううん! 聞かせてくれてありがとう」
それじゃあ、とポルックスは扉の方を見やった。
「そろそろ行こうか。時間もないしね」
「……そうだな」
ユウヤとユウトは立ち上がり、玄関へ向かうポルックスについていく。
最後に、ちらりと室内を振り向いたユウヤは、ふと立ち止まった。
「――?」
ひとり部屋の中に引き返し、机の前に戻る。
金色の腕輪……ユウヤはそれを手に取った。
あちこちから眺めてみる。精巧な星の細工がされており、傾けると窓から差し込む光にきらめいた。
『――ポル』
その時、ユウヤの耳に声が聞こえた。
「え?」
と呟いたユウヤの声が、部屋に小さく響く。
『ポル、お前なら、……おれがいなくても、大丈夫だから。――これからも、ずっと一緒だから』
優しい、どこか悲しげな声が、その腕輪から聞こえる。
『だから……どうか、哀しまないで』
痛いほどの声が、響いて、消えた。
ユウヤの頬を涙が滑り落ちて、机の上に滴った。
「……ユウヤ?」
背後から問いかけるユウトの声に、はっとユウヤは我に返ると、目を瞬かせる。
「あ、あれ……」
そこで自分が泣いていることに気づいたユウヤは頬をごしごし擦った。
「どうかしたのか?」
「う、ううん! なんでもない!」
涙を拭いてから、腕輪をそっと机に置く。
「……ごめん、行こっか!」
「ああ……」
不思議そうなユウトに笑いかけ、ユウヤは今度こそ部屋に背を向けると、ポルックスの家を後にした。
第九話
日暮れが、迫っている。
薄っすらと白い曇り空を見上げて、フィオレナは考えていた。
この事件の《嘘》とは……一体何のことなのだろう。
犯人がどちらなのか、誰なのか……せめて、それをはっきりさせる方法はないのだろうか。
「……ユウヤくんたち、大丈夫かな?」
「ええ……そうだといいですが」
テリシアとフィオレナは、日が暮れるのをタイムリミットに、カストルの姿を探し、聞き込みを続けた。けれど、手がかりは依然として掴めないまま、夜が訪れようとしている。
「そろそろ、移動する?」
フィオレナはそうですね……と呟く。
カストルを探すのは諦め、事件の起こる可能性をマークしてある家へ移動したほうが良い時間帯だった。
二人は大通りを歩く。
「もし、犯人が来たら……ガツンとやってやろうね!」
「もちろんです。……でも、あまり無茶しちゃだめですよ?」
「う、うん! 気をつけるっ!」
フィオレナは考えながら歩き続ける。ポルックスとカストル……この、四日間の調査……。そして、二か月前の事件……。ふと、通りの横の家を眺めた。窓ガラスに、自分の顔がぼんやり映っている。
「……?」
ふとその時、フィオレナの中にある考えがひらめいた。思わず足を止めたフィオレナに気がついて、テリシアも戻ってくる。
「……どうしたの?」
「……すみません、ちょっと確認したいことができました」
「え?」
「今からキールくんの家に行きましょう」
「キールくんって……ルークくんの弟の?」
ええ、とフィオレナは真剣な顔で頷くと、説明も惜しいのか通りを駆け出す。テリシアも慌てて後ろを追った。
☆
ユウヤとユウト、ポルックスの三人は、古い家を出て、少しずつ日の暮れていくツワネールの街を歩いていた。
「……さて、それじゃあ、ここからは段取りの通りだね」
ポルックスは呟き、交差点で立ち止まった。周囲には、他に誰もいない。
「ああ……」
「そうだね」
今夜、ユウヤたちは自警団と共に連携して、事件の起こる可能性のある家を張り込むことになっていた。犯人が見つからなかった以上、今夜起こるかもしれない殺人を、防がなければならない。
双子の《兄》として犯人に狙われるかもしれないユウヤは、ルティスと行動を共にすることになっていた。ルティスの傍にいれば、誰も手出しはできない。そしてユウトはポルックスと、テリシアはフィオレナと、カオルはシズクと二人組になって、それぞれ街中に散り、兄弟の暮らす家を見守る段取りになっている。
結局のところ、犯人がどちらなのかを断定させることはできなかったため、ユウトはポルックスを監視する役目を負うことにもなった。仮にポルックスが犯人だったとしてもその狙いが《兄》なら、ユウトが狙われる可能性は低い。とはいえ、何が起こるかは予測できなかった。今日にあたって、ルティスに連絡を行うためのペンダントはユウトに渡されている。もしもポルックスが怪しい動きを見せれば、すぐにルティスを呼ぶことになっていた。
「じゃあユウヤくん、ルティスとの合流場所は、ここに書いてある」
とポルックスから渡された地図を、ユウヤは受け取った。
「ありがとう! ……二人とも、気を付けてね」
そして今夜……もしかしたら、カストルが現れるかもしれない。その緊張感がそれぞれのなかに張り詰めていた。
交差点で、ユウヤはユウトとポルックスと別れる。
「……ユウト、気を付けて」
「ああ」
最後にもう一度そう言って、日暮れていく街を歩く背中を、ユウトはしばらく見守っていた。
☆
「あ! いたいた、キールくん!」
一人目の被害者であったルークの家に向かっていたテリシア達は、辿り着く前に学校帰りのキールを見つけた。
「……この前の?」
と振り向く少年に駆け寄ると、二人はかがんで視線を合わせた。
「犯人、……つかまった?」
「まだだけど……もうちょっとだよ、ね!」
「ええ、もうすぐ、捕まえます」
「そっか……」
フィオレナは真剣に尋ねる。
「キールくん、ちょっと聞いてもいいですか?」
「……うん、なに?」
「その……事件の時、星が見えたと言っていましたよね?」
フィオレナの質問に、キールはこくりと頷いた。
「う、うん……」
「その星が、何色だったか、憶えていますか?」
「え……」
少年は少し思い出すように視線を斜め上に向ける。それから、小さな声で呟いた。
「……青……暗い、青」
その解答に、フィオレナは小さく息を呑む。
「……緑色では、なかったですか?」
「緑? うん……。緑じゃ、なかった。青だったよ」
キールは確かに思い出したのか、はっきりと頷いた。
「ありがとうございます、キールくん。あなたのおかげで、犯人を捕まえられるかもしれません」
「え、ほ、本当……?」
「ええ。星の事を、教えてくれてありがとうございました」
「待っててね! わたしたちが、必ず、見つけ出すから!」
そんな二人の声に、徐々にキールの顔がくしゃくしゃに歪みはじめ、やがて、少年は道の真ん中で大声で泣き出してしまった。
☆
群青に染まりゆく夕焼け空の下で、カオルとシズクは、ある家の陰に立っていた。そこは、事前に打ち合わせていた場所ではない。ユウトとポルックスの二人が張り込みに来ることになっている場所の近くだった。
「なんだか緊張するね……」
「カオル、オレから離れないで」
「う、うん……」
周囲を警戒しながら、シズクは尚も考えていた。
「ねぇシズク……なにか私に手伝えることないかな?」
そんな声に、シズクは少し不思議そうな顔をする。
「なんで?」
「シズク、まだ何か気になってるんでしょ? それをずっと考えてる」
「……そうだね」
少しの間があき、シズクはちょっと考えてから口を開いた。
「カオルがいるからだよ」
「え?」
「カオルがいるから集中できる」
シズクはカオルの瞳を振り向いた。そこに映る群青色をじっと見つめる。その時、ふっとシズクは頭の中の霧が晴れていくのを感じた。
いつか、同じ色を見た……。他の全てが取り払われ、二人で並んで歩いた街の記憶がそこに映し出される。
二カ月ほど前、塔都の風景だ。買い物をした帰り、少し遠回りをして、二人で夜道を歩いていた。その日は雨が降っていた。道端に咲いていた花の数、漂ってきた食事の匂い、すれ違った人の数、シズクはすべて思い出すことができる。
その時はほとんど注意も向けなかった意識の隅に眠る、記憶の切れ端。それを拾い上げた瞬間――ついにすべてが線を結んだ。
それは一秒にも満たない一瞬、視界の端に留めた光景だった。
墓場に立ちすくむ、ひとりの魔族の姿。降り注ぐ冷たい雨、そして――。
この事件の裏にある存在。いや、それはむしろ、ないのだった。それは無数の点を繋ぎ合わせて……その間に初めて、ぼんやりと浮かび上がる、《影》。
「……この事件の犯人は、ポルックスだ、って話したよね」
カオルは頷く。一日目の時点でシズクから既に、その予想は聞いていた。だが、ルティスほどの人物がそれに気がつかないはずがない。――むしろ……ポルックスが事件の犯人だと分かっていたからこそ、ルティスはポルックスと組んだのではないか、と……そしてその上で、それを伏せてユウヤたちに協力を頼んできた。それにきっと意味があると、シズクはそう考えていたのだ。
だから、あえてそのことをユウヤたちにも黙っていることにした。そしてルティスは言った。《嘘に付き合ってあげて》。
シズクは続ける。
「……だけど、目的が分からなかった。この事件を起こすのは、ポルックス以外ありえない。だけどポルックスには、こんな事件を起こす理由なんてないんだから」
「うん。……分かったの?」
シズクは考え込んだ。最後にもう一度、全てを確かめる。やがて、シズクは、そうだね……と呟いた。
「……分かった」
「――え? 本当に⁉」
それからシズクは厳しい目つきで周囲を見回した。
「ポルックスとユウトくんが来ない」
「確かに、遅いね。そろそろ時間なのに……」
もしかして、と呟くカオルの顔から、さっと血の気が引いた。
「行こう、二人を探さなきゃ」
そう呟いたシズクに腕を引かれるまま、カオルは駆けだした。
☆
「きっと、これまで……泣けなかったんでしょうね」
「そうだね……」
二人がキールが泣き止むのを待って家まで送り届けた頃には、日は暮れかかっていた。
「……ずいぶん遅くなってしまいました。行きましょう」
「うん!」
と二人は駆け足ぎみに通りを引き返す。そしてテリシアが、満を持したように口を開いた。
「つまり、キールくんが見た星の色って……」
フィオレナは頷く。
「はい、おそらくその星は、窓の外ではなく……室内にいた犯人の瞳に、月の光が反射して映ったものだったんじゃないか、って思ったんです」
おそらく、その時……廊下で立ち止まった犯人が、キールの部屋を覗き込んでいたのだろう。窓の外を見上げたキールは、そこに月の光を反射して光った瞳を、星と勘違いした。――これが、フィオレナの考えだった。
「そ、そういうことだったんだ……!」
「もし、カストルが犯人なら――、その色は緑色だったはず……でも、それが暗い青だというなら……」
テリシアはポルックスの目を思い出した。群青の瞳に、星がきらめく……。
「――それなら、この事件の本当の犯人は……」
「少なくとも、ルークくんを殺したのはポルックスさんです。……テリシア、このことをユウトくんに伝えに行ってくれますか?」
「え、いいけど……それじゃ、フィオレナは?」
「カオルさんたちのところへ行ってきます」
「一人で大丈夫……⁉」
フィオレナは頷いて、少し心配そうな顔をした。
「……むしろ、危険なのはテリシアの方です。……ポルックスさんに、近づくことになりますから」
「あ、そっか……、うん、大丈夫!」
テリシアは、思い切って頷いた。
「ユウトくんもいるしね、――任せて!」
二人は交差点で足を止め、フィオレナは地図をテリシアに渡す。
「ポルックスさんとユウトくんたちは、この辺りを張り込むことになっていたと思います」
「うん、あっちだね! 気を付けてね、フィオレナ……」
「ええ、テリシアも。私もカオルさんたちと合流したら、すぐに行きます」
フィオレナは一歩引くと、手のひらをテリシアに向けた。
「――レスキュア・シード」
ふわりと白い花びらのような光が、テリシアの身を包んで、透明になって消える。
「……ちょっとしたおまじないです」
「あ、ありがとう……!」
「それでは、またあとで」
「うん!」
フィオレナは小さく微笑んで、テリシアに背を向けて駆け出した。
闇の中に、その背中はすぐに溶けていく。
「よし! ……わたしも行かなきゃ!」
☆
ユウトは暮れなずむ暗い空の下を、ポルックスと並んで歩いていた。
――気を付けて、と、別れ際のユウヤの顔がよぎる。
通りには街の自警団の者たちがあわただしく行き来している。ユウトはその様子をうかがい、この状況で誰にも気づかれずに民家を襲うことは難しいだろうとぼんやり考える。だが、二件目の事件は街中で起きた。油断はできない。
黙って歩きながら、ここ数日のことと、事件の事を考えていた。
どこか、腑に落ちない。なにかが、ずっと引っかかっている。
――双子の兄弟…………。
ユウトは胸中で呟く。ポルックスと、カストル。
どう思う、とユウヤに尋ねた時の事を思い返していた。
『こんなお兄ちゃんでいいのかなって思うことはあるけど……』
ポルックスたちの話を聞いて、ユウトは思わずにはいられなかった。――『俺たちに似ている』と。
元の世界にいた頃。ユウトは成績もクラスで一番で、運動もよくできた。テストや運動会、ピアノのコンクールで一番をとるたびに、ユウトはすごいなぁ、とユウヤは嬉しそうな顔で笑う。
ユウトは常に努力し続けた。テストが近くなれば毎日遅くまで勉強したし、トレーニングも欠かさずに続けていた。人はみな口々に褒める。ユウトくんはすごいね、どうしてそんなに頑張れるの? 私にはむりだなぁ――と。
きっかけは、日々の些細な事だったのかもしれない。
いつもそばに、兄のユウヤがいた。並んで歩く帰り道、しょっちゅう転んで、膝をすりむいては泣いて。持って帰ってくるのは赤点のテスト。鬼ごっこはいつもすぐにつかまって。料理を失敗して焦げたキッチン。部屋に置き忘れた運動着……。
それでも、いつでも、どうしようもないほど優しくて。
『ユウトはぼくが守るからね! ぼくがお兄ちゃんだから!』
なんて、泥だらけの顔で手を引いて。
――だから、俺が守らなきゃって思ったんだ。
ユウヤは何もできなくていい。俺が全部、できるようになるから。
心のどこかで、そんな風に思っていた頃があった。
それは間違っていたと、あの日々を経て……今なら痛いほど知っている。
ふと、ユウトはこの事件に覚えていた違和感の正体を捉える。
なぜ、殺されるのは弟ではなく――兄でなければならなかった?
「……そういうことか」
……兄が兄を、殺すのではなく。
弟が兄を殺すのだとしたら?
「……何? ユウトくん」
ポルックスは、ゆっくりと振り向いた。
曇天の下、人気のない裏通りが、徐々に闇に呑まれていく。
第十話
ユウトはじっとポルックスを見据える。
今目の前にいるのは……そうなり得たかもしれない自分の姿だ、と。
じゃり、と石畳を覆う砂を踏む音が響く。
「……ねぇ、ユウトくんは、ユウヤくんがずいぶん大事みたいだね」
出し抜けに、ポルックスはそう言った。
周囲には誰の姿もない。闇に閉ざされた空の下で、道の脇の魔光灯が点滅する。ユウトは、ここがどこだか分からない事に気づく。少なくとも、張り込みを予定していた場所ではない。ポルックスは、別の道を歩いて来ていたのだ。
ユウトは答えず、黙ってポルックスに対峙する。
「でも、キミはさぁ……ユウヤくんを信じていないよね」
その言葉に、ユウトは鋭く心臓を刺されたような心地がした。
「……どういう意味だ」
「どうって、言葉通りの意味だよ」
ユウトは沈黙ののちに息を吸い込み、意を決したように口を開いた。
「おまえなんだろう、事件の犯人は」
ポルックスは肩をすくめた。
「……カストルが……、ボクのお兄ちゃんがこんな事、するわけないじゃん」
視線を落とし、かすれた声で続けた。
「お兄ちゃんはボクなんかとは違うんだから」
ユウトは警戒を強めながら、剣の柄に手をかける。
「ならどうして、カストルかもしれない、なんて言ったんだ……自分とよく似た双子の兄に、罪を擦り付けようとしたのか?」
ポルックスはユウトの言葉に、ふっと掠れた笑みを零す。
「違うよ。ボクは……ただ、見つけ出したかったんだ」
「……? どういうことだ」
「キミたちに、カストルを探し出してほしかったんだよ」
そのために、彼が殺人犯であると、嘘を吐いたのか、とユウトは苦い顔をする。
「でももう、時間切れだ。キミたちと一緒に居て……よくわかったよ」
光のない瞳が、ユウトを見下ろした。
「キミたちは、ボクらとおんなじだ」
ユウトは静かに首を振った。
「……違う」
「違う? どう違うっていうのかな。まるで鏡に映したみたいに、ソックリだよ」
「俺たちは、」
一瞬、言葉が詰まる。
「俺たちは……」
そこから先の言葉が、もつれて出てこない。
――同じ?
――オレは、ユウヤを、……信じていない?
剣を抜こうとした手のひらが汗に滑った瞬間、ポルックスは雷撃を放った。ユウトはなんとかそれを躱し、剣を抜いて構える。
びりびりと空気が震える。
――電気魔法だ、とユウトは直感する。だとすれば、剣で応じられるのか?
ルティスを呼ばなければならない。
咄嗟に探って、しまっておいたはずのペンダントがないことに気づく。
「これがあれば、ルティスを呼べるんだよね」
と呟いたポルックスが、その手の内側で粉々にペンダントを破壊した。
「――っ」
「今ルティスに来られるのは困るな」
ユウトはポルックスから目を離さず、慎重に問いかける。
「お前の……目的はなんだ?」
「目的?」
ポルックスはふっと笑った。
「キミには分かってると思ってた。ボクと同じ、キミにはね」
「……違うと言ったはずだ」
ユウトは地面を蹴った。剣に炎が宿り、闇を赤々と切り裂きながらポルックスに切りかかる。
「――同じだよ。同じだから、キミは気づいたんだろう」
「……」
ポルックスはユウトの連撃を軽々とかわす。ユウトは一旦ひくと、剣を地面に突き立てた。
そこから衝撃波が伝わり、ポルックスの足場を崩す――よりも先に、ポルックスは指先から放電した。
「――ッ」
それはほぼ放たれると同時にユウトに直撃する。一瞬目の前が真っ白になり、体中が痺れ、気づけば手から剣が滑り落ちる。
――避けようが、ない。
「キミもユウヤくんを失う。ボクと同じさ。置き去りにされるんだ」
……そうだ。
――俺も同じだった。だから、かつて……。
ユウヤはふっと口の端で笑い、剣を掴んでよろめきながら立ち上がった。
ポルックスがそれを、表情のない顔で見ている。
「……そう、かもしれないな」
痺れた全身に力を入れ、剣を握りなおす。
「確かに俺も……昔、そうだった」
ぴくり、とポルックスが眉を上げる。
「今はもう違うって?」
「……そのつもりだ」
「それなら、何も変わってないね」
ポルックスが再び指を向けた。その動作を見逃さない。ユウトは咄嗟に剣をかざし、魔法で防御晶を張った。
電撃がそこに吸い込まれ、一撃でシールドは砕ける。
そこに生まれた隙を逃さず、ユウトは空に飛びあがって空中から切りかかった。ポルックスは一瞬遅れて顔を上げ、目を見開く。
「――ッ」
電撃を纏う腕が、剣を受け止めた。周辺に衝撃波が広がり、魔光灯の灯りが弾けたような音を立てて消し飛んだ。――切れない。ユウトはその瞬間に察する。だが、力を抜かず、全体重をかける。
「失うってのは、違うんじゃないか」
「……何が言いたいの」
ポルックスから聞いた話が、ユウトの脳裏をよぎる。自分の元を、離れていったという兄。だが……それは「失う」ということなのか?
「兄弟は、ただほんのすこしだけ、同じものを持っているというだけだ」
――同じ血が流れ、同じひとときを過ごして。
もう少しで、剣が折れる。そうユウトは感じるが、力を緩めない。
「ただそれだけの……一人の人間なんだ。自分の意思で、生きているんだ、だから……誰のものでも、ない!」
「うるさい……なッ!」
電撃が爆発し、剣が薙ぎ払われ……その爆風で、ユウトのメガネが弾き飛ばされる。
「――ッ!」
視界が一気に光に溢れ、一瞬で何も見えなくなる。空中でバランスを崩したユウトの脇腹を、一条の雷撃が深々と焼き貫いた。
剣と共に地面に落下し、腹を抱えてうずくまると、すぐに両手は血で濡れる。全身が痺れ、感覚が消えていた。
薄れゆく意識の中で、ユウトは確かに、同じだ、と苦笑した。
――かつて、そんなことも分からなかった馬鹿な俺が、確かに一度、ユウヤを『失った』んだから。
ポルックスの悲痛な声が降る。
「せいぜい後悔したらいいよ。弟のキミが弱いせいで、大事なお兄ちゃんが殺されることをね」
☆
――幼い、ユウヤが泣いている。
手を伸ばしかけて、泣きじゃくるユウヤが、その手を拒絶していることに、気づく。
途方に暮れて、立ちすくみ、そして。
『さいしょから……ユウトには、ぼくなんかいないほうがよかったんだよっ!』
その声が世界を打ち砕く。
『ぜんぶ、ぜんぶ――ぼくのせいだ!』
……ちがう、と言いたいのに、声が届かない。
――ちがう、俺は、お前がいたから――。
『ぼくが、いなければ、ユウトはもっと幸せになれたんだっ!』
――そうじゃない、違う!
手を伸ばすのに、どんどん遠のいて。
そうして失ったとき、一人暗闇に立ち尽くして、ただ思った。
証明しなければならない。
俺にはお前が、必要なんだ、と――。
☆
その頃……。
「あれー⁉ ここどこ⁉」
テリシアは地図をくるくる回しながら、道のど真ん中で途方に暮れていた。
「は、早くいかなきゃなのにー‼」
第十一話
悪夢を振り払うように、ユウトは目を覚ました。痺れた身体が、血で濡れている。メガネをなくしたせいで、視界は様々な光が眩しく点滅して、目を開けていられない。
なんとか身を起こし、吐き気がするほど痛む腹部を押さえた。
「……ユウヤ」
呟き、手探りで剣を拾い上げる。
かつて犯した過ちが、ぐるぐると頭の中を巡る。ポルックスの姿が残像のように……かつての自分に重なった。
――だが、ユウヤはそんな自分を許してくれた。
もう一度やり直すことを、許してくれたから、今、共にいる。
それなのに、今も自分は、変わっていないのだろうか?
そうかもしれない、とユウトは思う。自分が自分である以上、どうしたって変えられないものがある。
それでも……共にいるために、変わり続けたかった。
ユウトは息を吐き、一歩ずつ、闇の先へと踏み出す。
『……ずっと一緒にいてくれる?』
その時、瞼の裏に光を感じた。
ゆっくりと、再び目を開ける。雲の隙間から、やわらかい月光が差し、闇を照らしていた。
☆
雲が晴れて、欠けた月が冴えるような輝きを砂の街に注いでいた。
「困ったなー、地図はこれであってるはずなのに」
ユウヤは一人、夜道に立ち止まって地図を前に首を傾げる。
ポルックスに言われた通りの場所に来たはずが、そこにはルティスの姿は見当たらないし、ルティスと共に張り込む予定だった家もない。
ユウヤはもうかなりの時間、そうして辺りを行ったり来たりしていた。
「変だなぁ、おかしいな……」
ユウヤは顔を上げた。そこは街のはずれで、開けた空き地になっていた。風が吹き抜けて、砂が舞い上がる。
そこでふとユウヤは気がついた。
「あれ? ここって、遺跡のところだ……」
空き地の奥、闇に紛れて古い建物の残骸が亡霊のように佇んでいる。
「おかしいなぁ、道を間違えたかな……」
地図をしまい、引き返そうと身をひるがえした時。
ユウヤはほとんど無意識に飛びのいた。ビリっと、雷撃が頬をかすめる。
咄嗟に腕を交差させて防御晶を張った。連鎖する衝撃波に、歯を食いしばりながら、ユウヤは顔を上げる。
……そこには、ユウヤの方に手のひらを向けながら立っている、ポルックスがいた。
☆
月の光に導かれるように、ユウトは進んでいた。月が出たおかげで探し出せたメガネが、再び視界を光の濁流から守っている。
ユウヤが……危ない。
走り出そうとするのに、冷えていく身体が言うことを聞かなかった。
「クソ……」
ユウトは剣をつきたて、傷口を押さえる。
「――ッ……」
その時、二つの足音が聞こえてきた。
「――ユウトくんっ⁉」
緊迫したその声音が耳に届き、顔を上げる。
「どうしたの⁉ 大丈夫っ⁉」
現れたカオルとシズクの姿に、ユウトは安堵の息をついた。
「……ッ……、ああ、大丈夫だ、それよりユウヤが危ない」
「ちょっと待って、すぐに治すから!」
カオルはユウトの服をまくりあげて、そっと傷口に触れる。淡い光が傷口を包み、傷が塞がっていく。
「……事件の犯人は、ポルックスだったんだな」
ユウトの言葉に、シズクは頷く。
「そうだね。兄を狙った殺人事件を繰り返したのは、カストルじゃない。ポルックス自身だ」
「じゃあ、これはポルックスに……?」
ユウトは唇の端を噛んだ。
「ああ……ペンダントを壊されたから、ルティスも呼べてない……」
ユウトは苦し気に咳き込みながら続ける。
「それより、あいつはユウヤを殺すつもりだ……!」
「でも、ユウヤくんは、ルティスといるんじゃないの?」
カオルの言葉に、ユウトは俯く。
「予定なら、ルティスと一緒にいるはずだ、けど……」
声に微かに悔しさをにじませて続ける。思い出すのは、ユウヤに地図を渡していたポルックスの姿だった。
「もしかしたらポルックスはユウヤに、本来の約束と違う場所を教えたのかもしれない。そうだとすれば、ユウヤは今一人だ……俺たちにはどこにいるかもわからない」
「そんな……それなら、探さなきゃ!」
「ああ……」
「……待ってユウトくん、まだ動かないで!」
カオルが集中すると、みるみる傷が癒えていく。しばらくすると、その傷はすっかり塞がった。ユウトは汗を拭い、息をつく。
「……ありがとう、助かった……」
「傷は治したけど、ずいぶん血が流れてる……無理しないで、ユウトくん」
「ああ」
ユウトはすぐに立ち上がった。
「カオルさんたちもユウヤを探してくれ」
そう言うと返事も待たずに駆け出し、ユウトは闇の中へ飛び込んでいく。
残された二人は顔を見合わせ、頷きあった。
☆
次々と迫る攻撃を防御魔法で防ぎながら、ユウヤは状況を理解できない。
「ポルックス……⁉」
なんとかそう呼んだところで、一旦、攻撃が止む。ユウヤは身構えたまま、何を言えばいいのか、言葉を彷徨わせた。
「……ボクのこと、信じてた?」
先に沈黙を破ったのは、ポルックスだった。微かに嘲るような声に、ユウヤは静かに頷いた。
「……信じてるよ。今だって」
「これでも?」
轟くような雷撃がユウヤを襲う。シールドを砕いて貫通し、それはユウヤの全身を直撃した。
「――うぁあ――ッ!」
呻くような悲鳴をあげて、ユウヤは膝から崩れ落ちる。
全身が痺れ、麻痺したように動けない。
「……ッ…………」
「ねぇ、キミがいなくなったら、弟のユウトくんはどうなるだろうね」
ユウヤは顔を上げた。痺れた喉から、声を絞り出す。
「……ポルックス、きみは……お兄さんに会いたかった、そうでしょ……」
「そうだよ」
ポルックスは無表情に頷いた。ユウヤは、へへ……と笑う。
「なら、おれが、信じたとおりだ……」
「ずいぶん余裕みたいだね? 助けが来るとでも思ってるの?」
魔法が使われれば、ルティスはすぐに気づいて駆けつけてくれる。そのはずだった。そんな考えをあざ笑うように、ポルックスは冷たく続ける。
「ルティスは来ないよ。忘れたの? 消せるのは魔力の痕跡だけじゃない……魔力、魔法そのものを、覆い隠すことだってできるんだ」
それなら、ルティスは気づけない。ルティスに合流できなかったのも……ポルックスがわざと別の場所を教えたからなのだと気づいて、ユウヤは苦笑した。
「ねぇ……ポルックス……きみは、カストルに、会いたかったんでしょう」
繰り返すユウヤに、ポルックスは応えない。右腕に雷撃をまとわせ、ユウヤに一歩ずつ近づく。
「それなら、どうしておれを殺すの?」
「キミたちはボクたちと同じだから」
「どういう、こと?」
ポルックスの瞳に、暗い星が光っている。
「……苛々するんだよ。同じなのに。なんでキミたちは一緒にいる? なんで共に生きていける? ……そんなの、許せない。ほら、これがボクの本心なんだよ! 世界なんて、誰かを救うなんて……どうでもいい!」
それから急に、押し殺すような声になった。
「……だから、証明するんだ。カストルが、ボクには必要なんだって」
「証明……?」
「そうだよ……」
どこか虚ろな目のポルックスに、ユウヤはでも……と言葉を返す。
「きみの望みは……殺すことじゃない……おれを殺すことも……それは、ポルックスの望みじゃない、でしょ……?」
「……二人そろって、分かったような口聞くね」
ユウヤは少し悲しそうに微笑んだ。
「べつに、分かってなんかないよ。だから知りたかったんだ……」
「キミは、なんでそう、知りたがるのかな」
「……だって、仲間でしょ? まだ、出会ったばかりだけど……でも」
ポルックスはユウヤの前に立った。
「きみを信じてる。だから……」
その瞳をまっすぐに見つめ、ユウヤは告げる。
「ねぇ、だから、続きを聞かせてよ」
「……続き?」
少し困惑したように、ポルックスは呟いた。
「続きなんか、ない……」
そして、腕ををかざした。電撃がバチバチと指先で弾ける。
――ほら、ボクのところへ帰ってきてよ。
じゃないとまた、殺しちゃうよ?
ねぇ、お兄ちゃん。
☆
フィオレナは月が照らす夜道で立ち尽くしていた。
「……貴方は……」
輝くようなエメラルドグリーンの瞳が見下ろしている。
ひらりと屋根から飛び降りて、フィオレナの目の前に降りてくる。
「――ちょっとだけ、協力してくれないかな」
そしてフィオレナは、息を呑んだ。
第十二話
ユウヤは見上げる。
雷撃が迫っていた。それに当たれば、一瞬で気を失い、そのまま殺されるだろう。
そして、ユウトの顔がよぎる。
「――ッ」
ユウヤは振り下ろされた手を飛びのいて躱した。手のひらを突き出し、光球を放つ。ポルックスがそれを避ける隙に、ユウヤは風を起こした。
暴風に砂が舞い上がり、視界が奪われる。ユウヤは踵を返し、その場から逃げようと縺れる足で走り出す。
「――無駄だよ」
その声がどこからか聞こえ、間髪入れずにユウヤを電撃が貫いた。
「うぐ――あ……」
「ボクの放電に、視界は関係ない。電気はボクとキミの間を繋ぐように流れるだけ」
ざあっとポルックスが起こした風が、砂を吹き飛ばした。
「これで終わりだね」
麻痺した身体を動かせない。振り下ろされる腕に、ユウヤは目を閉じかけた、その時――。
「ユウヤくんっ――!」
ユウヤの視界が、水色に翳る。
ポルックスの腕は、二人の間に割り込んだ人影の――肩から胸を切り裂いた。
「テリシア⁉」
だが血がほとばしる代わりに、砕け散ったのは透明なガラスのような、防御晶だった。
「ウィンド・ブレード!」
テリシアが杖を突きだし、風の刃の連撃を放った。ポルックスはそれを躱しながら飛び退り、距離をとる。
「だ、大丈夫⁉」
焦った声色で尋ねるユウヤに、テリシアは振り向いてにこっと笑う。
「うん! フィオレナのおまじないのおかげ!」
テリシアはくるりと杖を回し、ユウヤに向けた。
「えっと……治癒魔法は……苦手だけど、――キュア!」
そう呟くと、二人の間にふわりと光が漂う。ユウヤは、身体の痛みが和らぐのを感じた。
「あ、ありがとう、テリシア……何でここに?」
「え? えーと……犯人はポルックスだよ! ってユウトくんに伝えるはずが、ちょっと道に……ま、まぁまぁ、任せてよ! ユウヤくんは、わたしが守るって言ったでしょ?」
なぜか一瞬きまり悪そうな顔をしたテリシアだったが、すぐに気を取り直して胸を張る。
「……あ、ありがとう……もうダメかと思ったよ」
「諦めるなんて、ユウヤくんらしくないねっ!」
「……うん、そうだ、そうだよね」
ユウヤは痺れのとれてきた身体に力を入れ、なんとか立ち上がる。テリシアの魔法のおかげだった。
二人は再び、ポルックスに向き合う。
「もう分かったんだからね、ポルックスが事件の犯人なんでしょ! 証拠だってあるんだからっ!」
テリシアの大声に、ポルックスはへえ、と顎を上げた。
「そっか。でも、どうやってここから生きて帰るつもり?」
「え――と……」
ポルックスはおもむろに手を振り下ろした。その足元に、橙色に輝く魔法陣が展開される。
「ま、魔法陣……っ」
それは強力な魔法の前触れだった。
二人が身構えるのと同時に、ポルックスを取り囲むように六つの光が浮かび、そこから電撃が放たれた。
「――ッ、シールド!」
テリシアは杖を構え、二人は手をかざして防御した。ガラス板のような透明な防御晶が二人の目の前に生じ、雷撃を受け止める。
絶大なエネルギーに、ピシピシ、とそのシールドが震えた。数秒持つか、どうか。それでさえ、ポルックスは一割の本気も出していないのだろうことをユウヤは察する。
だが、それはチャンスだ。殺そうと思えば、殺せるはずなのに、ポルックスは引き延ばしている。
――やっぱりそうだ。ポルックスは、……ただ待っている。
「敗けるわけには、いかないよね……」
ポルックスの声がよみがえる。
『キミがいなくなったら、弟のユウトくんはどうなるだろうね』
思い浮かぶユウトの姿が、ユウヤを奮い立たせる。こんなところで死ぬわけにはいかない。ユウトは無事だろうか。ユウトのところに、帰らないと!
「――っ! こ、このままじゃ……」
シールドは今にも砕けそうにひび割れ、テリシアの声は苦しげだ。
「……まだ、まだ……!」
ユウヤは力を込めた。
――テリシアを、守るんだ。
砕けそうなシールドを覆うように、二重三重のシールドが展開し、電撃を防ぐ。
――けど、このままじゃ……。
これまでに使ったことのない高度な防御魔法に、ユウヤの視界は点滅する。
☆
ユウトは月の光の下、走り続ける。
――ユウヤは、どこにいるのだろう。
祈るように目を閉じて、メガネを外す。……開いた視界の奥に光が見えた。
「ユウヤ……?」
闇の奥。建物や、地形をすり抜けて……西の方角。その輝きを、ユウトの目が捉えている。魔法だ。――ユウトは、直感する。
事件の犯人――ポルックスは、魔法の痕跡を隠すことができた。だが、ユウトの目は、それを捉えることができるのだ。
その光を目指して、ユウトは走った。
もう、分かっている。どんな暗闇でも進める理由。脚を止めずに、走り続けられるのは――先にいつも、その光が待っているからだ。
☆
「……ユ、ユウヤ、くん、……ッ! もう、無理だよ……っ!」
「く……っ!」
こちらがどれだけ防御を重ねても、ポルックスはたやすく雷撃の手数と威力を増す。攻撃に転じる暇なんて、全くなかった。
「……あ、諦めない……っ!」
そう呟いた時、ユウヤはシールドの向こうに閃く光を見た。
「――⁉」
ポルックスは驚いたように顔を横に向け、飛びのく。
だが、空から高速で落下してきた影の方が、一瞬速かった。その剣先が、ポルックスの胸を切り裂く。
「ユウト……!」
ポルックスから距離を取り、こちらに向かってくるその姿に、ユウヤは安堵の声を漏らす。
「ユウヤ、大丈夫か?」
「うん、――け、怪我してるの?!」
「だ、だだ、大丈夫⁉」
血まみれの服に気がついたユウヤとテリシアの血の気が引く。ユウトは安心させるように首を振った。
「もう大丈夫だ。カオルさんに治してもらった。それより、まだ終わってない、避けられた」
「……!」
その声に見やると、ポルックスは胸から薄く血を流してはいたが、その傷は浅かった。忌々しげに、睨みつけてくる瞳と目が合う。
「……ねぇ、ポルックス! やめよう、こんなこと!」
ユウヤは叫んだ。
「おれたちは戦おうとしてるわけじゃない……! ポルックス、どうしてこんな事件を起こしたの⁉ それを教えてよ!」
「……それを知ってどうするつもり?」
ポルックスは再び魔法陣を展開する。
「ボクはただ、カストルに――」
その声が、不意に揺れ、それを押し切るように叫んだ。
「帰ってきてほしいだけだよっ!」
「わわ――ッ来るよ!」
テリシアは一声叫んで、杖を掲げる。三人で再びシールドを展開させるが、ポルックスの攻撃の威力は激しさを増す。
持って十秒だろうと、ユウトは必死に頭を回転させる。
永遠のように長い数秒間、走馬灯のように記憶が巡り――なぜか不意に、ひとつの旋律が響いてくる。
――きっとできる、今なら。
「……ユウヤ」
「うん」
二人は頷きあう。
「テリシア、俺たちに十秒くれるか?」
「――え⁉ わ、分かった――やってみる!」
テリシアは眉を寄せて、杖を握る手に力を籠める。
ユウヤとユウトが手を下ろして後ろに下がると、その瞬間弱まったシールドが途端に悲鳴を上げた。
「う――わわ、わ!」
と唸るテリシアの背後で、二人は頷きあった。
「いけるか? ユウヤ」
「うん、いけるよ、――おれを信じて、ユウト!」
これまでに一度も、成功させたことはない魔法のはずなのに――当然のように通じ合い、ずっと昔から知っていたように体が動く。
目を閉じた二人の足元から風が巻き起こった。
シールドがぴしぴしと砕け始めた時……。
二人の頭上に、二つの大きな光が浮かび上がった。それは向かい合う二つの三日月のように、煌々と輝く。
線対象に欠けた光が、やがて重なって溶け合い――巨大な光の環が空に浮かんだ。
――この世界は不思議だ、とユウトは思う。心同士、触れるみたいに、想いが叶い、願いが届く。二人は視線を交わす。微笑みがよぎる。
その瞬間、粉々になったシールドを貫いて、雷撃が迫った。
『――月環』
声が重なる。
環から降り注いで三人を覆った光は、間一髪……鏡のように雷撃を反射した。
「――⁉」
突如向きを変えた電撃はポルックスは直撃し、周囲に轟音を放った。爆風が弾けるが、光の中にいるユウトたちには全く影響がない。
「す、すごい……」
テリシアはあっけにとられた顔で呟いた。
「二人とも、いつの間に⁉」
振り返ったテリシアの後ろで、ユウヤは自分の頭上を見上げていた。
やわらかいカーテンのような月光が降り注ぎ、夜を照らしている。
「いや……成功したのは初めてなんだ……なんか変な感じ、ねぇ、ユウト……?」
「ああ……」
と頷いてから、やっぱりそうだった、とユウトは苦笑する。この魔法の完成を妨げていたのは――自分の方だった。『半分』を委ねきれず、無意識に自分がやるべき以上のことをして、力の釣り合いを崩していたのだ。……ポルックスの言う通りだった。ユウトの瞳が翳る。
「……ユウト?」
そして砂埃の中から、ふらりとポルックスが立ち上がった。
「……不思議な、力だな……」
その声に、ユウヤはハッと視線を戻す。
「ポルックス、もうやめよう!」
ユウヤは再び必死に叫んだ。月の環が光り輝き、徐々に消えていく。
ぼんやりと光を眺めるポルックスの胸中に、よぎる思いがあった。
――なぜ、壊さなければならないのだろう。なぜ……一体ボクは、なんのために殺そうとしているんだろう?
……《自由に、壊せばいい》……? これは、誰の言葉だ?
その時。
「そいつらの言うとおりだ、もうその辺にしといたらどうだ?」
ふわり、と両者の間に人影が下りてきた。
一同は揃って息を呑む。
ユウヤたちは言葉を失った。
張り詰めた沈黙を破って、最初に呼んだのは、ポルックスだった。
「……――お兄ちゃん?」
それはどこか歪んだ声で、心細く風に吹かれていく。
ポルックスにそっくりの姿。輝くエメラルドグリーンの瞳が、彼を見据えた。
第十三話
時はそれから、少し遡る。
遺跡から少し離れた場所に広がる、墓地は闇に閉ざされていた。
誰の姿もないかのように見えるその闇に、溶け込む影がある。
「……やっと見つけた」
シズクが静かに言い放つと、その影は笑ったようだった。
「へぇ、よくここがわかったね」
「……偶然だよ」
「偶然僕に辿り着けた奴は、これまでに一人もいないけどね」
一歩踏み出しかけたカオルを、シズクは制止する。
「……きみがこうやって、事件を起こして来たんだね」
カオルの問いかけに、墓石に腰かけていた影は、ひらりと飛び降りた。
「勘違いしてもらっちゃ困るな。事件を起こしたのはあくまでも彼らであって、僕じゃない。僕はほんのちょっとだけ、その手助けをしただけさ」
二人は黙ってその影を見つめていた。
「じゃあね、異世界人」
影は闇に溶けて消える。その瞬間、少し離れた場所から、シズクは激しい魔力を感じ取った。……これまでそれを覆い隠していた、霧が晴れるように。
「向こうに、ユウヤくんたちがいる」
「うん、急ごう!」
二人がそちらの方向へと走りだそうとした時……。
「……シズクさん、カオルさん!」
そんな声に振り返ると、墓場の入り口にはフィオレナが立っていた。
☆
「久しぶりだな、ポルックス」
その声にポルックスは顔を歪めて俯いた。頭痛でもするかのように、額に手のひらを押し付ける。
「う、ん……そうだね、お兄ちゃん……」
先程までの戦意と殺意が嘘のように、ポルックスは静かに立ちすくんでいた。
ユウヤは首を傾げる。
……なぜ、ポルックスはようやく会えたカストルに対して……あんな顔を向けているのだろう。そこに浮かんでいるのは、まるで絶望だった。
「ボク……ボクは、帰って、来てほしかったんだよ……お兄ちゃんに……」
カストルは黙ったまま、なにも返さない。
「ほら、お兄ちゃんが居ないと、ボクだめなんだ……人を助けるなんてさ、強くなるなんて……お兄ちゃんがいないと……だって……」
ポルックスは歪んだ笑みを浮かべ、それなのに、どこか今にも泣き出しそうな声音で、カストルから目をそらし続ける。
「……なんだか、様子がおかしくないか?」
「うん……」
二人が囁いた時、カストルは口を開いた。
「……なんで人を殺したんだ?」
「――ッ」
「ツワネールだけじゃない……これまで塔都、ロアーム、デルン、スイゾニア……全部で十五人」
その言葉に、ユウヤたちの間に戦慄が走る。
「じゅ……十五人……⁉」
「全部……知ってたの?」
ポルックスの声は小さく震える。
「……なら、それなら、なんで今まで……」
カストルは答えない。
「ねぇ……答えてよ……嫌だ……! 帰ってきてよ! お兄ちゃん……――ッ‼」
ポルックスは突然手のひらを地面に突きつけた。その動きを見て、ユウトは咄嗟にユウヤとテリシアをかばうように進み出る。
「危ないッ‼」
真っ白く一面が輝いた。目が眩むほどの光が辺りを真昼のように照らし、電撃が迸った。
――しかし、その衝撃がユウヤたちを襲うことはなかった。
「……これは凄いね」
恐る恐る目を開いたユウヤたちの先……カストルの隣にはルティスが立っていた。
金属の長い鎌を手にし、その上にまばゆい白い光が凝縮されている。あまりのまばゆさに、ユウヤたちは直視できない。
「これじゃ、街全体が吹き飛んでた……すさまじいね」
そう言うと、パッとその光はどこへともなく消え去った。
「ル、ルティス……」
ちょうどその時、ユウヤ達の背後から無数の足音がした。振り向くと、やってきたのはカオルとシズク、そしてフィオレナだ。
「みんな、大丈夫⁉」
カオルの声に、ユウヤは驚きつつも頷く。
「う、うん……でも、一体何が……」
どこか様子のおかしさを察して、ユウヤは混乱したようにあたりを見回し、それから、呆然と立ち尽していたポルックスが膝をついて蹲るのに視線を止めた。
「……ポルックス……」
そして、カストル。
ユウヤの視線は曖昧に揺れる。
「なぁポルックス。どうして人を殺した?」
カストルは繰り返した。
「……」
ポルックスは答えない。
ユウヤはほとんど無意識に踏み出した。カストルとルティスの横を通り過ぎ、ポルックスの前にひざまずき、その肩に手をおいた。
「……続きを聞かせて」
ポルックスは彷徨う視線を上げ、疲れ切ったように笑う。
「続きなんてない……もうわからないんだ……頭が痛い……」
「ポルックスの本当の想いを、聞かせてよ」
ユウヤはポルックスの震える瞳を見つめる。
「――そ、それは……」
その声が、何かと何かの狭間で揺れ動くのを、ユウヤは感じる。
ポルックスは、何かを拒んでいる。拒み続けている。
「……ポルックス……」
その傍らに、ルティスが歩み寄ってきた。
「……よく見て」
ポルックスはゆっくり、顔を上げる。そして、カストルの姿を視界に入れる。目を逸らさずに。
呼ばれている、ような気がした。
そこには、カストルが立っている。彼の後ろ……アーチの袂に、月光に照らされたカストルが、悲しげに微笑みかける。
『ポル――』
そしてその姿は、幻のように溶けて消える。
ああ、とポルックスは息を吐いた。
――待っていたのは、ボクじゃない。ボクが、お兄ちゃんを待たせていたんだ。ずっと、ずっと、一人きりの暗い場所に。本当のお兄ちゃんを。
「――……お兄ちゃん。……いや……」
そして、ポルックスは力なく首を振った。
「お兄ちゃんじゃ……ない。そうだね、お兄ちゃんは……もう、――死んだんだから」
「え……?」
ユウヤは振り向いた。
視線の先、確かにそこにいて、頷いたカストルが小さく笑う。――悲しそうに。
その姿が蜃気楼のようにゆらぎ……。
変わっていく。
数秒後、そこに立っているのは、もうカストルではない。
現れたのは緑色の髪の、黒い翼の少女だった。
★
カストルが家を出ていって、一人になったポルックスは、その後もまおー軍として戦い続けた。
任務のレベルを元通りに引き上げ、いまだに魔族たちが支配する地域の奪還作戦に参加したり、火山の噴火で眠りから目覚めた巨竜と戦ったりした。
戦い続けた。それが……カストルが望んだことだと信じていた。それから後悔が募った。あの日、カストルの言葉をちゃんと聞くことができなかったことが……。
だからポルックスは、カストルを探し続けた。
そして三年後、ポルックスはようやくカストルに再会することになる。
それは名前だった。塔都の町外れの墓地、墓石に刻まれた名前。――カストル・ルヴィ。
☆
「今年の二ノ月……塔都でとある事件が起きたんだ。それは、魔族と人族の混血を嫌う者たちが混血を狙って殺した、理不尽な連続殺人事件だよ。その最後の犠牲者が、カストル・ルヴィ。……君の兄だったね。混血殺人事件を知ったカストルが、自分の身を囮に組織に近づいたんだ。おかげで犯人は捕まって、事件は幕を閉じた。けど……その戦いで傷ついたカストルは、助からなかったんだ。その時……カストルは左腕を失っていた」
まおー軍幹部の一人、ラインハイト。――彼女はそう名乗り、話し始めた。
カストルはもういない――、この街にこの数日間現れたカストルは、彼女が姿を変えて見せたものだった。
「……それからだね、世界の各地で奇妙な兄殺しの事件が起こり始めたのは」
ポルックスは黙って話を聞いていたが、目を閉じ、静かに頷いた。
「うん……思い出したよ」
★
ポルックスが長い遠征から戻ってきた時。本部に立ち寄ると、軍の知り合いがせき切ったように駆け寄ってきた。
――お前の兄……カストルって言ったよな⁉ 前まで、まおー軍にいた……。
――そうだよ、もしかして……。
戻ってきたの? と嬉しげに言いかけた言葉を、彼の突き出した記事が粉々に砕く。
――殺人、混血、左腕、塔都……死亡、カストル……。
そういった文字列がバラバラに踊り、ポルックスの目を眩ませた。
既に事件は終わっていた。犯人たちは牢獄に入れられ、カストルは墓石の下で眠りについていた。
☆
「――なんで、って思ったよ」
ポルックスは呟く。
「なんでお兄ちゃんが? あんなに世界の、人々のことを、幸福を、平和を願ってたお兄ちゃんが、なんで殺されなきゃいけなかったんだろう。なんで……でも……」
とポルックスはうなだれる。
「ボクのせいだ……ボクが弱かったから。お兄ちゃんの言葉を聞かなかった。だからお兄ちゃんを一人にした。守れなかった……だから死なせちゃったんだ……」
★
――もう、お兄ちゃんがこの世界にいない?
絶望が世界を満たした。なにもかもは空虚で、もう意味がなかった。なにをしても、その命は取り戻せない。会うことも話すこともできない。もう褒めてはもらえない。笑いかけてくれることもない。虚ろに歩く街角で、気づけば今まで通りカストルを探し続けていた。
欠けたまま……どうやって生きていけばいい?
薄暗い日暮れ時、冷たい雨の降る墓場に、ポルックスは佇んでいた。
「――ねぇ、君」
声に虚ろな顔を上げると、隣には黒づくめの人影があった。
傘もささずに濡れたポルックスの髪から、雨雫が滴り落ちる。
「こんな世界、って思ったことはない?」
男とも女とも判別のつかない、どこか軽薄な声が雨に紛れて、やっとポルックスの耳に届く。
「……」
ポルックスは黙ったまま、その姿を見ていた。
「こんな世界……おかしい、狂ってる、理不尽だ。だろう?」
目深にかぶったフードの下で、口元が歪んだ。
「――君のお兄さんは、《こんな世界》で死んだんだ」
その言葉に、ぴくりとポルックスの肩が震える。
「……なんで、それを」
「こんな世界で生き延びる方法はひとつしかないって、君もとっくに気づいてるはずだ」
心臓が冷え冷えと打った。
これまでどうやって生きてきただろう。
守らなきゃ、愛さなきゃ――。
母さんや、カストルが言ったように。
だけど……。
ポルックスの目が虚ろに降りしきる雨を映す。
「なぜこんな世界を守らなければならない? こんな世界を、生きる人々を、なぜ愛さなければならない?」
風が荒れ、ざあっとしぶきが頬を打つ。そして声はどこか狂気を孕んで雨音に包まれる。
「壊しなよ。守る必要なんてない。愛する必要なんてないんだ。こんな世界、君が好きなように。――自由に、壊してやればいいんだよ」
吹き荒れる暗い雨の中、ポルックスの瞳は星のように暗く輝いている。
「僕が力を貸してあげる」
☆
「――ボクは……もう守るのに疲れた」
ポルックスは俯き、自嘲気味に吐き捨てる。
「こんな世界を、守るなんて馬鹿げてる……、って、思ってしまったんだ」
★
墓場で謎の人物に声をかけられた数日後、ポルックスは道端で並んで歩く親しげな兄弟を見かけた。
その時に胸に沸き上がった感情は、――「守りたい」、そんなものではなかった。
『なんでお兄ちゃんが死んだのに、こいつは生きて、笑っているんだろう』
守らなきゃ、愛さなきゃ、張り詰めて擦り切れたその糸が、ついにぷつんと途切れる。
――自分の本心に気づいた時、分かった気がした。ボクは一人じゃだめだって。お兄ちゃんがいなければ、ボクはあいつが言った通り、「理不尽な世界」そのものになってしまうって。ボクにはお兄ちゃんが必要なんだ。だからボクは――世界を壊して、それを証明する。
……それ以外に、どうすればいい?
「お兄ちゃん、ほら、ボクは一人じゃダメなんだ……だから、だからさ……帰ってきてよ、お兄ちゃん…………」
その時、カストルの声が響いた。
『ポルは、オレが居なくても大丈夫だろ? だから……』
――違う‼
――ボクにはお兄ちゃんがいなきゃダメなんだ。
――ほら……。
気づいたら、眼の前には少年が死んでいた。
弟らしき、もうひとりの少年が、声を上げて泣いている。
――あれ、ボクは何をしているのだろう。
恐ろしいほどの絶望の気配が、津波のように遠くから押し寄せてくるのを感じた時、
「ほら、壊せ。きみの願うように」
囁く声が聞こえ、頭の後ろから目を隠すようにして、視界を奪われた。
「そうすれば、君の兄は帰ってくるよ……」
目の前の現実は虚ろに闇に溶け、記憶が混濁する。お兄ちゃんが――死んだ? 違う、それはただの、悪い夢だ。いつものことじゃないか……。お兄ちゃんが家を出ていったあの日から……時々見る、ただの悪夢だ。今も、どこかでお兄ちゃんは生きている。だから、知らせなきゃ。
――ねぇお兄ちゃん、ほら早く帰ってきて。
――弟には、お兄ちゃんがいなきゃダメなんだ。
気がつけば、そうして殺し続けていた。
――お兄ちゃんがいなきゃ、欠けたボク一人じゃ、生きていけないんだよ。
☆
煌々と輝く三日月の下、風が砂を、どこからか遠く、哀歌の旋律を運んでくる。
ポルックスはようやくすべてを思い出した。
カストルが死んで、現れた謎の影……その日から始まった、カストルを待ちわび、欠落を証明するために殺し続ける日々。今もどこかで生きているカストルを呼びだすために……そう思っているはずが、《兄》ばかりを殺し、左腕を切り落としたのは……カストルが死んだのに、生きて笑っている者たちへの憎悪だった。どうしようもないほど破綻し、矛盾した論理で、今までどうやって生きてきたのか、まるで思い出せない。
「……それでもあなたがしたことは許されない」
ルティスはそう言い渡す。
「あなたが望むなら、あたしはあなたを断罪する」
ポルックスは静かに頭を垂れたまま呟いた。
「断罪のルティス、か……最初から全部わかっていて、ボクを裁くためにここへ来たんだね」
ルティスは答えない。その無言に肯定を受け取って、ポルックスは苦く笑った。
「それなら、さっさとボクを殺せばよかったのに。いつでも殺せただろ、ボクのことなんて……」
「……裁く権利は誰にあると思う?」
ルティスの声が響く。ポルックスは疲れ切った顔をゆっくりと上げる。
「誰、って……」
「裁く権利は、誰にもない。あたしにも、他の誰にも――あたしは罪を裁きに来たわけじゃない、きみが望むものを与えに来た」
「……ボクが、望む……?」
「そう、あたしはきみの本当の望みを、聞きに来ただけ」
ルティスは手の中に細く長い、十字架のような金属鎌を出現させた。
「望み、なんて……」
ポルックスは自嘲するようにかすかに笑った。
「ボクは……」
うわごとのようにそう口を開いて。
「……お兄ちゃんと、ずっと一緒にいたくて……帰ってきて、欲しくて……」
「きみの兄は、もういない」
ルティスの声にポルックスは苦笑する。
「そうだね、だから……」
ボクには、望みなんて、なにも……。
「――許されたい……」
ほとんど無意識にそう呟いたポルックスは、自分の中にあった望みにようやく気がついた。
――ああ、最初から……あの日から、本当の願いはただそれだけだったのだ。
気づけばそれは単純で、そして今更気づくには、あまりに残酷すぎた。
「お兄ちゃんに、許してほしかった……お兄ちゃんを一人ぼっちにしちゃった……お兄ちゃんを一人ぼっちで死なせた……ぼくのことを……」
両手を顔の前に差し出し、その罪に汚れた手が初めてポルックスの目に入る。
「それだけだったのに――こんな――もう――」
喉の奥が詰まり、言葉を失う。
殺し続けた十五人。兄を失った十五人の弟達。彼らに、何の罪があった? 人を救ってとカストルは願ったはずなのに――なぜボクはこんなにも殺したのだろう?
――だがそれは、まぎれもなく自分で選んだことだった。あの人物は、ただポルックスに言っただけだ。自由に壊せばいいと。その言葉にすがるようにして、現実を見るのをやめた。それは自分の意思であり、何を以っても償いようのない、自分の罪だった。
誰もが言葉を失う、重苦しい沈黙を破ったのは、ユウヤだった。
「ねぇ……」
穏やかで優しい、その声が言った。窓から吹き込む風のように。
「さっき……カストルの腕輪を見せてくれたでしょ? あれは、カストルの遺品だったんだね」
「……そう……そうだね」
ポルックスは呟いた。
「聞いて、ポルックス」
ユウヤの声に、ポルックスは虚ろな目を上げる。ユウヤはその瞳をまっすぐ覗き込むと、息を吸い込んだ。
「……ポル」
とユウヤは言った。え、とポルックスは目を見開く。
「ポル、お前なら、……おれがいなくても、大丈夫だから。――これからも、ずっと一緒だから」
一言ずつ、確実に、ユウヤはその言葉を伝える。
「だから……どうか、哀しまないで」
その言葉に、ポルックスの瞳から涙が零れ落ちた。ユウヤは少し照れくさそうに笑う。
「……って、あの腕輪から、そう聞こえたんだ。きっと……カストルの最期の想いだったんだと思う。それがきっと、カストルがキミに伝えたかったこと――」
――『ずっと、一緒』……それがきっと、『どうして』の答えだよ。
ポルックスの喉から嗚咽が漏れた。ルティスが、ユウヤに目配せする。ユウヤは少しためらったが、そっと立ち上がってポルックスから離れた。
ルティスはポルックスを見下ろす。
「死んだ命は帰らない。償うことはできない……それでも、償いたい? ――許されることはない。それでも、許されたい?」
ポルックスは嗚咽を堪えて目を閉じ、静かに頷いた。
「なら――」
ルティスは金属鎌を突きつけ、その先端がポルックスの首筋にひやりと触れる。
「……あたしが、断罪する」
ふっと、軽やかに腕を振るって。
息を呑んで見守るユウヤ達の前で、その鎌は、滑らかに切り落とした。
ポルックスの――左腕を。
血が噴き出し、ポルックスは右手で肩を抑える。一瞬、何が起こったかわからないような顔をしていたポルックスは、呆けたようにルティスを見上げた。
「……殺さないの、ボクを」
ルティスは静かに告げる。
「欠けたまま、生きられるようになりなさい。そうして償い続けなさい」
彼らの頭上には、欠けた月が空高く、ただ静謐な光を零していた。
第十四話
砂の街に、雲の切れ間から朝日が差し、夜明けが訪れる。
誰も殺されることはなく、次の日――二十六日の朝がやってきた。
「そうか、事件は解決したのか」
ユウヤとユウトは、二人で南地区の酒場を訪れていた。店内はすっかり片づけられ、以前に来た時よりもずいぶん広く感じられる。
マックスは二人の報告を聞いて、少し遠い目をした。
「……まさかあいつが、犯人だったなんてな」
「うん。おれたちも、なかなか気づけなくて……」
「なんにせよ、お前さんたちが無事でよかった。事件を解決してくれたのはありがたいが……、あまり危険なことに足をつっこむんじゃないぞ」
「あはは……」
ユウヤは苦笑し、店内をぐるりと見渡した。そんな様子に気がついたマックスが、ふと口を開く。
「……店だけどな。兄貴が死んだこの場所で続ける気にはなれなかったんだが、……移転しようかと思ってな」
「え?」
マックスの言葉に、ユウヤは少し嬉しそうに顔をほころばせた。
「そうなんですね!」
「うちで出してた料理は、父親から、兄貴から……、引き継いできたもんだ。場所が変わってもいいから、続けてほしい、って客が多くてよ。……はは、参っちまうな」
「それなら、いつかおれたちも行っていいかな!」
マックスは「ああ」と頷いた。
「もちろん歓迎するさ。またこの街に立ち寄った時にでも、来てくれ」
「うん! 絶対来ようね、ユウト!」
「ああ、そうだな。……そろそろ、戻るか」
話がひと段落したところで、ユウトは言った。
「うん。それじゃあ、マックスさん、お店……頑張ってください!」
「ああ、お前さんたちもな」
マックスに別れを告げて、二人は酒場を後にした。
☆
「それにしても……みんな無事で、ほんとに良かったぁ……」
と、カオルは円卓にもたれかかった。
「うんうん、ほんとに良かったよ~!」
とうなずきながらフォークを差し込み、テリシアは真っ白いフランを口に運び、目を輝かせる。
「うん、おいしい!」
今朝、事件の被害者たちへの報告を終えた彼らは、街のケーキ屋に訪れていた。そこは以前ポルックスに教えてもらった、この街の隠れた名物――ツワネール・フランが有名な店だった。現在の店主は三代目で、ずいぶん歴史がある店らしい。
「でも……、この事件の犯人は、ポルックスだったんだね……」
とユウヤはフォークに載せたフランを見つめ、そう呟いた。
「うんうん……道に迷ってたら、ユウヤくんとポルックスが戦ってたからびっくりしたよ〜!」
「え? テリシア道に迷ってたの?」
「あ、違うよっ⁉ ユウヤくんを助けに行ったに決まってるじゃん!」
と慌てるテリシア。
「あはは、そっか。……いや、というかさ……カストルが、まさかもういなかったなんて……」
ユウヤはため息を吐いて、フランを口に運んだ。
「ええ……ラインハイトさんですね。確かに、姿形を変えられると聞いたことはありましたが、あんなにも精巧だとは思いませんでした」
「特にすごいのは……身に纏う魔力まで完全に再現していたことじゃないか。俺も見抜けなかった……」
とユウトも頷く。
ラインハイト……まおー軍の幹部の一人、『黒鴉のラインハイト』。彼女は今回の事件に、裏から協力していたのだと語った。……少し、照れくさそうに。
「そういえばさ、フィオレナたちは……あの時、どうしていたの?」
ユウヤは思い返しながら尋ねる。まるで示し合わせたように、ルティスと共に現れたフィオレナたちのことが、気になっていた。
「実は私たちも、あの夜はポルックスが犯人だと気づいて、ユウヤくんを探していたんです。そこで……ラインハイトさんに出会いました」
「え、そうだったの⁉」
それから、カオルは「実はね……」と切り出す。
「私とシズク……フィオレナは、カストルが殺された事件の事を知っていたんだ。だから、ポルックスが嘘をついている事には気づいてたの」
「え⁉」
とユウヤとテリシアは揃ってフォークを取り落とした。
「そ、それなら、言ってくれればよかったのにー!」
「ごめんねテリシア~。でも……このことをルティスが黙っていたことに、きっと意味があるはずだって思ったんだよ」
「……なるほど、確かにそうだな」
ユウトも最初は驚いた様子だったが、冷静に頷いた。
「それで、ラインハイトさんに言われたんです。ポルックスが自分で真実を語るまで、何も言わないでくれ、って」
「自分で、真実を……?」
フォークを拾いながら呟いたユウヤに、カオルは頷いて続ける。
「うん。ルティスさんたちは、ポルックスが犯人であることは最初からわかっていた。けど……彼が自分自身で真実を受け入れて、現実を取り戻すこと……それが必要なんだ、って」
そんな話を聞いて、ユウヤは目を伏せた。
「うーん……それって、すごく……辛いことだよね」
「そうですね……」
とフィオレナも、思いを馳せるように呟いた。
「おれたち、何かの役に立てたのかなぁ……」
そんなユウヤにカオルは、もちろん、と笑いかける。
「ポルックスのことを信じていたユウヤくんたちが向き合ったからこそ……ポルックスは自分の力でもう一度現実を取り戻したんだよ」
……それが、どんなに残酷な現実だとしても、か……と、ユウトは心の裡で思った。
「そっか……それなら、ポルックスは……」
とユウヤは、ポルックスとの別れ際を思い出す。
ポルックスは昨夜のうちに、ラインハイトに塔都へと連れていかれた。塔都には大きな牢獄がある。ポルックスもそこに入ることになるというのが、ルティスの話だった。もう会うこともないだろう。
「ポルックス……」
思わず呼び掛けると、振り向いた彼は濡れて傷ついた頬で、かすかに微笑んで。
「……ありがとう」
と、最後に言ったのだった。
「きっと、これからポルックスは、自分の罪に向き合うんだね……」
少し暗くなってしまった空気を変えるように、カオルは声音を明るくした。
「ってわけで、ルティスが出て行くまでは黙って見守っててくれって言われたんだよね。もー、ひやひやしたよ!」
「そういうことだったんだな」
「でもでも、すごかったね、ユウヤくんたちの魔法!」
テリシアの言葉に、ユウヤは少し照れたように頭をかいた。
「えへへ……ユウトのおかげだよ」
「いや……」
ユウトはじっとユウヤの瞳を見つめる。
「……どうしたの?」
「ユウヤ、お前のおかげだ」
ユウヤはきょとんと目を瞬かせて、それから照れくさそうに笑った。
そんな二人をにこにこと眺めていたカオルは、ちらりと隣の空席を見やる。
「それにしてもシズク、用事があるから、なんて……どこ行っちゃったのかなぁ」
心配そうにそう呟いて、一つだけ手つかずのままのフランをじっと見つめた。
☆
ツワネールの町はずれ……砂風の吹く墓地に、二つの人影があった。
「……面白いな、異世界人。どうして僕のことが分かったのかな?」
その黒尽くめの影は墓石の上に腰掛け、声はどこか嘲るように笑って相手を見下ろしている。
「何が目的?」
対峙するシズクの鋭い語調に、今度は静かに口を歪めた。
「《完全記憶》……大したことはない能力だと思っていたけど」
質問には答えずに、滔々と続ける。
「表面上はどれもありきたりな事件にすぎないのに、それがただの殺人や暴力事件じゃないって、よく気づいたね」
シズクは黙ったまま、冷たい瞳でフードの奥の闇を見据えている。
「……そんなに怖い顔しないでよ。ほら、楽しもう」
ふざけたように大げさに手を広げてみせると、吹き抜ける風が裾をばたつかせた。
「人間は面白い。ほんの少し、指先で押すだけで簡単に殺し合うんだ」
瞬間、
鮮やかな緑が宙を割った。
――《薫る風》。
それはシズクが生み出した特殊色魔法のひとつだった。全方向から生じた緑色の風の刃によって、一秒にも満たない間に対象を切り刻む。
だが、すでにそこには何の姿もなかった。
「まぁ、安心してよ。僕は君たちに手を出したりはしない。君たちを殺すのは、――君たち自身なんだからさ」
背後から聞こえた声に、シズクは振り向く。
だがそこには、乾いた墓地が広がるだけで、誰の影も見えない。
シズクはぐるりと一度周囲を見渡してから、もう何の気配もないことを確認する。
しばらくそこに佇んでから、再び墓石に向き直ると、そっとその前に花を供えた。
頭上に晴れた空に、雲がゆっくりと流れていく。
☆
フランを食べ終えて店を出たユウヤたちは、宿屋への道を歩いていた。
「ポルックスのことは許せないけど……でも、なんていうか……うーん」
とテリシアは考え込んでしまう。
「……なんていうか、悲しい事件だったね」
ユウヤの呟きに、カオルもテリシアも、同意するように頷いた。
殺人事件が解決された街は、いつものような賑わいを取り戻していた。空もよく晴れ、風も静かだった。
ユウトは一行の後を歩きながら、少しばかり考え込んでいた。
「……ユウトくん」
「え?」
声をかけられて顔を上げると、隣にフィオレナが歩いているところだった。
「もしかして、まだ何かモヤモヤしているんじゃないですか?」
「それは……、まぁ……」
フィオレナはにこりと微笑んだ。
「実は、私もなんです」
「……フィオレナも?」
「はい。だから、もしよければ……ルティスさんのところに行ってみませんか?」
そんな思いがけない誘いに、ユウトは目を瞬かせた。
☆
「フィオレナたちは気づいていたんだな……、殺人事件の犯人が誰か」
二人はユウヤたちに声をかけて支部局に向かい、そこで教わった通りに街の高台を目指していた。話によると、ルティスはよく高台にいるらしい。
「……確かに、カストルさんの亡くなった事件のことは知っていましたが……ラインハイトさんがカストルさんのふりをしているとは思わなくて。ちょっと混乱してしまったんです」
とフィオレナは苦笑する。
「まるで、幽霊が起こした事件みたい……なんて思っちゃいましたから」
「確かにな。俺たちはカストルに会った、なんて言ったわけだし」
「そうですね。だから、どちらが犯人か、私はよくわからなかったんです。シズクさんは、最初から分かっていたみたいですけど……」
そんな会話のうちに緩やかな坂を上り終えて、二人は高台に辿り着いていた。
そこで街を見下ろして佇んでいる姿があった。その頭の上には、小さなウサギのような生き物が乗っている。
「……文句でも言いに来たの?」
と、ルティスは振り向くこともなく言った。
「まぁ……」
ユウトは呟きながら、フィオレナと共にルティスのそばまで歩み寄る。
ルティスはそこでようやく振り向き、二人に向き直った。
「何?」
フィオレナの目配せを受けて、ユウトは口を開いた。
「単刀直入に言うが、お前たち……まおー軍の目的はなんだ?」
ユウトが気になっている事のひとつは、まおー軍という存在についてだった。まおー軍は大陸で最も力のある組織で、基本的には大陸の治安維持のために活動をしているようだ。だが、その目的がいまいち読み取れないのだ。支配、あるいは、正義――? そのどちらも感じられない。
その彼らが、異世界人から来た自分たちのことを把握し、詳細な情報を持っている。
「……んー、目的、か」
ユウトの問いに、ルティスは答えを探すように思案した。
「殺人事件の解決にしては、そのやり方がずいぶん回りくどかったんじゃないか」
「それは、誰かさんにも言われたな」
そんなぼやきの意味をとりかねて、ユウトは眉をひそめる。
「でも……それが必要だった」
「必要、ですか?」
フィオレナも訊き返した。ルティスは頷いて、頭の上のウサギのような生き物を手のひらに載せた。
「ポルックスは、現実に向き合うのをやめた。兄のカストルが死んだことも、自分が人を殺している本当の理由からも……目を逸らして。過去に蓋をして、本当の気持ちにも、願いにも、何にも向き合っていなかった」
「……」
「そんな人間にいくら罰を与えても、償わせることはできない」
「……そうか」
ルティスは続ける。
「罪ってなんだと思う?」
出し抜けな問いに、ユウトは怪訝な顔をした。
「また急に、難題だな」
「ポルックスは、いままでまおー軍として何百人もの命を救ってきた。その中で任務として、危険な魔族を殺す事もあった。なんの罪もない人を殺す……なんて表現もあるけど、罪って、なんなのかな」
ルティスは肩を竦める。
「曖昧だって思わない?」
「……だから、あれがあなたなりの断罪、なんですね」
「そうだね」
ルティスの金色の髪が、風に舞い上がる。
「自分の罪を心から思い知ったものは、罰を願う。だから罪を犯した人に、彼らの望んだ罰を与える。……それが、あたしの《断罪》」
それは正しいのだろうか? とユウトは考える。いや――そこに、『正しさ』などはない。だからそれも正義などではなく、ルティス自身のある種のエゴなのだ。断罪……それは罪を、定める行為だ。身勝手で恣意的な、罪の裁定。それを絶対的な力を以って行うのが、《断罪のルティス》なのだろう。
「だからポルックスの場合は、彼自身が否定しなきゃいけなかった。都合のいい夢……会いたかったはずのカストルを目の前にして、カストルはもういない、って。……ポルックスは、自分自身の力で、そう否定しなきゃいけなかった。じゃなきゃ、あの《呪い》は解けない」
ユウトはしばしその言葉を吟味するように間を開けてから、首を傾けた。
「ポルックスの話に出てきた、謎の人物……あいつのことか?」
ルティスは頷く。
「ポルックスが殺したのは十五人。しかも一人目を殺した場所は、塔都だった。塔都はまおー軍のひざ元。普通、塔都でそんな無計画な殺人を起こせば、すぐに捕らえられる。――普通ならね。だけどポルックスは殺し続けた。殺し続けることができた。それは何故だと思う?」
ユウトは神妙な面持ちで答える。
「……それが、あいつのせいだっていうのか」
ルティスは街の方に視線を戻した。しばらく話を聞いていたフィオレナが、口を開いた。
「今回の事件の調査を難航させたのは……魔力の痕跡が打ち消されていた事でした。もしかして、それは……」
「うん。あれはポルックスの力じゃない。その裏にあった、何かの力。その何者が殺人の痕跡を抹消し、魔力探知では探れないようにした。こんなことができる者はそういない。相当の、おそらくかつての魔界でも随一の魔術師……つまり、魔界王軍元幹部の誰かだとしても、おかしくないほどの、ね」
――魔界王軍。その言葉に、ユウトの心臓は強く打った。それは百年前、この大陸を侵略し、人族を滅びの危機へ追い詰めた存在だ。だとすれば――、とユウトは考える。ルティスのような力のある者が、この事件の調査に来た理由も納得できる。
「おそらく《影》の存在は今この大陸で、多くの事件の引き金になっている。誰も気がつかない、そこには何もいない……でも確かに、その《影》が、人の悪感情を煽り、殺しや暴力を引き起こしている」
「今回の、ポルックスさんのように……?」
ルティスはフィオレナの呟きに小さく頷くと、ユウトに向き直った。
「目的、っていうなら……、少なくともあたしたちは今、その《影》を追っている。きみが聞きたいのは、そういう意味でいいのかな」
ルティスの問いに、ユウトは少し考えてから頷いた。ユウトが気にかかっていたのは、まおー軍という組織のもっと根本的な目的だ。しかし、先ほどのルティスの話から、まおー軍の《目的》について少しは掴めたような気がしたのだった。
……彼ら「まおー軍」は、おそらく特定の目的を持った組織ではない。ただそこに集まった各々が、己のやりたいことをやっているだけなのではないか――と、それが今のユウトの判断だった。
「……それで、この街では事件よりも、そっちの……《影》のことを調べていたのか」
「そうだね。でも結局……」
ユウトの問いに、ルティスは嘆息した。
「その存在はほとんど掴めなかった。あたしたちは魔力を感じとって人の居場所を探れるけど、《影》からはまったく魔力を感じない――魔力を隠し、魔法の痕跡をほぼ完全と言っていいほど消滅させることができるんだろうね」
「……厄介だな」
でも、とルティスは目線を上げる。
「今回……ポルックスは一度なくした現実に再び向き合ったことで、その《影》の存在を思い出した」
ユウトはポルックスの話を思い出す。墓場で声をかけてきた謎の存在……その出来事が、ポルックスが罪を犯し続けるきっかけになってしまった。フィオレナも隣で、同じことを考えているようだった。
「つまりこれで、《影》の存在は単なる憶測ではなく、少なくとも実在する何かだと分かった……」
フィオレナの言葉にルティスは小さく頷くと、ちらりとユウトの方を見た。
「……最初に伝えたよね。キミたちも危ないかもしれないって事。それはユウヤくんたちが双子だからってだけじゃない……《影》はおそらく、異世界人のきみたちに興味を持っている」
「異世界人の、俺たちに?」
ユウトとフィオレナは視線を交わす。
「ポルックスがそれまで起こしていた事件は、周期性もなく、場所もばらばらで、犯人は特定できなかった。だけど今回、ツワネールの街に留まって五日刻みの事件を起こすように仕向けたのは、……ここにキミたちがいたから。キミたちを巻き込もうとしたからだと思うよ」
二人は言葉を失い、やがてユウトは苦々しく呟いた。
「……そうか」
ルティスの言う通り、そのまま事件が起こり続けるようなら、ユウヤたちはいずれその事件の調査を始めることになっていただろう。
もしそうなら、と、ユウトは苦い真実に気づく。
――今回の事件の被害者……彼らが殺されることになってしまったのは、……俺たちがここにきたせいなのか?
「きみたちがどうするかは自由だよ。きみたちにもきみたちの目的があるだろうから。……でも、あいつはきっときみたちを放っておかないだろうね」
そして――今回のようなことが起こるかもしれない?
「もし協力してくれるなら、あたしたちもきみたちに手を貸してもいい」
ルティスはそう言って、ぱっと手のひらの中にペンダントを取り出した。
ユウトはじっとその瞳を見上げた。ルティスはしばらくその目を見返したあと、おもむろに告げた。
「……ユウトくんたちをこの世界に召喚したのが誰か、気になるでしょ」
ユウトとフィオレナは揃って息を呑んだ。
「……知っているんですか、それを」
「うん」
ルティスが口を開きかけたその時――。
「――ちょっと、ルティ~、もう行くよ」
不意に上方からそんな声がした。三人が見上げると、空には赤い髪の少年が浮かんで、ルティスを呼んでいる。
「……あれは……まおー?」
現れたのは、度々ユウトたちの前に姿を見せる、まおーと名乗る少年だった。
「なんであいつがここに……?」
ふぅ、とルティスは息をついた。
「……話の続きは、また今度ね」
これは渡しておくから。ルティスはそう言ってユウトにペンダントを手渡すと、上空の少年の方へとふわりと浮かび上がる。
「――あ、おい……」
ひらりとコートの裾をひるがえして、ルティスは飛び去ってしまった。
「……行っちゃいましたね」
ユウトはぼんやりと、飛び去る赤髪の少年の背中を見ていた。
「まおー軍、か……」
その姿はすぐに青い空の奥へと小さくなっていく。
「今の話、どう思いましたか?」
「そうだな……」
ユウトは考える。大陸のあちこちで、裏から事件を引き起こしている謎の《影》。それが異世界人である自分たちに関心を持っている以上、また巻き込まれることになるかもしれない。しかも、それとは簡単に気づけないような形で。
もしかしたらこれまでに関わって来た事件や騒動の中にも、裏にその《影》があった可能性すらあるということだ。
「……ルティスの話が本当なら、またこういうことに巻き込まれることになるかもしれないんだよな」
「そうですね……」
「なぁ、フィオレナ……」
ユウトは改めてフィオレナに向き合った。
「そいつが興味を持っているのが異世界人なら……フィオレナとテリシアをこれ以上、巻き込むのは……」
「いえ、いいんです」
フィオレナの即答に、ユウトは少し目を見開いた。
「だってもう、わたしたちは仲間じゃないですか。……皆さんを危険な目に遭わせる存在がいるなら……わたしは皆さんを守りたいんです」
「フィオレナ……」
「テリシアもきっと、同じ気持ちだと思います」
ユウトの脳裏にテリシアの姿が浮かぶ。確かにそうだ、とふっとユウトの緊張が解ける。
「そうかもな……」
「ええ。私も、テリシアも、皆さんといたいから……自分の意思でここにいるんです」
ユウトは頷いた。
「その……ありがとう。フィオレナ」
フィオレナは微笑んだ。
「先ほどの話……皆さんにも伝えますか?」
「ああ……その方がいいだろう、けど……」
ユウトの言葉は、一旦そこで行き詰る。頭に浮かぶのはユウヤの悲しそうな顔だった。この事件の原因――異世界人の自分たちが、間接的にであれその一助になってしまっていたことを、あいつが知れば……きっと。
「……ユウヤくん、のことですか?」
「ああ……」
ユウヤはいつだって誰よりも優しくて、それはそのまま繊細な傷つきやすさでもあった。どんな時でも、自分の身よりも他人を気遣って。見たことも、会ったこともない人の悲しみにすら触れて。
その心を傷つけたくないと。身勝手だとは分かっていても、そう思ってしまうのだった。
――でも。とユウトは首を振り、その感情を振り払う。
「いや、あいつはきっと……大丈夫だ。だから、皆にも話そう」
これからも雪架を探して旅を続ける以上、それはいずれ話さなければならない事だ。ユウヤは、自分が思うよりずっと強い。それなのに守ろうと思うばかりで、『信じる』ことができなかった……そのせいで、今までに何度も傷つけてきたのだ。
……きっと、あの二人が……ポルックスが、そうであったように。
だから、これからはもっと信じよう。ユウトはそう決めたのだった。
フィオレナも頷いた。
「このことを話せば……みんな、傷つくと思います。それでも、きっと受け止めてくれるはずです。……ただ、それは今すぐじゃなくてもいいんじゃないでしょうか。……いろいろあったばかりですから」
「ああ……そうだな」
せめて今、ひと時の間だけでも、心が休めるような、穏やかな夜が一日でも続いてほしい……それは本心だった。
「ユウトくんも」
と、フィオレナはユウトの顔を覗き込んだ。編んで垂らした髪が揺れる。
「あまり抱え込んじゃだめですよ? みんなで、相談しましょう」
「あ、ああ……」
ね? と首を傾けて微笑んだフィオレナに、ユウトはなんと返すべきか迷って、曖昧に頷いた。
「さて。そろそろ戻りましょうか。皆さんのところへ」
フィオレナはそう言うと、街の遠景を見やった。
ツワネールの街は、昨夜、危機に瀕したことがまるで夢か幻であったかのように、変わらずに穏やかな砂風に吹かれている。
エピローグ
その日の夜は、星々が瞬く、静かで穏やかな夜だった。
髪を拭きながら階段を上ったユウトは、廊下の窓にもたれて耳を澄ましているユウヤを見つける。
「……何か聞こえるか?」
「おれたちのピアノの音が聞こえる」
「え?」
ユウヤは耳につけているイヤホンを指さした。
「へへ、これ、聞いてたんだ」
「ああ……」
ユウヤがいつも持ち歩いている、古いICレコーダー。この世界には電池がないから、時々にしか再生せずにいるはずのそれを、今聞いていたらしい。
「ユウトも聞く?」
と片方だけ外して差し出してくるユウヤの隣に並んで、ユウトはそれを受け取った。
耳に差し込むと、少し籠った、懐かしいピアノの音色が流れてくる。
いつか二人で連弾した、幼くて拙い音色。
「……大丈夫か?」
ユウトはユウヤと同じように窓枠に腕を載せた。
「うん……」
空は晴れていて、星空の中に弓のような月が浮かんでいる。もうすぐ新月だ。また月が巡ろうとしている。
ユウヤはしばらくして、ねぇ、と呟いた。
「……あのさ。あの二人、もしかしたらおれたちに、――ううん、昔のおれたちに、ちょっとだけ……似てたよね」
「……ああ、そうだな」
ユウトは静かに頷いた。
「今の、おれだったらどうするかな、ってちょっと……ちょっとだけ、考えちゃった」
ユウトはちらりとユウヤの顔を覗き込んだ。
「……な、なに?」
「俺たちが……ずっと一緒にいられるかは分からない。けど……」
ユウトはそれから、月を仰いだ。
「どこにいても関係ない。おれたちは双子で……俺はお前の弟だ」
「……うん、そうだね、そうだよね」
ユウヤは少し涙ぐんだまま、頷いて笑った。
欠けた月が煌々と照らす下で、二人の間にはいつまでも懐かしい旋律が流れていた。
『双星のラメント』――END