Long story

中編小説:『双星のラメント』

プロローグ

 いつか二人で弾いた旋律が、俺の中に響いている。
 どこまでも暗い夜の中にいた。

 とめどなく血を流し続ける身体が痺れ、徐々に冷えていくのを感じる。気温は暑いくらいなはずなのに、寒い。吐く息だけが焼けたように熱い。

 俺は立ち上がる。
 ユウヤのところに、行かないと。

 一歩、踏み出したはずが、すぐに上下の感覚を失う。気が付くと地面に俺は頬を打っている。剣を突き立て、起き上がろうとして、身体の重さに汗が滴り落ちる。普段は気にも留めないような些細な重力が、今は俺の身体を縛りつけて、前に進むことを難しくする。

 顔を上げると、目の前には吸い込まれるような闇だけがあった。それはどこまでも延々と続くようだ。幼い頃……ユウヤが、家の廊下の闇に怯えて泣いていたことを思い出す。怖い、と。この真っ暗が、どこまでも終わらない気がして、怖いのだ、と……。

 大丈夫だ、と。
 俺は笑ってその手を引いた。

 怖くなかったと言ったら嘘になる。ユウヤの言うように、その暗闇は終わりなくどこまでも続くとしたら? その想像はやけに現実味を帯びて、足が震えそうになって。

 でも俺は、ユウヤの手を引いて、一緒に前に進んだ。
 ……それは、何故だろう。

 そんなことを頭のどこかで考えながら、血で滑る手を砂だらけにして、ゆっくり時間をかけて俺はようやく立ち上がる。

 心臓の鼓動が、痛いほど体を震わせていた。残された血液が今もこの体をめぐり、俺を生かしているのだ。

 ユウヤの身体にも、同じ血が流れている。
 ――行かなければ。

 俺は暗い曇天の下、一歩ずつ、一歩ずつ進んだ。熱さも冷たさも混じりあって、もううまく感じられない。鼓動だけが熱い。流れる血だけが、焼けるように。

 ……そうか、と俺はその一歩に、ある確信を得た。

 たとえこの闇が、どこまでも無限に続くのだとしても……。
 それでも、俺が前に進める理由は――。

chapter1

 ユウヤたちが異世界に来てから、四回、月が満ち欠けを繰り返した頃。
 大陸中央の塔都を出た一行は西に向かい、ルコスタ地方の中心都市、ツワネールに訪れていた。そこは大陸の西の果てに広がる大砂漠、レビ砂漠を眼前に抱く街だ。

 彼らはそこで情報収集を行いながら、今後も続ける旅のために資金を溜める日々を送っていた。

「もう慣れてきたけど、塔都に比べると、ツワネールは暑いよねー」

 カオルは赤い液体の入ったコップを傾ける。ツワネールでよく採れる赤くてみずみずしい果物のジュースだ。

「そうなんだよー、クーラーが恋しいよー」
「あはは、ユウヤくんは暑いのも苦手だもんね」
「けど乾燥してるからな。カラッとしてる」

 そんなふうに会話を交わしながら、ユウヤたち一行はルコスタの冒険者ギルドの食堂で夕食を食べていた。
 日中は各々で別行動をすることも多いが、夕食はできる限り集まって、みんなで食べる約束をしているのだった。

「あっ、ねぇねぇ、みんな聞いた? 最近、ツワネールにまおー軍のすごい人が来てるらしいよ!」

 テリシアが口の端にパンくずをつけたまま、そう言って身を乗り出した。

「へぇ、そうなの? すごい人ってどんな人?」

 興味津々といった様子のユウヤに応えて、テリシアは続ける。

「えーっとねぇ……んー、よくわかんないけど、とにかくすごい人!」
「分からないのかよ……」

 と呆れた目を向けるユウトの横で、カオルも声を上げる。

「その話なら、私も聞いたよ! 確か、万歳の……」
「断罪ね」

 シズクが口を挟んだ。

「そう! 断罪のルティス! ……っていう、なんかすごい人だよね?」
「なるほど、四極ですか……」

 それまで話を聞いていたフィオレナがそう呟いた。

「え? シキョクってなぁに?」

 と首を傾げるテリシアに応じて、フィオレナは説明を始める。

「まおー軍は、今でこそ大陸の一大勢力ですが……最初はほんの少人数の集まりだったそうです。最初期からその一員だった四人が、現在では幹部のような役目をしているようですね。誰が言いだしたのか、《四極》と呼ばれるようになりました。ルティス=フェゴラもそのうちの一人です」

「へぇ~、なんかよくわかんないけど、かっこいいねっ!」
「まおー軍かぁ……」

 とユウヤはポケットからペンダントを取り出した。そこにはまおー軍のエンブレムがあしらわれている。彼らが異世界に来て一番最初に出会った少年が、彼らにくれたものだ。
 その効力はいたるところで発揮され、彼らの旅を助けてきた。

「……せっかくこの街にえらい人が来てるっていうなら、ちょっと聞いてみたいな! このペンダントをくれた意味とか、あの子のこととか……」
「ああ、あの”まおー”とか言ってるガキな……」
「まおーくん、その四極って人たちのうちの誰かの子供だったりして~」

 ふざけた調子で言うカオルに、ユウヤも笑う。

「もしそうだったら、おれたちはすごい子に会ってたんだなぁ」
「だな」

 肩をすくめたユウトはそこで顔を上げて、正面に座るフィオレナがなにか考えていることに気がつく。

「なにか気になる事でもあるのか?」
「――え? あ、そうですね……」
「なになに? どうしたのっ?」

 フィオレナはうーんと顎に手を添えている。

「その四極のルティスが、なぜこの街にいるのか考えていたんです。もしかしたら、例の事件に関係があるのかもしれない、と……」
「事件?」

 テリシアとユウヤが首を傾げる隣で、ユウトは頷いた。

「ああ、そうか……殺人事件だろう。ギルドでも噂になってる」
「えっ、さ、サツジンじけん……? おれは初耳だよ」

 とユウヤは不安げだ。

「そうです。どうやら魔法による殺人で、この数週間の間に、三人殺されているようなんです。その三人目が、一昨日、発見されたらしくって……」

 そんな話に、テリシアの耳はちょっと緊張したように揺れる。

「そ、そうだったんだ……じゃあ、この街に危ない殺人犯がいるかもしれないってこと?」
「そういうことに、なりますね……。だから、できるだけ皆さんも気を付けてください」

 そんな忠告に一同が頷いたところで、ユウヤはふとなにか聞こえたように背後を振り向いた。

「どうした?」

 とユウトが伺う隣で、ユウヤは耳を澄ましていた。夜の食堂は人が多く、ガヤガヤと騒がしい。喧騒の隙間、店の外の方から、聞き慣れぬ音が聞こえてくるのだ。

「なんだか不思議な足音が聞こえる……」

 その視線の先で、ユウヤはギルドの入口をくぐって入ってきた二人組の姿を捉えた。
 どちらもひと目見て魔族とわかるような、頭に角を生やした二人組だ。片方は黒いコートを羽織っている背の高い女で、長い金色の髪が店内の光にきらめいている。もう片方はオレンジの髪の青年で、利発そうな瞳の片方の内側に、星のような光が煌めいている。

「……なんだか見慣れない姿だな」
「あれって……」

 背後を振り向くユウヤたちの様子に気づいたフィオレナが、入口の方に目を向けて呟いた。

「ルティスさん……?」
「――え、あ、あれが!?」

 テリシアはガタッと音を立てて立ち上がった。

 ――まおー軍。それは百年前の大陸戦争の時に成立した組織と言われる。《王のいない軍》……と揶揄されることもある。その始まりは、たった五人とも六人とも言われ、そのチームを束ねていたのは一人の少年である、という噂もあった。

 百年の歴史を経るにつれて真相を知る人が少なくなったのもあり、まおー軍に関しては様々な噂が入り混じってささやかれている。

「ルティス=フェゴラ……王の剣、断罪のルティス、か……」

 シズクがそう呟いた時、ルティスともう一人の魔族は受付での会話を終えて、食堂の方へ入って来るところだった。
 ユウヤ以外の客もその存在に気が付き始め、あちこちでひそめた声が響きはじめる。どことなく、店内の空気が緊張感に満ちつつあった。

 その二人組は、まっすぐユウヤたちのテーブルの方へと向かってくる。

「……ねぇ、なんか……おれたちの方、見てない……?」
「こ、こっちにくるよ……っ!?」

 と不安そうに身を寄せ合うユウヤとテリシアの視線の先で、ルティスより一歩前を進んで歩いてきたオレンジ髪の魔族は、テーブルの手前で立ち止まると、ニコリと微笑んだ。

「やあやぁ。食事中、ゴメンね。キミたちが異世界から来たっていう一行かな?」

 明るく響いたそんな第一声に、一同は顔を見合わせた。

「……誰?」

 と声音に警戒を滲ませて尋ねたカオルに、彼は丁寧に頭を下げる。

「ボクはポルックス・ルヴィ。まおー軍に所属してるよ。――こちらはルティス様。みんなも知ってるかな?」
「まおー軍の四極……、ルティス=フェゴラさんですか?」

 とフィオレナの声に、金髪の悪魔は頷いた。

「……その呼び方、あんまり好きじゃないけど。そう。あたしがルティス」

 どこか眠たげな声での肯定に、それまであまり興味のなさそうだったシズクも顔を上げた。

 魔族の二人組――まおー軍のポルックス・ルヴィと、同じくまおー軍、そしてその四極の一人、ルティス=フェゴラ。どちらもユウヤ達が関わることはそうない、大きな力を持つ人物であることは確かだった。

「俺たちに何の用だ?」

 ユウトの問いかけには警戒が混じる。ポルックスは軽く両手を広げた。

「突然だけど……実はキミたちに、協力してほしいことがあるんだ」
「え……協力?」

 きょとんと繰り返すテリシアに、ポルックスは頷いて人差し指を立てる。

「実は、今この街ではとある連続殺人事件が起こっていてね……ボクたちはその調査をしに来たんだけど、どうも犯人の手がかりがつかめないんだ」

 ちょうど先ほど、その事件について話していたところだ。ユウトとフィオレナは目配せした。――フィオレナの言った通りだった。

「異世界から来たキミたちの不思議な力が、役に立つんじゃないかってルティス様の提案でね」
「……私たちのことを、知ってるの?」

 カオルの質問に頷いたのはルティスだった。

「まおー軍が大陸のことで知らない事はほとんどない。きみたちが異世界から来たことも。不思議な力があることも、とっくに知ってる」

 それを聞いてユウトは考え込む。

「なるほど、……そうか、俺たちのことは軍には知られているんだな」

 ポルックスはにこりと微笑んだ。

「まぁね。それで、調査のことだけど。別に、無理にとは言わないよ。でも、もし協力してくれるならお礼はするし――」

 ポルックスはひらりと一枚のメモを、近くのユウトに手渡す。

「……実はこの事件、キミたちも狙われるかもしれないんだ」

 そんな言葉に、一行は再び、不安げな顔を見合わせることになった。

chapter2

 ――もし協力してくれるようなら、明日の昼、まおー軍の支部局に来てくれないかな。詳しい話はそこでするよ。

 と、メモを渡して去ったポルックス達を見送った、次の日。
 ユウヤたちは約束の時間に、まおー軍ルコスタ支部に向かっていた。

「まおー軍、かぁ」

 と呟いて、ユウヤはペンダントを日にかざして眺める。
 そのエンブレムの一部は、今までと変わって金色に色づいていた。

 昨晩、去り際にルティスが、このペンダントに指を向けた。するとペンダントは一瞬輝いて、色が変わる。エンブレムの一部、悪魔のような角があしらわれた部分だ。

『これで、いつでもあたしに連絡できるから。なにかあったら、呼んで』――とのことだった。

「あ、支部はあそこだね」

 とカオルの声に、ユウヤはペンダントをしまって顔を上げる。

 まおー軍は、本部である塔都のまおー城の他に、各地に支部を持っている。
 主に任務に出たまおー軍の者が寝泊まりする場所だが、ペンダントを持っているユウヤたちもその施設を使うことができた。

「ルコスタの支部って、久しぶりに来たねっ!」

 扉をくぐって中に入り、テリシアが階段を上りながらきょろきょろ見回した。

「……わっ!」
「危ないですよ、テリシア」

 階段から落ちかけたテリシアにフィオレナが手を差し伸べる。

「うーん……でも本当に、おれたちが役に立てるのかな?」
「どうだろうな……」

 ユウトは昨夜のポルックスの話を思い出す。
 一行が気にかけていたのは、ポルックスが言った『キミたちも狙われるかもしれない』という言葉だった。
 それはともかく、何か頼まれることがあれば進んで引き受けるユウヤたちだ。今回ばかりは思いがけない相手ではあったものの、ポルックスたちに協力することで話はまとまっていた。

「事件の調査に役立ちそうな能力と言えば……」
「ユウトくんは魔力の痕跡が見えたりするし、それが手掛かりになるんじゃないかな?」
「そうかもな、どんな魔法で殺されたかくらいは、分かるかもしれない」

 会話を聞きながら、ユウヤは少し不安そうな表情を浮かべる。

「ってことは、その、……人が殺された場所に行かなきゃいけないのかなぁ、ちょっと怖いかも……」
「別に、行きたくなければ行かなくてもいい」
「えー、ユウトが行くならおれも行くよ!」

 そんな風に話しながら、メモの通り三階に上がる。

「えーと……六号室。ここかな?」

 ユウヤは指定された部屋の扉を開けて覗き込む。
 その一室の真ん中で、昨夜ユウヤ達に声をかけてきた魔族……ポルックスが、机に広げた資料を見下ろしていた。

 顔を上げて、ニコリと微笑む。

「やぁみんな。来てくれたんだね、わざわざありがとう」
「まぁ、おれたちが役に立てるかは分からないけど……」

 いやいや、とポルックスは手を振る。

「少しでも手がかりが多い方が助かるからね」

 ユウヤは扉を広く開けて、一行は順々に部屋に足を踏み入れる。

「――キミたちは旅をしてるんだっけ。ツワネールはどう?」

 その間に、ポルックスはやや砕けた調子で彼らに問いかけた。

「うーん、ちょっと暑いし砂だらけになるけど、すぐそばに砂漠が見えるのは面白いかなー」

 と、答えたカオルに、テリシアはうんうん、と頷く。

「食べ物もおいしいしねっ!」
「まぁテリシアは基本、なんでもおいしいって食べるけどね~」
「うん、食べるの好きだし!」
「それなら――」

 と、ポルックスはにこりと笑う。

「ツワネール・フランはもう食べたかな?」

 テリシアは、こてんと首を傾げる。

「ツワネール、フラン?」
「その様子だと、まだみたいだね。この街の隠れた名物って感じかな?」
「へぇ~! 食べてみたいな!」
「ずいぶんのんきだな……」

 呆れた様子のユウトに、「まあでも――」とカオル。

「事件の事ばっかり考えても、気が滅入るでしょ? 事件が解決できたら、皆で食べに行こうよ!」
「そうだよね、ポルックスも一緒に行こうよ!」

 とにこにこ笑うテリシアに、ポルックスは「そうだね」と笑顔を返し、気を取り直すように資料に手を伸ばした。

「それじゃあ、……早速だけど。キミたちに事件について共有したいんだけど、いいかな?」

 一同は頷いて、ポルックスが示すメモへと各々目を向ける

「昨日も言った通り、いまこの街では殺人事件が起こっているんだ」

 ポルックスは三枚の紙を取り上げて並べた。

「三人目の被害者が先日発見されて、これは同一犯による連続殺人だってみなされた。街の自警団が調べたけど、犯人の手がかりは一切ないらしくてね。それでぼくたちまおー軍の方に報告が来たんだ」

 各街には、独自の自警団や警備隊が組織されていることがほとんどだ。そんな彼らにも手に負えない問題が起きた時は、まおー軍に協力を仰ぐのがいつしか通例になっていた。

 ポルックスがとんとん、と叩く紙には、若い男の似顔絵とその詳細情報が記されている。三人目の被害者について記されている資料だった。

「……この人たち、殺されちゃったんだね……」
 ユウヤは呟いて、紙の端を撫でる。そんな様子を横目に、ユウトはポルックスの方を見やった。
「……連続殺人ってことは、何か事件に共通点があったってことか?」
「その通りだよ、ユウトくん」

 ユウトの指摘に、ポルックスは大きく頷いた。

「まず、全員、夜中に自宅の中で殺されたことは共通しているよ。地区はばらばらだけどね……そして、一番重要なのが……その三人とも右腕が切り落とされていたこと」
「えぇ……⁉ なんで⁉」

 テリシアの声に、ポルックスはさあね……と首を傾ける。

「でも、それはどうやら直接の死因じゃないみたいだよ。腕が切り落とされたのは、殺されたあとかもしれない。ルティス様が調べてみたところでは、なんらかの魔法によって心臓を止められたんじゃないかって」

「こ、怖いね……」

 テリシアは特に意味もなくカオルの後ろに隠れた。

「そして、共通点はもう一つある。被害者を調べてみたら……三人とも、弟がいた。つまり、兄弟のうちの、兄だったんだ」
「へぇ……」

 ユウトはそれを聞いて、昨夜のポルックスの言葉の意味が分かった。今までの事件から、狙われるのは兄弟、しかも、その兄の方……被害者たちの資料に視線を落とすユウヤの方へ、ユウトは思わず目を向ける。

「今日は23日だね。一人目が殺されたのは、今月、四ノ月の10日。二人目はその五日後、15日。そして三人目が20日ってわけだよ。いずれも、殺されたのは夜の間だ」
「なんだか、事件は五日おきにおきてるみたいですね……」

 フィオレナの指摘に、ポルックスは頷いた。

「そうなんだよ。だからつまり――四人目の被害者は25日に出るかもしれない」

 そう言い、印をつけてある暦を示した。25日は二日後にあたっていた。

「あまり、時間がないな……」
「それまでに……四人目の被害者が出る前に、犯人を捕まえないとね!」

 とユウヤは顔を上げた。

「うん。できればそうしたいとボクも思ってる。キミたちにはもちろん犯人探しを協力してほしいけど……ほら、見ての通り、事件は兄弟が狙われているからね……キミらも双子の兄弟なんでしょ?」

 そんな言葉にしばらく考えていたユウヤは、ん? と首を傾げる。それから、

「え、おれ!?」

 と自分を指さした。

「今気づいたのかよ……」
「う、うん。でも言われてみればそうだよね……」

 この事件が兄弟のうちの兄を狙った者であれば……ユウヤも当然、狙われる可能性がある。ポルックスが言ったのはそういう意味だったのだと一同は理解し、一気に室内が不安に満ちた。
 ポルックスはそんな空気を破るように明るい声で言う。

「まぁ、その時はボクやルティス様が守るからさ! その意味でも、一緒に行動したほうが安心じゃないかな?」
「確かに……そうだな」

 ユウトは思案気に頷く。

「大丈夫! このカオルお姉さんが、ユウヤくんは危ない目にあわせないからね!」
「わたしもわたしもっ! ユウヤくんのこと守るよ!」

 と胸の前で拳を握りしめるテリシアの横で、フィオレナも強く頷いて微笑む。そんな仲間たちの様子に、ユウヤは少し安心したように笑った。

「ありがとう! みんながいてくれたら心強いよ!」

 一行のやりとりを微笑んで見守っていたポルックスは改めて口を開く。

「それで……とりあえず今日、キミたちにも事件の現場を見てほしいんだけど、いいかな?」

 気を取り直して、ユウトも頷いた。

「そうだな、何か手がかりがつかめるかもしれない」
「ルティス様は先に行っているから、キミたちも二組に分かれて……」

 とポルックスが一同を見渡したところで、今まで黙って話を聞いていたシズクがふと声を発した。

「ねぇこれ、全部見てもいい?」

 指をさしているのは、机の上に広げられた様々な資料だ。

「うん、いいよ、たしか君は――、一度見聞きしたことは忘れないんだっけ」
「……まぁね」

 そんなやりとりを横目にユウトは考え込む。薄々気づいてはいたが、やはり彼は自分たちの存在だけではなく名前や能力まで知っている。軍ではどれくらいの情報が把握されているのか、それは自分たちにとって良いことなのか、悪いことなのか……。

「それじゃ、私とシズクはこの資料から他にわかることがないか調べてみようかな?」

 カオルの提案に、ポルックスは首肯する。

「そうだね。二人にはそれを頼んでもいいかな? ――じゃあ、残りの四人で二組に分かれて、現場の方を見に行ってみることにしようか」

chapter3

 テリシアとフィオレナは、二人で並んでツワネールの街を歩いていた。砂レンガの建物が建ち並ぶ、町全体の色彩は黄色だ。空は青く晴れていた。

「それにしても、サツジン事件の調査なんて……なんだか、探偵みたいだね」
「そうですね……私もこういうことは初めてです」
「でも、どんな理由があっても人を殺すなんて絶対だめだよ! ね、絶対犯人、捕まえようね、フィオレナ!」
「はい、もちろんです。――あ、こっちでしょうか」

 メモを片手に十字路を曲がったフィオレナの視線の先には、二階建ての砂レンガの家がある。その正面に立って、金髪の魔族が建物を見上げていた。

「ルティスさんだ……!」

 その姿を目に留めたテリシアは、少し高揚した様子でそう呟く。

「ですね……」
「魔族って、やっぱりかっこいいよねぇ」

 ひそひそとテリシアが耳打ちする先で、ルティスがちらりと二人を振り向いた。テリシアはピシッと耳まで姿勢を正す。

「あ、こんにちは! わたしはテリシアですっ!」
「フィオレナです」

 ルティスは小さくうなずく。二人が傍までやってくると、ルティスは再び家の方を見やって口を開いた。

「この家が、二人目の被害者が暮らしていた家」
「えっと……確か、ルークさん……ですよね」
「そう。半月前、満月の夜に殺された。被害者の中では最年少の15歳の男の子。弟のキールは13歳」

「……ひどい、そんな小さい子を殺すなんて……!」

 テリシアは家の方へ悲しげな目をやった。

「話を聞かせてもらえることになってる。行こう」

 ルティスは数歩進み出ると、塀の先へ歩いて扉をノックした。
 小さな返事が聞こえ、しばらくして中から現れたのは、ひとりの女性だった。兄弟の母親のようだった。疲れ切ったような表情に、目の下には眠れていないのか、深い隈ができている。

「……あたしはまおー軍のルティス。事件の調査に来た」
「ルティス様ですか……?」

 かすれた声で呟いたその女性は、玄関先で突然ルティスに縋りついた。

「犯人を見つけ出してください……! ルークを殺した犯人を!」

 泣き崩れるその人の傍らで、テリシアとフィオレナはそっと背中を撫でた。

「ここが、三日前に殺された男……ロアンデールが弟と二人で住んでいた家だよ」

 それは街の外れに位置するこじんまりとした家だった。ツワネールではどこでも一般的に見かける、砂レンガ造りの家だ。ユウヤとユウトは、少し緊張した面持ちでその玄関先に立った。

「今、弟のマックスは診療所にいる。ショックが大きいみたいでね……家は自由に調べて良いって許可はもらってあるよ」
「そっか……なにか、手がかりが見つかるといいけど……」

 ポルックスが扉を押し開けると、中はカーテンがひかれたままで薄暗い。ずいぶん散らかっている。ユウヤとユウトは、ポルックスに従って部屋の中に入った。

「マックスが帰ってきた時、ロアンデールはそこで倒れていたらしい」

 ポルックスが示すのは部屋の中央付近だ。既に片付けられているのか、特に惨劇の痕跡はないが、床に大きく焦げたような痕がある。ユウヤはユウトの影からそろそろと覗き込んだ。

「魔法の痕跡は打ち消されている……。普通の魔力探知では、何も感じ取れないんだ。だからこそ、魔力の痕跡には犯人が隠したい何かがあるのかもしれないと思うんだけどね」
「じゃあ、少し調べてみるか」

 ユウトはメガネに触れると、レンズが切り替わって視界が変わる。そのメガネは、ユウトの能力に合わせてフィオレナが改良したものだった。

「どう? 何か見えそう?」

 練習の甲斐もあって、ユウトはその目で『見る』ことにかなり慣れてきていた。見る、ということはそもそも、目で光を認識することだ。ユウトの目は、普段は目に見えない可視光以外の光を捉え、魔力やその痕跡を光として捉えることができるようだった。

 部屋の中央辺りに目を向けると、かすかに漂う魔力の残滓が見えた。それはほんのわずかな光だった。ピリピリと電気のように弾けている。目を凝らすと、少し頭痛がしてくる。

「……大丈夫? ユウト」
「ああ。……?」

 ユウトはふと、視線をポルックスの方に向けた。それから、もう一度魔力の残滓に視線を戻し、ポルックスが纏う魔力と見比べる。

 花がそれぞれ違う香りを持つように、人がその身に宿す魔力の雰囲気も、種族や個人別に微妙に異なる。優れた魔力探知を行う者はその違いを捉え、術者を識別することが可能だった。

 ユウトの場合は、それを光として目で見ることができる。

 ――似ている、というよりも、同じだ……とユウトは判断する。

 殺人の現場に残された魔力の残滓。それと、ポルックスが身にまとう魔力。ピリピリと弾ける、電光のような魔力。

 それが示そうとすることを、ユウトは慎重に考えてから、意を決したように口を開いた。

「……ここに残る魔力の痕跡からみるに、ここで使われたのは……ポルックス、あんたが纏う魔力と同じだ」
「え……?」

 ユウトは再びメガネに触れ、視界を元に戻した。ポルックスはそれを聞いて、俯くと息をついた。

「……やっぱり、そうだったかぁ」

 ユウヤはそんな二人の様子をおろおろと見比べる。

「ど、どういうこと? つまり……」

 後ずさりかけたユウヤに、ポルックスはパッと顔を上げて手を振った。

「いやいや! もちろん、ボクってわけじゃないよ。……ただ心当たりはある」

 再び真剣な表情に戻って、どこかかすかに痛みを堪えるような声で続ける。

「ボクには、双子の兄がいてね……。ボクと似た魔力を持つのは、あいつ……カストルだけだよ」

 その言葉に、ユウヤとユウトは顔を見合わせた。

「じゃあ、この事件って……」

 ポルックスは考え込みながら続ける。

「ボクも……なんとなく、直感だけど……、これはカストルが起こした事件なんじゃないかって思ってたんだ。これも……カストルの電撃のような気がしてね」

 部屋の床に残された、焼け焦げたような痕。

「……勘違いなら、よかったんだけど」

 苦笑して、ポルックスは家の中を見渡した。

「そんな……でも、どうしてその、カストルは人を殺したりなんか……?」

 ユウヤの問いに、しばし沈黙が下りた。考え込んでいたポルックスは、しばらくすると肩をすくめる。

「さぁ……それはわからない。だから、ボクはカストルを見つけ出して聞きたい。なんでそんなことをしたのか……ってね」

 ポルックスは少し、寂しげに微笑んだ。

「だから、協力してくれないかな? カストルを見つけ出して……この事件の真相を解き明かすために」

 そんな言葉にユウトとユウヤは視線を交わすと、二人揃って強く頷いた。

 太陽が下り、夕刻が近づく頃……ルークの家族に一通り話を聞いたフィオレナ達は、手分けして周辺を調べていた。
 テリシアとルティスは、周囲に聞き込みに行っている。フィオレナは何か痕跡や手がかりがないかと、塀に囲まれた庭を歩き、家をくるりと回り込む。

 ルークが殺されていたのは、この家の二階の子供部屋だ。フィオレナは家の横から窓を見上げた。当時部屋の窓はあけ放たれていたことから、犯人は窓から部屋に入ったのではないかと考えられていた。ルーク自身が開けたのか、閉め忘れたのか……、それは後からでは分からない。
 そんな事に思いを巡らせていると、家の前の通りから足音がした。振り向いて見れば、学校用鞄を背負った少年が門の前に立っている。

「……キールくん、ですか?」

 フィオレナの声に、少年はぴくっと肩を震わせて、鞄の紐を握る手に力を込めた。

「すみません。私たちは、その……事件の調査に来ているんです。もう、帰りますから」

 できるだけ怖がらせないようにと、フィオレナは微笑みかける。

「……犯人、見つかった?」

 零れるような小さな声が落ちる。フィオレナはゆっくり首を横に振った。

「……まだなんです。でも、大丈夫ですよ、必ず、すぐに捕まえます」

 フィオレナはキールの方に歩み寄ると、かがんで肩に手を置いた。

「……おにいちゃん、優しかった」
「そうだったんですね……」

 うつむいた頭をそっとなでると、キールはぐっと拳を握りしめた。

「……ぼく、あの日……不思議な星を見たんだ」
「星、ですか?」
「誰も、信じてくれないけど、でも、ぼくは……」

 少し躊躇うように視線をさまよわせるキールの目を、フィオレナは真剣な瞳で見返す。

「私が信じます。聞かせてくれませんか? そのお話」

 フィオレナがそう促すと、キールは小さく頷いて口を開いた。

 カオルは暮れていく日を眺めていた。窓ガラスにそっと触れ、少しずつ闇に呑まれていく街を見下ろす。

「みんな、大丈夫かな? なにか危ないことに巻き込まれたりしてないかなぁ」
「大丈夫だよ。ルティスがついてる」
「うん、だと、いいけど……」

 カオルとシズクはその日一日中、資料をひっくり返して事件のことを調べていた。三件の殺人事件。その調査の結果、被害者の家族関係、経歴、死因、死亡時の状況……。

 また今回の事件の資料だけではなく、この街で起こった過去の事件の資料もどこからか引っ張り出してきたせいで、部屋中は資料だらけだ。

「……ねぇシズク、ただの直感だけど……この事件、ただの殺人事件じゃないような気がする」
「そうだね」
「何か、いやな予感がするんだ……」

 シズクは資料から目を離さず、顎に手を当てて何時間も考え込んでいた。
 振り向いたカオルはその様子をそっと眺める。部屋には西日が差し込んでいた。

 ――私にはなにも分からないけど、きっとシズクなら。
 

 ユウヤとユウトは、並んで夜道を歩いていた。立ち並ぶ魔法灯が照らす大通りは、にぎやかに人々が行き交う。

 二人はその後もポルックスと共に街を巡り、もう一件、一人目の被害者の家も調べた。ロアンデールの家に比べると時間が経ったものあり、魔力の痕跡は微かなものだったが、やはりポルックスの魔力とよく似ていることは確認できた。

「ねぇユウト……ポルックスの双子のカストルが事件の犯人って話……どう思う?」
「どうって……」

 ユウヤの問いかけにユウトは考え込んだ。

「奇妙な話だな。なんのために、わざわざ兄を選んで殺すのか……どういう意図があるんだか、検討もつかない」
「だよねぇ……」
「ユウヤは分かるか?」

 ちらりとユウトが伺うと、ユウヤは大げさに驚いた顔をした。

「え!? おれ? 分かるわけないじゃん! 人を殺すなんて!」
「そりゃそうだな、悪い」

 でも……、とユウヤは首をひねった。

「んー、そうだなー、殺す……まではいかなくても……おれの場合は……」

 しばらくうんうん悩んだのちに、ユウヤは続けた。

「……こんなお兄ちゃんでいいのかな? とか思うことはあるかも。あれ? あんまりカンケーない……?」
「そもそも兄か弟っていったって……双子なんだからそんなに、気にすることでもないだろ」
「それはそうかもしれないけど〜。でもユウトはおれの弟だから!」
「……まぁ、そうだな」

 はぁ、とユウヤは肩を落とした。

「でもそういうのは別に自分の問題だし。やっぱり、他の兄弟の人たちを殺す理由なんて全然、わかんないよ」
「だな……。いずれにしても迷惑な話だ」

 狙われるのが兄なら……この事件が解決するまで、ユウヤが危ない。ユウヤが危険な目に遭わないためにも、早く犯人を、見つけ出さなければならない。

 そう考えながら気を引き締めるユウトの横で、ユウヤは道端の石ころを蹴りながら呟く。

「ねぇ、ポルックスとカストルはさ、どんな双子なのかなぁ」
「……気になるか?」
「そういえばさ、あんまり他の双子の人たちに会ったことなくない? ちょっと気になる!」

 ユウヤは、あとさ……と続ける。

「もしカストルが本当にこの事件の犯人なら……それが手がかりになるんじゃないかな? 殺されてるのが兄なら……多分、それは……ポルックスと関係あるんだよ」

 後半は少し、言いにくそうにすぼんだ。

「……だろうな」

 ユウトはいつでも剣を抜けるように夜道を警戒しながら、宿への道を歩いた。

「……つまり、事件の犯人はポルックスのお兄さんかもしれない、ってこと?」

 賑やかな食堂の喧騒に、カオルの声がまぎれる。ユウヤたち六人は、宿屋で夕食を食べながら、その日に得た情報を共有していた。

「そうらしい。ポルックスと似た魔力ってことなら、それ以外にいないって話だ」
「それって……すごい進展なんじゃない⁉」

 とテリシアはフォークを握りしめて前のめりになった。その横でフィオレナはふむ、と首を傾けた。

「なるほど……確かに、ポルックスさんは不思議な魔力を身にまとっていますしね」
「フィオレナはわかるの?」

 ユウヤが訊くと、フィオレナは「おそらくですが……」と応える。

「ポルックスさんは、人族と魔族の混血なのではないでしょうか。私と同じです」
「え……! ポルックスが?」
「はい。あの方は人族と魔族、どちらの気配も感じられますから」
「ってことは、必然的にカストルも同じか……」

 カオルは少し考えて気を取り直す。

「それで、そのカストルって人がどこにいるか、ポルックスはわからないの?」

 そんな問いにユウヤはそれがさぁ、と答える。

「ポルックスはずっとお兄さんのカストルと塔都で暮らしてたんだけど、ある日家を出て行っちゃったんだって。それ以来連絡もつかないらしくって……それから探してたみたいなんだけど」
「それで今回の事件が起こったってわけらしい」

 ユウヤはコップを机に置き、テリシア達に目を向ける。

「テリシアとフィオレナ達はどうだった?」
「そうですねぇ……」

 とフィオレナは今日のことを思い返しながら応じる。

「私たちはルティスさんと一緒にルークさんの家に話を聞きに行ったのですが……」
「色々聞いたけど……、あ、そうだ! フィオレナはキールくんから気になる話を聞いたんだよねっ?」
「キールくん、って?」

 と尋ねるカオルにフィオレナは答える。

「一週間前に亡くなった、ルークさんの弟です。……そのキールくんが、あの日……窓の外に不思議な星を見たと言っていました」
「不思議な星?」

 フィオレナは続ける。ルークが殺されたのは、約一週間前……その日もよく晴れた夜だった。
 弟のキールはふと、物音を聞いた気がして夜中に目を覚ましたらしい。その時、ベッドから見上げた窓外の空に……きらりと一瞬、強く輝いた星を見たという。

「……流れ星か、何かだったのかな?」

 と話を聞き終えたユウヤは首を傾げる。

「そうかもしれませんね……事件と関係があるのかどうかは分かりませんが……」

 うーん、と一同は考え込む。仕切り直すように、ユウヤは今度はカオルとシズクの方に身体を向けた。

「カオルさんたちはどうだった? なにか分かった?」

 カオルは腕を組んで背中を背もたれに寄りかかった。

「んー……一通り、事件の情報とか、過去の事件を見てみたけど……特に犯人に繋がりそうな情報は見つからなかったんだよねー……。ね、シズク」
「そうだね……」

 と隣のシズクはどこか上の空の様子で、フォークを動かす手も止まっている。

「シ、シズクさん大丈夫……?」

 と心配そうなユウヤに、カオルは苦笑する。

「さっきからずっとこんな感じなんだよね。ほら、とりあえずご飯食べて、シズク」
「あー……うん」

 と、相変わらず考え込んだままシズクはぼんやり手を動かした。

「……ですが、犯人がカストルという人かもしれないことが分かったのは、やっぱり大きいんじゃないでしょうか?」

 フィオレナの言葉に、ユウヤも頷く。

「それじゃあ、明日からはみんなでカストルを探そう!」
「そうだな……今もこの街のどこかに可能性は高い。事件の意図が分からない以上、もしかしたら事件はもう終わっているのかもしれないが……」

 ユウトはちらりとユウヤの方を見た。あるいは……四件目の事件は起こるかもしれない。――基本的に、物事は悪い方へ転がり落ちるものだ。

「……もし見つからなくても、せめてこれ以上何事も起こらないといいけど……」

 ユウヤは不安げに、傍の窓から外の街路を見やった。
 普段ならにぎわう夕食時だが、どこかいつもより静かで、張り詰めた空気が流れていた。

chapter4

 ユウヤたちが事件の調査を初めて、二日目の朝。
 既に次の事件が起こるかもしれない25日は、明日に迫っていた。

 事件の犯人は、ポルックスの兄であるカストルかもしれない――。そんな手がかりを得たユウヤ達は、今日はカストルを探すことにしていた。とはいっても、情報は少なく、捜索は地道だ。町中の宿屋を巡り、宿泊客を調べる。そして道行く人々に尋ねる……。

 ユウヤとユウトは街の中心に伸びる大通りを歩きながら、周囲の様子をうかがっていた。今日も再びポルックスに会うことになっている。その待ち合わせの時間まで、二人は街を歩いてカストルを探してみることにした。

 ユウヤは耳を澄まし、変わった音が聞こえないか探る。ユウトは昨日見た魔力の残滓を捉えられないかと、目を凝らしていた。
 砂漠の方からは、たえず砂風が吹いてくる。それが音をかき消して、ユウヤはため息を吐いた。

「だめだなぁ……何も手がかりになりそうにないよ。ユウトは?」
「……俺もだ。特に何も見えそうにない」

 カオルとテリシアたちも、今頃はルティスを中心に手分けして町中を探っている。
 ユウヤは歩きながら一枚の紙を取り出した。それはポルックスから渡されたもので、描かれているのは、カストルの似顔絵だ。顔つきはポルックスよりも鋭い印象だが、ポルックスとよく似た姿をしている。瞳の色は異なっていて、鮮やかなエメラルドグリーンだった。

「この人が……三人も殺したのかな……」
「どうだろうな、見つけて、聞いてみないと分からないだろ」
「まぁ、そうだよね」

 待ち合わせ場所はもうすぐだった。二人が並んで歩いていたその時……ユウヤはハッと顔を上げ、「――危ない!」と叫んでユウトの背中を押した。

「――ッ!?」

 よろけながら振り向いたユウトの視線の先……身をすくめたユウヤの頭上で、植木鉢が浮かんでいた。

「……あれ?」

 とユウヤは恐る恐る見上げた。植木鉢はふわふわとそこに漂っている。

「危なかったね〜、二人とも」

 その声に二人が振り向くと、道の反対側にポルックスが立っていた。ふっと彼が指を振ると、植木鉢は空を舞い上がって二階の窓際に収まる。

「あ、ありがとう……」
「ユウヤ、今……」

 上から植木鉢が落ちてくる音にいち早く気が付いたユウヤが、ユウトの背を押したのだろう。ポルックスが魔法でそれを止めなければ、今頃その植木鉢はユウヤの頭上に落ちていたはずだ。そこまで考えたユウトは、ぐっと拳を握り締める。

「……ご、ごめん、急に押したりして! 大丈夫?」
「いや、そうじゃなくて……」

 ユウトは何か言いたげな様子から口をつぐみ、ポルックスの方へ向き直った。

「……おかげで助かった」
「いやいや。まったく。この街は風が強いんだから、植木鉢なんか置くもんじゃないよ」

 そう言ってあきれたようにポルックスは植木鉢をさらに窓際の奥へ押しやった。

「さて、今日はカストルを探すのを手伝ってくれるかな?」
「もちろん! ――とは言っても、どうやって探せばいいかな」
「うーん……」

 ポルックスは何かいい案がないものかと少し考え込んで、やがて諦めたように肩をすくめた。

「地道に聞き込みする以外、なさそうだね」
 

 一方その頃、カオルとシズクも街を歩きながら、手がかりを探していた。既に街には殺人事件の噂が広がっていて、人々は警戒しているのか、街の人通りは普段より少ない。自警団たちの姿が目立っていた。
 空は晴れているので、あちこちで洗濯物がはためいている。

「なんだかこの街はずっと砂だらけだよねぇ……」

 とカオルが見上げながら呟いた。

「そうだね」

 シズクは相槌を打ちながら、思考はほとんど別のところにあった。

「あ、すみませんこの人知りませんか~?」

 とカオルがカストルの似顔絵を見せて回る横で、シズクは地面を見つめて考え続けている。
 五日おきに起きる連続殺人事件。狙われるのは兄弟のうち兄。そしてどの事件の被害者も、右腕が切り落とされている……。

「んー……」

 これまでこの街で起こった事件。異世界で見聞きしたさまざまな出来事。読んできた書物。これまで記憶してきた全てを思い返しながら、事件の手掛かりを探るシズクには、腑に落ちない部分があった。

「なんでだろう……」

 と歩いていたシズクが人にぶつかりかけて、カオルにそっと腕をひかれる。

「大丈夫ー? シズク……」
「んー……大丈夫」
「あんまり無理しちゃだめだよ?」
「うん、大丈夫」
「ほんとに大丈夫なのかなぁ……」

 全てを覚えていられると言っても、日々増えていく膨大な記憶を扱うのは簡単なことではない。どんな細かい事も記憶していられるとはいえ、そのほとんどが些事であり、関係のない事柄ばかりだ。その中から有用な情報を取り出すのには時間が必要だった。

 シズクは自分のひっかかりを解決する何かが、自分の記憶にあるはずだと直感していた。

「――すみません、この人知りませんか?」

 とカオルが腰の曲がった老女に尋ねると、おお、とその人は声を上げた。

「カストルじゃぁないか。懐かしいねぇ、この子がどうかしたかね?」
「え、知ってるんですか?」

 思いがけない反応に、シズクも視線を向ける。

「あぁよく知っとるよぉ、双子のポルックスとカストル……人族と魔族の混血でのぉ……、昔、わしが教えてたねぇ……」
「教えてた、って……先生だったんですか?」

 皺だらけの顔に笑みを浮かべ、何度も頷いた。

「そうじゃよぉ、小さいころから、二人はずっと仲良しでねぇ……魔族の血を濃く引いてたもんだから、ずっと虐められて可哀想じゃったよ……でも魔法の才能があって、立派んなってねぇ……」

 それを聞いて、つまり……とカオルは続ける。

「ポルックスとカストルは、この街で生まれ育ったんですか?」
「あぁ、そうじゃよお……といっても、塔都の魔法学校に行ってからは……、それから最近までずっと帰ってこなかったけどなぁ」
「最近まで……?」

 ずい、とカオルは顔を近づけて質問を重ねる。

「最近、カストルを見かけたんですか?」

 老女はにこやかな表情のまま首を縦に振った。

「この間偶然会ってねぇ、帰って来たんだって言っとったねぇ。まおー軍はもう辞めたからって……ポルックスも今、街に戻ってきてるんじゃろ、久しぶりに会いたいねぇ……」
「シズク、これって……?」

 少し緊張感のある声音で、カオルはシズクをちらりと見やる。

「……オレたちカストルを探してるんだ。どこに行けば会える?」
「うーんそうじゃねぇ……」

 腰をさすりながら、皺を一層深める。

「昔二人が住んでた家に戻っとるんじゃあないかと思ったが……家の場所は知らんがねぇ……それか、遺跡か……」
「遺跡?」

 老女はそうそう、と頷く。

「この街の西のはずれ、砂漠の方だねぇ。旧い建物の残骸があってねぇ。そういえば子供の頃、二人がよく遊んでた場所だったか……。この間は散歩してたら、その近くで会ったもんだからねぇ」
「……そうですか! ありがとう! すっごく助かりました!」

 とカオルは老女の手を取ってぱっと笑顔を見せる。

「会えるといいねぇ、ほら、最近物騒じゃろう……カストルも双子の兄ちゃんだ、何かないといいけどねぇ」

 そんな呟きに、二人は顔を見合わせた。

 テリシアとフィオレナはルティスと共に、聞き込みをしながら街を巡っていた。

「ここが十件目だねっ!」
「ええ、そうですね……」

 テリシアは地図に印をつけ、辺りの景色と見比べる。
 三人は、この街で兄弟が暮らしている家を回っていた。もし犯人が見つけられなければ、25日は事件が起こる可能性がある。

 その時にできることは、事件が起こらないように未然に防ぎ、そこで犯人を捉えることだった。ルティスはそのための事前調査を怠るつもりはないらしい。
 いつの間にか街の自警団とも連携し、町中に捜索の手を伸ばしている。

「とはいえ……全部の家を見て回ったり、張り込みをするのは難しそうですね」

 フィオレナはルティスが用意してきた、この街に暮らす兄弟のリストを眺めて呟く。

「そうだね、でも大丈夫。あたしが次の事件は起こさせないから」
「か、かっこいい……」

 とテリシアは目を輝かせる。

「じゃ、次に行くよ」
「はいっ!」

 身をひるがえすルティスに従って歩き始めてしばらくして、ねえねえ、とテリシアはフィオレナに身を寄せる。

「まおー軍の四極ってさ、四人いるんでしょ? 他にどんな人たちがいるのか気になるなぁ~」
「そうですね……確か、ベルナード・ヴラディ、ラインハイト・アークーティ、それから、……ディル・レーヴィンの三人です」
「へぇ~、なんか、名前だけでも強そうだねっ!」
「ふふ、そうですね」

 ルティスの金色の髪に、テリシアは憧れたような目を向ける。

「他の人たちも、やっぱりすごく強いのかな?」
「そうですね、ベルナードさんは吸血鬼……血を扱う魔術が得意のようです。ラインハイトさんは魔物を使役したり、魔物に姿を変えることができるとか……うーん、ただ、ディルさんの噂はあまり聞きませんね。影のような存在です」
「へぇ……! フィオレナちゃん、詳しいんだね!」

 テリシアの尊敬のまなざしに、少し照れたように苦笑する。

「ええ、旅をしていれば、彼らの噂は度々耳にしますから」
「いいなぁー、わたしもそんなすごい人たちみたいになって、こんな事件パパって解決できたらなぁ……」
「そうですね。そうなれるように、頑張りましょう」
「……! うん!」

 二人は地図を片手に、ルティスの後を追いかける。

 ◇

 ユウヤ達は、街のはずれに訪れていた。そこは周囲に家もまばらで、広い空き地のようになっている。ポルックスが見上げるのは、建物の残骸だ。
 崩れたアーチや、壁の瓦礫が風に吹かれて、静かにたたずんでいる。

「……これは、遺跡?」
「うん、多分ね。ボクも詳しいことは知らないけど」

 聞き込みでは大した情報は得られなかった三人だが、ふとポルックスは街の外れに立ち寄ろうと提案したのだった。
 西の方に目を向ければ、砂漠の地平線が見渡せる。空の青と砂の黄のコントラストに、ユウヤは目を細める。その境界は揺らめいていた。

「どうしてここへ?」
「なんとなくだよ。ちょっと休憩。実は、カストルとはよくここに来てたんだ。ま、随分昔の話だけど」

 へぇ……、と、ふと思い立ってユウヤはイヤホンを外した。風にまぎれて、歌うようなざわめきが耳に届く。

『――お兄ちゃん!』
「え?」

 子供の、無邪気な声。ユウヤは目を瞬かせる。声は重なり、反響し、ほとんどは聞き取れない。笑い声、話し声。

『……今日、学校でね……』
『大丈夫、おれが――』
『見て! 新しく使えるようになった魔法!』
『ねぇ、なんでお兄ちゃんは……』
『――ポルはすごいな』

 ユウヤはその声が止むまで、立ち尽くしていた。

「……ユウト、今……」
「ああ、どうした?」

 耳を澄ますユウヤの様子を見守っていたユウトが尋ねる。

「聞こえた……二人の子供の声。多分、この遺跡が……憶えていたんだね」
「……どういうこと?」

 振り向いたポルックスの顔が、なぜかひどく傷ついているように見えて、ユウヤはそれ以上話すことをためらった。
 その時、足音が近づいてくるのに気が付いてユウヤは振り向いた。

「……あれ? ユウヤくんたちだ!」

 遠くからそんな声が聞こえる。

「カオルさんとシズクさん?」

 道の方から駆け寄ってくるカオルに、ユウヤたちは顔を見合わせる。

「ユウヤくんたちも聞いたの? ここでカストルを見かけたって」
「え!? そうなの?」
「あれ、違った?」

 きょとんとした顔のカオルの横へ、シズクも追いついてくる。

「私たち、聞き込みしてたら、昔、ポルックスたちの先生だった、っておばあちゃんに会って。その人が、カストルは最近町に帰ってきてて、遺跡の近くで会った、って教えてくれたんだ」

 そんな話を聞いて、ポルックスは沈黙する。それを聞いて、ユウヤは先ほどの声について腑に落ちる。

「ってことは、……やっぱり、ポルックス達はこの街で生まれ育ったの?」
「……うん、実はそうなんだ。まあ、もうずっと昔にカストルと塔都に移って、それ以来こっちは戻ってこなかったけどね」

 ポルックスは再び遺跡の方を返り見た。

「……分からないな、カストルが、何を考えているのか」
「ねぇ、ポルックス。良かったら、聞かせてくれない?」

 ユウヤは少し勇気を出すように踏み出して、ポルックスにそう話しかける。

「ポルックスと、お兄さんのカストルの事……おれたちが力になれるか、……それは、分からないけど」

 ポルックスはユウヤたちの方を振り向いて、どこか感情の読み取りにくい瞳を向けた。

「――そうだね」

 二人は、魔族と人族の間に生まれた双子だった。
 兄のカストルと弟のポルックス。
 星の名前にあやかって名付けられた二人は、星座のようにいつも一緒にいた。

 そんな二人も成長すると学校に通いはじめ、魔法を習うようになる。
 二人はすぐに学校で一番の魔法の使い手になった。魔族の血を引く彼らは、人族の者たちに比べて魔力の扱いに長けていたためだった。

 その一方で、二人はその変わった外見や特別な魔法の才能から、他の子どもたちにはなじめず、いじめられることも多かった。

 月日は過ぎ去り、二人は街の小さな学校をそろって一番の成績で卒業した。教師たちは彼らの才能を見込んで、塔都の魔法学校にいく事を勧めるのだった。

「ねぇお兄ちゃん、どうする? 魔法学校の話」

 アーチの残骸のたもとに座り込んで、ポルックスは尋ねる。

「……ポルはすごいな」
「え?」

 それはカストルの口癖だった。そしていつでも、嬉しそうに微笑みながら言うのだ。だがその時ばかりは、ポルックスはその言葉の意味がよくわからなかった。
 カストルは続ける。

「ほら、……あんなやつらなんか、気にすることない。ポルはきっと、誰よりも強くなる。沢山の人を助けられる人になれる」
「……そうかな?」
「ああ」

 ポルックスはカストルの輝くような瞳を見上げる。

「そうしたら……お兄ちゃんは嬉しい?」

 いつでも優しい笑みを浮かべる兄が、好きだった。

「そうだな」

 それから、カストルは続ける。

「ポル、行ってみないか、塔都の魔法学校に」

 手を伸ばすカストルを見上げて。
 ポルックスはいつでも胸に誓う。

 ――お兄ちゃんがそう望むなら、もっと強くなる。お兄ちゃんが、喜んでくれるなら、沢山の人を助けられるようになるんだ。

「――うん!」

 二人はそうして、塔都の魔法学校に通うために、故郷のツワネールを出ることになった。

chapter5

 砂漠の果てへと太陽が沈み、街には夜が訪れる。
 砂をまとう風の吹きすさぶ高台で、ルティスは街を見下ろしていた。
 その傍らに、ひらりと赤髪の少年が下りてくる。

「どうかなルティ。順調?」
「んー……まぁね」

 ルティスはあくびをして、「……眠い」と呟いた。

「だろうねー。にしても、ずいぶん回りくどいことするよね」
「そうかもね」

 ルティスは感情の見えない瞳で街を見下ろす。

「でも、罪には罰が必要」

 まおーは苦笑した。

「ま、それはそうかもだけど。な~んか……ルティのそういうとこ、優しいんだか酷いんだか、よくわかんないんだよね」
「んー、……あたしはただ、罰を与えるだけ」

 ルティスは風に髪をなびかせて、そう言った。

「それに……あの子たちのこと。試してみたい」

 ユウトは宿屋の三階、開け放した廊下の窓から外を見ていた。
 考えるのはやはり、ポルックスとカストルのことだ。
 次の事件が起こる25日は、明日に迫っている。
 ――カストルがこの事件の犯人だとしても、その足取りも、犯行の理由も、まったくつかめないことが問題だった。
 そして、それだけではない、ユウトは何か、心のどこかに引っかかりを覚えている。

「……あ! いたいた」

 そんな声に廊下を振り返ると、ユウヤが階段を昇って来たところだった。浴場から戻ってきたところらしく、髪がまだ少し濡れている。

「なんだ?」
「え? あ、べつに用事があるわけじゃないけど。ユウトがいないなーって思って」

 先ほども食堂で六人で集まり、情報を共有したところだった。今日の遺跡での出来事や、ポルックスとカストルの話。

「……街を見てたんだ」

 ユウトは窓の外へと視線を戻す。

「街?」
「色々、見えるからな」

 ユウヤはユウトの隣に寄って、並んで窓の外を眺めた。

「あ、分かるかも。おれも夜の音が好きだな~。たまに風に乗って、どっかの家から子守歌が聞こえきたりして」
「……そんなものまで聞こえるのか」
「そうなんだよね~」

 ユウヤは窓枠に腕を乗せる。

「ユウトにはどんなものが見えてるのか、いつも気になってるんだよね。一度でいいから、おれも同じものを見てみたいなぁ」

 それを言えば、ユウヤにはどんな音が聞こえているのか気になるのは自分も同じだ、と思いながらユウトは外へ目をやる。

「……光だ。街は……いや、世界は光に満ちてる。この世界の魔力は……生命力みたいなものだろう、それは光になってこの世界を満たしている。目には見えなくても」
「そっか、きっと、綺麗なんだろうなぁ」

 綺麗、と思ったことはあまりなかったことに気づく。けれどユウヤにそんな風に言われると、確かに綺麗だとそう思えてくるのが不思議だった。

「……ねぇユウト。やっぱり心配?」

 そう訊かれて、ユウトは「いや……」と呟きかけて少し考え、それから素直に頷いた。

「……そうだな」
「えへへ、なんか、珍しいな。ユウトがそんな素直なの」
「悪いか?」
「ううん! 全然……」

 ユウヤはむしろ嬉しげに続ける。

「ユウトはいっつも、おれが不安なとき、大丈夫だって言ってくれるでしょ? ユウトだって、不安なはずなのにさ。――だからさ、おれもユウトが不安なとき、大丈夫だよって言いたい!」
「……そうか」

 他の人が見てもそう気づかないほど、微かな笑みを浮かべるユウトの横顔に、ユウトは苦笑する。

「って言っても……おれ、なんにもできないし。それじゃ、ユウトは安心できないよね、ごめん」
「いや……」

 そうでもない、と呟きかけた時。
 視線の先……街の端の方で、電光がひらめき、二人は息を呑む。

「――なに? あれ」

 驚いた声をあげるユウヤの横で、ユウトははじかれたように駆けだす。

「ユウト⁉」
「おまえはここにいろ。ルティスに連絡してくれ」
「え……待って、おれも行く!」

 ユウヤは足を滑らせかけながら、ペンダントを取り出すと、階段を駆け下りるユウトの後を追った。

 夜更けに、弓のように欠けた月が昇ってくる。
 息を切らした二人が立っているのは、街のはずれの遺跡だった。

「……なんでついてきた?」
「ユウトを一人で行かせられないよ、だって――」

 息一つ乱していないユウトの隣で、全速力で駆けてきたユウヤは息を整えながら、言葉を途切れさせる。
 そして遺跡の影から現れた人影に、二人は身構えた。

 砂風が吹き荒れる。
 ポルックスによく似た、鮮やかなオレンジの髪に、黒い角の魔族――エメラルドグリーンの瞳。星が揺れている。

「――き、きみが、カストル……?」

 ユウヤは息苦しさも忘れて、あっけにとられたように呟いた。それに答えるように一瞥をくれる視線に、ユウトは剣に手をかけた。

「ああ、そうだ」

 ポケットに手を突っ込んで、服の裾は風に揺れている。ユウトは慎重にその姿を観察するが、殺意は感じられない。
 だが、相手は、この数週間で三人を殺した犯人かもしれない……。
 戦えるだろうか?
 ルティスが来るまでの、ほんの時間稼ぎでいい。ユウヤを守るように、一歩踏み出す。

「おまえたち、事件のことを調べてるんだろ」
「そ、そうだけど……」

 カストルは二人の方へ歩み寄ってきた。
 ユウトは身構え、剣の柄を握りしめる。

「どうやら、おれが犯人ってことになってるらしいな」

 ユウトは慎重に頷いた。

「……そうだ。現場に残されていた、魔力の痕跡を見た」

 ユウトはメガネに触れて、その姿を見る。
 纏う魔力は、やはりポルックスと同じだった。つまり、殺人現場に残された痕跡とも……。
 しかしユウトはそれでも、腑に落ちない。
 一か八か……とユウトは口を開いた。

「だが……おまえは犯人じゃないんだろう」

 ユウトの声に、ユウヤは驚いた眼で振り向く。

「……どういうこと?」

 ユウトは答えず、カストルから目を離さない。その視線の先で、カストルは少し顎を上げて目を細める。

「他に誰が殺せる? 魔力の偽装でもしたってか? それは無理だろうな」
「――お前にはわかってるんじゃないのか?」

 カストルはふっと笑った。

「おれじゃないとしたら、当然、……あと一人しかいない」
「え……じゃあ……」
「この事件を起こしたのは、ポルックスだ」

 カストルはそう言って最後に笑みを残すと、身をひるがえす。

「どっちを信じるかは、――お前たち次第だけどな」

 言葉を失った二人の前から、カストルは頽れた柱の奥へと姿を消した。

「あ――ま、待って……!」
 と追いかけるが、既にその姿はどこにも見当たらなかった。


「ふぅん、じゃあ、カストルはポルックスが犯人だって言ったんだ」

 その直後、ほぼ入れ替わるようにしてやってきたルティスに、二人は事情を話していた。

「っていうかユウトは……カストルは犯人じゃないって思ってたの?」

 気になっていた様子でユウヤは尋ねるが、ユウトは「いや、……」とかぶりを振った。

「確信があったわけじゃない、ただ……可能性は二つあるはずだ、とは思っていた」

 現場に残されていた魔力の痕跡は、ポルックスのそれとよく似ていた。それを自分ではないと否定したのは、ポルックス自身だ。似た魔力を見に宿す、双子のポルックスとカストル……カストルが実在していたとしても、依然として可能性は二つから絞り切れない。ユウトはそう考えていた。

「まあでも、確かに言われてみれば、そうだよね……」

 とユウヤは首をひねった。
 そんな様子を見ていたルティスも頷く。

「まあそうだろうね」

 それから砂漠の地平線へと視線を向けて、ルティスは二人に問いかける。

「キミたちは、どっちが本当の犯人だと思う?」

 二人は答えようとして、黙り込む。今はまだ、それに対する答えは持ち合わせていなかった。
 ルティスはふっと視線を戻すと、二人を見下ろした。

「さて、カストルには逃げられたし……今日は戻ろうか」
「あ、そ、そうだね……!」

 身をひるがえすルティスを、ユウヤたちは追いかける。
 彼らの背中を押すように、砂漠の向こうから風が吹いていた。

chapter6

 ユウヤたちが事件の調査を始めてから、三日目の朝――。

 四ノ月の25日がやってきた。このまま犯人を捕まえることができなければ、今夜、四件目の事件が起こるかもしれない。
 朝の食堂で、カオルの声が響き渡る。

「えー、それで、カストルに会ったの!?」
「えと、そうなんです……」
「どうして二人だけでそんな危ないことしたの!」

 と、カオルは腰に手を当てて二人に詰め寄っていた。

「ごめんなさい!」

 とユウヤは顔の前で両手を合わせる。ユウトは頭をかいていた。テリシアも机に身を乗り出す。

「そうだよ! 二人だけで勝手に行くなんて、危ないよ!」
「えーと……でも、ルティスが来てくれたし」
「それがもし遅くなったらどうするつもりだったんですか?」

 と、フィオレナの語調も珍しく鋭い。

「うう……ごもっともなご指摘……」
「次からは、二人で勝手に行動しちゃだめだからねっ!」
「……分かりました!」
「ああ……悪かった」

 とユウトも素直に頷いた。実際、ユウヤがついてきたことで、結果的に危険にさらしてしまったことは後悔していた。カストルと戦うことにならなかったのは、運が良かっただけだ。一夜明けて、少し焦りすぎたと反省していたところだった。
 普段、こんな時に頃合いを見計らってなだめるシズクはというと、上の空のままパンにバターを塗っている。
 カオルは「はあ……」と肩から力を抜いた。

「……いい? お姉さんと約束だからね!」
「わたしとも約束!」
「私ともですよ」

 と、三人に詰め寄られたユウヤとユウトは「はい」とそろって俯いて、苦笑を交わすのだった。

 事件の犯人は、ポルックスなのか、カストルなのか?
 その意見は、六人の中でも割れることになった。

「やっぱり、おれはカストルが犯人なんじゃないかなって思うかなあ」
「うーん、どうして?」

 朝食を終えた後も、六人は机を囲んで話し合いを続ける。カオルに理由を問われて、ユウヤは頭を悩ませた。

「そりゃ、おれはポルックスを信じたいし……。それにさ、もしポルックスが犯人なら、あんな顔、するかなぁ……。最初に、カストルが犯人かもしれない、ってユウトが言ったときだよ」
「ああ……」

 ユウトも思い返す。視線を落とし、痛みを堪えるような声で話していたポルックスの姿が思い浮かんだ。

「ユウトはどう思う?」
「……まだ分からないが……俺はポルックスなんじゃないかと思う」
「それはどうして?」
「いや、特に理由はない。ただの直感だ」
「へぇ……珍しいね、ユウトくんが直感なんて」
「……かもな。正直、気に入らない……が、今のこの状況じゃ、どちらもあり得るだろう」

 腕組みをしながら話を聞いていたテリシアが、尻尾を揺らしながらうなる。

「んー、だめだ、全然わかんないよ!」

 それから、そうだ! と机に手をついた。

「ポルックスに直接、聞いちゃうのはどうかな? 犯人は、おまえかー! って」
「いや……それで肯定するとは思えないな。だったらまだ、カストルを犯人と想定して、探ったほうがいい」
「うーん、そ、それもそうだよね」

 ユウトの意見に、そろそろと上げた腰を下ろすテリシア。

「それと……、可能性はもう一つあると思います」

 そこで口を開いたフィオレナに、カオルは首を傾げる。

「もう一つ?」
「はい。二人とも、犯人かもしれない。共犯かもしれないということです」
「た、確かに……!」
「それもありうるな……」

 うーん、と一同はあらゆる可能性を頭に巡らせる。が、やはりその中のどれも、真実と呼ぶには決定打がない。結局のところ、現時点での確実な手がかりは、現場に残された魔力の残滓だけなのだ。

「困ったなあ。なんだかこんがらがってきちゃった。シズクはどう思う?」
「……んー……」

 カオルの声にも、シズクはぼんやりと応じるだけで答えは返ってこない。

「ダメだ。完全に聞いてない」
「あはは……シズクさんは一回こうなっちゃうと答えが出るまで戻ってこないからね……」
「そうなんだよねぇ」

 なんにせよ、とユウトは背もたれに寄りかった。

「どっちにしても時間がないな」
「そうですね……」

 一同の間を漂う空気が重たくなる。しばらく沈黙が続いた後、ユウヤはぽつりとつぶやいた。

「やっぱり、ポルックスとカストルを会わせるしかないんじゃないかな」
「……確かに!」

 とカオルはうなずく。

「お互いがお互いを犯人だって言ってる二人を引き合わせれば……」
「なんか……なにか起こるかも!」

 とテリシアも前のめりに言う。その横で、じっとユウヤは真剣な顔つきをしていた。

「……それにさ、やっぱりおれ……」

 ユウヤは机の上に置いた手のひらにじっと視線を落としながら続ける。

「ポルックスは、本気でカストルを探してるんだと思う、なんていうか、見つけ出したい、会いたいって……ポルックスは心から、そう感じてるような気がするんだ、これも、なんとなくだけど」

 ユウヤはそう呟いて、窓の外へと目を向ける。

 数日続いた晴れに雲がかかり、空は薄っすらと曇っていた。
 曇天の砂の街を、二人は歩いていく。

『なにかあったら、すぐルティスを呼ぶんだよ!』

 とカオルが繰り返した声が、ユウヤの耳に残っている。
 ユウヤ達は、今日もポルックスと合流することになっていた。

 テリシアやカオルたちもついてきたがったが、残された時間は少ないのもあって、これまでと同じように手分けすることになった。

「昨日カストルに会ったことを、話さないほうがいいのかな?」

 とユウヤたちは相談しながら歩く。

「微妙なところだな。仮に話すとしても、どこまで話すか……」
「そのまま、全部話すー、ってのはさすがに駄目だよね」
「あらゆるパターンを想定するなら、カストルが言ったことは話さないほうがいいだろうな」

 もしもこの事件がポルックスの単独犯だった場合、ポルックスに疑いを持つ自分たちに対して、ポルックスがどんな動きを見せるか分からない――、というのがユウトの意見だった。
 ユウヤもそれに同意する。

「そうだね……だったら、カストルのことは話さないで、様子をうかがったほうがいいのかもしれない……」

 二人はとりあえず、カストルのことは伏せておくことに決めた。

 ポルックスは待ち合わせ場所の広場で、曇天を見上げていた。
 群青の瞳に、曇天が映り込む。
「……今日だよ、カストル」
 と呟いたポルックスは、走り寄ってくる二人の方へ顔を向ける。

「……待たせちゃったかな! おはよう、ポルックス」
「おはよ〜、ユウヤくん、ユウトくん」
 ポルックスは二人にニコリと微笑みかける。ユウヤも微笑み返した。
「結局……25日になっちゃったね、ポルックス」
「うん、そうだね……」
「今日もカストルを探す?」
 と伺うユウヤに、ポルックスは「そうだねぇ……」と頷いた。

「それと、行ってみたい場所があるんだよね」
「行ってみたい場所?」

 ポルックスは体の向きを変えて、道の先へ踏み出す。

「来てくれるかな?」
「うん、行くよ!」

 こっちだよ、と歩き始めるポルックスを追って、ユウヤたちは歩き出す。

 シズクは考え続けていた。

 この事件の犯人が誰なのか……、シズクは、自身の記憶から必然的に導き出されるであろう答えの予想はついていた。

 ただ、まだ確証がない。

 だから記憶を探り続ける。これまでの四カ月、旅する中で見聞きした全て。道端で聞いた噂話、仲間と交わした会話……。

 思い返してみれば、いくつかポルックスとカストルについて、知っていたこともあった。
 どれもギルドや食堂、宿屋で周囲の人々が話していたことだ。その場では意識していなかったようなことも、《思い出す》事でシズクは情報を拾い上げる。

「混血の魔族……カストル」

 とシズクは呟く。

「でも……だとすれば……」

 そんな彼の横で、カオルたちは地図を覗き込んでいた。まおー軍の支部、三階の六号室には、緊張感が張り詰めている。

「今日も、事件が起こるかもしれない」

 ルティスはそう言って、地図を示した。

「街中の兄弟がいる家……そこに、犯人は現れる可能性はある。今夜、キミたちも手分けして張り込んでほしい」
「そうだよねっ、これ以上、事件を起こさせるわけにはいかないもん!」

 テリシアは張りきってそう声を上げる。
 とはいえ、街中に兄弟がいる家は数えきれないほどあり、すべてに手を回すことはできない。
 これまでの三件の事件が起こった家や地理関係をふまえて、より危険度の高いと思われる場所を優先し、自警団も総動員して張り込むことにしていた。

「……ねぇ、ルティス」

 と見上げるテリシアを、ルティスのいつも眠たげな瞳が見下ろす。

「何?」
「ルティスもあれ、聞いたんでしょ? ねぇ、この事件の犯人って、どっちなのかな」
「さあね」

 とルティスは首を傾げた。

「どっちでも同じ。あたしたちは今夜、犯人を捕まえる。もう人殺しは起こさせない。それだけ。……けど」

 とルティスは、その感情の読み取れない瞳でテリシアを見つめる。

「それが誰であれ、罪を犯した本人にそれを認めさせなきゃいけない」
「本人に、ですか……」

 フィオレナは繰り返した。

「そう。だから、キミたちの力が必要」
「え? わたしたちの?」

 きょとん、とテリシアが眉を上げる。
 ルティスは身をひるがえした。

「今日、あたしはユウヤくんのところにいる。大丈夫、キミたちが今夜、何かを失うことはないから」

 カオルたちが何かを返す暇もなく、そう告げてルティスは部屋を出ていった。

chapter7

 ポルックスが二人を連れて行ったのは、さびれた街の一角だった。そこには窮屈そうに家が立ち並び、ポルックスはその中の小さな家の前で足を止める。

「ここ、ボクらが昔住んでた家なんだよね」
「へぇ……ここが?」
「親もずっと前に死んだからね、だれも住んでない。一応今もボクの家ってことになってるけど、あんまり帰ることもないから」

 ポルックスはそう言って扉を開けた。古びた机と椅子が並んだ、一室に三人は入る。あちこちはほこりをかぶっており、近頃人が足を踏み入れた形跡はない。

「うーん、カストルがここに帰ってきてる、ってわけじゃなさそうだね……」

 カオルが老婆から聞いたという話を思い出しながら、ユウヤは呟いた。

「そうみたいだね。まあ、一応調べてみようか……」

 言いながら部屋を見渡したポルックスは、ふとため息を吐いて呟いた。

「……カストルはボクに会いたくないのかもしれないなぁ」
「そ、そんなことないよ!」

 ユウヤは咄嗟に少し力を込めて言うが、すぐに肩を丸めた。

「そんなこと、ない……と思う」
「そうかな? でも現に、カストルはボクに会いに来てくれないよ」

 ポルックスがそう肩をすくめると奥に続く部屋に入っていき、ユウヤは困ったようにユウトを見やる。

「……とりあえず、少し調べてみるか」
「うん、そうだね」

 ユウヤたちは部屋を見回す。ユウトは一応、視界を切り替えて部屋の中をくまなく見てみるが、住人が去ってから時間が経っているせいか、特別何かが見えることはなかった。

「特になにもなさそうだ……なんの痕跡もない」
「うーん、おれも特に何も聞こえないなぁ」

 とユウヤはイヤホンを外したまま首を傾げる。

「じゃあやっぱり、カストルはここには戻ってないのかな」
「だとすれば、街のどこかに潜んでいるのか?」
「でも、街の宿に泊まっているお客さんの中には見つからなかったってカオルさんたちが言ってたよね」
「だな……」

 うーん、と二人はしばし考え込む。ユウヤはふと、ちらりと部屋の奥へ目を向けた。

「……ポルックスは向こうの部屋かな?」
「ああ、行ってみるか」

 二人は頷きあうと居間を横切って、奥の部屋を覗き込んだ。

「ポルックス……?」

 そこは寝室で、二つのベッドが並んでいる。その奥の、小さなキャビネットの前にポルックスは立っていた。

「……それ、腕輪?」

 ユウヤの問いかけに、ポルックスは振り向く。

「そうだよ。――ボクも同じものを持っているんだけどね」

 とポルックスは左腕を見せた。そこには確かに同じ腕輪が嵌められている。

「塔都にいた頃……。カストルが家を出ていったとき、置いていったんだ」
「……塔都にいた頃、ってことは……」

 とユウヤは、昨日遺跡でポルックスから聞いた話を思い出す。

「魔法学校に通ってた頃?」
「いや……そっか、昨日は時間がなかったから、途中までしか話してなかったっけ」

 とポルックスは腕輪を日の光にかざす。

「……ねぇポルックス、良かったら続き、聞かせてくれない?」

 ユウヤの声に、ポルックスは少し迷うように視線を揺らす。

「そんな時間があるかな?」

 それを隠すように軽い調子で言ったポルックスに、ユウヤは笑いかける。

「うん。もっと知りたいんだ、二人のこと。嫌じゃなければ、聞かせてよ」

 ポルックスは視線を避けるように目を逸らした。

「……じゃあ、話そうか」

 その声に宿る迷いと痛みが、ユウヤの耳に確かに届く。

 二人は塔都に引っ越して、魔法学校に入学した。
 地方の小さな学校では教わることのない高度な魔法の教育は、二人の力をみるみる伸ばすことになった。塔都の魔法学校には様々な魔族や人族が入り乱れ、混血の二人も奇異な目で見られることはほとんどなかった。
 そんな場所で魔法を学んで数か月が経った頃……二人の成績に、徐々に差がつき始める。

「お兄ちゃん! 今回も一番だったよ!」

 とテストの結果を知らせるポルックスに、カストルは微笑む。

「すごいな、ポルは」
「やった!」

 カストルの言葉に満面の笑みで喜んで見せたポルックスは、「あ。そうだ」とふと思い出したようにカストルに話しかけた。

「ねぇねぇ……カストル。先生から、飛び級の試験を受けないかって言われたんだ」
「へぇ、そうなのか? すごいじゃないか」

「……でもさぁ、そしたらお兄ちゃんと違うクラスになっちゃうんだよね? ボク、それやだなあ」

 カストルは少し考えてから、ポル、と弟に向き直る。

「ポルはすごい。この魔法学校の生徒で、一番すごいのはポルだよ。きっと沢山のひとを助けられる魔法使いになる」

 何度もカストルが繰り返し言うことだった。そう言われると、カストルが自分の事を誇りに思ってくれていることが分かって、ポルックスも嬉しくなる。

「……ほんと?」
「ああ。そしたら、おれも嬉しい、それに……」

 と優しく微笑んだカストルは続ける。

「おれも頑張るよ、ポルと一緒に人を助けられるように」
「うん! じゃあ、一緒に……」

 と頷きかけたポルックスの言葉がしぼんでいく。

「……でも、やっぱりお兄ちゃんと違う教室になるの、やだな……」
「家では一緒にいられるだろ?」
「……うん、そうだけど」

 カストルはポルックスの目をまっすぐに見つめた。

「離れていても、ずっと一緒だ。そうじゃないのか?」
「うん……」

 ポルックスは煮え切らない態度だったが、最終的にはカストルの言葉に頷き、飛び級の試験を受けることにした。

 それから一年が経ち、二年が経ち……ポルックスは、魔法学校の五年間の過程を三年で修了し、学校を卒業することになる。

「そんな感じで魔法学校を卒業して、まおー軍に誘われたんだ」
「へぇ、そうだったんだ」

 三人は居間に戻り、机を囲んで話をしていた。

「最初はただの、赤い髪の男の子だと思ったんだけどね~」
「……赤い髪?」

 とユウトは呟く。

「そう。卒業式の帰り道……声をかけられたんだよ。まおー軍に入らない? ってね。まおー軍のことは良く知らなかったけど、ツワネールの自警団みたいなものかなって思ってた」
「それで、まおー軍に入ることにしたんだ」
「そうだね」

 少し遠い目をして、ポルックスは話し続けようとした。その言葉が途中で詰まる。
 この先を、話したくないのだろうと、ユウヤは感じ取る。
 そして、同時に、話したがってもいる、と……。

「……それで?」

 と尋ねると、ポルックスの瞳が揺れた。

 ポルックスがまおー軍に入ることを決めたのは、兄のカストルがその誘いを喜んでくれたからだった。
 ただし……「お兄ちゃんも一緒だからね!」という約束をとりつけて。

 カストルが魔法学校を卒業するまでの二年間は、ポルックスは一人でまおー軍の一員として戦った。
 まおー軍が引き受ける任務は多岐にわたる。大陸中から寄せられるありとあらゆる事件を解決し、人族と相容れない魔族たちと戦い、危険な魔物を討伐する。家を離れることも多くなり、学校に通い続けるカストルと過ごす時間は減っていく一方だった。

 ――やっぱり、飛び級なんてしなければよかったな。

 とズレた二年間を待つ間、ポルックスは何度も何度も思った。
 でもそれも、二年の我慢だ。学校を卒業したカストルと一緒に、まおー軍として、今度こそずっと一緒にいられる。
 それに、戦って誰かの役に立つたび、カストルは褒めてくれる。カストルが喜んでくれる。
 ただそれだけが嬉しくて、ポルックスは戦い続けた。

 その話の行き着く先の一部を既に知っているユウヤたちは、話の途中でふと立ち上がるポルックスを黙って目で追う。

「カストルに褒めてもらうのが好きだったんだよね。……馬鹿みたいだけど」
「そんなことないよ。カストルって、すごく良いお兄さんだね」

 ユウヤの言葉に、そうだよ、とポルックスは頷いた。
 机を離れて窓の傍に立ったポルックスは、腕輪を眺めている。
 金色の腕輪が曇り空の薄っすらとした光を鈍く反射した。

「……それで、二年が経って、カストルもまおー軍に入ることになったんだ」

「――カストルっ……!!」

 騒ぐ森の中、ポルックスは駆け寄る。カストルは木の下でうずくまって、その下に黒々と血だまりができている。

「ポル……、悪い、足、ひっぱったな……」
「そ、そんなこと、どうでもいいよっ! 待って、いま、治癒魔法を……」

 二人の背後には、巨大な蛇が横たわっている。この森で活性化している大蛇の一匹だ。人々の暮らす街を襲う前に、討伐するための任務だった。

「あ……あ、血が……」

 蛇の毒が、治癒を妨げる。目の前が真っ暗になって、かるくパニックに陥りかけたポルックスの肩を、カストルが掴む。

「大丈夫、だ……落ち着け、ポル」
「で、で――でも……お、お兄ちゃんっ……!」
「蛇毒の……解毒剤を持ってる。腰に……」

 と苦し気に呟くカストルの言う通り、腰のあたりを見てみると、そこには筒が下げてある。

「こ、これ……!?」
「そうだ、傷に……それを塗ってくれ」
「わかった……し、死なないで、お兄ちゃん、お願い……」

 ぼろぼろと涙をこぼすポルックスに、カストルはふっと笑いかける。

「大丈夫だ。お前を置いていったりしない」
「――っ、ごめん、ボクのせいでこんな……」
「違う、ポルじゃない、おれのせいだ……」


 
 ◇

「ボクだったら一撃で倒せるような敵に、カストルが殺されかけてた……。まさか、そんなことになるなんて、少しも思ってなかった……本当に馬鹿だね、ボクは……それでやっと気づいたんだ。……このままじゃ、一緒にいられないって」

 幸い、解毒剤が効いたカストルは一命をとりとめた。
 しかしそれ以来、ポルックスはカストルの反対を聞き入れず、ひきうける任務の危険度を大幅に下げることにした。

 元いたチームで仕事をすることもなくなったし、危険な目にあうこともなくなった。日々繰り返すのは単純な、街中の事件の調査や、素材の収集。簡単な魔物の討伐や狩猟。

 ポルックスは当然、魔法学校やこれまでの任務で培った能力を持て余すことになる。
 けれどポルックスはそれでも良いと思っていた。むしろ、カストルといられる日々に、子供のころのような幸福を感じていた。

「……ただいま! お兄ちゃん」

 買い物を済ませて、帰って来たポルックスは、部屋を見回す。

「……あれ?」

 中には誰もいない。机の上には、ギルド発行の情報誌が開きっぱなしになっていた。そこには、どこかで暴れた魔物が街を滅ぼした記事が載っている。

「お兄ちゃん……?」

 その不在に、一気にポルックスを不安が襲った。暗い森の中、血だまりと今にも途切れそうな細い息がフラッシュバックする。

「――お、お兄ちゃん……っ!?」

 荷物を取り落として、外へ駆け出ようとした時、振り向いた玄関でカストルとぶつかりそうになった。

「帰ってたのか、ポル」

 とカストルが驚いた顔をしたのは、ポルックスの顔が真っ青だったからだろう。

「あ、お、お兄ちゃん……よ、良かった」
「ちょっと歩いてただけだ、どうした?」
「う、ううん、なんでもない」

 ポルックスは荷物を拾い上げて、紙袋から野菜を取り出した。冷たい汗を拭いながら、ポルックスはカストルと共に黙って夕食の支度をする。

「……なぁ、ポル」

 ふと、魔法で暖めた鍋をかき混ぜながら、カストルは呟いた。

「……なに?」
「おれさ……」

 ポルックスの、戸棚から皿を出す手が止まる。

「軍を抜けて、しばらく旅に出ようかと思う」
「え……?」

 滑り落ちた皿を、カストルが魔法で空中にとどめた。

「……な、なんで?」

 皿のことなど頭から消え去って、ポルックスはカストルを振り向く。

「……けどそんなに、長くってつもりじゃない。ポルは少しの間、おれがいなくても大丈夫だろ? 一人でだって、戦える。おれも色々勉強してさ、もっと魔法も使えるようになりたい、それで……」
「ま、待ってよお兄ちゃん……なんで?」

 愕然として、ポルックスはまくしたてる。

「べつに、このままでいいじゃん……ボクがなんでもするよ、お兄ちゃんができないことも、ボクが代わりにするし……ボ、ボクがお兄ちゃんを守るし……っ!」

 焦りから言葉がもつれていくのは、それを聞いているカストルの表情が悲しげだったからだ。
 ――なんでそんな顔するの? いつもみたいに笑ってよ、ポルはすごいなって、そう言ってよ。

「ポル、お前はおれがいなければ、もっと人の力になれるはずだ。沢山の人を救えるはずだ……おれは……」
「な、なんで……」

 言葉が詰まる。沢山の人を。――ポルックスは思い返す。たしかにこれまで、多くの人を助けてきた。……でも、それは、お兄ちゃんが喜んでくれるから……。

「そんなの……」
「……聞いてくれポル、オレはしばらく一人で旅をして、もっと戦えるようになって、それでいつか――」
「なんで!?」

 気がつけばポルックスは、カストルの言葉をはねのけてそう叫んでいた。

「なんで、そんなこというの? 一緒にいてよ! ずっと一緒に居るって、約束したじゃん!!」
「ポル……」

 カストルが伸ばした手を、ポルックスは振り払う。衝撃で手が当たった皿が壁にぶつかり、悲鳴のような音を立てて粉々に砕け散る。

「もう知らない! 勝手にすればいいじゃん!」

 ポルックスは泣きながら部屋を飛び出した。

「待て、ポル……」

 カストルは追いかけようと音を立てて踏み出した足を止めた。拳を握りしめる。
 それが二人の、別れになった。

「それ以来……カストルには会ってない。もう、それも三年前だよ」

 ポルックスはそう話し終えると、腕輪を机の上に置いた。

「カストルはこれを置いて、家を出ていった……それから、もう帰ってこなかったんだ」
「そっか……」
「まぁ、今思えば……」

 と少しポルックスは声色を明るくしたが、表情は暗いままだ。

「……カストルは、優しかったから……ボクのせいだよね」

 ポルックスは肩をすくめる。

「毎日、大陸のあちこちで沢山の事件が起こってる。ほら、今回だってそうだね。だから、カストルは、耐えられなかったんだと思う。ボクがカストルに合わせて、人々のために力を使わなかったから……」
「……でも、ポルックスはカストルと一緒にいたかったんだよね」

 ユウヤの呟きに、ポルックスはふっと笑った。

「そのはずなのに、気づいたらボクの傍にカストルはいなくなってた」

 沈黙が下り、それからポルックスは呟く。

「後悔してるんだ。……あの時、ボクはカストルの言おうとしたことをちゃんと聞かなかった。そのせいでカストルが何を言おうとしてたのか、あの時ボクの事をどう思ってたのか、今でもよくわからないよ……」
「そっか……」

 再び部屋を静寂が満たした。しばらくして、さて、とポルックスは気分を入れ替えるように明るく言った。

「暗い話を聞かせちゃったね。ごめん」
「ううん! 聞かせてくれてありがとう」

 それじゃあ、とポルックスは扉の方を見やった。

「そろそろ行こうか。時間もないしね」
「……そうだな」

 ユウヤとユウトは立ち上がり、玄関へ向かうポルックスについていく。
 最後に、ちらりと室内を振り向いたユウヤは、ふと立ち止まった。

「――?」

 ひとり部屋の中に引き返し、机の前に戻る。
 金色の腕輪……ユウヤはそれを手に取った。
 あちこちから眺めてみる。精巧な星の細工がされており窓から差し込む光にきらめいた。

『――ポル』

 その時、ユウヤの耳に声が聞こえた。

「え?」

 と呟いたユウヤの声が、部屋に小さく響く。

『ポル、お前なら、……おれがいなくても、大丈夫だから。――これからも、ずっと一緒だから』

 優しい、どこか悲しげな声が、その腕輪から聞こえる。

『だから……どうか、哀しまないで』

 痛いほどの声が、響いて、消えた。
 ユウヤの頬を涙が滑り落ちて、机の上に滴った。

「……ユウヤ?」

 背後から問いかけるユウトの声に、はっとユウヤは我に返ると、目を瞬かせる。

「あ、あれ……」

 そこで自分が泣いていることに気づいたユウヤは頬をごしごし擦った。

「どうかしたのか?」
「う、ううん! なんでもない!」

 涙を拭いてから、腕輪をそっと机に置く。

「……ごめん、行こっか!」
「ああ……」

 不思議そうなユウトに笑いかけ、ユウヤは今度こそ部屋に背を向けると、ポルックスの家を後にした。

chapter8

 日暮れが、迫っている。
 薄っすらと白い曇り空を見上げて、フィオレナは考えていた。
 ポルックスとカストルは自分と同じ、魔族と人族の混血だ。それはきっと、様々な偏見の目にさらされることを余儀なくしただろう。自分がそうだったフィオレナには、よくわかった。

「……ユウヤくんたち、大丈夫かな?」
「ええ……そうだといいですが」

 テリシアとフィオレナは、日が暮れるのをタイムリミットに、カストルの姿を探していた。けれど、手がかりは依然としてつかめない。

「そろそろ、移動する?」

 フィオレナはそうですね……と呟く。
 カストルを探すのは諦め、事件の起こる可能性をマークしてある家へ移動したほうが良い時間帯だった。

 二人は大通りを歩く。

「もし、犯人が来たら……ガツンとやってやろうね!」
「もちろんです。……でも、あまり無茶しちゃだめですよ?」
「う、うん! 気をつけるっ!」

 フィオレナはふと、通りの横の家を眺めた。窓ガラスに、自分の顔がぼんやり映っている。

「……?」

 ふとその時、フィオレナの中にある考えがひらめいた。思わず足を止めたフィオレナに気が付いて、テリシアも戻ってくる。

「……どうしたの?」
「……すみません、ちょっと確認したいことができました」
「え?」
「今からキールくんの家に行きましょう」
「キールくんって……ルークくんの弟の?」

 ええ、とフィオレナは真剣な顔で頷くと、説明も惜しいのか通りを駆け出す。テリシアも慌てて後ろを追った。

 ユウトは夕焼けの空の下を一人歩いていた。
 ルティスと合流することになっているユウヤとは先ほど別れたところだ。

 ――ユウト、気を付けてね、と、別れ際のユウヤの顔がよぎる。

 今夜、ポルックスは単身で、ユウトはカオルたちに合流して、それぞれ事件の起こる可能性のある家を張り込むことになっていた。
 できるだけ安全策をとりつつ、広い範囲に目を行き届かせるためには、合理的な配置ではある。

 しかし、ポルックスに犯行の疑いがかかっている以上、ポルックスを一人で行動させるわけにはいかなかった。

 カオルたちやルティスには事情を話してある。ユウトは一旦離れたふりをして、これからポルックスを監視することになっていた。その責任は大きいが、ルティスはユウトに任せると言った。

 今日にあたって、ルティスに連絡を行うためのペンダントはユウトにも渡されていた。それを手に取り、握りしめる。

 もしも、ポルックスが怪しい動きを見せれば、すぐにルティスを呼ぶつもりだった。

 通りには街の自警団の者たちがあわただしく行き来している。ユウトはその様子をうかがい、この状況で誰にも気づかれずに民家を襲うことは難しいだろうとぼんやり考える。

 ユウトは広場までたどり着くと、しばらく立ち止まった。
 久しぶりに一人になって、ここ数日のことと、事件の事を考えていた。

 どこか、腑に落ちない。なにかが、ずっと引っかかっている。

「……双子の兄弟……」

 ユウトは呟く。ポルックスと、カストル。

 どう思う、とユウヤに尋ねた時の事を思い返していた。

『こんなお兄ちゃんでいいのかなって思うことはあるけど……』

 ポルックスたちの話を聞いて、ユウトは思わずにはいられなかった。――『俺たちに似ている』と。

 元の世界にいた頃。ユウトは成績もクラスで一番で、運動もよくできた。テストや運動会、ピアノのコンクールで一番をとるたびに、ユウトはすごいなぁ、とユウヤは嬉しそうな顔で笑う。

 ユウトは常に努力し続けた。テストが近くなれば毎日遅くまで勉強したし、運動も欠かさずに続けていた。人はみな口々に褒める。ユウトくんはすごいね、どうしてそんなに頑張れるの? 私にはむりだなぁ――と。

 きっかけは、日々の些細な事だったのかもしれない。

 いつもそばに、兄のユウヤがいた。並んで歩く帰り道、しょっちゅう転んで、膝をすりむいては泣いて。持って帰ってくるのは赤点のテスト。鬼ごっこはいつもすぐにつかまって。料理を失敗して焦げたキッチン。部屋に置き忘れた体操服……。

 それでも、いつでも、どうしようもないほど優しくて。

『ユウトはぼくが守るからね! ぼくがお兄ちゃんだから!』

 なんて、泥だらけの顔で手を引いて。

 ――だから、俺が守らなきゃって思ったんだ。

 ユウヤは何もできなくていい。俺が全部、できるようになるから。

 心のどこかで、そんな風に思っていた頃があった。

 それは間違っていたと、あの日々を経て……今なら痛いほど知っている。

 ふと、ユウトはこの事件に覚えていた違和感の正体を捉える。

 なぜ、殺されるのは弟ではなく――兄でなければならなかった?

「……そういうことか」

 ……が兄を、殺すのではなく。
 が兄を殺すのだとしたら?

 ユウトはようやく、この事件の真実の糸口をつかんだ。

「あ! いたいた、キールくん!」

 二人目の被害者であったルークの家に向かっていたテリシア達は、辿り着く前に学校帰りのキールを見つけた。

「……この前の?」

 と振り向く少年に駆け寄ると、二人はかがんで視線を合わせた。

「犯人、……つかまった?」
「まだだけど……もうちょっとだよ、ね!」
「ええ、もうすぐ、捕まえます」
「そっか……」

 フィオレナは真剣に尋ねる。

「キールくん、ちょっと聞いてもいいですか?」
「……うん、なに?」
「その……事件の時、星が見えたと言っていましたよね?」

 フィオレナの質問に、キールはこくりと頷いた。

「う、うん……」
「その星が、何色だったか、憶えていますか?」
「え……」

 少年は少し思い出すように視線を斜め上に向ける。それから、小さな声で呟いた。

「……青……暗い、青」

 その解答に、フィオレナは小さく息を呑む。

「……緑色では、なかったですか?」
「緑? うん……。緑じゃ、なかった。青だったよ」

 キールは確かに思い出したのか、はっきりと頷いた。

「ありがとうございます、キールくん。あなたのおかげで、犯人を捕まえられるかもしれません」
「え、ほ、本当……?」
「ええ。星の事を、教えてくれてありがとうございました」
「待っててね! わたしたちが、必ず、見つけ出すから!」

 そんな二人の声に、徐々にキールの顔が歪みはじめ、やがて、少年は道の真ん中で大声で泣き出してしまった。

「きっと、これまで……泣けなかったんでしょうね」
「そうだね……」

 二人がキールが泣き止むのを待って家まで送り届けた頃には、とうに日が暮れていた。

「……ずいぶん遅くなってしまいました。行きましょう」
「うん!」

 と二人は駆け足ぎみに通りを引き返す。そしてテリシアが、満を持したように口を開いた。

「つまり、キールくんが見た星の色って……」

 フィオレナは頷く。

「はい、おそらくその星は、窓の外ではなく……部屋の中﹅﹅﹅﹅にいた犯人の瞳に、月の光が反射して映ったものだったんじゃないか、って思ったんです」

 おそらく、その時……廊下で立ち止まった犯人が、キールの部屋を覗き込んでいたのだろう。窓の外を見上げたキールは、そこに月の光を反射して光った瞳を、星と勘違いした。――これが、フィオレナの考えだった。

「そ、そういうことだったんだ……!」
「もし、カストルが犯人なら――、その色は緑色だったはず……でも、それが暗い青だというなら……」

 テリシアはポルックスの目を思い出した。群青の瞳に、星がきらめく……。

「――それなら、この事件の本当の犯人は……」
「少なくとも、ルークくんを殺したのはポルックスさんです。……テリシア、このことをユウトくんに伝えに行ってくれますか?」
「え、それじゃ、フィオレナは?」
「私たちが見張ることになっていた家に行きます」
「一人で大丈夫……!?」
「もし何かあっても、どうしようもないと思ったら逃げますから」

 一瞬不安げな顔を見せたテリシアは、思い切って頷いた。

「――うん、分かった! 任せて!」

 二人は交差点で足を止め、フィオレナは地図をテリシアに渡す。

「ポルックスが張り込むことになっているのは向こうですね。ユウトくんもその近くにいるはず……」
「うん、あっちだね! 気を付けてね、フィオレナ……」
「ええ、テリシアも」

 フィオレナは一歩引くと、手のひらをテリシアに向けた。

「――レスキュア・シード」

 ふわりと白い光が水晶壁のようにテリシアの身を包んで、透明になって消える。

「……ちょっとしたおまじないです」
「あ、ありがとう……!」
「それでは、またあとで」
「うん!」

 フィオレナは小さく微笑んで、テリシアに背を向けて駆け出した。
 闇の中に、その背中はすぐに溶けていく。

「よし! ……わたしも行かなきゃ!」

 暗闇の中、カオルとシズクは、ある家の陰に立っていた。その家にも、兄弟が暮らしている。事件の起こる可能性がある家だった。

「なんだか緊張するね……」
「カオル、オレから離れないで」
「う、うん……」

 もし、怪しい人物が現れたのなら、その時は対処しなければならない。捕まえることはできなくても、戦って時間を稼ぐ必要があった。二人にも、ルティスを呼ぶためのペンダントを渡されていた。ルティスが来るまで耐えられれば、犯人が事件を起こすことを防ぐことができるはずだ。
 シズクも今ではそれなりに魔法が扱える。周囲を警戒しながら、シズクは尚も考えていた。
 どこかで、必ずどこかで聞いた……いや、見たはずだ……と。

「ねぇシズク……なにか私に手伝えることないかな?」

 そんな声に、シズクは少し不思議そうな顔をする。

「なんで?」
「シズク、何か気になってるんでしょ? それをずっと考えてる」
「……そうだね」

 少しの間があき、シズクはちょっと考えてから口を開いた。

「カオルがいるからだよ」
「え?」
「カオルがいるから集中できる」

 シズクはカオルの瞳を振り向いた。そこに映る色をじっと見つめる。その時、ふっとシズクは頭の中の霧が晴れていくのを感じた。
 いつか、同じ色を見た……。他の全てが取り払われ、二人で並んで歩いた街の記憶がそこに映し出される。

 二カ月ほど前、塔都の風景だ。買い物をした帰り、少し遠回りをして、二人で夜道を歩いていた。薄く雲がたなびく空の下。道端に咲いていた花の数、漂ってきた食事の匂い、すれ違った人の数、シズクはすべて思い出すことができる。
 その時はほとんど注意も向けなかった意識の隅に眠る、記憶の切れ端。それを拾い上げた瞬間、全ては確信に変わった。

「……この事件の犯人は、ポルックスだよ」
「え?」

 そんなカオルは目を見開いた。

「シズク、分かってたの?」
「うん……でも確信がなかった。けど……今、やっと思い出した。犯人はポルックス以外、ありえない。でも……だとすれば……」

 シズクは考え込んだ。その瞳の内側で、自分には想像もつかないほどの複雑な思考が行き来するのを、カオルはじっと待つ。
 やがて、シズクは、そっか……と呟いた。

「……カオル、この事件の意味が分かった」
「――え? えぇっ!? 本当に!?」
「……ここで事件は起こらない。行こうカオル」
「え、わ、わかった!」

 シズクに腕を引かれるまま、カオルは駆けだした。

chapter9

 じゃり、と石畳を覆う砂を踏む音が響く。

「……戻ってくると思ったよ」

 背後を振り向いたユウトの心臓が、強く脈打つ。

「……ポルックス」

 人気のない裏通りだった。周囲には誰の姿もない。闇に閉ざされた空の下で、道の脇の魔法灯が点滅する。
 ユウトは息を吸い込み、意を決したように口を開いた。

「おまえなんだろう、事件の犯人は」

 ポルックスは肯定も否定もせずに、肩をすくめた
 それから、どこか抑揚をかいた声で続ける。

「キミたちは、ボクらとおんなじだ」

 ユウトは静かに首を振った。

「……違う」
「違う? どう違うっていうのかな。まるで鏡に映したみたいに、ソックリだよ」
「俺たちは……」

 一瞬、言葉が詰まる。

「俺たちは……」

 そこから先の言葉が、もつれて出てこない。
 ――同じ?
 剣を抜こうとした手のひらが汗に滑った瞬間、ポルックスは雷撃を放った。ユウトはなんとかそれを交わし、剣を抜いて構える。
 びりびりと空気が震える。

 ――電気だ、とユウトは直感する。だとすれば、剣で応じられるのか?

 ルティスを呼ばなければならない。
 咄嗟に探って、しまっておいたはずのペンダントがないことに気づく。

「これがあれば、ルティスを呼べるんだよね」

 と呟いたポルックスが、その手の内側で粉々にペンダントを破壊した。

「――っ」
「今ルティスに来られるのは困るな」

 ユウトはポルックスから目を離さず、慎重に問いかける。

「お前の……目的はなんだ?」
「目的?」

 ポルックスはふっと笑った。

「キミには分かってると思ってた。ボクと同じ、キミにはね」
「……違うと言ったはずだ」

 ユウトは地面を蹴った。剣に炎が宿り、闇を赤々と切り裂きながらポルックスに切りかかる。

「――同じだよ。同じだから、キミは気づいたんだろう?」
「……」

 ポルックスはユウトの連撃を軽々とかわす。ユウトは一旦ひくと、剣を地面に突き立てた。
 そこから衝撃波が伝わり、ポルックスの足場を崩す――よりも先に、ポルックスは指先から放電した。

「――ッ」

 それはほぼ放たれると同時にユウトに直撃する。一瞬目の前が真っ白になり、体中が痺れ、気づけば手から剣が滑り落ちる。
 ――避けようが、ない。

「キミもきっとユウヤくんを失うよ。ボクと同じさ。置き去りにされるんだ」

 ……そうだ。
 ――俺も同じだった。だから、かつて……。

 ユウヤはふっと口の端で笑い、剣を掴んでよろめきながら立ち上がった。
 ポルックスがそれを、表情のない顔で見ている。

「……そう、かもしれないな」

 痺れた全身に力を入れ、剣を握りなおす。

「だが……離れていくことは、失うってことじゃないだろう」

 ぴくり、とポルックスが眉を上げる。

「お前の兄……カストルだったか、そいつはべつに……お前のものじゃない」

 無言のまま、ポルックスが再び指を向けた。その動作を見逃さない。ユウトは咄嗟に剣をかざし、魔法で防御晶を張った。
 電撃がそこに吸い込まれ、一撃でシールドは砕ける。
 その隙を逃さず、ユウトは空に飛びあがって空中から切りかかる。ポルックスは一瞬遅れて顔を上げ、目を見開いた。

「――ッ」

 電撃を纏う腕で剣を受け止める。周辺に衝撃波が広がり、魔法灯が弾けたような音を立てて灯りを消した。――切れない。ユウトはその瞬間に察した。だが、力を抜かず、全体重をかける。

「……兄弟は、ただほんのすこしだけ、同じものを持っているというだけだ」
「……うるさいな」

 同じ血が流れ、同じ時を過ごして。

「ただそれだけの……一人の人間なんだ。自分の意思で、生きているんだ、だから……誰のものでも、ない!」
「黙れっ!!」

 剣が薙ぎ払われ、空中でバランスを崩したユウトの脇腹を、雷撃を纏う指先が深々と貫いた。

「……っ!」

 剣と共に地面に落下し、腹を抱えてうずくまると、すぐに両手は血で濡れる。全身が痺れ、感覚が消えていた。ユウトはそのまま地面に倒れ込む。

 薄れゆく意識の中で、ユウトは確かに、同じだ、と苦笑した。
 ――かつて、そんなことも分からなかった馬鹿な俺が、確かに一度、ユウヤを『失った』んだから。

 ポルックスの悲痛な声が降る。

「せいぜい後悔したらいいよ。弟のキミが無能だったせいで、大事なお兄ちゃんが殺されることをね」

 ◇

 ――幼い、ユウヤが泣いている。
 手を伸ばしかけて、泣きじゃくるユウヤが、その手を拒絶していることに、気づく。
 途方に暮れて、立ちすくみ、そして。

『さいしょから……ユウトには、ぼくなんかいないほうがよかったんだよっ!』

 その声が世界を打ち砕く。

『ぜんぶ、ぜんぶ――ぼくのせいだ!』

 ……ちがう、と言いたいのに、声が届かない。
 ――ちがう、俺は、お前がいたから――。

『ぼくが、いなければ、ユウトはもっと幸せになれたんだっ!』

 ――そうじゃない、違う!
 手を伸ばすのに、どんどん遠のいて。
 
 そうして失ったとき、一人暗闇に立ち尽くして、ただ思った。

 証明しなければならない。
 俺にはお前が、必要なんだ、と――。

 ユウトは目を開ける。
 痺れた身体が、血で濡れている。
 なんとか身を起こし、殴られるように痛む頭を押さえる。

「……ユウヤ」

 呟き、手探りで剣を拾い上げる。
 かつて犯した過ちが、ぐるぐると頭の中を巡る。ポルックスの姿が残像のように……かつての自分に重なった。

 ――だが、ユウヤはそんな自分を許してくれた。
 もう一度やり直すことを、許してくれたから、今、共にいる。
 ユウトは息を吐き、闇の先へと踏み出す。

 その頃……。


「あれー!? ここどこ!?」

 テリシアは地図をくるくる回しながら、道のど真ん中で途方に暮れていた。

「は、早くいかなきゃなのにー!!」

chapter10

 ――雲が晴れて、月が姿を現した。
 大きく欠けた、細い弓のような月が空に浮いている。その光に導かれるように、ユウトは進む。
 ユウヤが……危ない。
 走り出そうとするのに、冷えていく身体が言うことを聞かない。

「クソ……」

 ユウトは剣をつきたて、傷口を押さえる。

「――ッ……」

 その時、二つの足音が聞こえてきた。

「――ユウトくんっ!?」

 緊迫したその声音が耳に届き、顔を上げる。

「どうしたの!? 大丈夫っ!?」

 現れたカオルとシズクの姿に、ユウトは安堵の息をついた。

「……ッ……、ああ、大丈夫だ、それよりユウヤが危ない」
「ちょっと待って、すぐに治すから!」

 カオルはユウトの服をまくりあげて、そっと傷口に触れる。淡い光が傷口を包み、傷が塞がっていく。

「事件の犯人は、カストルじゃない……ポルックスだったんだね」

 シズクの言葉に、少し驚いたようにユウトは頷く。

「そうだ。兄を狙った殺人事件を繰り返したのは、ポルックス自身だ」
「じゃあ、これはポルックスにやられたの?」

 ユウトは唇の端を噛んだ。

「迂闊だった……ポルックスは俺が戻ってくることを読んでたんだ。ペンダントも壊されたから、ルティスも呼べてない……」

 ユウトは苦し気に咳き込みながら続ける。

「それより、あいつはユウヤを殺すつもりだ……!」
「今ユウヤくんはどこに?」

 シズクの語調も鋭くなる。

「予定なら、ルティスと一緒にいるはずだ、けど……」

 ユウトは声に微かに悔しさをにじませた。

「もしかしたらポルックスはユウヤに、本来の約束と違う場所を教えたのかもしれない。そうだとすれば、ユウヤは今一人だ……俺たちにはどこにいるかもわからない」
「そんな……探さなきゃ!」
「ああ……」
「……待ってユウトくん、まだ動かないで!」

 カオルが集中すると、みるみる傷が癒えていく。しばらくすると、その傷はすっかり塞がった。ユウトは汗を拭い、息をつく。

「……ありがとう、助かった……」
「傷は治したけど、ずいぶん血が流れてる……無理しないで、ユウトくん」
「ああ」

 ユウトはすぐに立ち上がった。

「カオルさんたちもユウヤを探してくれ」

 そう言うと返事も待たずに駆け出していく。

「わかった!」

 とカオルの声が追いかけて、ユウトは闇の中へ飛び込んでいった。

 雲が晴れて、欠けた月が冴えるような輝きを砂の街に注いでいた。

「困ったなー、地図はこれであってるはずなのに」

 ユウヤは一人、夜道に立ち止まって地図を前に首を傾げる。
 ポルックスに言われた通りの場所に来たはずが、そこにはルティスの姿は見当たらないし、ルティスと共に張り込む予定だった家もない。
 ユウヤはもうかなりの時間、そうして辺りを行ったり来たりしていた。

「変だなぁ、おかしいな……」

 ユウヤは顔を上げた。そこは街のはずれで、開けた空き地になっていた。風が吹き抜けて、砂が舞い上がる。
 そこでふとユウヤは気が付いた。

「あれ? ここって、遺跡のところだ……」

 空き地の奥、闇に紛れて古い建物の残骸が亡霊のように佇んでいる。

「おかしいなぁ、道を間違えたかな……」

 地図をしまい、引き返そうと身をひるがえした時。
 ユウヤはほとんど無意識に飛びのいた。ビリっと、雷撃が頬をかすめる。

 咄嗟に腕を交差させて防御晶シールドを張った。連鎖する衝撃波に、歯を食いしばりながら、ユウヤは顔を上げる。

 ……そこには、ユウヤの方に手のひらを向けながら立っている、ポルックスがいた。

 ――な、なんでっ!?

 攻撃をシールドで防ぎながら、ユウヤは状況を理解できない。

「ポルックス……⁉」

 一旦、攻撃が止む。ユウヤは身構えたまま、何を言えばいいのか、言葉を彷徨わせた。

「……ボクのこと、信じてた?」

 ポルックスは微かに嘲るように言う。ユウヤは静かに頷いた。

「……信じてるよ。今だって」
「これでも?」

 轟くような雷撃がユウヤを襲う。シールドを砕いて貫通し、それはユウヤの全身を直撃した。

「――うぁあ――ッ!」

 呻くような悲鳴を上げて、ユウヤは膝から崩れ落ちる。
 全身が痺れ、麻痺したように動けない。

「……ッ…………」
「ねぇ、キミがいなくなったら、弟のユウトくんはどうなるだろうね」

 ユウトは顔を上げた。痺れた喉から、声を絞り出す。

「……ポルックス、きみは……お兄さんに会いたかった、そうでしょ……」
「そうだよ」

 ポルックスは無表情に頷いた。ユウヤは、へへ……と笑う。

「なら、おれが、信じたとおりだ……」
「ずいぶん余裕みたいだね? 助けが来るとでも思ってるの?」
「ううん……だって、ペンダントも、ないし……」
「そうだね。ここにあるよ」

 ポルックスは、先ほどもそうしたように、まおー軍のエンブレムが記されたペンダントを指先で砕いた。

「ねぇ……ポルックス……きみは、カストルに、会いたかったんでしょう」

 繰り返すユウヤに、ポルックスは応えない。左腕に雷撃をまとわせ、ユウヤに一歩ずつ近づく。

「それなら、どうしておれを殺すの?」

「……証明するんだ。カストルが、ボクには必要なんだって」
「証明……?」
「そうだよ……」

 どこか虚ろな目のポルックスに、ユウヤはでも……と言葉を返す。

「きみの望みは……殺すことじゃない……おれを殺すことも……それは、ポルックスの望みじゃない、そうでしょ……」
「……二人そろって、分かったような口聞くね……」

 ユウヤは苦笑する。

「べつに、分かってなんかない……だから知りたかったんだ……」
「キミは、なんでそう、知りたがるのかな……」
「……だって、仲間でしょ? まだ、ほんの少しだけだけど……でも」

 ポルックスはユウヤの前に立ち、腕をかざす。

「ねぇ、だから、続きを聞かせてよ……」
「続き?」

 ポルックスは虚ろに繰り返す。

「続きなんか、ない……」

 そして、手をかざした。電撃がバチバチと指先で弾ける。

 ――ほら、ボクのところへ帰ってきてよ。
 じゃないとまた、殺しちゃうよ?
 ねぇ、お兄ちゃん。

chapter11

 フィオレナは月が照らす夜道で立ち尽くしていた。

「……貴方は……」

 輝くようなエメラルドグリーンの瞳が見下ろしている。

「カストル……?」

 ひらりと屋根から飛び降りて、フィオレナの目の前に降りてくる。

「ねぇ、ちょっと協力してくれないかな」

 そしてフィオレナは、息を呑んだ。

 ユウヤは見上げていた。
 雷撃が迫る。それに当たれば、一瞬で気を失い、そのまま殺されるだろう。
 そして、ユウトの顔がよぎる。

「――ッ」

 ユウヤは振り下ろされた手を飛びのいて躱した。手のひらを突き出し、光球を放つ。ポルックスがそれを避ける隙に、ユウヤは風を起こした。
 暴風に砂が舞い上がり、視界が奪われる。ユウヤは踵を返し、その場から逃げようと縺れる足で走り出す。

「――無駄だよ」

 その声がどこからか聞こえ、間髪入れずにユウヤを電撃が貫いた。

「ぐ――あ……」
「ボクの放電に、視界は関係ない。電気はボクときみの間を繋ぐように流れるだけだよ」

 ざあっとポルックスが起こした風が、砂を吹き飛ばした。

「これで終わりだね」

 麻痺した身体を動かせない。振り下ろされる腕に、ユウヤは目を閉じかけた、その時――。

「ユウヤくんっ――!」

 ユウヤの視界が、水色に翳る。ポルックスの腕は、二人の間に割り込んだ人影の肩から胸を切り裂いた。

「――テリシア!?」

 だが血がほとばしる代わりに、砕け散ったのは透明なガラスのような、防御晶だった。

「ウィンド・ブレード!」

 テリシアが杖を突きだし、風の刃の連撃を放った。ポルックスはそれを躱しながら飛び退り、距離をとる。

「だ、大丈夫!?」

 焦った声色で尋ねるユウヤに、テリシアは振り向いてにっと笑う。

「うん! フィオちゃんのおまじないのおかげ!」

 テリシアはくるりと杖を回し、ユウヤに向けた。

「電気だから……エレキ・シード!」

 そう呟くと、二人の間にふわりと光が漂う。

「あ、ありがとう、テリシア……何でここに?」
「え? えーと……ちょっと道に……ま、まぁまぁ、任せてよ! ユウヤくんは、わたしが守るって言ったでしょ?」

 なぜか一瞬きまり悪そうな顔をしたテリシアだったが、すぐに気を取り直して胸を張る。

「……あ、ありがとう……もうダメかと思ったよ」
「諦めるなんて、ユウヤくんらしくないねっ!」
「……うん、そうだ、そうだよね」

 ユウヤは痺れのとれてきた身体に力を入れ、なんとか立ち上がる。テリシアの魔法のおかげだった。
 二人は再び、ポルックスに向き合う。

「もう分かったんだからね、ポルックスが事件の犯人なんでしょ! 証拠だってあるんだからっ!」

 テリシアの大声に、ポルックスはへえ、と顎を上げた。

「そっか。でも、どうやってここから生きて帰るつもり?」
「え――と……」

 ポルックスはおもむろに手を振り下ろした。その足元に、橙色に輝く魔法陣が展開される。

「ま、魔法陣……っ」

 二人が身構えるのと同時に、ポルックスを取り囲むように六つの光が浮かび、そこから電撃が放たれた。

「――ッ、シールド!」

 テリシアは杖を構え、二人は手をかざして防御した。ガラス板のような透明な防御晶が二人の目の前に生じ、雷撃を受け止める。

 絶大なエネルギーに、ピシピシ、とそのシールドが震えた。数秒持つか、どうか。それでさえ、ポルックスは一割の本気も出していないのだろうことをユウヤは察する。
 だが、それはチャンスだ。殺そうと思えば、殺せるはずなのに、ポルックスは引き延ばしている。
 ――やっぱりそうだ。ポルックスは、ただ待っている。

「敗けるわけには、いかないよね……」

 ポルックスの声がよみがえる。

『キミがいなくなったら、弟のユウトくんはどうなるだろうね』

 思い浮かぶユウトの姿が、ユウヤを奮い立たせる。こんなところで死ぬわけにはいかない。ユウトは無事だろうか。ユウトのところに、帰らないと!

「――っ! こ、このままじゃ……」

 シールドは今にも砕けそうにひび割れ、テリシアの声は苦しげだ。

「……まだ、まだ……!」

 ユウヤは力を込めた。
 ――テリシアを、守るんだ。
 砕けそうなシールドを覆うように、二重三重のシールドが展開し、電撃を防ぐ。
 ――けど、このままじゃ……。
 これまでに使ったことのない高度な防御魔法に、ユウヤの視界は点滅する。


 ユウトは月の光の下、走り続ける。
 ――ユウヤは、どこにいるのだろう。

 祈るように目を閉じて、開いた視界の奥に光が見えた。

「ユウヤ……?」

 闇の奥。建物や、地形をすり抜けて……その輝きを、ユウトの目が捉えている。

 その光を目指して、ユウトは走った。

 もう、分かっている。どんな暗闇でも走り続けられる理由。脚を止めずに、走り続けられるのは――先にいつも、その光が待っているからだ。

「……ユ、ユウヤ、くん、……ッ! もう、無理だよ……っ!」

「く……っ!」

 こちらがどれだけ防御を重ねても、ポルックスはたやすく雷撃の手数と威力を増す。攻撃に転じる暇なんて、全くなかった。

「……あ、諦めない……っ!」

 そう呟いた時、ユウヤはシールドの向こうに閃く光を見た。

「――⁉」

 ポルックスは驚いたように顔を横に向け、飛びのく。
 だが、空から高速で落下してきた影の方が、一瞬速かった。その剣先が、ポルックスの胸を切り裂く。

「ユウト……!」

 ポルックスから距離を取り、こちらに向かってくるその姿に、ユウヤは安堵の声を漏らす。

「ユウヤ、大丈夫か?」
「うん、――け、怪我してるの?!」
「だ、だだ、大丈夫!?」

 血まみれの服に気が付いたユウヤとテリシアの血の気が引く。ユウトは安心させるように首を振った。

「もう大丈夫だ。カオルさんに治してもらった。それより、まだ終わってない、避けられた」
「……!」

 その声に見やると、ポルックスは胸から薄く血を流してはいたが、その傷は浅かった。忌々しげに、にらみつける瞳と目が合う。

「……ねぇ、ポルックス! やめよう、こんなこと!」

 ユウヤは叫んだ。

「おれたちは戦おうとしてるわけじゃない……! ポルックス、どうしてこんな事件を起こしたの!? それを教えてよ!」
「……それを知ってどうするつもり?」

 ポルックスは再び魔法陣を展開する。

「ボクはただ、カストルに――」

 その声が、不意に揺れ、それを押し切るように叫んだ。

「帰ってきてほしいだけだよっ!」
「――ッ来るよ!」

 テリシアは一声叫んで、杖を掲げる。三人で再びシールドを展開させるが、ポルックスの攻撃の威力は激しさを増し、持って十秒だろうとユウトは必死に頭を回転させる。

 永遠のように長い数秒間、走馬灯のように記憶が巡り――なぜか不意に、ひとつの旋律が響いてくる。

「……ユウヤ」
「うん」

 二人は頷きあう。

「テリシア、おれたちに十秒くれるか?」
「――え!? わ、分かった――やってみる!」

 テリシアは眉を寄せて、杖を握る手に力を籠める。
 ユウヤとユウトが手を下ろして後ろに下がると、その瞬間弱まったシールドが途端に悲鳴を上げた。

「う――!」

 と唸るテリシアの背後で、二人は頷きあった。

「息を合わせるんだ、ユウヤ」
「うん、いけるよ、ユウト!」

 これまでに一度も、やったことなどないはずなのに――当然のように通じ合い、ずっと昔から知っていたように体が動く。

 目を閉じた二人の足元から風が巻き起こった。

 シールドがぴしぴしと砕け始めた時……。

 二人の頭上に、二つの大きな光が浮かび上がった。それは向かい合う二つの三日月のように、煌々と輝く。
 線対象に欠けた光が、やがて重なって溶け合い――巨大な光の環が空に浮かんだ。

 ――この世界は不思議だ、とユウトは思う。心同士、触れるみたいに、想いが叶い、願いが届く。二人は頷きあう。
 その瞬間、粉々になったシールドを貫いて、雷撃が迫る。

『――月環リング

 二人の声が重なった。
 環から降り注いで三人を覆う光は、鏡のように雷撃を反射する。

「――!?」

 突如自分の方に向きを変えた電撃をよけきれず、ポルックスはその雷撃を自分の身に浴びる。
 爆風が弾けるが、光の中にいるユウトたちには全く影響がなかった。テリシアはあっけにとられた顔で二人を振り向く。

「す、凄い! こんな魔法が使えたの!?」
「いや……初めてだよ……なんか変な感じ、ねぇ、ユウト……?」
「ああ……」

 砂埃の中から、ふらりとポルックスが立ち上がる。

「……不思議な、力だな……」
「ポルックス、もうやめよう!」

 ユウヤは再び必死に叫んだ。月の環が光り輝き、徐々に消えていく。

 その光を眺めるポルックスの胸中に、よぎる思いがあった。

 ――なぜ、壊さねばならないのだろう。なぜ……一体ボクは、なんのために殺そうとしている?

「そいつらの言うとおりだ、もうその辺にしといたらどうだ?」

 ふわり、と両者の間に人影が下りてきた。
 一同は揃って息を呑む。
 ユウヤたちは言葉を失った。
 張り詰めた沈黙を破って、最初に呼んだのは、ポルックスだった。

「……お兄ちゃん?」

 それはどこか歪んだ声で、心細く風に吹かれていく。

「久しぶりだな、ポルックス」

 その声にポルックスは顔を歪めて俯いた。頭痛でもするかのように、額に手のひらを押し付ける。

「う、ん……そうだね、お兄ちゃん……」

 先程までの戦意と殺意が嘘のように、ポルックスは静かに立ちすくんでいた。

 ユウヤは首を傾げる。

 ……なぜ、ポルックスはようやく会えたカストルに対して……あんなにも……絶望的な顔をしているのだろう?

「ボク……ボクは、帰って、来てほしかったんだよ……お兄ちゃんに……」

 カストルは黙ったまま、なにも返さない。

「ほら、お兄ちゃんが居ないと、ボクだめなんだ……人を助けるなんてさ、強くなるなんて……お兄ちゃんがいないと……」

 ポルックスは歪んだ笑みを浮かべ、それなのに、どこか今にも泣き出しそうな声音で、カストルから目をそらし続ける。

「……なんだか、様子がおかしくないか?」
「うん……」

 二人が囁いた時、カストルは口を開いた。

「……なんで人を殺したんだ?」
「――ッ」
「ツワネールだけじゃない……これまで塔都、ロアーム、デルン、スイゾニア……全部で十五人」

 その言葉に、ユウヤたちの間に戦慄が走る。

「じゅ……十五人……!?」
「全部……知ってたの?」

 ポルックスの声は小さく震える。

「……なら、それなら、なんで今まで……」

 カストルは答えない。

「ねぇ……答えてよ……嫌だ……! 帰ってきてよ! お兄ちゃん……――ッ!!」

 ポルックスは突然手のひらを地面に突きつけた。その動きを見て、ユウトは咄嗟にユウヤとテリシアをかばうように進み出る。

「危ないッ!!」

 真っ白く一面が輝いた。目が眩むほどの光が辺りを真昼のように照らし、電撃が迸った。
 ――しかし、その衝撃がユウヤたちを襲うことはなかった。

「……これは凄いね」

 恐る恐る目を開いたユウヤたちの先……カストルの隣にはルティスが立っていた。
 金属の長い棒をつかみ、その上にまばゆい白い光が凝縮されている。あまりのまばゆさに、ユウヤたちは直視できない。

「これじゃ、街全体が吹き飛んでた……すさまじいね」

 そう言うと、パッとその光はどこへともなく消え去った。

「ル、ルティス……」

 ちょうどその時、ユウヤ達の背後から無数の足音がした。振り向くと、やってきたのはカオルとシズク、そしてフィオレナだ。

「大丈夫!? ユウヤくんたち!」

 カオルの声に、ユウヤは驚きつつも頷く。

「う、うん……でも、一体何が……」

 どこか様子のおかしさを察して、ユウヤは混乱したようにあたりを見回し、それから、呆然と立ち尽していたポルックスが膝をついて蹲るのに視線を止めた。

「……ポルックス……」

 そして、カストル。
 ユウヤの視線は曖昧に揺れる。

「なぁポルックス。どうして人を殺した?」

 カストルは繰り返した。

「……」

 ポルックスは答えない。
 ユウヤはほとんど無意識に踏み出した。カストルとルティスの横を通り過ぎ、ポルックスの前にひざまずき、その肩に手をおいた。

「……続きを聞かせて」

 ポルックスは彷徨う視線を上げ、疲れ切ったように笑う。

「続きなんてない……もうわからないんだ……頭が痛い……」
「……ねぇ」

 背後から声をかけたのは、シズクだった。意外に思ったユウヤは振り向く。

「どうして右腕﹅﹅を切り落としたの?」

 ユウヤの手の下で、ポルックスの肩が震えてこわばる。

「右腕……」

 ほとんど聞こえないくらい小さな声で呟いたポルックスの顔を、ユウヤは再び見つめる。

「――そ、それは……」

 震える声が、何かと何かの狭間で揺れ動くのを、ユウヤは感じる。

「……ポルックス……」

 その傍らに、ルティスが歩み寄ってきた。

「……よく見て」

 ポルックスはゆっくり、顔を上げる。そして、カストルの姿を視界に入れる。目を逸らさずに。

「――……お兄ちゃん。……いや……」

 ポルックスは力なく首を振った。

「お兄ちゃんじゃ……ない。そうだね、お兄ちゃんは……もう、――死んだんだから」
「え……?」

 ユウヤは振り向いた。
 その視線の先、小さく頷いたカストルの姿が蜃気楼のようにゆらぎ……。

 変わっていく。
 数秒後、そこにいるのは、もうカストルではない。
 
 現れたのは緑髪の、黒い翼の少女だった。

 カストルが家を出ていって、一人になったポルックスは、その後もまおー軍として戦い続けた。
 任務のレベルを元通りに引き上げ、いまだに魔族たちが支配する地域の奪還作戦に参加したり、火山の噴火で眠りから目覚めた巨竜と戦ったりした。

 戦い続けた。それが……カストルが望んだことだと信じていた。それから後悔が募った。あの日、カストルの言葉をちゃんと聞くことができなかったことが……。

 だからポルックスは、カストルを探し続けた。

 そして三年後、ポルックスはようやくカストルを見つけることになる。

 それは名前だった。塔都の町外れの墓地、墓石に刻まれた名前。――カストル・ルヴィ。

「今年の二ノ月……塔都である事件が起きたんだ。それは、魔族と人族の混血を嫌う者たちが起こした、理不尽な殺人事件だよ。殺されたのは、カストル・ルヴィ。……君の兄だったね。抵抗したのか、一度攻撃を防いだのか……、右腕は身体から切り離されていた」

 まおー軍四極の一人、黒鴉のラインハイト――彼女はそう名乗り、話し始めた。

 カストルはもういない――、この街にこの数日間現れたカストルは、彼女が姿を変えて見せたものだった。

「……それからだね、世界の各地で兄殺しの事件が起こり始めたのは」

 ポルックスは黙って話を聞いていたが、目を閉じ、静かに頷いた。

「うん……思い出したよ」

 ポルックスが長い遠征から戻ってきた時。本部に立ち寄ると、軍の知り合いがせき切ったように駆け寄ってきた。

 ――お前の兄……カストルって言ったよな!? 前まで、まおー軍にいた……。
 ――そうだよ、もしかして……。

 戻ってきたの? と嬉しげに言いかけた言葉を、彼の突き出した記事が粉々に砕く。

 ――殺人、混血、右腕、塔都……死亡、カストル……。

 そういった文字列がバラバラに踊り、ポルックスの目を眩ませた。
 既に事件は終わっていた。犯人たちは牢獄に入れられ、カストルは墓石の下で眠りについていた。

「――なんで、って思ったよ」

 ポルックスは呟く。

「なんでお兄ちゃんが? あんなに世界の、人々のことを、幸福を、平和を願ってたお兄ちゃんが、なんで殺されなきゃいけなかったんだろう。なんで……でも……」

 とポルックスはうなだれる。

「ボクのせいだ……ボクが弱かったから。お兄ちゃんの言葉を聞かなかった。だからお兄ちゃんを一人にした。守れなかった……だから死なせちゃったんだ……」

 
 ――もう、お兄ちゃんがこの世界にいない?
 絶望が世界を満たした。なにもかもは空虚で、もう意味がなかった。なにをしても、もう褒めてはもらえない。笑いかけてくれることもない。虚ろに歩く街角で、気づけば今まで通りカストルを探し続けていた。

 欠けたまま……どうやって生きていけばいい?

 そしてある日、街中で手を繋いで歩く兄弟を見かけた時、カストルの声が響いた。

 ――ポルは、オレが居なくても大丈夫だろ? だから……

 ――違う!!
 ――ボクにはお兄ちゃんがいなきゃダメなんだ。
 ――ほら……。

 気づいたら、眼の前には少年が死んでいた。
 弟らしき、もうひとりの少年が、声を上げて泣いている。

 ――あれ、ボクは何をしているのだろう。

 ……証明するんだ。

 ポルックスは、囁くようにそう答え、そうして現実に蓋をした。
 記憶は、カストルが家を出ていったところまで巻き戻る。今も、どこかでカストルは生きている。だから、知らせなきゃ。

 ――ねぇお兄ちゃん、ほら早く帰ってきて。
 ――ボクには、お兄ちゃんがいなきゃダメなんだ。

 立ち去る前にふと、何故かそうしなければならない気がして、右腕を切り落とした。

 いつも、繋いでくれた右手。頭をなでてくれた右手。褒めてくれた、お兄ちゃんの右手……。

 ――お兄ちゃんが居なきゃ、欠けたボク一人じゃ、生きていけないんだよ。

「……あなたがしたことは許されない」

 ルティスはそう言渡す。

「あなたが望むなら、あたしはあなたを断罪する」

 ポルックスは静かに頭を垂れたまま呟いた。

「断罪のルティス、か……最初から全部わかっていて、ボクを裁くためにここへ来たんだね」

 ルティスは答えない。その無言に肯定を受け取って、ポルックスは苦く笑った。

「カストルが犯人だって言えば、ルティスたちは、見つけてくれるって思ったんだ……でも、そうだね、カストルはもういないのにね……。それなら、さっさとボクを殺せばよかったのに。いつでも殺せただろ、ボクのことなんて……」
「……裁く権利は誰にあると思う?」

 ルティスの声が響く。ポルックスは疲れ切った顔をゆっくりと上げる。

「誰、って……」
「裁く権利は、誰にもない。あたしにも、他のだれにも――あたしは罪を裁きに来たわけじゃない、あなたが望むものを与えに来た」
「……ボクが、望む……?」
「そう、あたしはあなたの本当の望みを、聞きに来ただけ」

 ルティスは手の中に細く長い棒を出現させた。

「ボクは……」

 うわごとのようにそう口を開いて。

「……お兄ちゃんと、ずっと一緒にいたくて……帰ってきて、欲しくて……」
「きみの兄は、もういない」

 ルティスの声にポルックスは苦笑する。

「そうだね、だから……」

 ボクには、望みなんて、なにも……。

「――許されたい……」

 ほとんど無意識にそう呟いたポルックスは、自分の中にあった望みにようやく気が付いた。
 ――ああ、最初からそれだけだったのだ。

 気づけばそれは単純で、そして今更気づくには、あまりに残酷すぎた。

「お兄ちゃんに、許してほしかった……お兄ちゃんを一人ぼっちにしちゃった……一人ぼっちで死なせた……ぼくのことを……」

 両手を顔の前に差し出し、その罪に汚れた手が初めてポルックスの目に入る。

「それだけだったのに――こんな――もう――」

 喉の奥が詰まり、言葉を失う。
 殺し続けた十五人。兄を失った十五人の弟達。彼らに、何の罪があった? 人を救ってとカストルは願ったはずなのに――なぜボクはこんなにも殺したのだろう?

「ねぇ……」

 と、ユウヤは穏やかで優しい声で言った。

「さっき……カストルの腕輪を見せてくれたでしょ? あれは、カストルの遺品だったんだね」
「……そう……そうだね」

 ポルックスは呟いた。

「軍が預かっていた……それを受け取ったんだ」
「……ポル」

 とユウヤは言った。え、とポルックスは目を見開く。

「ポル、お前なら、……おれがいなくても、大丈夫だから。――これからも、ずっと一緒だから」

 一言ずつ、確実に、ユウヤはその言葉を伝える。

「だから……どうか、哀しまないで」

 その言葉に、ポルックスの瞳から涙が零れ落ちた。ユウヤは少し照れくさそうに笑う。

「……って、あの腕輪から、そう聞こえたんだ。きっとそれが……カストルの最期の想いだったんだと思う。カストルがキミに伝えたかったことだよ」

 ポルックスの喉から嗚咽が漏れた。ルティスが、ユウヤに目配せする。ユウヤは少しためらったが、そっと立ち上がってポルックスから離れた。
 ルティスはポルックスを見下ろす。

「死んだ命は帰らない。償うことはできない……それでも、償いたい? ――許されることはない。それでも、許されたい?」

 ポルックスは嗚咽を堪えて目を閉じ、静かに頷いた。

「なら――」

 ルティスは金属棒を突きつけ、その先端がポルックスの首筋にひやりと触れる。

「……あたしが、断罪する」

 ふっと、軽やかに腕を振るって。
 息を呑んで見守るユウヤ達の前で、その棒は、滑らかに切り落とした。

 ポルックスの――右腕を。

 血が噴き出し、ポルックスは左手で肩を抑える。一瞬、何が起こったかわからないような顔をしていたポルックスは、呆けたようにルティスを見上げた。

「……殺さないの、ボクを」

 ルティスは静かに告げる。

「欠けたまま、生きられるようになりなさい。そうして償い続けなさい」

 彼らの頭上には、欠けた月が空高く、ただ静謐な光を零していた。

chapter12

 次の日――。

「それにしても……みんな無事で、ほんとに良かったぁ……」

 と、カオルは円卓にもたれかかった。

「ほんとに良かった良かったよ〜!」

 とうなずきながらフォークを差し込み、テリシアは真っ白いフランを口に運び、目を輝かせる。

「うん、おいしい!」

 彼らは今日、この街の名物スイーツ、ツワネール・フランが有名な店に訪れているのだった。

「でも……、ポルックスが犯人だったんだね」

 とカオルは姿勢を戻して言った。
 
「うんうん……道に迷ってたら、ユウヤくんとポルックスが戦ってたからびっくりしたよ〜!」
「え? テリシア道に迷ってたの?」
「あ、違うよっ!? ユウヤくんを助けに行ったに決まってるじゃん!」

 と慌てるテリシア。

「あはは、そっか。……いや、というかさ……おれはカストルがカストルじゃなかったことにびっくりだよ〜」

 ユウヤはフランにフォークを刺しながらため息を吐いた。

「ええ……ラインハイトさんですね。確かに、姿形を変えられると聞いたことはありましたが……あんなにも精巧だとは思いませんでした」
「あれは凄い……魔力まで完全に再現できるなんてな……見抜けなかった」

 とユウトも頷く。
 ラインハイト……まおー軍の幹部の一人、『黒鴉のラインハイト』。彼女は今回の事件に、裏から協力していたのだと語った。

「そういえばさ、あの時カオルさんたちはどうしたの?」

 ユウヤは思い返しながら尋ねる。まるで示し合わせたように、ルティスと共に現れたカオル達。

「ああ……それがね。あの時、私とシズクはユウヤくんを探してたんだけど、そしたらカストルに……いや、ラインハイトに会ったんだ」

 フィオレナも頷いて、先を引き取る。

「私もです。そこでラインハイトさんに事情を聞きました。ポルックスが犯人であることはわかっている、けど……彼に真実を受け容れさせることが、ルティスさんたちの目的なんだ、って……」
「だから、協力してほしい、って」

 カオルは少し頬を膨らませる。

「ルティスが姿を表すまで、黙って見守っててくれって言われたんだよね。もー、ひやひやしたよ!」
「何回も出ていこうとしてたからね」

 とシズク。

「だって、ユウヤくんたちが怪我しないか心配で~……」

 そんな話を聞きながら、ユウヤは少し考え込んでいた。

「真実を受け容れさせるために……、か」

 ◇

「フラン、おいしかったね」

 と店を出て言ったカオルに、テリシアはうんうん、と頷いた。

「ポルックスのことは許せないけど……でも、なんていうか……うーん」

 とテリシアは考え込んでしまう。

「……なんていうか、悲しい事件だったね」

 ユウヤの呟きに、カオルもテリシアも、同意するように頷いた。

 彼らは店を出て道を歩いた。殺人事件が解決された街の騒がしさはいつものように戻っている。空もよく晴れ、風も静かだった。
 ユウトは一行の後を歩きながら、少しばかし考え込んでいた。

「……ユウトくん」
「え?」

 声をかけられて顔を上げると、隣にシズクが歩いている。
 シズクが声をかけてくるなんて珍しい……と思いながら、ユウトは様子をうかがう。

「なーんか、まだモヤモヤしてるって感じだね」
「それは……、まぁ……」
「うん。実はオレもなんだよね」
「……シズクさんも?」
「そ。だから、ルティスのところに行ってみない?」

 そんな思いがけない誘いに、ユウトは目を瞬かせた。

「シズクさんは、事件の真相……分かってたのか?」

 二人は他のみんなに声をかけて支部局に向かい、そこで言われたとおりに街の高台を目指していた。話によると、ルティスは高台へよく出かけているらしい。

「うん……でも、ちょっと時間がかかりすぎたな」

 とシズクは肩を竦める。

「……最初に思い出したのは、事件のこと。塔都に居た頃、何度か街で噂されてるのを聞いたから。カストルって名前の人が殺された事件」
「じゃあ、カストルが既に死んでるってこと……シズクさんは知ってたのか」
「んー……でも、よく分からなかった。だとしたら、ルティスが見逃すはずないでしょ」
「確かにそうだな、俺たちはカストルに会ったし……」

 思えば事件を複雑にしていたのは、ルティスとラインハイトたちの策略が混じっていたせいだった……とユウトは苦い顔をする。

「そう。だから色々考えた」

 塔都で耳にした事件は無関係だったのか、聞き間違えだったのか。カストルは生きているのか。死んでいるのか……。あるいは、ルティスの目的は何なのか……。

「でも、なにか引っかかってた」

 シズクはそう言って続ける。

「……最終的に思い出したよ。……お墓だった。カストル・ルヴィって掘られたお墓の横を、一度通りかかったことがある。その時、墓の前に経ってた人影……今思えば、それはポルックスだったよ」

 そんな話に、ユウトは、感嘆する。

「凄いな、そんなことまで、憶えてたのか……」
「覚えてたってより、見てた、だけどね」
「それで、カストルはもういないって確信したわけか」
「そう。だからルティス達は何か隠してる。カストルは偽物……もしかしたら、ラインハイトかもしれないって思った」
「凄いな……」
「そこまで分かれば、あとは……」

 シズクがそう言いかけた頃、緩やかな坂を上り終えて、二人は高台にたどり着いていた。
 そこにはルティスが佇み、街を見下ろしている。何故か頭のその上には、小さなウサギのような生き物が乗っている。

「……文句でもいいに来たの?」

 と、ルティスは振り向くこともなく言った。

「まぁね……」

 シズクは呟きながら、ユウトと共にルティスのそばまで歩み寄る。
 ルティスはそこでようやく振り向き、二人に向き直った。

「何?」

 シズクの目配せを受けて、ユウトは口を開いた。

「……わざわざこんな回りくどい手を取った理由はなんだ?」
「んー、それ、他の誰かさんにも言われたな」

 そんなぼやきの意味をとりかねて、ユウトは顔をしかめる。

「俺たちを利用した……いや、試したのか?」

 ルティスは黙ったまま、かすかに微笑んだようだった。

「今回の事件……あんたたちは最初から分かっていたんだろ? ポルックスが犯人だってことも、カストルが既に死んでることも」
「そうだよ」
「だったら、ポルックスの嘘に乗っかるなんて、回りくどいことをする必要はなかったはずだ」
「……そうかもね。でも、ポルックスにとって、あれは半分、嘘じゃなかった」
「……?」

 ルティスはユウトをじっと見つめる。

「ポルックスは、現実に向き合っていなかった。兄のカストルが死んだことも。自分が人を殺している本当の理由も。それ以前の失敗にすら蓋をして、本当の気持ちにも、望みにも、何にも向き合っていなかった」
「……」
「そんな人間をいくら罰を与えても、償わせることはできない」
「……そうか」

 ルティスは続ける。

「罪ってなんだと思う?」

 出し抜けな問いに、ユウトは顔をしかめる。

「また急に、難問だな」

「ポルックスは、いままでまおー軍として何百人もの命を救ってきたよ。それに、危険な魔族であれば、殺しても罪にはならないのはどうして」

 ルティスは肩を竦める。

「曖昧だって思わない?」

「だから、あれがあんたなりの断罪ってわけか」

「そうだね」

 罪人に、望むものを与える。望んだ罰を与える。それがどうやら、ルティスの《断罪》だった。

「……ポルックスの場合は……彼自身が、否定しなきゃいけなかった。都合のいい夢……会いたかったはずのカストルを目の前にして、カストルはもういない、って。……ポルックスは、自分自身の力で、そう否定しなきゃいけなかった」

 ユウトはしばしその言葉を吟味するように間を開けてから、首を傾けた。

「そのために、俺たちを、巻き込んだのか?」
「そうだね」

 ルティスはあっさり頷いた。何か言いたげな様子のユウトの隣で、シズクは珍しく、露骨に嫌そうな表情を浮かべている。

「実際、キミたちの力があったから、うまくいったんだと思う」
「……別に俺たちは、なにかしたつもりはないけどな」
「これまでに、実際何度か失敗してるから。ポルックスは認めなかったし、受け入れなかった。でも、キミたちはポルックスの心を揺らしたんだよ。夢から引きはがして、現実のはざまに押しやった」
「……運が良かったみたいだな」

 ユウトは肩をすくめ、シズクも呟く。

「おかげで随分こっちは迷惑したんだけど」
「……はぁ、ごめんね。そうだね……じゃあ、お礼に、いいこと教えてあげる」

 ルティスはちらりと二人を見て、少しだけ声を潜めた。

「……キミたちを召喚したのが誰か、気になるでしょ」

 ユウトは息を呑む。

「……知ってるのか、それを」
「うん」

 ルティスが口を開きかけたその時――。

「――ちょっと、ルティ~、もう行くよ」

 上方からそんな声がした。三人が見上げると、空には赤い髪の少年が浮かんで、ルティスを呼んでいる。

「……あれは……まおー?」

 それは度々ユウトたちの前に姿を見せる、まおーと名乗る少年だった。

「なんであいつがここに……」
「……話の続きは、また今度ね」

 ルティはそう言って少年の方へとふわりと浮かび上がる。

「――あ、おい……」
「大丈夫、今度会った時に話すって約束するから」

 ひらりとルティスはコートの裾をひるがえして、飛び去ってしまう。

「……結局、俺たちは今回いいように利用されたってことか」
「んー……」
「シズクさん?」
「まおー軍、か……」

 シズクはぼんやりと、ルティスと飛び去る赤髪の少年を見て、そう呟いていた。

エピローグ

 その日の夜は静かで穏やかな風が吹いていた。
 髪を拭きながら階段を上ったユウトは、廊下の窓にもたれて耳を澄ましているユウヤを見つける。

「……何か聞こえるか?」
「おれたちのピアノの音が聞こえる」
「え?」

 ユウヤは耳につけているイヤホンを指さした。

「へへ、これ、聞いてたんだ」
「ああ……」

 ユウヤがいつも持ち歩いている、古いICレコーダー。この世界には電池がないから、時々にしか再生せずにいるはずのそれを、今聞いていたらしい。

「ユウトも聞く?」

 と片方だけ外して差し出してくるユウヤの隣に並んで、ユウトはそれを受け取った。
 耳に差し込むと、少し籠った、懐かしいピアノの音色が流れてくる。
 いつか二人で連弾した、幼くて拙い音色。

「……大丈夫か?」

 ユウトはユウヤと同じように窓枠に腕を載せた。

「うん……」

 空は晴れていて、星空の中に弓のような月が浮かんでいる。もうすぐ新月だ。また月が巡ろうとしている。
 ユウヤはしばらくして、ねぇ、と呟いた。

「……あのさ。あの二人、もしかしたらおれたちに、――ううん、昔のおれたちに、ちょっとだけ……似てたよね」
「……ああ、そうだな」

 ユウトは静かに頷いた。

「今の、おれだったらどうするかな、ってちょっと……ちょっとだけ、考えちゃった」

 ユウトはちらりとユウヤの顔を覗き込んだ。

「……な、なに?」
「俺たちが……ずっと一緒にいられるかは分からない。けど……」

 ユウトはそれから、月を仰いだ。

「どこにいても関係ない。おれたちは双子で……俺はお前の弟だ」
「……うん、そうだね、そうだよね」

 ユウヤは少し涙ぐんだまま、頷いて笑った。

 欠けた月が煌々と照らす下で、二人の間にはいつまでも懐かしい旋律が流れていた。

――『双星のラメント』フラグメント_Adventure